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百姓雑話
第1話 
2012年1月1日
 人には何かのがある。
 若い頃は、縁などまったく意識しなかった。未来は、才能と努力の結果として、誰にでも開けてくると信じていた。多少の運、不運はあっても、縁に依拠した生き方はしたくなかった。
 しかし私は、農業を始めた頃から、運を肯定するようになった。窮地に陥った時や、運が悪く挫折しそうになると、いつも誰かが助けてくれた。大きな助力をくださった方々だけでも数えれば、両手では足りない。特に、地元の農家の皆さんと研修生には何度お礼を言っても足りないほどだ。今こうしてパソコンの前に向かってキーを打てる余裕を作れるのも、それらの方々のお陰である。新しい農場を見つけてくれたのも研修生の関係者や地元の方々である。このホームページの制作も、研修生の友人と、30年以上も会っていなかった私の旧友である。
 この連載を始めるにあたり、お一人お一人のお名前をあげない非礼をお許しいただき、この機会に改めて感謝の気持ちをあらわしたい。有難うございました。
 そして、このホームページを接点にして、新たな良縁が生まれることを、あるいは新たな学びの場になるよう願いつつ、できるだけ毎日曜の夜にはのせますので、ご一読くだされば幸いです。
第2話 空気
2012年1月8日
 人は空気を吸う。
 ごく当たり前のことである。生まれたばかりの赤ちゃんでも、何よりも先に呼吸しようと努力する。必死に努力する。生死がかかっているからだ。生きるうえで空気がもっとも重要である。食の安全性よりも重要であると私は思っている。
 では、私たち大人はどうであろうか。意識的に呼吸をしている人はどれほどいるだろうか。まして、必死に呼吸している人など極めてまれであろう。放射能汚染が気になり西日本から食材を取り寄せている人が、閉鎖的な部屋で、空気が汚染された状態で過ごしている、などということはないだろうか。
 私の長兄は、肺を患い、還暦前に亡くなってしまった。見舞いに行くたびに、苦しそうに激しく息をしている様子が今でも目に浮かぶ。多分、兄は職業病であった。長年、キュウリハウス栽培で生計を立ててきたからだろう。
 キュウリは夏野菜であるが、冬場の方が値段か高い。だから、無理して冬場にハウスで重油を燃やして栽培する。とうぜんキュウリに病気が発生しやすくなる。農薬を多用する。マスクをしていても、一定割合は吸い込む。そして悲しいかな、農薬が気化してただよっている中でも、キュウリは毎日収穫しなければならない。少しでも大きくなり過ぎると、値段が下がってしまうからだ。「そんなに危険なら、農薬散布を減らす努力をすればいいではないか」と言ってしまえば、それまでだが。
 しかし、夏野菜を冬場でも欲しがる消費者にも問題があるのではないだろうか。
 私は長年、駅の構内を賃借し、野菜を直売してきた。冬場でも、「トマトがないのか」とか「キュウリはないのか」と聞いてくるお客さまがいる。かつては「すみません、作ってなくて」と一応わびた。しかし今はこう言うことにしている、「冬にトマトはできません」と。わるびれずハッキリ言う。それが自然の摂理というものだ。
 土壌汚染は何も放射能だけではない。農薬づけの農産物の裏側には、土壌汚染がある。そして空気汚染もある。目に見えない農薬が漂う中でも刻一刻と呼吸せざるをえない農民健康被害がある。
 消費者の皆さまには、農民が命を削ってまでも生産しなくていいように、また皆さまの健康の観点からも、を逸脱する農産物の消費を抑え、旬の農産物をもっと食べていただけるよう、心よりお願いしたい。
第3話 ホトケノザ
2012年1月15日
 寒の内というのに、陽だまりではホトケノザが満開である。
 名前の由来は、たぶん、仏様が座っておられる台座に葉の形が似ているためであろう。この草は、その形だけでなく、情け深い点からも仏様のようだ。というのも、ほぼ間違いなく、アブラ虫を養い越冬させるからだ。寒さが緩み始め空中に飛び出すまで、アブラ虫にとっては、ホトケノザは命の糧である。
 また、春が来ると、ホトケノザに厄介な病気が発生する。ウドンコ病だ。ホトケノザは、ウドンコ病にとっても、これまた仏様のようだ。
 しかしホトケノザは、アブラ虫に栄養を奪われウドンコ病におかされても、たくましく子孫を残す。
 そんな寛容なホトケノザでも、人間にとっては悩ましい。ハコベやナズナとともに、冬場の3大雑草と私は思っている。これらは、夏草に勝るとも劣らない。なかでもホトケノザは、アブラ虫やウドンコ病の汚染源となるだけでなく、ほうれん草の中に生えると、ほうれん草に絡みつき収穫のスピードが落ちる。また、ほうれん草を汚す。私にとっては仏様ではない。厄介者だ。
 こんなわけで、ホトケノザを農場内からきれいに除去するのだが、その際、ホトケノザの独特な悪臭が鼻をつく。その悪臭が私をときどき諭す時がある。「アナタもワタシタチのように寛容になりなさい」と。
第4話 光の春
2012年1月22日
 冬来たりなば、春遠からじ。
 昨日が大寒であった。関東地方では、この頃から2月中旬頃までがもっとも気温の低い時期だ。特にこの冬は近年になく寒い。ひと冬分の寒さをもう体感した気がする。温暖化に慣れたためか、作物の寒さ対策がつい後手に回ってしまった。
 しかし気温は低くても、農場にはもう春が来ている。光の春だ。11月下旬から冬至の頃までの弱々しい日差しに比べれば、夕暮れが遅くなり、光もだいぶ力強くなった。帽子をかぶらないと実にまぶしい。野菜では、結球していた白菜が光を感じて葉を開き始めている。菜の花もちらほら咲き、春ブロッコリーの花蕾(食べる花の部分)も見えてきた。植物は季節を敏感に感じとる。
 先週水曜日には、レタス、サニーレタス、水菜、セロリをまいた。明日はキャベツ、白菜、ブロッコリーなどをまく。この時期から5月中旬にトマトを植えつけるまで、種まきと植えつけが目白押しである。冬至の頃からの1カ月間は、体をいたわり、ゆっくり働いていたが、これからは徐々に力を入れる。作業開始時刻も、7時半、7時、6時半と、日の出の時刻に合わせて早め、5月からは6時に作業を始める。
 光の春が来たとはいえ、それでもまだまだ寒い。作業場でも朝は零度を下回る。触れるもの全てが冷たい。手が切れそうに痛くなり、かじかんで指の動きが鈍る。そんな時は、陽だまりか育苗ハウスに行って熱いお茶を飲む。体と心がほんのり温まる。厳寒の中で知る、小さな幸せである。
第5話 真冬の積雪
2012年1月29日
 先週、関東圏でも積雪があった。降りはじめには稲光が走った。日本海側では、冬の雷はよくあるそうだが、関東では珍しい。11月下旬に雷鳴とともに雹が降ったことはあるが、真冬の雷は記憶にない。大寒の頃から、偏西風が南下し、日本付近で大きく蛇行しているためらしい。
 雨と違って、雪が降ると露地野菜の収穫と荷造りに苦労する。積雪量が多いと収穫できなくなる。収穫できても、野菜が泥まみれになり、洗わなければならない。水が手を切るように冷たい。手間が増えて時間に追われる。真冬の積雪は実につらい。それが仕事と言えばそうなのだが。
 厳しい作業の手を休め真っ白な雪原を見渡せば、人間だけが難儀しているわけでもないことに気づく。鳥たちは餌を探すのに苦労している。特に小鳥は命の危機にさらされる。地表の虫も草の実も雪に埋もれ、最後の命綱である野菜もほとんどが雪におおわれてしまうからだ。それでもブロッコリーは、丈が高いので雪に埋もれず、おいしいこともあって、小鳥の餌になってしまう。群れで食べに来ることもある。追い払っても、こちらの動向をよく見ている。早朝などの人がいない時に来て飢えをしのぐ。
 これまた困ったもんだが、連中も必死に生き続けようとしているのだろう。少しくらいの被害なら、目をつぶろう。
第6話 空気:スギ花粉の問題
2012年2月5日
 「スギも命の危機を感じているからでしょうね」と、ボランティアの阿部さんが指摘された。農場でいっしょに昼食をとっているときである。生き物は、命の危機を感じると子孫をたくさん残そうとする。野菜ではよくある現象だ。人間も同じであると私は思っている。難民キャンプでその日暮らしを続けている人々は、明日をも知れない境遇にもかかわらず、子だくさんである。イスラエルと対立しているパレスチナの人々も子だくさんだ。スギも例外ではないだろう、そう思って私はいたく納得した。
 今年の冬は、例年になく寒いため、スギ花粉の飛びはじめが遅い。しかし、立春を過ぎたので、その時期がそこまで迫っている。農場の周囲にもスギがあり、昨春はとことん苦しめられた。強風で黄色い煙のように舞い上がる様は恐怖の光景である。スギ花粉による空気汚染は農薬よりも厄介だ。とても苦しい。何しろ逃げ場がない。極端に言えば、日本中の空気が隅から隅まで汚染されるのだから。これは、明らかな公害であると私には思えてならない。
 思えば、スギ花粉症は私のいちばん長い友である。十代後半からの付き合いだから、かれこれ40年近くなる。この病気が世間に知られる前からだ。かかりつけの医師に「アナタほどの患者は珍しい。特別です。」と言われるほどだ。
 そんなわけで、2月から6月いっぱいは薬を飲み続けなければならない。それも、もっとも苦しい時期はステロイド剤を服用することになる。農薬をふくめ「薬」と名のつくものに抵抗感をいだく私は、インフルエンザが発症しても薬はいっさい飲まず、寝て治す。そんな自分が5ケ月間も薬を飲み続けるのは、屈辱的であり、汚点でもある。「花粉症が治ったら、死んでもいい」と半分冗談を言うことさえある。
 年々、スギ花粉症に悩まされる人が増えているそうだ。個々人の苦しみだけでなく、医療費の増加、労働の意欲・時間・効率などの低下は大きな社会的・経済的ロスである。国家的ロスである。何とかならないものか。いや、どうにかしなければ。
第7話 血-その1
2012年2月12日
 インフルエンザが流行しているという。自分も今、不覚にも何年かぶりにかかってしまった。体にこたえる作業は研修生の望月さんにお願いし、楽な作業をしながら3、4日で、薬を飲まずに治すつもりだ。一体どうして、こんなにも流行してしまうのだろうか。
 ところで、トマトの話である。私は露地トマトの有機栽培に生きがいを感じている。夏の日差しのもとで完熟トマトを味わう幸福感は格別である。しかし、露地トマトの有機栽培は難しくて失敗しやすい。当然、利益はでない。その赤字を埋めるために、他のいろいろな野菜を栽培していると言っても過言ではない。
 そのトマトは、日本の野菜のなかで売上高がトップだが、手間もトップであろう。生食用のトマトの生産には、とにかく手間がかかる。正確に言えば、手間をかける。たくさん採れるように、病気や害虫の被害を防ぐために、収穫作業がしやすいように、あるいは、より甘くするために。
 その一つが誘引という作業である。トマトの茎を曲げたりひねったり、地面にはわせたり、ときには切ってしまったりと、とことん手を加える。(私の目にはその作業が虐待と映ることもあるのだが。) 茎には動物の太い血管にあたる2種類の管がとおっているが、その管は歪められ、狭められる。当然、その中をとおる液体の動きが鈍る。私たちの血行が悪くなるのと同じ現象が起こり、トマトの健康が損なわれ、農薬が必要になると思われる。だから私はそのような無理をできるだけトマトに加えないように心がけている。
 話は人間に戻そう。農作業は中腰や前かがみの姿勢をとらざるをえない場合があり、長時間に及ぶことも少なくない。冬場は冷たい作業も多い。特に露地栽培ではそれらの作業が宿命みたいなものだ。当然、血行が悪くなる。悪い血行は免疫力が落ち万病のもとになる。風邪もひきやすくなる。トマトの場合と同じである。
 冒頭でふれたインフルエンザの流行は、血行を悪くする姿勢も原因している。もっと言えば、日々の生活や社会の有り様も原因しているような気がする。
 早寝早起きし、栄養をバランス良くとり、体をまんべんなく動かし、身も心も温かく保ち隅々まで温かい血が通うように気をつけ、風邪しらず医者いらずの生活をおくりたい。
第8話 三つ子の魂百までも
2012年2月19日
 今日は、24節季の「雨水」である。この頃から、寒さも緩みはじめ、雨もそこそこ降るようになる。
 私どもでは、ハウス栽培をしていないので季節の移ろいに合わせ、この頃から頻繁に種をまく。ほうれん草、小松菜、レタス、ブロッコリー、キャベツなどの葉菜類に加え、実のなる夏野菜もまき始める。すでにピーマンと茄子をまいた。3月に入ると、トマト、カボチャ、いんげん、きゅうり、オクラなどを次々まくので、育苗施設が手狭になる。温度管理と水やりに気が抜けない。
 さて本題、無農薬栽培のポイントについて述べる。ポイントはいくつかあるのだが、その一つが生育温度をできるだけ低温に保つことである。何かの本に、「人間は幼いころに体質が決まる」と書いてあったが、野菜もまったく同じである。特に発芽から生育初期を低温にすると、非常に丈夫な野菜になる。「三つ子の魂百までも」という諺があるが、植物にも当てはまるような気がする。この時期を過保護にすると、環境変化に対する適応力が弱くなってしまう。ホームセンターなどで売られている野菜苗は、弱々しく育てられ、哀れである。苗業者は、施設の回転を速くするために高温に管理し、短期間でひょろひょろと育てる。
 余談だが、ほとんどの豚、鶏、牛も同じような境遇に置かれているらしい。餌をどんどん喰わせられ、時には抗生物質とホルモン剤も飲ませられる。もちろん、できるだけカロリーを消費しないように運動は制限される。このような短い運命をたどり、一気に「お肉」へと仕立て上げられるという。
 私どもの農園に話を戻そう。幼い野菜を限界に近い低温にさらすの本当に気をつかう。厳しい寒波が襲ってきた時などは、夜中に車を飛ばして畑に行き、凍てつくなかで防寒対策をしなければならないこともある。被害が予測されても「多分、大丈夫だろう」と横着した翌朝、悲惨な光景を目にしたことは何度もある。自然はそんなに甘くない。心の隙を正直に突いてくる。科学的知識がこれほど蓄積されインターネットで手軽に情報を得られる現代では、農業に関する限り、不測の自然災害などほとんどない。ほとんどは甘さ、横着、強欲の結果である。
 そんなこんなで、20年以上もこんなことを続けてきた私は、厳しい環境下でゆっくりではあるが着々と育っている野菜を見ていると、何故かわが子のように思えてくる。
第9話 信じる
2012年2月26日
 農薬をかけることを「防除」という。
 「防」には、病気や害虫が発生していなくても定期的に農薬を使い、その発生を未然に防ぐ意味合いが込められている。また「除」には、病気や害虫が発生したら間髪いれずに農薬をかけ、被害の拡大を阻止するという意味で使われている。農産物の生産現場の実態を的確に表す言葉である。
 ところで、15日に発病した私のインフルエンザは、2週間以上たった今でも完治していない。咳と痰が続いている。この間、命をかけて病原体と戦っている免疫系を信じ、今までどおり医療機関には行かず市販薬も飲まず、半日寝ていただけでどうにか乗り切った。とはいえ、免疫力が落ちたのか、今回のインフルエンザが強力だったのか、それとも歳のせいなのか、かつて経験のないほど回復が遅かった。
 話を野菜に戻そう。本来、植物は非常に生命力が強く、丈夫である。何十冊もの専門書を読むまでもなく、自然の森や原野、足元の草たちを見れば、一目瞭然である。栽培する野菜も、旬に合った栽培時期を守り、適切な生育環境にすると、たくましく育つ。病気に罹りにくい。罹っても時期が来れば自ずと回復することがほとんどである。例えばトマトは、雨や過湿によって病気が発生しやくす、一般には何十回も農薬をかけられるが、自然生えたものは露地でもなかなか病気が発生しない。
 しかし現実には、生産現場での農薬使用は当然の作業になっている。多分それは、人間の「贅沢病」と同じ原因ではないだろうか。季節に逆らい、肥料を必要以上に施し温度を上げ、収穫物を早くたくさん得ようとするから、病気が発生しやすくなる。
 したがって、もし無農薬栽培で経営を安定させるのであれば、旬にそって作付し、生産者自らの欲望をほどほどに抑え、野菜の生命力を信じること。それしかないように私は思っている。
第10話 土を喰う
2012年3月4日
 「この土を喰わないと、殺すぞ」とピストルを突きつけられたら、アナタは土を食べるだろうか? ほぼすべての人が「そんな非現実的な問いに何の意味があるのか?」と思われるだろう。
 ところが、生活の場所が変われば、この問いが現実になる。かつてソマリアの難民キャンプで働いていた時、たびたび私も土を食べた。難民の家を訪ねた時に出された水は濁った河の水、ということも度々あった。貧しい配給食料で作られた心づくしの料理が出されれば、泥で汚れた手でも頂いた。「手洗いに水をくれ」とはとても言えない。井戸もない砂漠地帯では水はとても貴重なのだ。宿舎で日々食べる料理にもときどき砂がコショウのようにかかっていた。砂漠地帯に特有の砂塵が舞っていても、戸外で現地のメイドが作るからだ。泥や砂を毛嫌いするようでは、かの地で生きられなかった。
 身近な自然界に目を転じれば、土を食べる生き物は普通に見かける。その代表ともいえるのがミミズである。土を食べ、植物の生育に都合の良い糞をする。土づくりの達人だ。そして今日も、畑ではヒヨドリやスズメが土を食べている。肥料として糠を畑にまき、耕したからだ。春まで鳥たちの餌は極端に不足するため、泥まみれの糠でも彼らにとっては命の綱である。
 このような難民キャンプと農場での体験を持つ私には、現代人はあまりにもキレイ好きに見えて仕方ない。何でもかんでもキレイにしないと気が済まない、そんな人々が大勢ではないだろうか。そんなにキレイにしないと人間は健康的に生きていけないのだろうか。そもそも、人間がいくら泥を嫌ったところで、その食料のルーツをたどれば、ほとんどが土から生まれたものではないか。
 もちろん、キレイにすることを全否定するつもりはない。小鳥や昆虫でさえ、体をキレイに保とうとする。ただ私には、キレイにし過ぎる弊害もたくさん見えてしまう。偏った価値観により必要以上に体も環境もとことんキレイにすることは、労力や金銭の無駄づかいだけでなく、無意識のうちに他の生き物の生存を否定する、と思えてならない。
第11話 間引き
2012年3月11日
 間引き作業は心身ともに疲れる。
 先週、大根と人参を間引いた。普通、これらの作物は、種を多めにまき、形良く早く育ちそうなものだけを残し、他は小さいうちに抜き去ってしまう。3割くらいしか残さない。混みあうと、生育が遅れたり、大きさが揃わなかったり、病気がでたりするからだ。抜き去るものでも、抜かなければ食べられる大根や人参になるのだ。
 この作業は、地面に長時間しゃがみ込む姿勢のために、体にこたえる。農民が腰や膝を痛める原因にもなっている。昔と違って今は機械化が進んでいるとはいえ、間引き作業のできる機械を見たことがない。
 また私は、間引きしていると、悲しくなることもある。自分でまいたものを小さいうちに自分で抜き取ってしまうからだ。たとえが適切ではないかもしれないが、わが子を次々堕胎するようなものだ。
 そんな感情もあって、私は間引き作業をできるだけやらない。種を少なめにまき、収穫するまで放っておく。当然、形の悪いものもたくさんできる。大きさも様々である。収穫と荷造り作業が手間どり、生産性が落ちる。
 しかし、それでいいではないか。
 私どもは、直売がおもな販売方法なので、形が良くないもの、小さいものでも、それなりに買っていただける。中身が違うわけではない。お客さまによっては、大きい大根は食べきらないので、割高であっても、あえて小さいものを選んで買われる方もおられる。本当にありがたいことだ。
 何も語り合えず、感情を交わすこともできない野菜だが、私たちと同じ命である。できるだけ長く生かしてやりたい。その命を無駄にしたくない。形や大きさにこだわらず、命をつなげるために、食べられるものは食べよう。
第12話 キジとヒバリとカッコウと
2012年3月18日
 鳥の子育てもいろいろである。
 学生の頃、よく一人旅に出かけた。宿はきまってユースホステル。安いだけでなく、出会いの機会もあって、ユースホステルを泊まり歩くのは若者の一種のファッションであったように記憶している。もう随分昔のことだが、あの頃が一番楽しかった。夏休み、前半はバイトで稼ぎ、後半には関東周辺の高原へハイキングに行った。そこでカッコウの鳴き声をよく聞いた。
 カッコウには托卵という習性がある。鳥に関心のある方なら知っておられよう。他の種類の鳥の巣に自分の卵をそっと産み落として、その鳥に自分の卵を育てさせる繁殖方法である。生まれたばかりのカッコウの雛は、目も開いていないのに、巣の主の卵、あるいは既に孵化した雛を足で巣の外に落としてしまう。親も親なら、子も子である。
 ところで、彼岸の頃になると、畑の上空からヒバリのさえずりが聞こえてくる。ヒバリは、外敵からの危険を避けるために、人の気配のある畑で子育てすることもあるようだ。去年は、防風用にまいたソルゴーという草の中に、ビバリが3個産卵した。1個は何かに食べられ、1個は何かが巣の外に持ち出したために冷えて孵化せず、最後の1個は多分親鳥が身の危険を感じて子育てを放棄したものと思われる。そこはトマト畑であったので、毎日収穫で私が近くを通っていたのだ。済まないことをした。
 ヒバリの子育てが終わる頃、キジの繁殖行動が始まる。ヒバリと同じようにキジも地面で営巣するが、人目につきにくい所を選ぶ。かつてメスが卵を暖めている場面に遭遇したことがある。そっと近くまで忍び寄ってみた。数メートルの距離に近づくまで、身動き一つせず、じっと私を見つめ、卵を守っていた。もう20年近くもたつが、あの時の光景が今でも目に焼き付いている。
 キジは、さすがに国鳥だけのことはある。
第13話 人を喰う(The Killing Fields)
2012年3月25日
 今から30年ほど前、1980年12月8日、John Lennonがニューヨークの自宅前で射殺されてしまった。そのニュースを聞いた時、5年勤めてきた会社を辞めると決めた。お世話になった直属の上司を裏切る結果を選んでしまい、本当に申し訳なく、今でも合わせる顔がない。
 その5年後、映画「The Killing Fields 」が上映された。最後のシーンで、John Lennonのあの名曲「Imagine」が流れたら、もう涙が止まらなかった。
 映画の舞台はカンボジア。隣国ベトナムの独立戦争が終わるころから、カンボジアでも内戦が激しくなった。アメリカに支援されてきたロン・ノル政権が、中国に後押しされたポル・ポト軍に倒された。原始共産主義を奉じるポル・ポト政権は、教師や医師などという高学歴の人々などを虐殺していった。その犠牲者は百万人を超えると伝えられている。その後、虐殺を恐れベトナムに避難していた人々が組織したヘン・サムリン軍が、ベトナムに支援され、ポル・ポト軍を西方に追放した。その時、大量の難民が隣国タイなどに逃げてきた。
 「The Killing Fields 」は、ある一人のカンボジア人ジャーナリストの逃避行をとおして、ポル・ポト政権下の惨状を描いていた。何度見ても思うことは、「人の心には魔性が潜んでいて、周囲の人々の誘導や洗脳で、あるいは教育でいともたやすく人を殺せる」という人間の真実である。
 ポル・ポト政権下で繰り返された虐殺の中には、上官の命令などで子どもが自分の親を殺したこともあったようである。そしてもう一つ、こんなこともあったと何か本で読んだ記憶がある。確か犬養道子さんの「人間の大地」であった気がするが、逃避行中に負傷し逃げ切れないと覚悟した難民が、自分の腹を切り裂き、これを喰って生き延びろとわが子に与えたという。これらの事例は、心の有り様はまったく逆であるが、どちらも「人を喰う」悲劇である。
 そして、一連の惨事に心を痛め、親友の誘いに応え、会社を辞めた1年後、私はタイに渡った。タイに逃げてきたカンボジア難民をボランティアとして支援するためである。思い起こせば、この旅立ちが今の自分の出発点であった。
第14話 性格の壁
2012年4月1日
 いろいろな方々が農業研修を希望し訪ねてこられた。その人たちに何を学びたいのか尋ねると、栽培技術を学びたいという答えが圧倒的に多い。私も、今から20年以上前に研修を受ける時、そう思っていた。
 確かに有機栽培の技術は、農薬や化学肥料を使う慣行栽培に比べれば難しいが、けっして至難の業ではない。広い世間には実践している方々がたくさんおられる。本もたくさん出版されている。私も就農する以前から、相当読んだ。とにかく諦めず努力を積み重ねれば、遅かれ早かれ技術は身につく。思い起こせば、昔の農業は有機農業しかなかったのだから。
 また、研修生や就農希望者にこうも付け加えることにしている。「ここで2年も研修すれば必要な技術を習得できます。しかし、それはほんの一歩です。あなたたち新規就農者は農家の跡取り息子とまったく条件が違います。その前途は壁の連続です。独立するには、農地と販路を確保し、資金を投じて機械や施設を揃えなければなりません。そして日々農作業に励んではじめて、どうにか販売にこぎつけられるのです。しかしその先に、少なくてももう一つ、多分、大きな壁があるでしょう。農家が次々と減っていった理由の一つがその壁かもしれません。それは何かわかりますか?」と。
 残念ながら、返ってくる声はまずない。まだ実践していないのだから、それも仕方のないことかもしれない。「その大きな壁はアナタの性格です。性格は、勉強や努力をいくら続けても、資金をつぎ込んでも、なかなか都合の良い方には変わりません。本当に良い結果を得るには、技術や努力だけではなく、最後はアナタ自身の性格が重要です。性格を超える品質の野菜はけっしてできません。ですから、農業に足を踏み込む前に、じっくりご自身の性格を冷静に見極めた方がいいでしょう。熱い思いだけでは喰っていけません。」
 私の苦闘の連続を話すまでもなく、この言葉が私自身の歴史を端的に語っている。そして折に触れ、自戒する言葉でもある。
第15話 ヤブ蚊と太平洋戦争
2012年4月8日
 農業は楽しい。楽しくなければ、長く続けられない。
 それでも私は、正直に言えば、荷造り作業はあまり好きになれない。少量多品目を有機栽培する場合は荷造り作業にかなり神経を使うが、長年やってくると、単純作業の連続と思えるからだ。要するに、荷造り作業は性に合わないのだ。そして、もう一つの理由はヤブ蚊である。夏場は、出荷量が非常に多いために、早朝から夜まで荷造り作業が続く。まさに戦争状態である。そこにヤブ蚊との戦いも加わり、もう気力勝負、体力勝負の日々である。
 ところで、蚊のなかでも吸血するのはメスだけ。卵を産むための栄養源として、血は非常に優れているらしい。人目を盗んでそっと吸血に来るイエ蚊はまだ許せるが、ヤブ蚊はどうも許せない。連中は小さなドラキュラのようである。イエ蚊と違い、群れをなして狂ったように襲ってくることもある。逃げても逃げても、人の臭いをたどって、執拗に追ってくる。殺そうにも、その不規則な飛び方のために、なかなか手でつぶせない。刺されると大きく腫れあがり、痒さをとおりこして、チクチク痛い。身近にいる生物で、人間にこんなにも執拗に襲いかかってくる物は他にいない。
 ときどき私は、次々に襲ってくる連中を見ると、太平洋戦争の末期の特攻隊を連想し、恐怖を感じてしまう。その感情は、命がけで突っ込んでくる特攻隊に対してアメリカ水兵が抱いた心境に似ているかもしれない。
 また、一方の特攻隊はどんな心境であったのだろうかと思いをはせる。若い彼らが命をかけてまで願ったことは、いったい何だったのだろうかと。もしかすると、蚊と同じような、生命体としての根源的な動機からなのだろうか。
 そんな感情や想像を胸に納め、今年こそは夏になる前に、作業場のヤブ蚊対策を完了しておかなくては。
第16話 早咲き、遅咲き
2012年4月15日
 記録的な寒さが続いたために開花が遅れたものの、桜が見事に咲いた。地面に淡いピンクの絨毯を敷きつめたようである。我が家の近くにも桜の大木がたくさんあるのだが、残念ながらその下で宴会を開く余裕はない。この頃から、レタス、菜花、ブロッコリーなどの春野菜の収穫が急増するとともに、トマト、胡瓜、茄子、ピーマンなどの夏野菜の世話に追われるからだ。
 ところで桜は、満開のように見えても実際は7分咲きくらいで、早咲きの花が散る頃に遅れて咲く花もある。この現象は桜に限られたものではない。桜と同じバラ科の梨もまったく同じ咲き方をする。多分、ホルモンの蓄積量にしたがって次々と咲くのであろうが、実にうまくできている。と言うのも、ちょうど桜や梨が咲く頃、遅霜がよくある。開花した花は寒さに弱いので、早咲きの花は被害を受けることがある。しかし遅咲きの花は、早咲きがその上部にあるので、被害を受けにくい。まさにお陰さまである。
 似たような現象は、野菜でもある。春が旬の菜花は、その中心に大きく力強い蕾をまず着けるが、霜の被害を受ける可能性がある。実際この冬は、中心の蕾の一割ほどが腐ってしまった。しかしその後、下部から小さい脇芽がいくつも発生してきた。遅咲きの花が命をつなげることになった。また、実のなる野菜(果菜類)も同様である。胡瓜でもトマトでも脇芽が次から次と発生し実を着ける。
 もちろん、早咲きの方が子孫を確実に残す確率は高いのだが、上述の霜害のような何かの異変があったりすると、遅咲きに未来を託すことになる。遅霜の他にも、降雹、暴風、少雨、猛暑、日照不足などなど、自然の脅威は尽きない。鳥や獣、そして人間に喰われることもある。
 しかし植物は、それらの脅威から避難することができなければ、反撃もままならない。ただ自然の脅威に身を任せつつも、それらに耐え、巧みに子孫を残す術を内に備えたものだけが現在まで生き延びている。
第17話 ある少女の死
2012年4月22日
 去る3日、台風並みの暴風にともない、目も開けられないほどの土埃が吹き荒れた。研修生2名とともに強風対策をしながら、ふっと20年数前の体験を思い出した。
 1985年10月、私は難民救援団体のスタッフとして難民キャンプに赴いた。場所は、アフリカ北東部の辺境の国ソマリアの、そのまた辺境の地ルーク。着任した直後、ある事故が起きた。現地人スタッフのトップが車を運転中に難民の少女を引き殺してしまった。「少女が急に飛び出してきたので仕方ない。習慣に従い賠償したので、もう何も問題ない。」というのが彼の言い分であった。私たちから見たら、少女の命はきわめて安い値段であった。
 ところが、現場に居合わせた人々に聞くと、どうも彼に過失があったようで、日本人スタッフの間で議論になった。彼に何らかの処罰を与えるべきだという意見が主流であったが、現場責任者のK氏は当地の習慣に従った解決方法で良いと一貫して主張したと記憶している。仕事に疲れた体をおして、私たち日本人スタッフは命の重さをめぐる議論を何夜も続けた。
 この一件は、その後も私を悩ませたカルチャー・ギャップの第1話であった。くわえて、砂漠地帯という気候の厳しさ、複雑にもつれた人間関係、一向に仕事の成果が見えない焦燥感と虚しさ、命の危険と背中合わせの日々、電話はもちろん生活に不可欠なインフラの不備、毎日同じ貧しい現地の食事など、かつて経験したことのなかった過酷なストレスに苦しめられた。日本人スタッフの中には、夜な夜な猫を殺してストレスを発散する者もいた。そして私は、現地に数年は留まる覚悟で赴任したものの、1年で帰国することになってしまった。難民の役に立つどころか、給料を頂いて人生最大の経験を積ましてもらっただけで、私のソマリア勤務は終わった。
 話は少女の事故死に戻る。事故者当人の主張の根底には、多分、宗教があったのだろう。「あの少女は、あの場所で、あの時刻に、あの事故であの世に逝く運命だった。私はこの地の伝統的な方法で責任をとっており、何ら処罰を受ける筋合いはない。」と彼は主張して譲らなかった。赴任したばかりの私は、日本社会の価値観や倫理観などに支配されていて、彼の主張に強い違和感を覚えた。
 しかし、あれから四半世紀近くの月日がたち、数々の失敗と過ちを重ね多くの人々と出会ってきた今なら、彼の主張を理解できる気がする。そしてもう一つ、あの事件を契機に学んだことがある。「現実世界では、命の重さに絶対などということはない。悲しいかな、相対的である。」ということである。この冷徹な現実の中で私は毎日生きている。
第18話 育児
2012年4月29日
 やっと春めき、ヒバリがさえずり始めた。スペインのカタルーニャ地方では「ピース、ピース」と鳴くという。
 去年、ヒバリが私の畑に産卵したが、結局1羽も巣立てなかった。2個は何かに食べられてしまい、最後に残った1個も、多分、親鳥が育児放棄したようだ。そこはトマト畑で、私たちが毎日その巣の近くを通っていたからであろう。そしてまた今年も、左の写真のように、同じ私の畑に3個の卵を産んでいた。それも去年の場所から10mほどしか離れていない場所である。ネギの土あげをしている時に気づき、巣の中に飛びこんだ土を除こうとして、1個を割ってしまった。心が痛む。ヒバリはどうして畑で子育てするのだろうか。ツバメのように人の気配が卵を外敵から守ってくれると思っているのだろうか。
 ところで、皆生農園では肥料として米糠を大量に使っているのだが、その糠の中でネズミがよく営巣する。労せずして糠という餌にありつけ、その中は暖かく外敵も侵入できないためであろう。つい先日も、積んでおいた糠を使い始めたら、案の定ネズミが糠を喰い荒し、糠袋の中に暖かそうな巣があった。しかし、ネズミの赤子は冷たくなっていた。6匹が寄り添うように死んでいた。人の気配を感じて、やはり育児放棄したのかもしれない。
 そして昨日、レタスの収穫中にクモと遭遇した。私に驚いたのか、後ろ足で抱えていた卵の塊を落としてしまった。クモがどうするのか至近距離でじっと見ていたが、卵から数センチ離れたところで動こうとしない。私の気配を感じているのかと思い、その場を離れカメラを持って戻ると、クモは口に卵の塊をくわえていた。育児放棄しなかった。そして、カメラの音に危険を感じ、レタスの陰に逃げて行った。
 ネズミやヒバリに比べれば、クモは下等動物と人は言う。しかし本当は、どちらが下等なのだろうか。現代の人間は果たして人間らしい子育てをしているのだろうか。自分の子育ては親としての責任を全うできたのだろうか。そんなことを考えさせられる刹那であった。
第19話 アブラ虫とグレート・ジャーニー(1)
2012年5月6日
 ゴールデン・ウィークは非常に忙しい。私たちの農園だけでなく、他の農家も田植えに励んでいる。皆生農園は、稲作を委託しているので田植えはないが、春野菜の収穫と夏野菜の植え付けに早朝から夜中まで働く。右の写真のように、育苗ハウスは約20種類の苗で埋まっている。遅霜の心配がなくなる5月初めから20日頃までに、一気に植えつける。寝る間も惜しまれる時期だが、もっとも楽しい時期でもある。
 ただし、ひとつだけ気がかりなことがある。アブラ虫である。育苗には害虫対策を徹底しているつもりでも、苗にアブラ虫が付く。今年は左の写真ようにピーマンが被害を受けた。発見が少し遅れたため、虫取りが厄介だった。2回ほど虫取りしても完璧ではなく、畑に植えた後、テントウ虫の成虫や幼虫を捕まえてきてアブラ虫を食べ尽くしてもらうしかない。毎年テントウ虫には特に助けられる。感謝である。
 ところで当農園にとっては、このアブラ虫が害虫御三家の一つである。ちなみに残りのものは、ヨトウ虫類とネコブセン虫である。アブラ虫の繁殖力は凄まじい。ネズミ算をはるかに凌ぐアブラ虫算的に増える。アブラ虫は、昆虫でありながら、平時は羽がない。また、ほとんどの場合、卵を産まず子どもを産む。その子があっという間に成虫になり、交尾もしないで子どもを産む。私の想像だが、母親は溜めておいた精子を子どもの体内に分け与えるのかもしれない。学校では、昆虫は交尾し産卵すると教わる。卵は幼虫になり、蛹になってから成虫になると。しかし、実際の生き物はそんなに単純ではない。生き残る術を巧みに駆使している。
 そんなアブラ虫でも、ある状況になると昆虫らしく立派な羽が生え、四方八方へ飛散する。それはまさに、アフリカのサバンナ地帯で生まれた人類が南アメリカの南端まで達した旅、グレート・ジャーニーのようである。そして、雌は新たな地で好きな野菜を探すと子どもを産む。後はアブラ虫算的に増え、またたく間に新たなアブラ虫帝国を築き上げる。人間の歴史と同じだ。
第20話 水は命
2012年5月13日
 水は、本当に不思議な物質である。酸素(O)の両脇に水素(H)が1個ずつ結合しているが、への字のように何故か曲がってついている。きわめて特異的な結合のため、分子の周囲が電気をおびる。これが、水の不思議の原因であり、命の源となった理由と思われる。
 ところで、生命の維持にもっとも緊急性が高いものは何かと問われれば、人間にとっては酸素であるが、その次が水である。肉体労働者なら、理屈抜きでそれを実感しているはずである。そして、3番目が食料。この順は、とりもなおさず、摂取の容易さでもあるべきであるが、空気さえも買う時代になってしまった。水にいたっては膨大な量を買っている。買わないと、1億人を超える私たち日本人の相当数が餓死する。
 かつて、アメリカの捕鯨船は腐りにくい日本の水が欲しくて寄港したと本で読んだことがあるが、それくらい日本の水は質的に優れ、量的にも豊かであったため、アメリカが買っていたのだろう。
 ところが、今や日本は「仮想水」という形態できわめて大量の水をアメリカから買っている。この仮想水とは、食料を作るのに必要な水のことである。例えば、とうもろこし。2008年には1600万トンを日本は輸入した。ほとんどがアメリカからである。もちろん、世界一の輸入量である。お米の国内生産量が約800万トンだから、その2倍近くのとうもろこしを輸入していることになる。独立行政法人・国際協力機構によると、日本が輸入しているとうもろこしを育てるため約300億トンの水が必要という。また、独立行政法人・水資源機構によると、すべての輸入食料を育てるために必要な水の量は640億トンと見積もられ、水として使用されている水の7割弱に達するという。つまり、生活用、工業用、農業用などのために国内で調達している水とほぼ同じ量の水を海外から食料という形で買っていることになる。
 発展という名のもとで世界的な規模で今後、温暖化、森林面積の減少、人口増加、肉食化、飽くなき便利さの追求などが進む可能性が高い。必然的に水の使用量が増えると予想されるが、水の大部分は私たちが利用しにくい海水である。海水の大規模な淡水化が実現しない限り、需要に供給量が追い付かず、水の奪い合いが激化することが懸念される。20世紀は石油を奪い合う世紀であったが、今世紀は水の争奪の世紀となるかもしれない。
 日本では、よほどの空梅雨でもないかぎり、水に不自由はしないが、それは先人たちの長い苦役の結果である。一人当たりの降水量は、世界で17番目、なんと世界平均の3割強しかない。一人ひとりがこの現実を心に刻み、一滴の水も無駄にしないような暮らし方、産業の在り方をさらに追及する必要があろう。
 水は命の源である。生命維持に直結している。その本質的な重要さは石油以上である。
第21話 アブラ虫とグレート・ジャーニー(2)
2012年5月20日
 人生は旅である。人の一生は、長い人類の旅の短い途上である。
 皆生農園は、成田と羽田を離陸したジェット機がちょうどクロスする真下にある。多い時間帯では、1分に1機ほどの割合で飛び交う。私は、仕事の手を休め、ときどき見上げては、また一人旅に出たいと思ってしまう。安心して農園を任せられる者がいれば、1週間でもいいから、パスポートと往復ティケットとお金を内ポケットに入れ、少しの衣類を鞄に詰め、予定のない旅に出たい。
 さて、アブラ虫と人類の共通点を探ってみよう。
 農業を始めた頃、アブラ虫にほとほと悩まされたため、本でその生態を調べた。読んだ本には判を押したように、「春と秋に羽が生え雌雄が交尾し、産卵する」と書いてあった。しかし、長年アブラ虫を観察してくると、どうも本の記述はアブラ虫の生態に秘められた命の本質を語っていないような気がしてならない。確かに傾向として春と秋に羽が生えやすいが、ある状況になると冬以外なら、いつでも立派な羽が生え空を舞う。ハウスの中では、真冬でも生える。そして、環境が良ければ、急速に増殖し個体密度が高くなる。つまり、ある状況とは、作物が養える以上に個体数が増え、餌が不足し始める状況である。
 それはまさに、人類がアフリカのサバンナ地帯で生まれ、世界各地に広がっていった旅、グレート・ジャーニーの理由と同じであると私は推察している。ある土地に定住した一団が子孫を増やし、その地では全ての民を養いきれなくなった時点で、その一部が食料を求めて新たな旅に出た。旅の途上で争いごとも飢え死にしたこともあったろう。運よく先住民族と同化したこともあったろう。そうして人類は地球の隅々まで進出したのであろう。つまり人間もアブラ虫も、個体数が過剰になると、群れの一部が新天地を求めて旅に出る。
 人類のグレート・ジャーニーはすでに中世で終りを迎えていた。にもかかわらず、航海術を手にしたヨーロッパ人が世界各地に進出し、今でもくすぶっている紛争の火種をまいた。その後も産業革命によって増え続ける人口をどうにかするため、アブラ虫が羽を生やしたように飛行機を発明し、新天地を求めて2度の世界大戦を犯した。そして日本人も、大きな時代の流れを認識しないまま、ヨーロッパ人の所業を模倣し満州に進出した。「人類のグレート・ジャーニーはすでに終わった」という歴史認識の欠如がもたらした悲劇であった。愚行であった。
 そして今や人類は、ロケットで月や他の惑星に移住しようとしている。現代は人類にとっての新たな旅、スペース・ジャーニーの始まりの時かもしれない。その旅がグレートとなるかどうか、それがわかる時まで私は生きていないだろう。だが、とても気になる。
第22話 甘い誘惑(1)
2012年5月22日
 人は甘い誘惑に弱い。とっても弱い。悲しいくらい弱い。この世は、甘い誘惑に満ち満ちている。異性の誘惑、お金の誘惑、地位や名誉の誘惑、そして食べ物の誘惑。
 私も甘い誘惑に弱い。特に甘いお菓子には目がない。満腹になっても、夕食後の甘いものは別腹に入る。肉体労働している関係でお腹がすき、去年までは午前と午後に甘いお菓子を食べ、これまた甘い紅茶をたっぷり飲んでいた。朝6時から夜9時頃まで働く夏場は、これらが活力のもとになると思って、積極的に飲食していた。
 かつて働いていたアフリカのソマリアでも、イギリスの影響か、現地の人々は甘い紅茶をよく飲んでいた。紅茶を飲むというよりも、ミルクをたっぷり入れた砂糖湯を飲んでいるようであった。ソマリアは最貧国と言われているが、茶葉も砂糖も輸入である。少ない現金収入で甘い紅茶を頻繁に飲むからには、とても好きなのであろう。そのソマリアでは、甘いという味覚を「マーアン」と表現し、「おいしい」という意味でも使う。つまり、「甘い」ことは「おいしい」ことなのである。
 ところで、私は野菜を直売しているが、ほとんどの消費者が甘いトマトを欲しがる。甘くなければトマトではないような言い方をする人もいる。百貨店などでは糖度を上げた小さいトマトが驚くような高値で売られているが、これこそ甘さ求めた極みである。
 しかし私どもの場合、露地栽培という自然に近い環境で栽培しているので、トマトが甘酸っぱくなる。ハウスで育てられた甘いだけのトマトとは明らかに違う。健康的には酸味のあるトマトの方が良いように思うが、生まれた時から甘い食べ物に慣らされてきた世代には「おいしい」と素直に感じられない傾向がある。
 今から20年ほど前、就農して間もない頃、私が所属していた出荷組合の職員7名にトマトの食味試験をお願いしたことがある。真っ赤に完熟した露地トマトと、未熟のまま収穫し4、5日放置して赤くした露地トマトを、その素性を明かさず、試食してもらった。見た目には違いがない。結果は見事であった。農家出身の青年2名は完熟トマトを、非農家出身の中年女性5名は全員が未熟トマトをおいしいと答えた。露地トマトでも完熟前に収穫すると酸味がのらず、その分甘みが引き立つからである。多分、農家出身の青年は甘酸っぱいトマトに慣れ親しんできたが、非農家出身の彼女らは幼い頃からハウスで栽培されたトマトか未熟の露地トマトしか食べてこなかったのであろう。
 トマトなどの野菜に限らず、くだもの、お菓子やケーキ、飲み物、魚や牛肉、お米など、甘さを要求される食べ物を上げたらきりがない。人は生理的に、あるいは遺伝的に「甘い」ものを「おいしく」感じ、甘いものを特に欲しがるのではないだろうか。
 しかし、それで良いのだろうか。
第23話 ジャガ芋あれこれ
2012年6月3日
 先月下旬、ジャガ芋に花が咲いた。白い花、紫の花、いずれも美しい。南米アンデス地方からヨーロッパにもたらされた後、広く観賞用として栽培されていたらしい。
 今週から収穫である。関東以南のジャガ芋の産地では、春から初夏にかけて出荷する。しかし、本来ジャガ芋は、冷涼で乾燥した気候を好むため、関東以南では秋に栽培した方がおいしい。にもかかわらず、ほとんど販売用には栽培しない。秋以降は北海道産の安価なジャガ芋が出回るために儲からないからだ。また、秋の長雨で病気が発生しやすく、収量も少ないという3重苦。これでは販売用に作らない。
 ところでジャガ芋は、穀類ではないが、国や地域によっては主食であり、とうもろこし、麦、米についで、4番目に多く食べられている。穀類にはない優れた特徴があるからだ。一つ目は、寒過ぎて麦さえも栽培できない所でも栽培できる。二つ目は、痩せ地でも構わない。三つ目は、栽培期間が短い。関東地方では3カ月もあれば十分である。四つ目は、穀類に比べビタミンCが豊富に含まれており、それも熱によって分解しにくいという優れものなのだ。 産業革命以降、イギリスやドイツなどの北部ヨーロッパが爆発的に国力を強めた背景に、ジャガ芋の普及があったのは間違いない。また、ロシアの市民は「ダーチャ」という家付きの広い家庭菜園を持ち、ジャガ芋などの食料を自給しているという。ソ連崩壊後、わずかな食料を求め来る日も来る日も庶民の行列が続いたが、エリツィン体制は崩れず、暴動の様子も伝えられなかった。それは、ダーチャでの自給が背景にあったという。まさにジャガ芋は近世以降の救世主と言えなくもない。日本でも、江戸時代から飢饉の時に、さつま芋とともに庶民の命をつないだ歴史がある。
 しかしその一方で、穀類に劣る点もある。まず、重量あたりのカロリーが低い。次に、同じ畑で毎年作ることが難しい。いわゆる連作障害が起きやすいからだ。そして、病気に弱い。そのため、悲劇も起きた。19世紀中ごろ、ヨーロッパでジャガ芋の病気が蔓延し、多数の餓死者を出した。特にジャガ芋を主食としていたアイルランドでは100万人以上が餓死したと伝えられている。そして、アイルランドだけでも200万人以上がアメリカなどに移住した。その中に、J.F.ケネディーの先祖もいたという。
第24話 小麦粉まじりの砂
2012年6月10日
 日本は豊かである。本当に住みよい国である。この国に、この時代に暮らせたことは何よりの幸せである。
 世間では、日本は資源小国であると嘆く人が多い。とんでもない誤認識である。気候が穏やかで森林に恵まれ水に困らない我が国は資源大国である。電気、水道、ガス、通信網、交通手段などのインフラも隅々まで完備している。これらも立派な資源である。
 また、一億以上もの人々が住む国としては、社会状況も素晴らしい国である。民主主義が保障され、治安もすこぶる良い。デフレで就職難と騒がれているが、職種と職場を選り好みしなければ、職に溢れることはない。食べたい食材がいつでも手に入るだけでなく、都会に出れば世界中の料理を手軽に堪能できる。そして何より、電話一本で救急車やドクターヘリが飛んでくる。
 途上国と言われる国々を、それも紛争や旱魃などで苦しむ地域で暮らした私の、これが偽らざる実感である。私は、1985年から約1年間、砂漠地帯の難民キャンプで上記の豊かさとは正反対の生活をおくった。まともな病院も医療関係者もいない難民キャンプに赴任し直後、虫垂炎で亡くなったスタッフもいたと聴いて、片足を棺桶に突っ込んだ気がした。案の定、常に死と背中合わせであった。彼の地での体験を語れば尽きないが、ひとことで言えば人生の転換点になった1年であった。
 今でも目を閉じると、彼の地で目にした光景が鮮やかにフラッシュ・バックしてくる。なかでも、食糧配給の時に目撃した光景は強烈であった。地面にこぼれた小麦粉を子どもたちが奪い合うのである。砂が混ざった小麦粉というよりも、小麦粉の混ざった砂までもかき集める子どもたち。それを水に入れ上澄みを煮立ててスープのようにして飲むのである。貨幣経済と飽食にどっぷり浸かってしまった先進国の人々の目には、多分、醜い光景と映るであろう。
 しかし私には、食べられる食物を安易に捨てる先進国の人々の方がはるかに醜く見える。日本では、飢えから解放されて半世紀そこそこしかたっていないというのに、年間2000万トンもの食料が捨てられているそうだ。国内米の生産量が800万トンなので、その2.5倍の量である。捨てられた食料のほとんどは行政機関などが集め燃やし、大気を汚染している。おまけに高いコストをかけている。愚かな所業だ。私たち先進国の人間が飽食を欲しいままにできる、その裏側には飢えに苦しむ多くの民がいることをどれほどの日本人が意識しているだろうか。マクドナルドでは焼いて10分たったハンバーグは廃棄すると聞いたことがある。まさに飽食文化の極みで、天に向かって唾する行為である。
 その一方で、路上生活者のなかには、捨てられた食べ物で命をつなげている人々もいる。物に溢れた生活を奪われた人々。あるいは浮き世を離れ仙人のような生活を自ら選んだ人もいるであろう。きわめて質素な狭い生活空間で、ひっそりと命の火を灯している人々である。彼らは社会的な発言力に乏しい。がしかし、その生き方をとおして、進み過ぎた物質文明に警告を発し、飽和状態になった人類が歩むべき新たな道を暗示しているような気がしてならない。
第25話 豆の季節
2012年6月17日
 農場では今、豆の季節である。5月中旬の絹さやえんどうから始まり、スナップえんどう、空豆、グリーンピース、いんげん、モロッコいんげん、枝豆と続く。先週はすべて出揃ったが、今週からはいんげんと枝豆だけになり、これらを10月まで出荷する。
 ところで、豆類の食べ方はいろいろある。絹さや、スナップ、いんげんなどは未熟の内に収穫し野菜として食べ、大豆や小豆は完全に熟した豆を穀類として食べる。その中間が枝豆と空豆である。日本人にとって豆類はとても身近な食物で、特に大豆はなくてはならない食材である。世界的にも大豆は重要な穀物で、油の原料となったり、植物性たんぱく質の供給源にもなっている。
 また豆類は、食材として不可欠なだけでなく、窒素固定という生理機能があり土を肥やしてくれる。この窒素固定は、豆類の植物のほとんどに見られ、その根に共生するバクテリアが空気中の窒素を植物が利用できるような状態にすることである。上の写真は、大豆の根に付いた様子で、直径5、6ミリの瘤がそれである。大豆は、この機能と栄養に優れ、乾燥地でも栽培できることもあって、世界的な穀類の一つになっている。
 これらの理由と、もともと豆類が好きということもあり、私は実によく豆類を食べる。豆の季節は、夕飯の主食が豆類であることも多い。整腸のために納豆も毎日1回食べる。
 思い起こせば、専業農家に生まれた私は、小さい頃から豆類とは切っても切れない縁があった。冬の寒い日、一家総出で味噌や醤油も作った。おやつには甘い煮豆をよく食べた。納豆も常食していた。動物性たんぱく質の不足を豆類で補うように母親が気配りしたのだろう。
 その母親は嫁いだ大家族のために一生働きづめであった。農作業を一人前にこなしながら、他界した姑が残した8人の子らと自らの子5人の母親も務めた。そんな母が一息つくのは夜なべの針仕事の時だった。遅くまでテレビを見ている私に「マメに働くんだよ」、「男だって料理していいんだからね」と諭すように言っていた言葉を今も鮮明に憶えている。その当時は聞き流していたが、気がつけば、その通りの人生を送っていた。
第26話 誰にでもできる3つの平和貢献(1)
2012年6月24日
 平和貢献と言うと、国がするもの、特別な人ができるもの、生活に余裕があり自己犠牲をいとわない人がすること、などと受け止められがちである。しかし、想像力を働かせ日々の生活を見つめ直すと、誰にでもできる平和貢献がいくつもある。
 ところで、半世紀ほど前、いわゆる60年安保闘争が激しくうねった。その闘争が希求したことの一つは平和であったようだ。強大な国力にものをいわせ、フランスに代わってアメリカがインドシナ地域に軍事介入し、インドシナ戦争が激化し始めた時期でもあった。まだ幼かった私でも、伝えられるニュースから漠然とではあるが、平和を意識した。
 それが今や、国家財政の危機だ、年金だ、消費税だ、為替だ、就職だ、などと経済問題が人々の最大の関心事になり、あの闘争の面影さえも遠い記憶の彼方に消え入りそうである。多くの日本人は、あるいはほとんどの日本人が、アメリカの傘の下で平和ボケし、平和を意識しない日常をおくっている。その裏側には、血を血で洗う戦闘が日常化し、あるいは極度の貧困のために、平和を意識できない無数の人々がいる。そんな現実を遠く感じさせる日本では、平和という概念さえも希薄になってしまったのだろうか。
 しかし今、人類がその生存をかけて本気で実行しなければならないことは、環境問題への対応、行き過ぎた貨幣経済の是正、そして平和への歩みであると私は思っている。どの課題の解決策も、漠然とした概念や難しい理屈の先にあるのではなく、いつも日々の生活の中に、そして誰の前にも開けているような気がする。
 そのひとつが、昔から健康に良いと言われてきた早寝早起きである。人間の生理に合った生き方や働き方ができるだけでなく、電気文明にどっぷり依存している現代において電気の消費を減らすことは、環境問題への対応に始まり、めぐりめぐって平和への歩みに貢献すると私は確信している。だから私は、わが子が幼い頃から、「電気の先には危険な原発がある。節電しなさい」と事あるごとに言って聞かせてきた。原発に依存していれば、チェルノブイリやスリーマイル島での事故のように、いつか日本でも原発事故があるかもしれないと危惧していたからだ。
 それが、数百年に一度の津波が原因とはいえ、やはり現実になってしまった。あの事故で、広大な面積の大地と海洋が汚染され、どれほど多くの人々の平和な日常生活と大事な家族が理不尽に奪われてしまったことか。その多大な犠牲を教訓に、やっと国民の多くが節電を意識し始めている。今を逃しては、多分、もう日本人のライフ・スタイルに大きな変化が訪れることはなく、平和への道も閉ざされてしまうかもしれない。
 日本は、上記の課題の他にも、急速に進む少子高齢化、国家財政の危機、長引くデフレ経済などの課題に直面し、人類史の観点からも、今もっとも世界に注目されている。
 先週21日は夏至であった。4時過ぎには北東の空が白み始める。私は、年のせいか、雨戸もカーテンも使っていないからか、何時に寝ても日の出とともに目が覚めてしまう。若い頃から夜更し朝寝坊の私でも、ただそれだけで早起きできるようになった。特に難しくはない。
第27話 温暖化がもたらす災い
2012年7月1日
 温暖化が指摘されはじめて久しい。その一方で、太陽活動の関係で地球は寒冷化に向かうという説もあるが、今までの気象データからは急速に温暖化が進んでいるようだ。私も、長く営農してきた経験から、当面は温暖化が続くと実感している。有機栽培は病気や害虫との戦いなどと言う人がいるが、私は温暖化による自然災害を防ぐ方が難しいと思っている。
 もし今までのように温暖化が進めば、その影響は多岐にわたるであろう。海面の上昇で沿岸部の都市や国土の大半が水没する可能性も取りざたされている。そのような生存にかかわる問題だけでなく、私たちの生活の隅々まで影響されることは想像に難くない。
 食料問題もさらに深刻になるかもしれない。今まで寒くて栽培できなかった農産物が作れるようになる一方で、砂漠化や高温障害で栽培できなくなる地域も相当な勢いで増えると予想されるからだ。日本の農業現場でも影響が出始めている。晩秋から冬にかけて暖かくなり、冬場の農作物が作りやすくなった反面、主食の米が西日本で作りにくくなりつつあるという。
 また気象の面では、季節外れの突風や竜巻、大雨による洪水などの自然災害が増えるであろう。台風は、数は減ったものの、明らかに強大化してきた。高緯度で発生することも珍しくはなくなり、衰えることなく上陸するようになった。時には日本上陸の直前でさえも発達することがある。日本近海の海水温が1980年代中ごろを底に徐々に上がっているためであろう。直近では、先月18日から19日にかけて台風4号の暴風が吹き荒れ、私どもの農場でも予想以上の被害がでてしまった。20年以上営農してきたが、6月に台風被害があったのは15年ほど前の1回だけである。これからまさに夏野菜の収穫が始まるという矢先の被害で、去年9月の台風被害よりも甚大である。収穫が始まったばかりのインゲンの葉はボロボロになり、写真のように今月上旬から収穫し始めるはずだった露地トマトやミニトマト、ピーマンなどの果菜類の被害は特に深刻である。多分、今年は台風の上陸が多い年になるであろう。今からでも、次の襲来にそなえて、強風対策をしなくては。
 農業は自然の恩恵の上に成り立っている。しかし時には、自然の脅威が心の隙を突いてくる。そんな時、人間の非力さを痛感させられる。どうあがいても、自然の力には勝てない。
第28話 甘い誘惑(2)
2012年7月8日
 甘い物はすぐにエネルギーになるためであろうか、ほとんどの人はおいしいと感じる。昆虫はもとより、犬や猫でさえ同じように感じているようである。賢いカラスも大好きで、先週の月曜に、台風被害から立ち直りかけていた収穫直前の完熟トマトを大群がすべて食べ尽くしてしまった。泣くに泣けないほど惨憺たる状況で、お客様に迷惑をかけてしまった。
 さて本題。私も甘い物が大好きである。仕事柄お腹がすくので、午前と午後に甘いお菓子を間食し、とても甘い紅茶をたっぷり飲んできた。
 しかし、去年から間食をやめた。お茶もごくわずかな砂糖を入れるだけにした。そのため、夕方の空腹感は半端じゃない。胃が「早く食べろ」ときりきりする。そこで試しに何回か、大好きな甘い菓子を夕方食べてみたら、何と胃がむかついた。また他にも、不思議な生理反応を感じるようになった。夕方になると、何とか餌にありつこうとする本能のためか頭は冴えわたるのだが、なぜか睡魔も襲うのである。血糖値が下がるためだろうか。やっと9時頃に夕食にありつけるのだが、胃が縮んでしまうせいか、食べる時間が長くなり、徐々に食べる量が減りつつある。こんな状態で、今年の夏を乗り切ることができるのか、少し不安である。
 ところで、大好きな甘い物の間食をやめたのは、NHKの2つの番組を見たためだ。2011年5月18日放送の、ためしてガッテン「アンチエイジングだ!肌ホネ血管一挙に若く保つ方法」と、同年7月3日のNHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる」を見たからである。私にとっては、目から鱗が落ちるような番組であった。
 前者の概略は、「人の体のタンパク質と食べ物から摂取した糖が糖化という反応を起こし、老化物質AGEを作りだす。この物質が作られる速度を遅くする食事のコツは、先に野菜を食べ、糖質は後から食べること。それによって、腸での糖の吸収がゆっくりとなり、血糖値の上昇が緩やかになる。したがって、糖化反応の速度が遅くなり、老化物質AGEが作られる速度も遅くなる」というものであった。
 一方後者は、「すべての細胞の中にはミトコンドリアがあり、それが糖を分解してエネルギーを作り出している。加齢とともにミトコンドリアは誰でも衰えていくが、食事を控えて飢餓状態になるとサーチュリン遺伝子が発現しミトコンドリアを元気にする。すると、老化が遅くなり、寿命が延びる」という内容であった。
 これらの食事法は、実行する本人の寿命を延ばすだけでなく、生産年齢の向上にもつながりそうである。医療費の削減にも寄与するかもしれない。
 私の場合、番組のとおり実行してきたら、1年も経たないのに、40年来悩まされてきた花粉症がどうも軽減されたような気がする。この食事法を今後2、3年は続け、心身の変化を見ていこうと思っている。花粉症が明らかに改善されれば、わが人生の最大の難題が解決されることになる。特に寿命は延びなくていいのだが、花粉症だけでもどうにか改善したい。
第29話 「つるぼけ」と少子化と太平洋戦争(1)
2012年7月15日
 これらには、根源的な類似性があると私は思っている。今回は「つるぼけ」と少子化について述べてみたい。
 農場では今、さつま芋の蔓が四方八方にのび、すでに地面を覆い隠している。この時期にこれほど繁茂しているのは肥料と水が十分に効いている証拠である。この状態を見て、「今年は豊作だ」などと手放しで喜んではいけない。さつま芋は、窒素肥料が効き過ぎると「つるぼけ」という現象が起き、葉ばかり茂り肝心の芋がならないことがある。窒素はたんぱく質の材料になる重要な元素である。人間の場合は、無機状態の窒素からたんぱく質を合成できないので、動物や植物のたんぱく質を摂取している。
 ところで、植物も人間も大別すると、栄養成長と生殖生長という2段階の成長過程がある。簡単に言えば、栄養成長とは体が大きくなる過程で、生殖生長は子孫を残す過程である。人間の女性であれば、身長の伸びが止まり生理が始まる頃、十代の中頃が栄養成長から生殖成長期に移っていく時期である。この時期までは体が大きくなるためにたんぱく質をたくさん必要とする。植物ならば窒素を積極的に欲しがる。
 さて、ここからが私の推察である。人間が生殖成長の過程になっても積極的にたんぱく質をたくさん摂取したら、一体どうなるか。さつま芋の場合であれば、必要以上の窒素肥料がいつまでも土に有ることに相当する。さつま芋が「つるぼけ」して芋を付けないように、人間も不妊化するのではないか、というのが私の推察である。
 この推察にいたる事実をいくつか挙げよう。難民に配給される食料は極端にたんぱく質が少ない。その難民たちは子だくさんである。戦争状態が続くイスラエルとパレスチナ。経済的に貧しいパレスチナ住民の方が、多分、たんぱく質の摂取が少ないであろう。やはり子だくさんである。お米中心の時代は、日本人も子だくさんであった。洋食化し高たんぱく質の食事になったら、不妊が増えた。そして百獣の王ライオン。サバンナ地帯で食物連鎖の頂点に君臨しているライオンはなかなか妊娠しない。発情した雌はボスのライオンと何度も交尾しないといけない。そのライオンは完璧な肉食動物である。
 世間では、少子化を問題視し、その原因は経済や社会の中にあるかのように言われている。私は、それも否定しないが、たんぱく質の摂り過ぎも少なからず影響していると思っている。
 かつて人類は肉食動物に狩られるひ弱な生き物であったと言われている。それが今や、食物連鎖の頂点に登りつめ、肉をむさぼり喰う存在になった。少子化は、その当然の結果である、と思えてならない。
第30話 風に吹かれて
2012年7月22日
 梅雨が明けた。私の好きな季節がやっと来た。
 しかし、この季節を忌み嫌っている人のほうが多いだろう。節電のためにエアコンやクーラーの使用を控えている人たちも、いざ熱帯夜で眠れないと、理性が苦痛に変わるかもしれない。こんな季節でも、夕立の後に涼しい夜風が吹いたりすると、身も心もほっとする。
 ところで1960年代のはじめ、この歌が日本でもヒットした。"How many roads must a man walk down before you call him a man?" ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」の冒頭である。私は2ヶ月後に還暦を迎えるが、同世代かその上の人で洋楽を聴いたことのある方なら、大方は知っている歌である。
 大学に入った後、私はこの歌を聴いて人の愚かさを気づかされた。年を重ねれば重ねるほど、わが身も含めてだが、「人間は愚かである」と痛感させられる。いつまでたっても歴史の教訓を学ばない。学ばないから、福島原発事故の直後、「想定外」などと発言する。およそ一流の専門家とは思えない発言である。そして、国民の半数近くが原発なしでも節電して夏を乗り切る覚悟を決めても、なぜか大飯原発が再稼働された。またしても、つい1年ほど前に起きたばかりの歴史の教訓を闇の彼方へ葬ろうとしている。
 人類は、創造力に恵まれたためか、世界各地で高度な文明を築き上げてきた。特に産業革命以降は、人間が作り出した機械やシステムが、複雑に、パワフルに、休む間もなく働き、私たちの生活を快適に便利にしてくれた。
 しかし、その精神はなかなか豊かにならない。想像力が創造力に追い付かない。そのギャップは広がる一方である。いつの日か、人類は自らが作りだしたものをコントロールできなくなるかもしれない。いや、もうなってしまったのかもしれない。例えば、世界中にある核兵器と原発を具体的にどうすればいいのか、想像がつかない。この先、人類はどうなっていくのだろうか。宮崎駿監督が描いた「風の谷のナウシカ」のような世界になるのだろうか。
 ボブ・ディランは、「友よ、その答えは風の中に吹いている」と結んでいる。私も、じっとり汗をかいた体を一時休め、真夏の熱風に吹かれながら、想いをめぐらしてみた。「確かに自然の風の中にも答えがありそうだ」、そんな気がした。
 気を取り直し、「暑さも自然の恵み。エネルギー溢れる季節が、やっと俺の季節が来た」と猛暑に感謝し、さあ、頑張ろう。
第31話 誰にでもできる3つの平和貢献(2)
2012年7月29日
 9億2500万人。この数字をごぞんじだろうか。2010年、国連機関のWFPが公表した世界の飢餓人口である。人類の1割以上の人々が飢餓状態にあるという。
 その一方で、飽食のために太りすぎ、ダイエットに時間と費用と労力を惜しみなくついやす人々が非常にたくさんいる。日本人も例外ではなく、敗戦直後まで続いた窮乏生活は遠い記憶のかなたに置き忘れてしまったようだ。「飢餓」という言葉さえも今はほとんど死語になっている。
 ところで、人類は戦争や争いごとをくり返してきた。かつて日本人もアジアの国々を何度も侵略した。歴史の教科書をひらくと、戦争や争いごと、権力闘争などにほとんどのページをさき、平和な時代の庶民の生活や大衆文化などはわずかに記述されているだけである。なぜ人類は、かくも頻繁に戦争や紛争をおこすのだろうか。そんな過ちをなぜくり返したのだろうか。
 私はみずから選んで曲がりくねった人生を歩んできた。そこから得られた体験と、その時々の見聞から、「戦争や争いごとの根源的な理由は食べ物と憎しみである」と思っている。このような認識にたち、今回は食べ物に焦点をあわせ「誰にでもできる平和貢献」をあげてみたい。
 その平和貢献は、日々の食生活にあるような気がする。ごく単純なこと、簡単なことである。「良く噛んで食べ、食べ物を無駄にせず、腹八分で満足する。」 ただそれだけである。できれば、「間食をせず、決まった時刻に食事し、食後はゆっくり休む」ことも実践すると、平和貢献度はグンと上がる。これらの食習慣によって、経済力の強い人々が消費する食料が減り、おのずと飢餓人口が減る。もちろん健康上も良いはずである。もっと言えば、「頂いた命を無駄なく最大限に活かすことによって、食物連鎖の頂点に立つ生き物としての品格が保たれる」と私は思っている。このことは、百獣の王・ライオンを見れば理解していただけよう。ライオンは空腹になった時のみ狩りをし、お腹が満たされれば、のんびり生きている。これが、食物連鎖の頂点に立つ生き物の義務であり、生き方であり、品格というものではないだろうか。
 江戸時代の武士は、士農工商という身分制度の頂点に立ちながらも、「武士は喰わねど、高楊枝」と言ったそうだ。やせ我慢や負け惜しみもあったのだろうが、潔さも感じられるではないか。
第32話 トマトの気持ちを知る
2012年8月5日
 今年の露地トマトは季節外れの台風による厳しい試練をうけた。その直後、傷ついたところを一気に病気が広がっていった。そして、どうにか収穫できそうになったトマトを三度目の試練が襲った。カラスの大群が収穫直前の完熟トマトをすべて食べつくしてしまったのだ。露地トマトを20年ほど作ってきたが、6月の台風とカラスの被害は2度目である。恥ずかしながら、どちらも想定していなかった。トマトとお客さまに申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 やっとのこと、病気に感染したところを取り除き、傾いた枝を整理した。これで多分、去年のように10月まで収穫できるだろう。いや、そうしたい。
 私は、栽培するのも食べるのも、トマトが大好きである。特に酸味と甘みのバランスが良い露地トマトの味は絶品である。普通に市販されているハウス・トマトはただ甘いだけだが、自然の恵みをたっぷりうけ完熟した露地トマトはまったく違う味がする。これを収穫中に食べると、それまでの苦労が報われる気がする。もし栽培品目をひとつにしぼれと言われれば、私は迷わず露地トマトを選ぶ。
 ところで、「露地トマトの有機栽培はきわめて難しく、ハウス栽培の比ではない」と世間では言われている。実際のところ、2010年までは私にとっても露地トマトの有機栽培が一番難しかった。そのため、印西市で経営してきた三自楽農園の時代は、難しくて赤字になるので、栽培しない年もあった。とにかく病気との闘いであった。殺菌剤を何回か散布すればすむのだが、その何回かをやめるのが非常に難しい。ちなみに、千葉県の調査によると、普通に売られているハウス栽培のトマトは何十回も農薬がかけられているという。
 ところが、種が大地にこぼれ自然に生えたトマトは病気に強い。とにかく強靭である。雨や過湿にも負けない。この差はどうして生まれるのか、ずっと考えてきた。人に言われること、本に書いてあることなど、本当にいろいろのことを試してきたが、有機栽培では満足のいく結果が得られなかった。
 ある時、自然に生えたトマトがたくましく茂っている姿を見ながら、ふっと気づいた。「トマトに問題があるのではなく、人間の側に問題があるのだ。トマトの気持ちを知れば、きっと問題は解決する」と。そして、そのとおりであった。トマトが育ちたいようにすれば、それだけで良かった。昨年は、農薬を使わなくても、7月初めから11月上旬まで割と簡単に収穫し続けられた。露地トマトに発生する病気と20年来格闘してきたことが嘘のようであった。そして今年は、露地栽培のミニトマトの長期どりに挑戦中である。今までのところ、きわめて順調である。
 「相手の気持ちを察する」ことは、人間に対してだけではなく、植物にも言えることだと実感した。
第33話 草も活かす
2012年8月12日
 「農業は草とのたたかい」とよく言われる。実際そのとおりである。だから農家は、除草剤を散布し、トラクターで頻繁に農地を耕している。このような対策は農地を悪くするだけなのだが、これをやめた途端に農地は草ぼうぼうになり、放棄地となっていく。何世代も、何百年も営々と続けてきた草とのたたかいは、たった1年の怠慢で空しい徒労となってしまう。
 有機農業では、とうぜん除草剤は使えないので、草とのたたかいは熾烈を極める。少し大げさに聞こえるかもしれないが、有機農業で喰っていけるかどうかは草とのたたかいが決め手になることが多い。そして、ほとんどの場合、草に負ける。
 私も、何度も負けそうになった。広い面積の畑が雑草で生い茂ってしまった盛夏、旧式のトラクターで耕すと、イネ科の雑草がトラクターの回転刃に絡みつき、ちょっと進んでは鎌で草を取り除き、また進み、また取り除くという気の遠くなるような作業を数年前まで繰り返してきた。そんな時、農業をやめたくなったことが何度もある。それでも続けてこられたのは、研修生やボランティアの支援があったからである。
 そんな過酷な作業を繰り返してきて、やっとたどり着いた結論は、「草を単に敵とみなさず、草とつき合い、時には草も活かす」ことである。しかし、これを適切かつ適時に実践するのはなかなか難しい。頭では分かっていても、体がついてこないからだ。
 私どもの農園を尋ねて来られた方々が一様に口にするのは、「畑の周辺は草だらけだが、畑の中はきれいだ」という印象である。その一例を紹介したい。
 初めの写真は枝豆の畝がヒメシバという草に覆われている光景である。この草によって強烈な太陽の光が抑えられ、枝豆の日焼けが防げる。枝豆の収穫が終わるとただちに草を刈り、果菜類の畝に敷き、土の乾燥を抑える。二番目の写真である。そして三番目のように、草を刈った区画はトラクターで耕し次の作物の畝を作る。この畝は、ヒメシバの深い根によって排水性が良くなり、土の中に残った切り株や根は有機物として土を豊かにしてくれる。つまり、草が3回も役に立ってくれる。
 今から30年ほど前のことだが、パレスチナ難民を支援する人が書いた文章の中に、イスラエルに虐げられても負けない庶民を「草民」と表現していたと記憶している。その頃は農業をしていなかったので、ピンとこなかったが、今から思えば実に良い表現である。
 かつて、アメリカ合衆国第35代大統領J.F.ケネディーは、その就任演説の中で、「国があなたたちのために何をしてくれるかではなく、あなたたちが国のために何ができるかを考えようではありませんか」と訴えた。たぶん彼は、「大国にのし上がった合衆国の国力を維持・増強するには国民をいかに活かすかが重要である」と思ったのであろう。そう私は想像している。
第34話 「つるぼけ」と少子化と太平洋戦争(2)
2012年8月19日
 8月15日。今から67年前、欧米列強に日本帝国が敗れた日である。
 今回は、第29話の続きである。「つるぼけ」と太平洋戦争の類似点を探ってみたい。
 生き物には、栄養成長と生殖成長という2つの成長過程がある。これら2つの過程を簡単に言えば、栄養成長とは自分の体を大きくする過程で、生殖成長は子孫を残す過程である。生き物によって、この2つの過程がはっきり分かれる物と、同時進行する物とがある。人間は前者である。
 本題に入ろう。さつま芋は、日本では花をほとんど咲かせない代わりに、芋という形態で子孫を残す。一般的には、つるを伸ばし葉を茂らせる栄養成長の途中から、子孫を残すための芋を大きくする過程も始め、二つの過程が同時に進む。
 ところが、気温が高く肥料や水が多いと、つるばかり伸ばしていくものの、芋がなかなか肥大しない。そして、子孫を残す過程が始らないまま、晩秋を迎えて霜で枯れてしまう。この現象を「つるぼけ」と言う。
 さて、この「さつま芋のつるぼけ」を第二次世界大戦での日本帝国の戦いに置き換えてみよう。気温が高く肥料や水が多いと(国民の戦意が高く経済力や軍事力が増すと)、つるばかり伸ばしていくものの(戦線を四方八方に拡大していくものの)、芋がなかなか肥大しない(日本国民が占領地になかなか根付かない)。そして、子孫を残す過程が始らないまま(占領地に同化する間もなく)、晩秋を迎えて霜で枯れてしまう(アメリカとの海戦に敗れた時を境に急速に敗戦へと向かった)。
 いつの頃からか、人間は「ホモ・サピエンス(賢い人)」と自称し始めた。しかし、その行ないはさつま芋と大差ないのではないだろうか。
第35話 食の旬、収穫の旬
2012年8月26日
 「大根、ないんですか?」 数日前、ある店舗の地場野菜コーナーに研修生T君が野菜を並べている時、初老のご婦人から声をかけられた。どうせ買うなら地場産のものが良いと思って来られたのだろうが、この地方では真夏に大根は採れない。その方の気持ちは十分わかるが、無理して栽培しても美味しくないし、農薬を使わないと害虫を増やすくらいで、売り物にならない。
 スーパーに行けば、ほぼすべての野菜が一年中売られているためか、野菜の旬を知らない人が増えている。まして、旬を逸脱した冬のトマトや胡瓜は、石油で暖房し、農薬を頻繁にかけた結果であることなど多くの消費者は知らないであろう。仮に「旬の野菜を食べる方が健康に良い」と頭ではわかっても、味覚にしみ込んだ食習慣はそうそう変わるものではない。先のご婦人もこのような方かも知れない。
 今回は、日本人の食卓から消えつつある「旬」について、生産者の立場から述べてみたい。
 一般的には、その農産物の作りやすく、栄養が豊富になる時期を「旬」という。例えば、ほうれん草の旬は晩秋から早春にかけての寒い時期である。夏のほうれん草に含まれるビタミンCは冬のものに比べ1割くらいしか含まれていないというデータがある。味も非常に劣る。値段も高い。良いことは何もない。
 ところで、私の妻は、都会育ちで、独身の頃からサラリー・ウーマンである。だから、「夏はサラダ用の葉物野菜が食べたいのよね」と欲しがる。私だって、夏にこそレタスを食べたい。キャベツなどは1年中食べたい。しかし、レタスやキャベツを夏に収穫するのは非常に難しい。そもそもレタスやキャベツは涼しいところで採れる野菜なので、関東平野で真夏に作るのは相当な無理がある。私の妻からして、こうなのだから、まったく生産現場を知らない人からすれば、「スーパーにあって、何であんたたち農家は作れないの。それでもプロなの?」と思って当然である。
 しかし、無理難題なのである。
 消費者の皆さんに分かっていただきたいのは、食べたい時期、つまり食の旬と収穫の旬がずれる野菜があるという現実である。レタスやキャベツの類はその典型である。夏に関東地方で売られているレタスやキャベツは、ほとんどが長野や群馬などの高原地帯で採れたものである。
 このような現実がある以上、環境問題や経済的な観点から生産者や地方自治体がいくら地産地消を主張しても、自然に反した食習慣を変えていかないと、消費者との溝はいつまでたっても埋まらない。平行線のままである。
第36話 男は女の付属物?(1)
2012年9月2日
 カボチャは、ウリ科の作物なので、一つの株に雌花と雄花が咲く。丈夫な苗を畑に植え生育環境が良ければ、雌花と雄花がほぼ同時期に咲き始める。
 ところで、今から20年ほど前、陽ざしが強くなったゴールデン・ウィーク、不思議な現象に気づいた。苗に十分な水をあげないまま、うっかり夕方まで忘れてしまった時のことである。苗は皆しおれ、特に植え残った2本のカボチャの苗は今にも枯れそうになっていた。たかだか2本の苗のために往復1時間もかけて自宅に水を取りに行くのが面倒で、苗をそのまま放置し帰宅してしまった。翌朝、ポリ・タンクに入れた水を持って育苗ハウスに行くと、何とカボチャの苗はぴんと葉を広げ雄花を咲かせているではないか。その感動的な光景は今でも目に焼きついている。回復しないと判断した横着を反省し、すぐに水をあげた。それから数日後、畑に植えたが、雄花ばかり咲き肝心の雌花がなかなか咲き始めなかった。たぶんカボチャの苗は、生育環境が悪かったために体力が衰え、実をつけ種を残すまでの期間がないと判断し、手っ取り早く遺伝情報をつなげようと雄花ばかり咲かせたのだろう。
 そもそも生物の進化の過程をたどると、雄という器官あるいは生物が生まれるのは後のことであったらしい。ウィルスのように原始的な生物は頻繁に突然変異を起こす。それによって遺伝情報を多様化しているので、雄など不要である。しかし生物は、進化とともに、遺伝情報を正確に残すために突然変異を防ぐ仕組みを作ったが、その一方で遺伝情報を多様化する方法を生み出す必要に迫られた。そこで雄という存在が出現したのだろうと、私は勝手に解釈している。
 30年ほど前、会社員を辞め1年間、ある大学の生物学科に入学した。発生学の授業で、「母の胎内にいる時、男のシンボル・睾丸は卵巣が変化しながら下に降りてきたもの」という教授の話は実に衝撃的だった。「歴史は夜作られる」と言われるし、「若い特攻隊員がアメリカの艦船に突っ込む時、父ではなく、母の名を叫んだ」という後日談などを教授の話に重ね合わせ、「しょせん男は女の付属物なんだなー。」と30歳にして自覚した。今から思えば、どうも私の人生はその頃から曲がり始めたような気がする。
第37話 薬依存
2012年9月9日
 年間でもっとも殺虫剤がまかれる季節が来た。
 私どもの畑では、農薬を散布しないので、周辺の農地から避難してきた害虫がうようよいる。今夏は、雨不足のために、ヨトウムシの発生は遅れているが、カメムシは逆に群れをなしている。とにかくカメムシは、ヨトウムシと同様に、非常に厄介な害虫である。夏野菜の実にセミのように針を刺し、中の果汁を吸う。右の写真のように、たわわに実ったミニトマトだが、カメムシが食害したために、売り物にならない。今年は、残念ながら、8月末をもって収穫終了である。ミニトマトの好きな方が見たら、きっと「もったいないなー」という印象を持たれるだろう。
 ところで、一口に殺虫剤と言っても、いろいろある。毒性の弱い物と強い物、毒性の薄れる期間が短い物と長い物、作物の中に浸透しにくい物と浸透する物、生物的に害虫を殺す物と化学的に殺す物、水に溶かして害虫や作物に直接かける物と土に農薬をそのまま混ぜ作物の根から吸収させて作物を食べた害虫が死ぬようにした物、などなど実にたくさんある。
 日本では農薬を使う農家が圧倒的多数で、そのような農家が日本の食料を支えているのが現状である。だから私は、農薬を普通に使う農家でも、主に農業で生計を立てている農家に敬意を払い、多くの方々に教えを乞うてきた。
 その一方、長く直売してきた関係で、たくさんの消費者とも接してきた。その中には、残念ながら、農薬を使う農家を軽蔑する方々もおられた。話をお聞きしていたら、悲しさや虚しさ、あるいは怒りなど、複雑な思いが襲った。たぶん、おおかたの農家がその発言を聞けば、「それなら、アンタが農薬を使わない農業で喰ってみろ」と思うであろう。農薬を使わない農業の過酷さは、体験した者でないと到底理解できない。
 されど、である。農薬使用をもっと減らせるよう農家の側も努力して欲しいという思いが強い。どんな分野の労働者も、もっと良い製品を、もっと良いサービスをと、日夜知恵を絞っている。努力している。思い起こせば、日本に農薬が普及し始めた頃、日本の農業が衰退し始めたことがわかる。少々短絡的かもしれないが、日本の農業が衰退してきた原因の一つが、この「農薬依存」であるような気がする。
 ひるがえって、私たちの日常生活はどうであろうか。ちょっとした体調不良で病院に行っていないだろうか。行くと医師は、無難にと検査づけ、薬づけにする。経営上も都合が良い。あるいは、病院に行かない場合でも、市販薬を安易に飲んでいないだろうか。何しろ今や、コンビニでも医薬品が売られている時代である。
 つまり「薬依存」は、農業だけの問題ではなく、広く社会の問題でもある。皮肉にも、人類の病理かも知れない。
第38話 癌と生きる(1)
2012年9月16日
 癌は、自らの細胞が異常をきたす、究極の病気である。その原因はいろいろあるという。有害物質の飲食や不適切な食生活、およびタバコなどの有害物質の吸引が主なものだが、ウィルスや細菌の感染、紫外線や放射線の被爆なども原因となっている。日本における死因のトップが癌であることからもわかるように、誰でもその危険にさらされながら生きている。個人個人の生活環境や習慣、あるいは体質や性格などの違いによって発病のリスクは異なるものの、明日は我が身である。
 私の友人や知人には、癌とともに生きている人が何人もいる。まず、香取直孝さん。水俣病の記録映画「無辜なる海」を監督された方で、現在は松戸市内で自然食品店を経営しておられる。かつて4年間ほど、私の畑で採れた野菜を仕入れて下さった。その彼に、今から10年ほど前だったろうか、癌が見つかった。しかし、西洋医学に頼ることなく、快医学にもとづく食事や生活で癌の進行を抑え、現在も働いておられる。また、奥さんが癌に冒されたため銀行を早期退職され、広い畑を借りて癌に有効と言われている人参などの野菜を自給している方もおられる。
 私も癌を強く意識している。父が胃癌で母は肝臓癌で亡くなっているので、食事や生活習慣には特に気をつけている。また、ストレスは、軽く受け流し、できるだけ先に持ち越さないように心がけている。さらに、いざという時に薬が効くよう、花粉症の薬以外、ほとんど薬を飲まない。
 しかし、生身の体に万全などということは決してない。私は仕事柄、屋外で紫外線を多量に浴びる毎日である。畑では日常的に、野菜の味を調べるため、洗わずに生で食べている。自分の食器や箸などは基本的に水で洗うだけで、洗剤はできるだけ使わない。だから雑菌やウィルスは十分過ぎるほど摂取している。多分、人並みに癌のリスクにさらされているはずである。
 それにもかかわらず私は、薬と同様に、検査も好きではない。市が年に1度行なう集団検診でレントゲン撮影による肺癌と検便による大腸癌を調べてもらうだけである。バリュームやカメラによる検診は嫌いである。
 もし癌が見つかったら、外科的処置を受け、友人の香取さんのように自分を信じ癌と生きるつもりである。それで命を落とすことになっても、「仕方ない、これも運命だ」と諦めるつもりだ。事故で一瞬のうちに死ぬよりも、苦痛に耐えながらも人生を回顧できる時間があるだけ、まだましである。
第39話 草との付き合い(1)
2012年9月23日
 彼岸を過ぎ、長引いた残暑もやっと終わりつつある。この頃になると、夏草との闘いがほぼ終わり、「今年もどうにか乗り切れそうだ」と安堵する。
 ところで、昔から農民は、草を忌み嫌い、「草にするのは1年、草取りは10年」とよく言った。「ひとたび草の種を落としてしまうと、その後長い間つらい草取りをしなければならなくなる。だから、草取りをまめにやりなさい」という意味である。これはトラクターなどの機械が普及する前のことであるが、今でも相変わらず草は厄介である。
 ここで、農業をするうえで草がなぜ困るのか、あらためて整理する。第一に、肥料を草に奪われること。しかし、人糞まで利用していた時代と違い、現代では手軽に肥料が入手できるので、これは大きな問題にならない。次に、草が茂って作物に当たる光が減ってしまうこと。同様に草が茂ることで作物の周囲が過湿になり、作物が腐ったり病気になったりすること。四番目には、草が病気や害虫に汚染され、それらが作物にも感染すること。そして、最後が見た目。とりたてて作物に悪影響はなくても、きれいに見えないので、草を嫌う。
 では、どんな草が厄介か。
 ひとくちに草と言っても、多種多様である。まず生育する季節によって大別すると、夏草と冬草とがある。一般的に、夏草は生育旺盛である。何も対処しない場合うっそうと茂り、ほとんどの野菜を駆逐してしまう。梅雨の時期は、野菜の間に草が茂り非常に過湿状態となるため、上述のように野菜が腐るか病気になる。梅雨が明けると、ほとんどの夏草は一気に種をつけ、先人の言うとおりになってしまう。
 次に冬草だが、春までは茂らないので野菜を駆逐することはまずない。そのためか、夏草ほど神経質にならない農家がほとんどである。しかし私は、直売の関係で露地野菜を通年栽培しており、冬草の対策にも注力している。特にハコベ、ホトケノザ、ナズナは適時適切に除去し、その種は落とさないように気をつけている。理由は、ハコベとホトケノザはほうれん草や小松菜に絡みつき収穫や荷造り作業に支障が出るためである。また、ホトケノザとナズナは害虫のアブラ虫と病気のウドンコ病を越冬させるので、これらを除去しないと、翌春に被害が出てしまう。余談だが、研修生が独立のために畑を探すとき、夏ではなく、できるだけ冬が良いと助言している。
 最後に、草を個別に見ていく。まず、クズ、ススキ、セイタカアワダチ草、竹の生えている土地は、農業を営むのであれば、畑として使わないほうが良い。とりわけ非農家出身の新規就農者は避けるべきである。よほど資金力がない限り、志半ばで挫折する。また、スギナとイネ科の草も相当厄介である。特にメヒシバというイネ科の草は、繁殖力が旺盛で、要注意である。
第40話 草との付き合い(2)
2012年9月30日
 一般に農家は、手で草を取るとともに、除草剤、トラクターなどの機械類、ポリマルチなどを駆使して、どうにか草に負けないように努力してきた。しかし、農民の高齢化と離農者が後を絶たず、草に手こずる農家が多くなってきたように見受ける。実際、耕作放棄地がいたる所にあり、増える一方である。そのため、営農している農家は迷惑をこうむり、県や市の行政機関は頭を痛めているのが現状である。この問題は、営農していない農家の農地所有権に制限を加えるくらいの、思い切った改革がなされなければ、たぶん深刻になる一方であろう。
 ところで、私たちの農園では、除草剤以外の対策を多様に組み合わせ、研修生と週末ボランティアの努力にも支えられ、どうにか作付け面積を確保している。その一方で、草に覆われてしまった場所が何カ所かあり、たぶん近所の皆さんの目には、「あちこち草を生やしているが、あれでやっていけるのかな」と映っているかもしれない。確かに、今年は手こずっている。
 しかし、あえて草を生やしている所もある。例えば、他の農家の迷惑にならない範囲で、畑の周囲は一年中草を生やしておきたい。そうすることで、害虫を食べる生き物(天敵)も住みつき、野菜の害虫被害を減らせる。生態系の捕食の連鎖ができあがるためである。また、草が茂っていると、強風を弱めてくれもする。ただし、アブラナ科の草や野菜を畑の周辺に生やすのは危険である。厄介な害虫が増えることがあるためである。
 他にも、草の効用はある。「草も活かす」(第33話)で述べたように、草を刈って地表に敷くと、土の乾燥を抑えるとともに、土の中の微生物を豊かにしてくれる。また、草を土にすき込むと、土を豊かにしてくれるだけでなく、草の種類によっては土の中のセンチュウという害虫を減らせる。ただし、この方法にはいくつかのマイナス面もある。まず当然ながら、それなりの馬力のあるトラクターが必要である。第二に、地中の草が分解するまで何度か耕すため、その間は何も作付けられない。さらにトラクターで何度も耕すと、耕盤という土の堅い層ができ排水性が悪くなるため作物を栽培しにくくなる。第四番目は、土の中にすき込んだ草にコガネムシが産卵し、その幼虫が作物を加害することになる。ざっと挙げただけでも、これくらいの弊害があるので、草を畑にすき込むのは十分気をつけるべきである。
 いずれにしても、有機農業を行なう者は、草を単純に敵視せず、草も時には味方にする知恵が必要である。余談だが、草の多い畑を借りた時、私は「ラッキー」と思うことがある。先の効用に加え、草をいくら生やしても、それを理由に地主から返却を迫られることはまずないから、気が楽なのである。
第41話 自分の体はどこまでか
2012年10月7日
 「自分体はどこまでか」という疑問を抱いたのは、今から30年ほど前である。微生物学の授業の中で、「細胞の中のミトコンドリアは、もともとは別の生き物で、太古のある時、真核生物の中に入り、その後一緒に生きてきた」と聞いた時からである。真核生物とは動物、植物、菌類、原生生物などの細胞内に核がある生き物である。現代では、遺伝子工学が発展し容易に遺伝子組み換えられるが、ミトコンドリアのような神業は実現していない。われわれの卵子と精子の受精にしても、精子は、卵子の中で遺伝子を残し、自身は消滅してしまうようだ。ミトコンドリアのように細胞内で生き残ったりしない。
 さて、本題。髪の毛や爪は、生きている組織ではないが、もちろん自分の体の一部である。では、抜け落ちた髪の毛、切られた爪は自分の体の一部なのか。「もはや自分の体の一部ではない」と思うのが普通である。なぜなら、自分の体に付いていないからだ。
 では、われわれの体に付いていて、健康維持に大いに貢献している微生物は自分の体の一部なのか。あるいは、体の中にある食物は体の一部なのか。たぶん、「遺伝情報が異なるから、別の生き物で、自分の体ではない」と認識するのが常識なのだろう。
 ここで、冒頭のミトコンドリアを考えていただきたい。ミトコンドリアは、各細胞の中にあり、われわれの生命維持に不可欠な活動をしているので、自分の体の一部としか言いようがない。しかし、ミトコンドリアは、われわれの各細胞の核にある遺伝子とは別に、独自の遺伝子を持っている。もし「遺伝子が同じ」という理由で自分と他とを区別するなら、ミトコンドリアは自分の体の一部とは言えなくなる。また、体に埋め込んだ人工心臓は、遺伝子を持っていない。しかし、現実的には自分の体の一部と受け止めるしかない。そして近い将来、パソコンやi phoneに代わり、たぶん、体内にマイクロチップが埋め込まれ、脳が自由自在に直接コントロールする時代が来るだろう。そのマイクロチップは自分の体の一部だろうか。
 このように、疑問は尽きない。はたして自分の体はどこまでなのか。自分と他者との境はどこなのか。そして、自国と他国の境、国境はどこなのか、実に確定しがたい。現に日本は、ロシア、韓国および中国との国境問題の渦中にいる。資源と威信、そして多分、歴史的な恨みも絡み、解決の糸口がつかめそうもない。
 もし人類が、人種や国籍の違い、文化や宗教の違い、あるいは資源や経済状況の違いを乗り越え戦争を回避しようとするなら、まずはイマジネーションの世界だけでも大きく拡げ、互いに共存していける知恵を持つべき時ではないだろうか。はるか太古の昔に真核生物と合体し、以来ずっと共生してきたと思われるミトコンドリアが人類の歩むべき道を示唆しているような、そんな気がしてならない。
第42話 農地は誰のものか?(1)
2012年10月14日
 耕作放棄地が増え続け、埼玉県ほどの面積になっている。農林水産省の報告書には、「耕作放棄地はこの20年間増加しています。耕作放棄地面積は、昭和60年までは、およそ13万haで横ばいでしたが、平成2年以降増加に転じ、平成22年には39.6万ha(概数値)となっています。耕作放棄地の所有を農家の分類別にみてみますと、主業農家及び準主業農家の耕作放棄地面積は、平成2年以降横ばいで、平成12年から17年にかけてはむしろ減少しています。一方、土地持ち非農家や自給的農家の耕作放棄地は増加傾向にあります。平成22年には耕作放棄地面積39.6万haのうち27.2万ha(7割弱)がこれらの農家によって占められています。」とある。つまり、日本中が土地バブル、資産バブルに沸き立っていた頃から、農業をやっていない農家の農地が荒れ始めてきたということである。なかには、宅地用に農地を高く売ろうとしたが売れず、耕作を放棄してしまった農地も少なからずあったであろう。
 ところで、農地に関して「農地法」という法律がある。戦前の農地制度の問題を解決するため、連合国総司令部(GHQ)の指揮下で断行された農地解放を受けて、昭和27年7月に制定された。この農地法の根幹は、「実際に耕作する者が農地を所有する」という耕作者主義である。逆に言えば、「農場で実際に働いていない者は農地を所有できない」ということである。いわんや、「株式会社を設立し、株を発行し資金を集め、農場を買って従業員に営農させる」ことなど、ご法度である。一般の企業社会で普通に行なわれている方法が、農業分野ではまったく通用しない。上述の耕作者主義のためである。
 この農地法が施行された当時、私は生まれていなかったので正確にはわからないが、それなりの意味と必要性があったのであろう。例えば、大地主に小作人が酷使され、あるいは搾取されるということは、法の下の平等から逸脱する行為なのであろう。また、現場で汗水流して働く農民一人ひとりが農地を所有できれば、農民の労働意欲が高まり、戦後の食料増産に大いに寄与すると考えられたのであろう。あるいは、有権者の支持を獲得しようとする政治家の思惑も絡んでいたのかもしれない。
 また、こんな想像もできる。「農地解放によって大地主を解体し、各農家の耕作する面積が格段に小さくなれば、労働効率が落ち、大規模経営のアメリカ農業に太刀打ちできなくなる」というアメリカの戦略的意図はなかったのだろうか。
 いずれにせよ、多額の税金をいくら費やしてきても耕作放棄地が増え続けている実態は、農地法を中心とした制度や組織、あるいは公的施策が期待ほどには機能してこなかったことを物語っているのではないだろうか。
第43話 農地は誰のものか?(2)
2012年10月21日
 土地は、お金さえあれば、誰でも自由に買える。農地も、農家か農家出身者であれば原則的に誰でも買える。
 しかし農家でない者が、農業をしようと猛勉強し資金をいくら用意しても、農地は容易に買えない。借りることさえままならず、農家になるには高いハードルを何度も越えなければならない。農家出身者であれば、能力や適性に関係なく誰でも農家になれるというのに、である。それは、「農地法」という法律があり、実質的に今も世襲制が主流になっているからである。
 この農地法とその運用は、既に形骸化し、日本の置かれた食料と農業の現状にそぐわない。そもそも農地法は、「耕作する者が農地を所有する」ことを基本にすえ、耕作していない農家を排除するために制定されたにもかかわらず、現実には耕作していない農家でも農地を保有し続けている。なぜなら、農地は非課税かほとんど課税されないため、保有していてもコストがかからないからである。住宅ローンに人生の多くを捧げた人には信じられないだろうが、農業をしていない農家の中には自分の農地がどこにあるのかさえ知らない農家が少なからず存在する。
 また、農家が有する特権も問題である。農業委員会の許可を得て、農家は所有する農地を農業以外の用途で売ることができる。宅地として売ると、農地の相場の100倍近くの値段がつく。したがって、「農地を耕作していなくても、保有していればいつか高く売れる」という期待感が、農地の流動化を妨げ、耕作放棄地が増え続けた要因となっており、非農家出身者の農業参入と専業農家の農地拡大を困難にしてきた主因ともなっている。さらに農家は、自分の子どもや親族が農業をしていなくても、彼らのために農地に住宅を建てられる。しかし、農家以外の者はこんな打出の小槌を持っていない。
 農業の活性化と食料の増産を目的に農地法を制定したものの、農業経営の厳しさと、このような特権なども関係し、耕作放棄地が増え続け、農家の兼業化が進み、食料自給率が下がり続けてきた。さらに兼業農家は、農業以外の収入があるために、農産物を安く売る傾向があり、専業農家の経営を圧迫してきた。その結果、専業農家が激減し、農家の1割ほどになってしまった。
 このような現状を生み出してきた農地法とその運用は憲法に抵触するのではないかと私は思っている。法律の専門家ではないので確信はないが、憲法14条で保障された「法の下の平等」と、22条の「職業選択の自由」に反するのではないだろうか。人命を預かる医師でさえ、国家試験を通れば、誰でも、外国籍の人でも、医師になれるというのに、同じく命を支える農業の分野はほとんど世襲である。農民になる機会を万民に等しく保障しない、人の持つ可能性の芽を摘むような法律や制度は日本の食料事情に明るい未来をけっしてもたらさない。
第44話 農地は誰のものか?(3)
2012年10月28日
 まず、農地法の第一条の全文をここで紹介したい。「この法律は、国内の農業生産の基盤である農地が現在及び将来における国民のための限られた資源であり、かつ、地域における貴重な資源であることにかんがみ、耕作者自らによる農地の所有が果たしてきている重要な役割も踏まえつつ、農地を農地以外のものにすることを規制するとともに、農地を効率的に利用する耕作者による地域との調和に配慮した農地についての権利の取得を促進し、及び農地の利用関係を調整し、並びに農地の農業上の利用を確保するための措置を講ずることにより、耕作者の地位の安定と国内の農業生産の増大を図り、もつて国民に対する食料の安定供給の確保に資することを目的とする。」
 この文章を素直に読めば、農業をしていない農家が「国民のための限られた資源」である農地を保有し続けることは農地法の目的に反する。また、「農地を農地以外のものにすることを規制する」というなら、安易に農地を宅地に転用し桁違いの不労所得を得ていいはずがない。このような法律の趣旨に矛盾する運用を続けてきた結果として、「国内の農業生産の増大」が実現するどころか、逆に自給率が下がり続け、「食料の安定供給の確保」などは、もはやアメリカ頼みである。
 さて、農地は誰のものか? もちろん、国民すべての「限られた資源」であり、財産である。農家は国民から借りているのである。借りているからには、使用料を払う必要がある。現代では、農地は非課税かほとんど課税されないが、昔は年貢を納め、その後は小作料を払っていたのである。そして、もし農地を使わなくなったら、返すべきである。日本の食料自給率が下がり続けている現実を直視すれば、農地を活用しないまま血縁者にただ同然で相続したり、あるいは宅地に転用し桁違いの不労所得を得るなどは、もはや時代錯誤である。
 しかし、こんな考えは、憲法29条の「財産権」を盾に否定されかねない。実際、戦後の農地解放の時、農地をただ同然で手放すように強要された大地主たちは、「財産権」を強く主張し、政府に抵抗したという。
 では、どうするか? 財産権も保障しつつ、農業をしていない農家の農地を放出させ、農地の流動化を促進し、営農意欲のある農家や新規就農者が容易に入手できる方策はないのだろうか。
 単純明快な方法がある。農地にしっかり固定資産税をかければいいのである。農地を有効に活用して収益を上げないと支払えないくらいの金額にすれば、それだけで農地は流動化する。納められた固定資産税は、農地を取得する者への補助金に充てればいい。
 さらに、農地を公共の目的以外の用途に転用することを例外なしで禁止し、これに反した場合は、多額の罰金を課すようにすれば、それだけで十分である。狭い日本に宅地はもう十分ある。十分過ぎるほどである。経済活動が縮小し続け人口が減り続けていく日本で、もう宅地を増やす必要はまったくない。
 そして、それらの施策を担保する法律は単純明快なものが良い。どうでも解釈できる複雑な法律は、既得権者や為政者に都合良く運用されかねないからである。
 これくらいの決断を下さない限り、日本の食料自給率は今後も下り続ける一方である。飢えた民衆はいずれ暴走する。これは歴史の教訓である。
第45話 男は女の付属物?(2)
2012年11月4日
 このシリーズの初回で、母の胎内で男児は女児から変わることにふれた。この話を発生学の教授から聴いた時、私は少なからずショックを受けたが、後々自分の生き方を大きく左右するとは思わなかった。
 この話を聴いた翌年、友人に誘われ、私はタイの首都バンコクに単身渡航した。タイ国内に避難してきたカンボジア人とラオス人の難民を援助する民間団体で活動するためである。その組織は女性と男性が対等に話し活躍する民間団体(NGO)で、実質的なトップは星野昌子さんという女性であった。それまで日本で出会った女性とはまったく異なるタイプであった。彼女に出逢えなかったら、たぶん今の自分はなかったであろう。彼女に限らず、難民キャンプやバンコクには、男性中心の日本社会に飽き足らず、あるいは失望し、あるいは怒り、海外に活躍の場を求めてやってきた活動的な女性が実に多かった。
 私はといえば、高校は男子高、大学も工学部のため女性はちらほら、会社では100名ほどの設計部門に雑用係の女性が一人だけ、という男社会を真っすぐ歩んできた。そのため、バンコクの民間団体では、自分の考えをはっきり主張する有能な女性たちに戸惑い圧倒される毎日であった。
 またタイの社会では、当時の日本に比べ、はるかに女性が活躍していた。現地の人々に聞いた話では、大学生は女性の方が多く、医師や公務員も女性が非常に多いとのことであった。確かに、ほとんどの分野で女性が第一線でばりばり働いていた。その一方で、のんびり暮らしている男性をよく見かけた。たぶん、末娘が家督を相続し婿を取る伝統が残っていたためであろう。そんな伝統の影響からか、国民から敬愛され政府に大きな影響力を持っているプミポン国王の後継者も、王子ではなく、シリントーン王女がなるだろうと巷で言われていた。
 そして、先の教授の話やタイでの新鮮で強烈な体験から、「女性中心の社会、組織、家族で良いではないか。しょせん、男は女の付属物なのだから」という考えにたどり着いた。その後、縁あって結婚した相手はフルタイムで働くキャリア・ウーマンである。子どもたちを保育園に送迎するのはほとんど私であった。妻は転勤族のため、父子家庭の時期もあった。子どもたちには辛い思い、寂しい思いをさせてしまったかもしれないが、あえて世間のほとんどの父親とは違う道を歩んできた男がいたことを将来の参考にしてもらえたら本望である。
 最後に、友人のフリー・ジャーナリスト樫田秀樹さんから聞いた、ある日本女性の結婚話を紹介したい。その女性は、子育てに関心の薄い日本の地域社会や男性に見切りをつけ、時間がゆっくり流れるサラワクの村に移住し、現地の男性と一緒に子どもを育てる道を選んだという。現地に住んだことのある樫田さんの実感では、「村全体で子を育てるのが当たり前のサラワクの村では、子育ての苦労がゼロ」だそうである。
第46話 男は女の付属物?(3)
2012年11月11日
 カマキリの雌は雄を食べてしまう。この事実を知っている人は多いであろうが、その現場を目撃したことのある人は、あまり多くはないと思う。左の写真がそれで、交尾中に食べられたようである。子孫を残すだけでなく、自分の命を雌と子孫に捧げている現場である。しかし、昆虫学者によると、どうも雄には命を捧げる意図はないようである。雌は、身近にたまたま食べられそうな生き物がいれば、何であれ狩るのだという。つまり、喰われてしまった雄はただ単に運が悪いだけらしい。
 そのカマキリを手で捕まえようとしても、まず逃げない。鋭い眼光でにらみつけ、鎌で威嚇する。一線を越えれば、迷わず鎌で攻撃してくる。さすが原野の戦士である。
 ところで、たいぶ前だが、太平洋戦争を検証するNHKの特集番組を見たことがある。幼さが残る学徒動員兵が雨の神宮外苑競技場を行進し、女学生が国旗を振って鼓舞する様子がとても印象的であった。今やほとんどの日本人が体験したことのない、映像でしか見られない歴史の重要な一場面である。平和な時代であれば前途洋々の若者が、お国のため、家族のため、あるいは愛する妻子や恋人のために、自分の命を皇国の戦士として捧げることをどう正当化し、どう納得したのだろうか。
 さて、平和が訪れた戦後、日本の男性はどう変わったのであろうか。私は本質的に何ら変わっていないと感じている。玄関先で手を振る妻に見送られ、社会のため、会社のため、あるいは妻子のために、自分の人生の大半を企業の戦士として捧げてきた。その結果、過労死や自殺に追い込まれる人々が数万単位でいる。「まるでカマキリの雄のようである」と言ったら言い過ぎだろうか。これも、「女の付属物」としての男の宿命なのだろうか。
 されど、である。男が女の付属物として生き、時には愛する家族や妻子、あるいは恋人のために自己犠牲を払っても仕方ないが、得体のしれない組織や集団に操られて暴走したり、あるいは国家のために他国の戦場で尊い命を無駄にしてはいけない。先の見えないデフレが続き、なかなか明るい未来を思い描けない若い男性が非常にたくさんいるが、このことを是非とも心に留めてもらいたい。
 かつて私は、紛争が続いていた東アフリカのソマリアにある難民キャンプにひとり旅立った。その時の心境は、今から思えば、あの学徒動員兵と相通ずるものがあったかもしれない。出発に先立ち、その意思を父母に打ち明けた時、強く反対された。父は「そんな危険な所にお前を送り出すために、田畑に這いつくばって働き大学まで出したつもりはない」と訴えた。その横で母は涙を流すだけで黙っていた。ただ母は、「こんなことなら産まなければ良かった」と父には何度も涙ながらに嘆いていたという。
 自分も子を持ち、あの頃の両親と同じ年頃になり、やっと親の気持ちが少しは分かるようになった。いかなる理由であれ、自分の子どもがむざむざと死んで行くのを望む親などいないことを。ましてや、他国の戦地にわが子を喜んで送り出す親などいるはずがない。旗を振る、手を振る陰で普通の親は泣くのである。何度も日本は近隣諸国を侵略してきたが、いかなる理由であれ、もう繰り返してはいけない。
第47話 血(2)
2012年11月18日
 農業を始めてから、じょじょに野菜中心の食事に切り替えてきた。そのためか、いくつかの変化が現れてきた。まず10キロほど痩せた。便通が良くなり、便秘などしたことがない。昔は年に何度か風邪をひき発熱することもよくあったが、食事の内容を変えてからは、インフルエンザに感染しても発病しにくくなった。もう10年近く風邪やインフルエンザで寝込んだことがない。たぶん、食事の変化により血液の内容物と血行が改善され、免疫力が高まったためであろう。しかしその一方で、馬力もなくなった。筋力が年々衰え、重い物が持てなくなった。今では、主に研修生とボランティアの皆さんが力仕事を担ってくれている。
 また数年前からは、動物性たんぱく質を人並みに摂ると、何か「血が濁り、淀む」ように感じる。特に油ぎった肉類を食べた時は、てきめんである。全身がだるくなり、心臓に負担がかかり、頭の回転が鈍くなる。そして、体中の細胞の活力が失われ、体調を崩しやすくなる。
 さて、世の中に目を向ければ、社会にも血が流れている。物と通貨である。右肩上がりのインフレの時代は、育ち盛りの子どものように、物と通貨が社会の隅々まで勢いよく循環し、活気に満ち、経済規模は年々増え続け、ほとんどの人が豊かさを実感できる。明日に希望を持てる。
 ところで、今の日本は何歳くらいであろうか。それほど若くないのは確かである。バブル経済がはじけ、もうかれこれ20年ほどデフレ経済が続いてきた。周辺国の経済力がますます伸びてきたというのに、日本の経済力は衰える一方である。かつて世界を席巻していたSONYやPanasonicなどのエレクトロニクス分野でさえ、大幅な赤字を出し、産業の裾野が広い自動車業界も苦戦している。これら大企業の海外進出に追従して海外に生産拠点を移した中小企業はさらに苦しい。高度な技術力と長年蓄積してきた製造ノウハウを駆使して巻き返しを必死に図っているが、世界市場が飽和状態に近づきつつある現状を考えれば、けっして楽観できない。
 この間、政府は国債をじゃぶじゃぶ輸血し国力の回復を図ってきたにもかかわらず、一向に改善してこなかった。それどころか、社会の血は濁り、淀み、心拍数が減り、血管は堅くなり、末端までなかなか血液が回らない状態が続いてきた。そのため、庶民の可処分所得は減り続け、貧富の格差が広がるばかりである。このままいくと、老化が急速に進み、血管が詰まり、あるいは破裂し、心臓や脳をやられてしまうかも知れない。つまり、デフォルトである。
 こんな状況はいつまで続くのであろうか。どうすれば良いのだろうか。
第48話 血(3)
2012年11月25日
 人口構成と経済の両面から、日本に老いが迫りつつある。人口構成では少子高齢化がもっとも深刻な問題かもしれない。経済面の問題はあまりにも多過ぎ、また私は経済学者でもないので、すべてをここでは述べられないが、特に気になるは国債や公債の債務残高と貧富の格差の拡大である。国の債務残高は年間GDPの2倍超え、国民一人当たり800万円ほどにもなったという。4人家族なら、3000万円以上も国に貸している計算で、その資金で立派な家が建つ。
 債務残高が天文学的な金額とはいえ、その気になれば、簡単に減らせる。日銀法を変え紙幣をジャブジャブ印刷し償還すればいいだけである。しかし、そのような最終手段を決行すれば、必ず大幅な円安になり、ハイパー・インフレが襲ってくる。貧富の格差がさらに急拡大し、間違いなく庶民を犠牲にする。一歩間違えれば、かつてのように大量の移民を生むか、あるいは再び他国を侵略するかもしれない。
 さて、その迫りくる老いに対して、どうすればいいのだろうか。第一の選択は、じょじょに小国化し、つつましくも安定した江戸時代のような循環型社会を再構築することである。もう一つの選択は、これとは正反対の道である。一か八か劇薬を飲み臓器を移植して若返るような方法、つまり持てる国力をすべて投入し最後の活路を見出すことである。今まさにその岐路に立っているような気がする。左に折れる小道には「TPP反対」という道標があり、右に進む高速道路には「TPP加盟」と書いてある。
 この選択は、日本一国の問題ではなく、人類全体としての選択なのである。世界中が「明日は我が身」と注目している。よくよく考え、しかし、無為に時間を浪費してはいけない。手遅れになる。
 どちらの道を選ぶにしても、まず計画的に実行すべきことは、国も地方自治体も民間部門も各家庭も、借金という輸血を減らしていくことである。期限を切って国債や公債の発行をやめるべきである。そして、国民全体で痛みを分かち合い、借金経済を反転させなければならない。インフレの時は借金経済が有利と見なされてきたが、デフレに転ずると借金経済は重い負担になる。破綻したダイエーがいい例である。「土地を担保に借金し新たに出店する」手法で急拡大してきたダイエーだが、バブル経済の崩壊とともにあっという間に破綻してしまった。時代の流れを洞察できなかったからである。
 もう一つ大事なことは、血液が吹き出している傷口を速やかに縫合することである。国債発行を年々増やしても経済が一向に上向かないのは、どこかで出血しているからである。その出血の根本原因を探ると、時代のニーズに合わなくなった統治機構や行政手法、あるいは経済活動を歪めてしまった拝金主義に行き着く。これらの原因を思い切って手術するしかないであろう。例えば、中央集権体制からアメリカのように州制にするとか、「予算ありき」ではなく歳入に合わせて歳出する行政に代えるとか、大胆な変革が必要である。また、拝金主義を抑制するには、財産権や生存権などの憲法に抵触しない範囲で、不労所得にもっと課税すべきである。貧富の格差の縮小にもなる。
 そして、何より重要なことは教育を大胆に変えることである。国家の最大の財産は人である。特に若者である。若き血潮みなぎる若者が未来に希望を抱き未来を担えるような、温かい血のかよった教育に変えなければ、いかなる方策も一時しのぎで終わるであろう。
第49話 朽ちることの意味
2012年12月2日
 「朽ちないことが善、朽ちるのは悪」と、つい思いがちである。
 私たちの身の回りには朽ちないもの、あるいは朽ちにくいものが溢れている。例えば、錆びないステンレスやガラス、分解しないプラスティックや繊維製品、蛍光管に比べて桁違いに長持ちするLED、壊れにくい機械、耐震住宅、添加物づけで長期間保存できる加工食品、さらには不朽の名作、長寿願望など、数え上げたらきりがない。
 ところで、光合成は誰もが中学校で習う。植物などが二酸化炭素(CO2)と水を材料に光エネルギーを使って行なう反応で、私たちの食べ物はほぼすべて光合成で作られた有機物に由来している。そしてやはり、光合成で植物などから排出された酸素を呼吸している。つまり、私たちの命は光合成に支えられているのである。
 その光合成に不可欠な二酸化炭素が空気中にどれくらい含まれているかご存じだろうか。今でも金星が二酸化炭素の大気で覆われているように、太古の地球も同じであったと言われているが、それが現在は0.035%である。窒素が約80%、酸素が約20%であるのと比較すると、二酸化炭素はごくごく微量しか含まれていないことがわかる。二酸化炭素は、海水などに吸収されたり、光合成によって有機物となり陸地や海底に堆積し、悠久の時の流れとともに減ってきたのである。そのわずかに含まれている二酸化炭素が植物を育て私たちの食料も産み出している。近年、地球温暖化の原因とみられ悪玉扱いされる二酸化炭素だが、その貴重さも同等に認識するべきではないだろうか。
 今回のテーマに戻ろう。もし生物が朽ちなかったら一体どうなるか想像していただきたい。有機物の中に炭素が閉じ込められ、大気中に二酸化炭素として還流されなくなる。とうぜん、大気中の二酸化炭素はさらに減っていくであろう。そうなれば、植物は生存しにくくなる。動物が植物を食べ有機物を二酸化炭素に戻すことが重要なのである。つまり、動物が植物に従属しているのではなく、植物も動物も互いに支え合い、「生まれては朽ち、朽ちては生まれる」という循環の中で生きている。多分、「宇宙のすべてのものは、いずれ朽ちることを、滅びることを前提に、生まれ存在している」のではないだろうか。
 このような観点から冒頭の言葉を私流に言いかえると、「朽ちることは善、朽ちないことは悪」となる。
 初冬の寒風が大地を渡り、命を終えた葉っぱが次から次へと落ちていく。そして、その葉が大地に積り、無数の命の糧となっていく。尽きせぬ循環こそが無数の命を育むのである。
第50話 誰にでもできる3つの平和貢献(3)
2012年12月9日
 いにしえより日本では、戦いに奇襲攻撃はつきものであった。いくどとなく奇襲攻撃が歴史を大きく変えてきた。桶狭間における織田信長のそれはテレビなどでもよく取り上げられる。しかし、国家間の戦争ともなると、事前に宣戦布告するのが近代戦の常識となっていただけに、日本海軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃はアメリカ人の怒りを爆発させてしまった。
 話は大きく変わる。戦後の日本においては、一般家庭で動物を殺して食べることなどほとんどなくなった。死んでいる魚をさばくことさえ珍しい。したがって、他の生物の命を犠牲にして人間も生きているという実感はもとより、その認識さえも薄れてしまったようである。
 また、テレビ・ゲームでは、キーを押すだけでバーチャルな世界が目の前に広がり、相手を殺したり、死んだ自分がリセットされて生き返ったりする。そんなゲームの世界に洗脳された世代が急速に増えてきたように思える。このような人々は、物事の因果関係や推移を論理的に考えたり、自分の言動が及ぼす影響をより客観的に想像することが苦手になっているだろう。人によっては、思考や想像することに苦痛を感じ、感情のおもむくままに安易な行動をとるかもしれない。
 ここで、これら2つの傾向を合わせてみたい。他の生物の命を犠牲にして生きているという実感と認識が薄れた人々やバーチャルな世界に洗脳された人々が急速に増えつつある現代、もし醜い感情がエスカレートした時、その矛先はどこに向かうのだろうか。激しい怒りが心を占領した時、どのような行動をとるのだろうか。激しい怒りが蓄積し強く深い憎しみへと変わった時、いったい人は、あるいは集団や民族や国家はどのような行動に出るのだろうか。
 私は、戦争の原因は主に3つあると思っている。先のシリーズで述べた食料や資源の争奪、そして憎しみである。人間は感情の生き物である。大人は、強く深い憎しみの感情を露骨に表すのをはばかり、何のかんのと理屈をこじつけて、時には「正義」という言葉を唱え、憎しみの感情を行動に移す。そのもっとも醜悪な例が戦争であろう。
 こんな考えから、私なりのささやかな平和貢献をしたいと、飽食はやめ、エネルギー資源の無駄を減らすために早寝早起きし、できるだけ怒らないように心がけている。
 しかし、なかなか難しい。特に怒らないのが難関である。
第51話 iPS細胞の人類史的功罪
2012年12月16日
 iPS細胞は、不治の病に苦しむ多くの患者を救う可能性があるという。山中伸弥教授がノーベル賞をスピード受賞したのも当然である。従来から行なわれてきた他人の臓器や組織を移植するのとは、根本的に違う生命感と技術を内包しているからである。
 しかし、おそろしい技術でもある。もし神が存在するなら、神の領域に人が立ち入る研究かもしれない。前世紀、物理学の天才アインシュタインも同じようなことをしたと私は認識している。彼は特殊相対性理論の帰結として、「エネルギーと質量は等価」という真理を導き出した。いずれ誰かが発見したであろうが、この真理から原子爆弾が生まれたのである。ちなみに、広島に落とされた原子爆弾のエネルギーはウランの質量が減ったことで放出されたものだが、その減った重さは1グラムにも満たない微量であった。アインシュタインは、原爆の製造をアメリカ大統領に進言した反省からか、第2次世界大戦後は核兵器が人類へ及ぼす脅威を憂慮し、哲学者バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶を訴え続けた。
 さて、iPS細胞の人類史的功罪のうち、「罪」を考えてみたい。私は4つほど直感した。まず、臓器移植が多くの病院で日常的に行なわれるようになるであろう。その中には、不治の病に苦しむ患者だけでなく、単に延命を望む高齢者も多数含まれ、少子高齢化がいっそう進むと予想される。その結果、iPS細胞技術を応用した医療機関や企業は大いに潤うだろうが、社会全体としては活力を失い経済的に後退する可能性が高いと思われる。国が所管する健康保険制度の破綻も危惧される。
 次に考えられるのが貧富の格差である。富める者ほど長生きできるようになれば、富の世代間移動と水平分配が減速し、貧富の格差が拡大するであろう。
 第三に、人類の種としての生命力が落ちていくことが危惧される。なぜなら、遺伝子の多様化が鈍るためである。また、世代交代が遅くなれば、当然、新しい知識や発想が生まれにくくなる。
 そして、最後にもっとも重要なことが考えられる。それは、「死」という唯一無二の平等が失われることである。有史以来、富める者にも貧しい者にも、遅かれ早かれ必ず死が訪れてきた。しかし、自分のiPS細胞を使って臓器や組織を次々と更新すれば、技術的には不老不死が実現してしまうのではないだろうか。「人類に貢献する」という大義名分の底に潜む科学者の探求欲や名誉欲、あるいは金銭欲などのために、このような自然の摂理に反する技術を実用化して良いのだろうか。
 かつて、ノーベルはダイナマイトを発明し巨万の富を手にした。ダイナマイトは、トンネルを掘削したり鉱石を爆破したりと人類の発展に大いに貢献してきた反面、爆弾にも使われ無数の人命を奪ってきた。その富を財源にノーベル平和賞の賞金も授与されているらしい。実に皮肉なものである。iPS細胞技術も同じ轍を踏む可能性はないのだろうか。歴史が繰り返されないことを切に願うばかりである。
第52話 時代は確実に変わりつつある
2012年12月23日
 去年の1月から研修してきた青年、望月一彦さんが10月から独立した。皆生農園で今年起きたもっとも喜ばしいことである。前職がガラス職人であったためか、とても器用で、農業施設や水道の工事なども十分こなした。ただ、農作業ともなると、経験がほとんどなかったため、研修1年目は私から日常的に厳しい指摘や注意を受けていた。時として私の注意は言葉づかいにまで及んだ。たぶん内心、「そんなことまで注意しなくてもいいじゃないか」と彼はたびたび思ったであろう。しかし、黙々と努力した。
 そして、関係する公的機関の支援もあったが、やはり彼の努力と人柄が好機を引き寄せた。かなり条件の良い農地と施設を非常に安く借りることができたのだ。その一人の地主は、偶然にも、私も以前お世話になった公務員の方であった。本当に世間は狭い。
 非農家出身の新規就農者はなかなか条件の良い農地や施設を入手できないが、彼はその高いハードルを見事にクリヤーした。奥様も一緒に働き、お子さんたちも学業のかたわら、ときどき手伝っているようだ。彼らの努力を見つめつつ、遠からず軌道に乗ることを心から祈っている。後は体を壊さないように気をつけ、頑張るのみである。
 思うに、私が就農した20年前とはだいぶ時代が様変わりした。確実に変わりつつあるようだ。かつて私は、船橋市の農家で研修し終え、農家になるための条件などを教えてもらおうと市役所を訪ねた。しかし、担当者は対応に困り、「最近、異動してきたものですから・・・・・・。前任者を呼んできます」と退席してしまった。驚いた。他の部署から連れて来られた前任者は、「アナタのようなケースは当市では初めてで、どう支援したら良いかはっきり分かりません」と要領を得なかった。呆れた。あれから20年ほどたったが、あの体験は今でも鮮明に憶えている。
 それが今や、公的な支援制度も増え、非農家出身の新規就農者に対しても県や市の担当者が実によく支援してくれる。農業委員や市議会議員も貴重な時間を割いて尽力してくれる。以前と比べれば、意欲と能力を備えた人には道が大きく開き始めた。長い時間がかかったが、時代は確実に変わりつつある。
第53話 厳しい試練の先に
2012年12月30日
 あっという間の1年であった。還暦にもなった。年を重ねるごとに、月日の流れが本当に速く感じられる。働き過ぎると、節々が痛み、数日は疲れが残る。年には逆らえない。幸い、辛い作業の多くを研修生やボランティアの皆さんが担ってくれるので、今年も何とか無事、年を越せそうである。本当に感謝である。
 農作業を休み農園の一年を振り返れば、今年も厳しい試練の連続であった気がする。春から初夏にかけてアブラ虫に悩まされ、どうにか克服した矢先の6月、台風が襲来した。こんな早い時期に台風の直撃を受けるとは予想もしていなかった。9月になっても、またアブラ虫と台風の被害が出てしまった。殺虫剤を1回かければアブラムシなど完璧に駆除できるのだが、その1回さえも使わない栽培方法の辛いところである。
 今さら言うまでもなく、農業は過酷な職業である。労働環境が本当に良くない。ほぼ1年中働いても、なかなか黒字が出ない。すべての責任を我が身に負わなければならない。自然災害と豊作貧乏はたびたびあるが、ほとんど保険がきかない。最低賃金の保障などありはしない。賃金闘争する相手すらいない。労災保険も実質的には機能していない。基本的に農民は労働基準法の対象になっていない。人々の命を日々支えている重要な職業にもかかわらず、医療現場のような国家の保護をほとんど受けていない。法的規制や経済的な理由などにより、自由な発想や革新的な試みをなかなか具現化できない。こんな職場だから、後継者がなかなか育たない。まさに、「ないない」尽しの業界である。
 にもかかわらず、皆生農園には現在、そのような業界に未来を託す研修生とボランティアが3名いる。1人は今年4月から通い始めた青年で、片道30分ほどの道のりを自転車で通って来る。彼は療育手帳を持っている。2人目は今夏から来ている脱サラ青年。住宅ローンを抱えているので、収入を得るのに必死である。そして、かれこれ5年ほど週末に手伝ってくれているサラリーマン。彼は、企業でばりばり働きながら、その一方で社会的弱者を長年支援してきた心優しい人である。
 それぞれが、農業分野で働くにはかなりに困難を抱えていると私は感じている。農薬を使わない栽培なので、なおさらである。しかし、どの研修生も非常に真面目で、私の厳しい指摘や注意もしっかり受け止め、黙々と作業に励み農園を支えている。彼らが諦めない限り、私も可能な限り力になるつもりである。
 霜が降り朝日にキラキラ輝く畑に目をやると、冬の最中というのにブロッコリーがゆっくりと蕾をのばしている。厳寒に耐え、きっと春にはたくさんの花を咲かせるだろう。そのブロッコリーように、研修生とボランティアの、そして農園の厳しい試練の先に、希望の花が咲くことを切に願いつつ、新年を迎えたい。
 よし、来年も頑張ろう。
第54話 常識の向こうに、きっと
2013年1月6日
 日ごろ意識しようとしまいと、人は常識に支配されている。それはまるで、常識という海に群れている小魚のようだ。生活習慣にしろ、言語にしろ、社会制度にしろ、はては思考さえも、常識にしっかり依拠している。できるだけ平穏に無難に生きていくうえで、常識は不可欠である。
 常識は、終わりの見えない旅路を照らす、確かな光である。道標である。常識がなかったら、人は道に迷ってしまう。死んでしまうことさえある。非常識が幅を利かせては困るのである。そんな社会は落ち着かないし、危険である。
 しかし常識は、人を守ってくれる反面、人生を拘束したり不幸に陥れたりもする。だから私は、どちらかと言えば、まず常識を疑ってかかる癖がある。ありていに言えば、あまのじゃくなのかも知れないが。そのため若い頃から、「たった一度の人生なのだから、常識という先人の歩いた道をそのまま辿るような一生は送りたくない。できるだけ常識にとらわれない生き方をしたい」との思いを胸に生きてきた。海図もコンパスも持たず、夜空の星々と太陽と、時々現れる島々と潮の流れを頼りに、終わりの見えない海原を小舟で航海するような、そんな人生を送りたいと。
 もちろん、疲れはてることは日常的である。孤独にさいなまれることもある。次に島が見えたら上陸して航海をやめようと思ったことも度々である。しかし、そんな孤独や挫折感にさいなまれた時、なぜかいつも、目標を同じくする人と出会えた。励まし合い、喜び合い、この上なく幸せな気分になり、共に航海を続けてきた。
 もちろん望めば、まったく別の航海もあったであろう。例えば、快適で楽しみに満ちた豪華客船によるクルージング。そういう航海も悪くはないが、自分の性格からして、そのような航海は退屈である。他人任せの航海の途中で、タイタニック号のように予期せぬ氷山に座礁し、常識の海に溺れることになったら、後悔しか残らない。
 苦労とリスクの連続であろうが、やはり小舟での航海がいい。時にはオールを漕ぐ手を休め、過ぎてきた海路の先を眺めながら、はるか太古の昔に思いを馳せるのもいい。すると、母なる海から陸地に上がろうとしている生物が蜃気楼のように浮かび上がってくるかもしれない。乾燥や餌、さらには紫外線や宇宙線という大きなリスクを承知で海から陸地に上がった生物の、長い長い旅路のはてに人類が、そして今の自分がいることに気づくだろう。そして日が落ち、漆黒の闇を照らす星々を見上げると、今まさに人類が地球という母なる惑星から外へ、広い宇宙へと旅立とうとしていることにも気づくだろう。
 そんな人類の過去と未来に想いを馳せつつも、今この時代を、この瞬間をしっかり生きていこう。そして、人類をこんなにも閉塞状態にしてしまった常識の向こうに、きっと何か違う明るい未来があることを信じつつ、良き仲間たちとともに今年もまた格闘し続けよう。
第55話 余裕と無駄
2013年1月13日
 この時期は、ほぼ一日中、農地が凍りつき、作付けはほとんどできない。農場での作業は主に収穫と荷作りである。早々と家に帰れば、毎年恒例の決算事務が待っている。それでも、ハウス栽培をしていないので、余裕が生まれる。これをどう使うかが重要になる。
 しかし、ここに悲しい性が潜んでいる。余裕が生まれても、惰性に流され、欲望に突き動かされ、つい日常の延長戦に陥りがちになる。揚げ句には、やる価値の低いこと、時にはマイナスになることに、つい手が出てしまうのである。立ち止まって冷静に考えれば分かるのだが、現実には余裕が無駄と失敗を生むのである。
 農園の研修生も、真面目で一生懸命に働こうとするので、例外ではない。例えば、害虫対策のために畑に草を敢えて残しておくと、研修生がいつの間にかきれいに片付けたりする。物事の全体像を把握せず、あるいは明確な目標に基づく段取りを組まないまま真面目に働いている人ほど、その傾向があるような気がする。
 この余裕の使い方に関して、私が研修生に勧めるのは、できるだけ日常の延長を避けることである。例えば、現在の仕事とは直接関係しないことを勉強する。日頃会えない人や他の農家を訪ねる。会合やセミナー、あるいは研修やイベントに参加する。もちろん、短期的に別の仕事で収入と経験を得るのもいい。お金に余裕があれば、海外を旅するとか趣味に興じることもできる。どうしても仕事が気になるようであれば、日頃できない作業に集中するとか、スポーツや体力トレーニングに精を出して忙しい季節に備えることもいい。余裕をいかに活用するかが、その後の人生に大きく影響することは間違いない。
 しかし現実は、なかなか余裕を有意義に活用するのは難しい。それは、個人に限らず、国家や地方自治体も同じである。経済的な余裕が膨大なインフラ整備と新たなサービスを可能にしたが、すでにインフラの老朽化が始まり、サービスは時代にマッチしなくなりつつある。そして、多くの無駄を生み、環境を破壊し、借金の山を築いてしまった。それらのツケがバブル経済の崩壊とともに津波のように押し寄せている。
 例えば、わずかな土地が買収できずに、ほとんど開通している道路が使えないようになっている。ジェット機の轟音どころか、閑古鳥の鳴き声が聞こえる地方空港もたくさんある。買収したものの利用しないままの土地がいたる所にあり、草刈業者を養うだけになっている。公園には、子どもたちの姿はほとんど見かけず、放射能に汚染された土の山と遊具だけが置かれている。利用者数の少ない図書館も珍しくはなく、知的財産の墓場のようである。そして、明るい老後を保障するために始められた年金制度が財政政策を圧迫している。本当に挙げたらきりがない。
 しかし、これらのツケから逃げる訳にはいかない。今後も少子高齢化と経済不振が続くと予想されるので、気が遠くなるような膨大なツケを払うのは至難の業だが、責任は取らなければならない。このまま放置したら、未来を担う若者や子どもたちに申し開きできないではないか。
第56話 温める
2013年1月20日
 今日は大寒である。この冬は12月から真冬並みの寒さを体感し、先週の月曜日には10センチ以上も雪が積もった。天気が良い日でも、地面が凍っていて、足元から冷える。陽ざしのない日などは、体の芯まで冷え、免疫力が低下する。とにかく、体を温めなければ病気になる。
 ところで、体を温める方法はいくつもあるが、もっとも基本的な方法は食衣住と運動である。必要なカロリーと栄養のバランスがとれた食事を規則正しくとり、むれない保温性の優れた服を着込み、身近な居住空間を暖める。そして、適度に運動することである。これらを日々実行すれば、低体温症にはまずならない。
 その他に、陽ざしとお風呂があれば、ほぼ完璧に体温を保つことができる。真冬でも苗を育てているハウスに入ると、陽ざしの温かさに一時の幸せを感じられる。ビニールを張っただけの安い家だが、電気をふんだんに使うエアコンなどより、環境への負担が少ない。私は農薬をまかないので、空気がきれいで、植物が出す酸素に満たされている。実に快適な空間である。そして、帰宅して入浴すると、生気が戻りこれまた幸福感にひたれる。きっと青森の北限に生きる猿たちも同じ気持ちで雪中の露天風呂につかっているのだろう。
 ところで私たちは、これらの体を温める方法が持つ長短を多面的にとらえ、日々の生活や職場環境に反映させているだろうか。便利さや手っ取り早さ、あるいは目先の欲望についつい流されてはいないだろうか。健康や環境への悪影響などをどのくらい意識しているだろうか。例えば、冷暖房はきかせ過ぎていないだろうか。人を運ぶというよりも、大きな車を移動するために大量のガソリンを使っていないだろうか。食欲のおもむくままに食べ過ぎて、痩せるために時間とお金を浪費していないだろうか。
 そして、最後にもう一つ。上述の体を温める6つの方法のほかに、費用のかからない方法を加えたい。体を寄せ合って温め合うことである。寒さに耐えて寄り合っている光景は、何も人や動物だけではない。越冬する虫たちでもよく見られる。そして、植物も同じである。互いに寄り添うことで、上から降りてくる冷気をさえぎり、根を守る。地上部が凍りついても、根が生きていれば、太陽の光を浴びて生き返るのである。
第57話 組織を生き生きとつなげる(1)
2013年1月27日
 組織も生き物である。生まれ、成長し、成熟し、いずれは消滅する。それが宿命である。そんな組織を、できるだけ生き生きと保ち、その構成員や社会にとって有意義な存在であり続けさせるには、どんな形態でどう運営したら良いのだろうか。
 人が2人以上集まれば、組織が生まれる。そこには必ず価値観などの考え方の違いがあり、意見の相違が生まれる。しかし日本では、教育の結果なのか、あるいは阿吽の呼吸という文化が現代でもあるためか、小さな組織でもなかなか自分の意見を率直に言わない人が多い。そのため、オープンな意思疎通がとりにくく、それを補完するかのように「根回し」が頻繁に行なわれる。根回しはどんな社会でも行なわれていて、国際会議などでも普通に行なわれているので、たぶん、意見が異なる者同士が折り合いをつけるための人類の知恵なのかもしれない。
 その一方で根回しは、皆で腹を割って話し合う関係をくずし、オープンでダイナミックな意思疎通を阻害しやすい。横行すると、創造性の芽を摘み、変革を拒むようになる。その結果、導かれる決定や行動が常識の範囲内に納まりがちになる。組織の構成員が多くなればなるほど、根回しの弊害が根深く厄介になる。
 さらに、中核を担う人の数も重要である。一般的に、構成員の数が増えるにつれ、組織が細分化され、中核の人が増えていく。当然のことながら、情報の共有や社会状況の認識から合意形成や行動にいたるまで、多大な労力と費用が必要になり、組織の成長は停滞し始める。部門間にセクト主義がはびこり、各種の環境変化に迅速に適応できなくなる。時には中核となる人の私利私欲のために重要な決定が歪められることもある。
 これらが、組織の老化の始まりである。
 しかし残念ながら、ほとんどの構成員は組織の老化に気がつかない。なぜなら、組織の成熟に構成員が酔いしれるからである。その足元では着実に、「寄らば大樹」の構成員たちが組織の老化を加速させていく。天下にその名を轟かせてきたPanasonicなどもこの類なのかもしれない。故・松下幸之助氏の設立以来、卓越した経営者たちのもとで発展してきたPanasonicをしてそうであるから、老化防止策を意識的に実行していないと、気づいた時は手遅れになりかねない。デフレ経済という右肩下がりの経済状況下であれば、なおさらでる。
 組織を若く生き生きと保ち、その構成員や社会にとって有意義な存在であり続けさせるのは、実に至難の業である。
第58話 組織を生き生きとつなげる(2)
2013年2月3日
 組織を若く生き生きと保ち、その構成員や社会にとって有意義な存在であり続けさせるのは、実に至難の業である。それでも、組織を苦労して産んだ者は、人の性かもしれないが、ほぼ例外なく長生きさせたいと切望する。
 ではどうしたら良いのだろうか。
 まず、既に述べたように、構成員間のオープンでダイナミックな意思疎通と交流を良好に保つことである。組織を横断的に結びつけるようなコミュニケーションが重要で、社内新聞などでは物足りない。お互いの現場を具体的に理解し合い、必要な場合はプロジェクトごとにチームや組織を組みかえる。
 また、組織の肥大化に比例して中核となる人の数を増やすことは絶対に避けるべきである。組織の重要な決定をする中核の人の比率を必要最小限に抑える。もちろん、最小限にすることで弊害も起こる。例えば、トップ・ダウンになりやすい。しかし、以下のようなことを構成員が日々実践し、ボトム・アップを重視すれば良い。
 その日々の実践とは、構成員が皆、成長著しい幼子のように「なんで?どうして?」という、好奇心と探求心に満ちた問いを何事に対しても抱くことである。そして、自ら進んで広く深く考え、思考することを好きになることである。
 そして思考が好きになれば、いろいろなアイディアが浮かんでくる。そこで、失敗を恐れず新たな事にチャレンジすることを組織をあげて推奨することである。もちろん、チャレンジに失敗はつきものである。そんな時でも、非難や中傷、懲罰などに埋没せず、その原因を徹底的に探求し次のチャレンジの糧にする。しかしその一方で、失敗した責任を取らざるを得ない場合は、分け隔てなく、責任と権限に応じて誰でも責任を取ることである。
 さらに、組織が子どものように生き生きと元気であれば、日々いろいろな問題に直面する。そこで重要なことは、発生する問題から目をそむけることなく、問題を前向きに受け止め、新たな創造の糧にできる人々が組織の主流になることである。いわば、「災い転じて福となす」という諺を実践できる人々である。そのような人たちは、一般的な傾向として、常識にとらわれず柔軟でダイナミックな発想をする人々でもある。
 最後にもう一つ。古くなった皮膚は垢として落ちるように、中核となる人々がその地位に居座らないことである。もちろん、世襲は避けなければならない。
 これらの方策を一言で表現すれば、「組織の新陳代謝を停滞させないこと」である。
 生まれたばかりの皆生農園は今のところ4名という小さな集団で、活力に溢れている。しかし、「組織は肥大化をめざす」という法則に従えば、将来もっと大きな集団になるかもしれない。気をつけなければならない。
第59話 人を知る
2013年2月10日
 仕事柄、初対面の人にお会いする機会があまりないのだが、先月2組の非常に嬉しい訪問があった。お一人は、ホーム・ページをご覧になった中国出身の男性で、遠路はるばる農場に訪ねて来られた。初対面にもかかわらず、旧知の仲のように話しが弾んだ。また、前の職場で知り合った友人夫妻が20数年ぶりに訪ねてくれた。彼らも農業に魅かれたが、故あって今までは家庭菜園に納まっている。両親の意思を継ぐかにように、娘さんが千葉大の園芸学部で学んでいるという。苺の栽培に関心があるらしく、教えて頂こうかと思っている。
 ところで、ほとんどの人は初対面でも、なかば本能的に相手の人を知ろうとする。もしかすると一期一会になるかもしれないと思えば、なおさら知ろうとする。社会にはそれを職業にしている人も大勢いるくらい、とにかく、ほとんどの人は人を知ろうとする。私も例外ではない。
 では、初めて会った時、何を手掛かりに、人は人を知るのだろうか。
 まず、手っ取り早い方法は会話をすることである。注意深く相手の話しに耳を傾ければ、どんな人かだいたい想像がつく。しかし、真意を隠す人もいれば、なかには嘘をつく人もいるので、言葉を鵜呑みにすることが危険な場合もある。だから、「目は口ほどにものを言う」という諺がある。話しを聴きながら、何気なく相手の目を見ると、心の内を垣間見ることができる。
 その他に私は、相手の歯を見ることにしている。話しながら歯を見ても不自然ではないので、相手の人は違和感を抱かない。では、なぜ歯か。歯は、その人の性格と生活の様子をかなり表わすと私は思っているからである。歯をきれいに保つには、毎日あるいは毎食後、こつこつ歯の手入れをしなければならない。だから大雑把に言えば、歯の汚れている人は、地味なことをこつこつと続けることが好きではなく、生活が荒れている可能性が高い、と私は想像する。きれいに着飾り美しく化粧した女性が心地よい言葉を発しても、その口元から汚い歯が見えた途端に、私は線を引いてしまう。
 余談になるが、野菜も同じようなものである。見た目のきれいな野菜は、農薬づけになっている可能性が非常に高い。だからと言って、無農薬栽培なので虫がついていたり虫に喰うわれていたっていいじゃないか、というのも問題ではあるが。
 そして最後にもう一つ、私は相手の手を見る。手はその人の人生を語っているような気がするからである。
 しかし、いずれにしても、人を知るのは難しい。自分自身さえ満足に知っていないのだから。
第60話 頭寒足熱
2013年2月17日
 この頃から、夏野菜の種を蒔き始める。トマト、ミニトマト、ピーマン、茄子、胡瓜、ズッキーニ、カボチャなどを次々に蒔いていく。一般的に、これら実のなる野菜は畑に直接種を蒔かない。育苗ハウスの中で育て、ある程度の大きさになった時点で畑に植える。
 この苗の善し悪しが畑に植えた後に大きく影響してくる。だから、昔から農民は「苗半作」といって、良い苗を作ろうとしてきた。
 ところで、農業分野にも分業化の波が押し寄せ、効率を求めるあまり、自分で苗を育てない農家が非常に多くなった。専門的に苗を生産している農家から買うのである。ホームセンターに所狭しと並んでいる野菜や花の苗も苗農家から仕入れる。苗農家に聞けば、野菜を生産販売するよりも、苗のほうが儲かるという。
 私見だが、農民が自前で苗を育てる努力を放棄し始めた頃から、つまり苗農家が増え始めた頃から、農薬の使用回数が増えたような気がする。苗農家は、利益を出すために、施設の稼働率を上げる必要がある。具体的には、育苗ハウスの温度を高めに設定し、できるだけ短い期間で育てる。当然のことながら、できあがる苗は病気に弱い。病気や害虫の発生した苗は売れないので、それらの発生に関係なく、農薬を定期的にかけるという。そのような苗がどんなものなのか、人間に照らし合わせて考えると分かりやすい。快適な生活空間で育ったために基礎体力が充実せず、薬に依存し、自己免疫力の衰えた半病人のようなものなのである。したがって、そのような苗を買った農家も農薬の使用回数が増えてしまった。
 昔より農薬の使用回数が増えた背景を私なりに推察した、これが一つの結論である。この結論にいたる過程で耳にした、ある農家の言葉が今でも忘れられない。その農家は、自分で素晴らしい苗を育て、おいしいトマトを生産していた。いわく、「育苗屋のハウスには病原菌がうようよいる。だから、苗を買ったら、病原菌を自分の畑に持ち込むようなもんだ。大変だが、俺はずっと自前で育ててきた。他人に一度任せたら、腕が落ちちゃうよ」と。
 では、どうすれば良い苗を自前で育てられるか。一言で言えば、「頭寒足熱」。受験勉強の時に、よく先生から言われたことである。植物の根は人の足と胃腸に相当するのだが、その根を温めて、寒さに負けない程度に地上部を冷やすことである。この考え方を昔から実践してきたのが「温床育苗」という方法である。地中に落ち葉や藁、家畜糞、時には人糞などを埋め込み、それらの有機物が分解する時に発生する熱で苗を寒さから守り育てる方法である。私が幼い頃、両親もその方法で苗を育てていた。
 しかし、この昔ながらの方法は、手間がかかり、温度管理に熟練を要する。また、分解の過程でアンモニア・ガスを発生させると苗を枯らしてしまうリスクがある。だから、今ではほとんどの場合、地面に電熱線を張りめぐらし、その発熱を利用している。温度を設定しておけば、自動的に温度管理をしてくれる。本当に便利になった。
 だがその一方で、古くからの先人の知恵を忘れ、電気への依存度を増してしまった。
第61話 子どもでもわかる健康経済学(1)
2013年2月24日
 かつて我が家の食卓には市販の風邪薬が常備されていた。特に私は、ちょっと風邪ぎみになると、食事をとる感覚で気軽に飲んでいた。就農後の8年ほどは一人で営農し、野菜を計画販売していた関係で、寝込むことは許されなかったからである。研修生が来てくれるようになってからは、彼らに任せて家で休めるようになった。
 ある日、風邪ぎみになり家で休養していたら、妻が「病院に行ったら」と通院を勧めてくれたが、行かなかった。というのも、かかりつけの開業医から衝撃的なことを聞いていたからである。それは、夏の夕立に打たれ、厄介なインフルエンザにかかってしまい、いつものように通院した時である。若い医院長が学会に出席するため、代わりに「大先生」と呼ばれていた老医師が診察してくれた。「早く治したいので、いつものように抗生剤を処方してください」とお願いしたところ、「こんなのは寝てれば治る。そもそも抗生剤はインフルエンザには何の効き目もないんだ」と、何の薬も処方してもらえなかった。後に、「彼こそ名医である」と納得した。それ以来、自分の体力を信じ、インフルエンザくらいで病院には行かないし、風邪薬などまったく飲まなくなった。患者でごったがえす総合病院に行けば、風邪を治すどころか、他の病気をもらって来るのがおちである。費用と時間ももったいない。
 そんな私には、医療の素人ながら、医療機関や医療行政に問題があるように思えてならない。例えば、抗生剤に代表されるような薬づけ医療によって、薬代が高くなってしまう。また、ちょっとした症状でも、念のためということで、高価な検査が行なわれるが、これも行き過ぎの場合がかなりあるのではないだろうか。過剰な医療行為の結果、医療費や介護費の増大が国家財政を危うくしているのである。厚生労働省の資料によれば、国民全体の年間の医療費は40兆円に迫り、国民所得の1割を超え、年々増え続けているという。
 もちろん、誰しも健康は気になるし、健康を害したら病院に行きたいと思うのは自然な感情であろう。そして、どうせ治療するなら、早く確実に直してくれそうな医療を望む。
 しかし、あまりにも医療が度を越していると思うのは、私だけだろうか。医療機関や製薬会社などが国家によって過保護にされているのも問題ではあるが、医療サービスを受ける国民の側にも問題がありはしないだろうか。私には、ほとんどの国民が他人任せの「病院依存症」にかかっているような気がしてならない。たとえ長い年数をかけてでも、健康管理に関する国民の意識を変えないことには、どんな医療改革を進めても医療費の削減にはならないだろう。
 そこで以前から、この病院依存症を治療するには「健康経済学」という学問が是非とも必要であると思ってきた。それも、子どもでもわかる学問にしなければ、効果は薄いと思われる。
第62話 子どもでもわかる健康経済学(2)
2013年3月3日
 インターネットで調べたが、健康経済学は体系化されていないようである。私の言う健康経済学は、「健康に生きる」というテーマを中心にすえ、生物学、医学、栄養学、経済学などの多岐にわたる学問を統合した実践的な学問である。
 では、なぜ健康経済学が必要となっているか、その背景を挙げてみたい。まず第一に、病気になれば、治療費や入院費はもとより、病気の慢性化や将来への健康不安、入院や通院のための時間的ロス、本人の苦痛や家族の負担、仕事の停滞と職場への迷惑、果ては配置転換や解雇など、実に多くの直接的、間接的なコストとリスクを負わなければならなくなる。年々増え続ける非正規労働者やパートタイムマーにとっては、健康を害して仕事を休むと、そのまま収入減につながってくる厳しい現実がある。第二に、前回でも述べたように、薬づけ、検査づけ医療がますます進み、国家財政を圧迫していることがある。第三に、薬局で市販の風邪薬を買うような感覚で、国民の貴重な財産である医療従事者を安く使っている。そのため、重篤な患者の所へ救急車がなかなか来なかったり、救急車でたらい回しにされた揚げ句に死亡するようなことが起きてしまう。
 このような現実を改善するために、支障のない範囲で医療費を節約しようではないか。軽い体調不良くらいで貴重な医療従事者を煩わせないようにしようではないか。費用をあまりかけずに免疫力を高め、自己治癒力を増すような生活をしようではないか。そのために、健康経済学が必要になると私は考えている。その学問は、人々の健康増進や国家財政に役立つだけでなく、人々の生活スタイル、仕事のし方などを根本から変えるようになるであろう。逆な言い方をすれば、そこまでのインパクトがなければ、健康経済学も実効性の薄い単なるアカデミックな学問に終わってしまう。
 そしてできれば、小学生でもわかるように体系化し、従来から行なわれてきた保健体育や家庭科、理科や社会科などと融合させ、体験学習もおりこみ、正規の授業でとことん教えよう。各校に専任のスタッフを置くくらいの価値は十分ある。私たちは昔、高度経済成長の時代に、「時は金なり」と教えられた。しかし今後は、少子化がますます進むことを考えれば、子どもたちに「健康は金なり」と教えようではないか。初老の域に入ってから、「健康は?」などと学び始めても、なかば手遅れなのである。
 本来、教育の最終目的は、単に知識や情報をつめ込んだり、人を蹴落としてまで金をもうけたり権力を握ることを助長することではない。誰もが健康的に生活でき命を全うできる知恵を育むことであり、社会を健全に機能させるための良識をしっかり伝えることであろう。そのためにも、子どもでもわかる健康経済学が必要なのである。
第63話 子どもでもわかる健康経済学(3)
2013年3月10日
 3月1日、関東地方でも春一番が吹き荒れた。スギ花粉がいっきに舞い上がり、また地獄のような日々が始まった。薬を飲んでも一向にくしゃみは止まらず、心臓に負担がかかる。目は開けていられないほど痛い。呼吸困難と睡眠不足のために、頭は一日中ぼーっとしたままである。この季節になると、健康経済学にもとづくスギ花粉対策事業が国家レベルで実施されることを願うばかりである。
 さて、健康経済学で扱うべき事象はたくさんある。その中から、身近な具体例をいくつか挙げてみたい。
 まず、上で挙げたスギ花粉症の問題がある。厚生労働省のデータによると、患者数は国民の16%に及び、年々増え続けているという。今や国民病である。大雑把ではあるが、その経済的ロスを試算してみたい。この時期になると、私の場合は仕事の効率が30%くらい落ちる。患う期間を2か月とすると、年間換算で5%の労働ロスとなる。国民の16%が同じように5%のロスを生むとすると、GDPの0.8%がロスとなる。つまり、金額に換算すると4兆円を上回ることになる。その他にも、医療費や通院時間のロス、マスクなどの対策グッズの購入、苦痛、ぼーっとすることによる事故やミスなども加えれば、5兆円くらいの経済的ロスになるだろう。スギ花粉症によって医療機関や製薬会社などが潤う分を差し引いても、数兆円の経済的ロスを毎年確実に生んでいることになる。
 40年近くスギ花粉症に悩まされてきた私は、税金を使ってでも、全国のスギを花粉の出ないスギに植えかえて欲しいと痛切に願っている。「人口が減っていくのだから、新規の道路や鉄道などはもういらない。健康が欲しい」と願っているのは私だけだろうか。健康経済学の観点から、全国のスギを植えかえる費用と現在の経済的ロスを比べると、どちらが高くつくか考えようではないか。たぶん私は、前者の方が安くつくような気がする。くわえて、スギを植えかえれば、新たな雇用も生む。職のない若者の働き場を創出できる。過疎化が進んだ山間地に少しは活気が戻るであろう。伐採した木材は、公費を投下している関係で、安く供給できる。外国の森林を収奪しなくて済む。建築に使えない木はバイオエタノールの原料にすればいい。
 こんな比較に異論のある方もおられよう。しかし、戦後これほどのスギを人力で植えられたのだから、重機が普及した現代で植えかえられない筈はない、と私は思うのだが。
 次は喫煙である。タバコは税金の塊のようなものである。税収を増やし行政に貢献している。しかし、その一方で、ガンなどの罹患率を高め健康を害する人を増やしている。多額の医療費負担にとどまらず、本人や家族を不幸に陥れる。国家レベルでとらえると、医療保険制度を圧迫している。さらに、貴重な労働人口が確実に減る。これら社会の経済的かつ人的ロスは計り知れない。これらのロスとタバコの税収とを比べた時、果たしてどちらが大きいのか、健康経済学で明確に解析すべきではないだろうか。
 最後は、きわめて日常的なこと、食事である。ますます進む肉食化とジャンク・フード化は、人々の健康を害しているだけでなく、世界の食料問題をより深刻化させている。この問題も健康経済学で取り上げる必要があろう。
 人は国の財産である。特に資源小国と言われている日本では、人は貴重な財産である。その人々が不健康な状態で、国の将来に明るい希望が持てるのだろうか。
第64話 便利さの代償
2013年3月10日
 本当に便利な世の中である。キーをポンポンとたたけば、いろいろな事が瞬時にできてしまう。今やその便利さが生活や仕事の現場を劇的に変えつつある。
 農業の世界も同じである。パソコンやスマホを操作するだけで、遠く離れたハウスの中の野菜に農薬をまいたり、水や肥料などを自動的に供給できるようになった。LEDを太陽代りに、肥料を溶かした水を土の代わりにして野菜を栽培する野菜工場などは、その最たるものである。ただ、自動化と機械化が進んだ今でも収穫は人の手で行なっているが、将来は工業製品のように機械が収穫するだろう。「農産物は自然の恵み」と自信を持って言えるのは、果たしていつまでだろうか。
 ところで人類は、実に多くのことを発明し、たくさんの物を新たに作り出してきた。とりわけ産業革命以降、めざましい勢いで新製品を次々に開発してきた。お陰で人口が増え続け、世界は狭くなり、重労働が軽減され、本当に便利になった。身近な所では、家電製品がどれだけ女性の家事労働を楽にしたか計り知れない。便利さの代名詞のようなコンビニは今や生活に不可欠である。このコンビニは車やコンピューターなどの流通ネットワークの産物である。一世紀前には想像もつかなかったような生活を人類は手に入れた。
 このように、便利さの中で私たちは日々生きている。無数にある便利さの中から、もっとも便利なものを3つ挙げるとすれば、皆さんは何を選ぶだろうか。年齢や生活スタイル、あるいは価値観や仕事の内容などによって、各人各様であろう。
 もし私が挙げるとしたら、貨幣と情報ネットワークと電気の3つである。これら3つに共通していることは、実態が非常に曖昧で、使い方によって変幻自在に力を発揮する点である。時には絶大な力を発揮する。
 なかでも、貨幣は人類が考え出した最大の発明かもしれない。物々交換の時代に貨幣を発明した人は何と想像力のあった人たちであろうか。その便利さを今さら私が述べるまでもないだろう。
 情報ネットワークも偉大である。パソコンやスマートフォンを操れば、ほとんど何でも売買できてしまう。居ながらにして世界中から必要な情報を集められ、無数の人々とつながることもできる。便利さを通り越して、もはや情報ネットワークがなければ、社会は動かない。少数の人間が国家や世界を劇的に動かすことも可能になった。アラブの春というムーブメントも、今のような情報ネットワークがなかったら、あれほど速やく進んだであろうか。バラク・オバマ氏が大統領になっていたであろうか。
 そして、電気もオール・マイティーである。電気の便利さと重要さも私が今さら述べる必要がないだろう。数日いや数時間、停電しただけでも社会は麻痺してしまう。真夏や真冬であれば、確実に多数の死者がでる。今や電気がなければ、ほとんどの人間は生きていけないほど、人類の生存に不可欠なものになっている。
 しかしその一方で、スーパー・パワーを秘めたこれらの便利さが、人の手から離れ、暴走し、皮肉にも人類の生存さえ左右しかねない時代になりつつある。そして時折、想像を絶するような「便利さの代償」を人類に求めることさえある。未来の人類の危機を警告した前世紀のSF映画が現実味を帯び始めている。
第65話 「安全」が「危険」を生む
2013年3月17日
 「良い子のみなさん、もう家に帰る時間ですよ。・・・・・」。夕方になると、市役所の防災行政無線が鳴り響いていた。数年前から内容が変わったが、こんな放送が長年続けられてきた。へそ曲がりの私は、「早く家に帰る子は良い子で、なかなか家に帰らない子は悪い子なのか? 子どもたちの安全を願ってのことだろうが、そんなことまで無線で流さなくたっていいじゃないか?」と違和感を覚えた。ある研修生に印象をきいたら、彼も同じ感想を持っていた。 農村地帯で育った私は、小学校から帰るとランドセルを放り出し、暗くなるまで外で遊びまわっていた。たぶん、中高年の皆さん、特に田舎で育った方々は似たり寄ったりの体験をお持ちだろう。日があるうちは親も近所の人たちも、もちろん行政機関も「早く家に帰りなさい」などとは言わなかった。暗くなり腹が減れば家に帰っただけである。
 また、男の子は、ほとんど皆、切り出しナイフを携行し、鉛筆を削るだけでなく、いつも遊びに使っていた。だから、たびたび手を切った。そうやって、致命傷にならない程度の危険な目にあい、身を守る術を学んだのである。そして、痛みを知っているからこそ、意図的に他の子どもを傷つけた子どもは非常に稀であった。少なくても、私の周りには一人もいなかった。
 その背景には、親はもちろん、行政機関や学校が現代のように子どもたちの安全にさほど神経質ではなかったことがある。遊びをとおして子どもたちが多くのことを体験する様子を遠くから見守る姿勢があった。しかし最近では、子どもたちに防犯ブザーだけでなく、ナビや携帯電話を持たせる親もいるという。親は、子どもの動向を居ながらにして把握し、子どもたちを危険から守っている。2人の子どもを育てた私にもその気持ちが十分にわかるのだが、「何と窮屈なことか」という思いもある。
 こんな私がよくよく社会を見まわすと、安全を願うあまり何か大事なことを捨ててしまったような気がしてならない。「安全」という大義名分のために、失ったものが余りにも多いのではないだろうか。安全に守られた子ども時代が、長い目で見て、危険な状況や困難な事態に弱い大人を生んではいないだろうか。うつ病にかかる人が増えてきたのも、この辺に一つの原因がありはしないだろうか。そして、安全が隅から隅まで生き届いた社会は、時代を画するような危機やパラダイム・シフトに直面した時、あるいは想像を絶するような自然災害が襲った時、もろく崩れ去るような気がしてならない。
 いわば結果的に、目先の軽薄な「安全」対策がそれを超える大きな「危険」を生んでいるのではないだろうか。
 人類は、アフリカのサバンナで生まれた時からずっと、常に危険な環境の中にあって、必死に安全を築いてきた。しかし、時として安全対策が虚構になることさえあった。人のすることに完璧はなく、大いなる自然に対して人間はちっぽけな存在だからである。
 そもそも人の命は、安全で穏やかな子宮の中から生まれ出た、その瞬間からいつも危険にさらされているのである。この世に生まれるとは、そういうことなのであるが、つい大人は忘れがちになる。
第66話 害虫対策(1)
2013年3月24日
 彼岸を過ぎた。この頃から、桜の開花とともに、春がいっきに北上する。本州南岸を頻繁に低気圧がとおり、雨が降りやすくなる。時には重いボタ雪も降ったりする。春を感じた植物が次々に芽をふき、いっせいに花を咲かせる。この周辺は内陸なのでまだまだ遅霜が心配であるが、それでも彼岸を過ぎると春をしっかり実感できる。
 春を感じるのは植物や人間だけではない。虫たちも同じである。暖かさに誘われ、越冬していた虫たちが活動し始める。毎年もっとも悩まされる害虫、アブラムシの活動もこの頃から活発になり始める。畑の野菜や草、あるいは周辺の草や木で越冬したアブラムシに羽が生え、一気に増えるからである。そのため、ひととおりの対策は遅くてもこの時期までには終わしておかなければならない。特にホトケノザ、ナズナ、それにカラスノエンドウはアブラ虫の大好物だから、畑の中はもちろん、畑の周囲も残しておいてはいけない。この対策を怠れば、梅雨入りするまでは確実に悩まされる。もし空梅雨にでもなったら、それこそ大変である。
 余談になるが、ほとんどの農家は冬草をあまり気にしていない。しかし、あなどってはいけない。特にホトケノザ、カラスノエンドウ、それにハコベはとにかく厄介である。晩秋から春にかけて露地栽培するものは葉物が中心になり、これらの草が作物に絡みつき、収穫と荷作りがとても面倒になる。また、草の根についている土によって作物が汚れてしまう。汚れれば、当然のことながら、洗わなければならなくなる。洗えば、作物が傷みやすくなるだけでなく、体が冷え万病の元になる。つまり、手間が大幅に増え、体調を崩し、採算が非常に悪化するのである。これらの草で畑が占有されたら、有機農業で喰っていくのはとても難しくなると心すべきである。
 本題に戻ろう。それでは、農薬を使わないで、アブラ虫の被害を最小限に抑えるにはどうすればいいのか。
 一つは畑をきれいに管理することである。上でも挙げた、アブラ虫がつきやすいホトケノザ、ナズナ、カラスノエンドウはもちろんのこと、とにかく草はきれいに片付ける。これらの草が種をつけるまでには必ず取り除く。そして、取り除く際にアブラ虫が地面に落ち生き延びる可能性があるので、必ず耕しておく。面倒がって、草を取り除かずにトラクターで耕してはいけない。ただ目の前から草がなくなったように見えるだけである。草が土の中で種をつけ、その後何年間も悩まされるだけでなく、草についているアブラ虫が土の中で生き延びてしまうからである。横着は、害虫や草にも増して、有機農業の大敵である。
 そして、もう一つの対策。それは、まったく逆の方法である。あえて草を生やしておくのである。草の中には、害虫もいるが、それを餌にする生き物たちも確実にいるので、その自然のバランスにまかせる。いわば自然農法に近い方法である。水田で夏場の果菜類を栽培する際に、私どもではこの方法をとっている。収穫量は少し減るものの、害虫の被害をほとんど受けず、栽培の手間も省けて、悪くはない。しかし、この方法は、畑をきれいに片付ける対策よりも、かなり難しい。
第67話 分散と集中
2013年3月31日
 皆生農園では、通年で直売しているため、年間50種類ほどの野菜を作る。春は、葉菜のレタス、キャベツ、ほうれん草、小松菜、ルッコラ、ねぎ、ブロッコリーなどから始まり、根菜のジャガ芋、果菜のトマト、茄子、枝豆、きゅうり、いんげん、オクラ、さつま芋の定植でほっと一息つく。
 何も農業に限ったことではないが、種類が多くなればなるほど、作業が煩雑になる。くわえて、作物の隅々まで目が行き届きにくく、病気や害虫の発見が遅れ、対策が後手に回ることもある。資材や農機具の種類も多くなり、利用効率が落ちる。広い作業場や倉庫も必要になる。このように、多種類の野菜を栽培する分散型農業では出費と苦労が増える。
 また私どもでは、農地がすべて借地で6か所に分散しているため、頻繁に車で移動しなければならず、時間とコストの無駄が多い。広い農地1か所で営農している農家を羨ましく思うこともあるが、とりあえずは非農家出身者の宿命と受け入れるしかない。
 このように、分散型農業は、効率が落ちコストと無駄が多くなる宿命を抱えている。
 かと言って、集中型農業の方が良いかと言えば、必ずしもそうではない。限られた作物に特化していると、何か急激な変化や甚大な自然災害が起きた時、悪影響を受けやすくなる。例えば、かつてアメリカ産オレンジの輸入が緩和された後、ミカン農家は大打撃を受けてしまった。もし今後TPPに日本も参加すれば、米農家の多くはさらに苦しい状況になるだろう。また、皆生農園のある地域は梨の大産地であるが、収穫が間近に迫った、ある夏の日、ゴルフ・ボール大の雹が積もるほど降り、梨が全滅してしまった。実だけではなく、その木も傷ついたために、その後何年も収穫量が減ったという。
 さらに、農地が1か所に集中していると、分散している場合とは異なるリスクがある。特に借地農業の場合はそのリスクが非常に大きい。
 かつて私のところで研修した青年が、独立して1か所の広い農地で立派に営農してきた。ほとんど休まず、強い意志をもって精一杯働いてきた。しかし昨年、何の補償もないまま、地主から突然立ち退きを言い渡された。彼の実績をよく知る市役所の協力が得られ、幸い新しい農地に移転できたが、ほとんど一からの出直しである。元のような収益が上がるまで最低でも1年はかかるだろう。その一方で、立ち退きを言い渡した地主は、農地を宅地に転用し、労せずして何十億円もの巨額の不労所得を手にするであろう。何と理不尽な世の中だろうか。思い起こせば私も、同じ憂き目にあっているので、彼の気持ちと苦労は痛いほどわかる。
 集中型農業の危険性も知ったうえで、分散型農業を見つめ直せば、いくつかの利点も見えてくる。例えば、何人かの地主から借地していれば、上で述べたような地主からの立ち退きリスクが減る。また、農地にはそれぞれに個性があるので、何か所かの農地があれば、作物によって使い分けたり、台風シーズンには影響を受けにくい農地に作付けできる。
 人類の歩んできた道を振り返れば、都市集中型の社会、工場集中型の生産システムを営々と築いてきた。しかし現代では、情報ネットワークと移動・物流システムが世界の隅々まで行き届き、分散型の社会を容易に構築できようになった。今こそ集中型社会の問題点やしわ寄せを減らせるチャンスでもある。このチャンスを逃すと、「あの時代に舵を切っていれば、こんな時代にならなかったのに」と、百年先の人々に恨まれるような気がしてならない。
第68話 未来に何を残せるのか
2013年4月7日
 ピカピカのランドセルを背負った子どもらがスクール・バスに乗り込んでいく。皆生農園のある地区にはかつて分校があったが、少子化と転出の影響で、小学生は本校までバスで通学している。楽しそうにバスに乗り込む子らを見ていると、片道30分もかかる道のりを大きなランドセルを背負って通い始めた、遠い昔の自分が目に浮かぶ。半世紀などアッという間に過ぎてしまった。あと何年健康で頑張れるのだろうか。
 この間、はたして自分は何を成し、何を残せたのだろうか。荒れ果て草に覆われていた40aほどの農地を購入し、悪戦苦闘の末に有機栽培が可能な農地にしたことぐらいだろうか。大学生の頃を除けば、必死に生きてきたつもりなのだが、所詮、凡人の一生はそんなものなのだろうか。
 かつて、「子孫に美田を残さず」という教えがあった。「子孫に過分な財産を残せば、怠けたり、過ちを犯したり、人の怨みを買ったりするので、残さない方がよい」という意味である。しかし、この教えはもはや死語になりつつある。今の農村地帯には、美田どころか、いたる所に耕作放棄地がはびこっている。こんな時代であれば、美田の教えに代えて「子孫に放棄地を残さず」とでも言うべきではないのだろうか。
 思い返せば日本の戦後は、敗戦の廃墟からスタートし、新憲法の制定、農地解放、戦後復興、所得倍増、集団就職、列島改造、高度成長、貿易の自由化、変動相場制への移行、海外進出、不動産バブル、そして過疎化、少子高齢化、デフレ、雇用の流動化、放射能汚染と続いてきた。そして、どれもこれも美田を喰いつぶす歴史であった。機械のない時代に汗と泥にまみれ、貧農が農具だけで営々と切り拓いてきた農地が半世紀そこそこの内に荒れ果てている。何と強欲と怠惰の歴史であったろうか。あの世で先祖に合わせる顔があるのだろうか。
 さて、20世紀は何の時代であったろうか。石油の時代か、戦争の世紀か、情報革命の幕開けか、皆さんはどう思われているだろうか。年末、その年を特徴づける一文字が発表されるが、それにならって20世紀を表わせば、「奪」と私は迷わずに書く。領土や人命、資源や食糧、資金や労働力、時間、環境、文化・・・・・、挙げたらきりがない。人類は戦い奪い合う歴史を刻んできたが、これほど多岐にわたって、それも短期間に徹底的に奪い合った時代があったのだろうか。
 そして今、私も含め戦後の良い時代を生きてきた者どもが、膨大な借金を残したまま、子や孫の世代から明るい未来も奪おうとしている。それも一国や一地域の話ではない。人類全体で行なおうとしている。こんな人類の歴史がかつてあったのだろうか。
 はたして、ピカピカのランドセルを背負った子どもらが社会に乗り込む頃までピカピカであり続けられるのだろうか。
第69話 七つの力
2013年4月14日
 先月、農業をしたいという若者が2回訪ねてきた。30代前半の独身男性と30代後半の女性である。その女性の夫も就農に関心があり、今までは小さな家庭菜園を楽しんできたという。
 ところで、非農家出身の新規就農者には7つの力が必要であると私は思っている。それは、財力、体力、忍耐力、基礎学力、思考力、人間関係力、そしてコミュニケーション能力である。よほど運が良ければ別だが、最低でも前の5つ、財力、体力、忍耐力、基礎学力、思考力は不可欠である。もし並みはずれた財力があれば、人を雇用できるので、体力に多少の問題があっても、営農は可能である。
 まず財力について。就農するにあたって用意する資金の額には、桁違いの幅がある。本人の人生観や価値観、ライフスタイルや年齢、家族構成や就農地域、自分ひとりで営農するのか家族で営農するのか、あるいは農業を主業にするのか副業にするのか、などなど実に多くの要因が関係してくるからである。それでも、農業だけで喰っていこうとすれば、できれば1000万円くらいは用意した方がいいだろう。この点が、農家の跡取り息子と決定的に違うところである。
 次の体力と忍耐力は、どんな仕事でも共通していることで、今さら説明することもあるまい。さらに、基礎学力と思考力も同様である。勝手のわからない異業種に新規参入するのだから、当然、不可欠である。
 くわえて、天候や自然環境に大きく左右されるという点からも、これら5つの力は欠くべからざる能力で、日常的に必要になる。ここで、わかりやすい例をひとつ挙げよう。今年1月14日、関東地方の南岸を爆弾低気圧が通過し、かなりの雪を降らせ、われらの農園でも被害がでた。台風と違い、爆弾低気圧は日本近海で急速に発達するため、俊敏な対策が要求される。どの資材や道具を使い、どんな作業をどのような手順で進めればいいのか素早く判断しなければならない。適切な資材がなければ購入し、高等学校程度の気象学と中学校レベルの物理の基礎知識などを動員して考える。そして決めたら、厳しい天気のなか、何の利益も生まない辛い作業をひとつひとつ黙々とこなしていかなければならない。それには、体力と忍耐力が不可欠である。
 そして、人間関係力とコミュニケーション能力も農業分野に限られたことではないが、農家の跡取りよりも非農家出身の新規就農者にはより必要な能力である。なぜなら、新たな地で周辺の農家などの皆さんと良い人間関係を築くことが求められるからである。
 厳しい指摘かもしれないが、これが現実である。
 とは言え、これらの能力に多少自信がなくても、どうにかなることがある。それは謙虚な心をいつも忘れず、周辺の農家に敬意を払い、毎日朝早くから一所懸命に働くことである。2、3年も頑張り続け、その間に資金が尽きなければ、農業を真面目に続けている周りの農家が大きな力になってくれる。農業の知識をなまじ携え、口先だけで体の動きが鈍い新規就農者より、はるかに可能性がある。このことは、働き盛りに農家に転身する農学者が皆無に等しいことからも想像できるであろう。
第70話 苺(いちご)
2013年4月21日
 おいしい苺が実った。露地苺である。皆生農園では、ハウス栽培を行なっていないので、冬に苺はとれない。自然の成すがままである。
 私はかねてより、苺の有機栽培に取り組もうと思ってきたが、なかなかチャレンジできなかった。病害虫に対する農薬以外の対策が難しく、また一年中世話をしなければならないにもかかわらず収穫期間が非常に短いことから赤字になるのは目に見えていたからである。それでも、5年ほどの実験を繰り返し、技術的な問題はどうにかクリヤーできる目途が立ったので、やっと昨年秋から栽培し始めた。
 ぜひとも栽培しようと強く願い、こつこつと努力してきたからか、良縁にめぐりあえた。2年前、たまたま借りた農地の隣に手広く苺をハウス栽培している農家があったのだ。その農家は、こころよく苗を譲ってくれただけでなく、技術的なことも丁寧に教えてくださる。本当にありがたい。
 もちろん、頂いた苗には農薬が使われている。しかし、私どもの畑に昨年植えてからは農薬を使っていないので、一般に売られている苺から比べれば、桁違いに安全なはずである。何しろ苺は、法律上、収穫の前日でも農薬を使っても構わない。つまり、深夜12時までにかければ、翌朝には収穫し販売できる。この点は、トマトや胡瓜も同じである。ちなみに、千葉県の標準的な苺に対する農薬使用回数は40回以上である。そのような苺を苺狩りなどで洗わずにガバガバ食べることなど、私には信じがたい行動である。今どき、目で見て散布したことがわかるような農薬を農家は使っていない。
 ところで、私がなぜ苺栽培に強い関心を抱いてきたかと言えば、苺が大好きなのである。おいしくて手軽に食べられる。くわえて、ビタミンCがとても豊富に含まれている点も見逃せない。冬は露地もの野菜からビタミンCをたくさん摂れるのだが、立春頃からは菜の花とブロッコリー以外にビタミンCを十分含む野菜がなくなる。とにかく、強い光をたっぷり浴びた、味が濃く安全性の高い苺が食べたいのである。農薬づけの苺を買ってまで食べたくない。有機栽培すれば赤字になるのは明らかであるが、金銭では得ることのできない、ささやかな贅沢を私は味わいたい。ただそれだけである。そして、その贅沢は、斜陽産業で明けても暮れても悪戦苦闘している農家の特権である。
 最後に余談だが、「苺」という字は、実に良い字である。本質を突いている。あの形と色は乳首を連想させるからである。くわえて、自然に生えている苺は、ランナーという茎を四方八方に伸ばしテリトリーを拡げてゆき、病気や害虫を寄せ付けない強靭さも備えている。まさに母のような植物である。そんな苺を口に含むと、えもいわれぬ幸福感に満たされる。そして、漢字を発明した中国の偉大さにも痛感させられる。中国に感謝である。
第71話 農村事情(1)
2013年4月28日
 世間では、ゴールデン・ウィークである。多くの人々が長い連休を楽しむ時期だが、この付近の人々はとても忙しく働く。ゴールデン・ウィークを利用して、日頃は農作業をしていない兼業農家も田植えに励むからである。米作りは、機械化されているので、連休を使えば十分である。という訳で、田植えと稲刈りの時期は農家が急増する。
 ところで、兼業農家は農業からの所得がそれ以外からの所得よりも少ない農家である。その中には農業所得がまったくないか赤字の農家も含まれている。つまり、経済的な観点からみれば、限りなく農業をしていない農家、あるいは辞めた方が良いと思われる農家である。これらの兼業農家を農林水産省は「自給農家」とこの頃は呼んでいる。この付近で田植えと稲刈りの時期だけ農作業をしている農家は、ほぼ間違いなく自給農家である。
 ではなぜ、赤字覚悟で高い機械を買いこみ、休みを削ってまで、米や野菜作りに励むのか? 多分、ほとんどの非農家の方には実感できないだろうが、生きるためである。したたかに生き抜くためである。農業以外でサラリーなどの現金収入を得たうえで、喰いぶちを自給する自衛手段である。だから、たとえ赤字でも、米や野菜を自給するのである。それは、子育てするようなものである。損得だけで考えたら、現代では子育てなど割が合わない。
 さて、ここからが本題である。農林水産省の統計データによれば、日本の農家の35%が自給農家である。そして、年々その割合は増えているはずである。それらの人々の職業を農業と呼べるのだろうか? 農地を所有しているだけで公的に農家と認定されている現状は合憲なのだろうか。世襲制度と法律に守られた「農家と呼ばれている人々」が、農業を営むこともなく、国民の財産である農地を私物化していて、本当にいいのだろうか。憲法で私有財産が保証されているとはいえ、自給率がこんなにも低い日本で、農地を活用せずに放置しているおくことは限りなく違法に近いのではないだろうか。戦前戦中であれば、間違いなく「国賊」と非難されたであろうに。
 その一方で、朝から晩まで働き、冠婚葬祭くらいしか休めず、それでいてやっと暮らせている農家もたくさんいる。知り合いに乳牛を飼っている酪農家がおられるが、週休2日のサラリーマンには想像もできない過酷な働き方をしている。福島原発事故の影響で、手塩にかけた可愛い牛の乳を搾っても搾っても捨てざるを得ない現実に失望して、ある酪農家が妻子を残して牛舎で首つり自殺したが、この悲劇は氷山の一角である。以前から北海道を中心に酪農家の廃業は後を絶たない。
 余談であるが、私と同世代の人なら記憶にあろうが、1リットルの牛乳パックが、40年ほど前に出始めた頃は200円以上もした。今皆さんはいくらで買っているだろか。卵や米の価格も下がり続けてきた。その一方で、この40年間にサラリーマンの平均給料は何倍になったであろうか。
 自給農家の裏側には、一生懸命に農業を営み国民に食料を供給している農家も実にたくさんいる。これらの農家に対して、ただ漫然と貴重な農地を耕作放棄している「農家と呼べないような農家」は何と申し開きするのだろうか。
 どうして、こんな状況が今でも続いているのだろうか。こんな状況が今後も続くのであれば、この国に明るい未来は来ないであろう。
第72話 農村事情(2)
2013年5月5日
 昔、クレージー・キャッツというコメディアン・バンドが一世を風靡した。その代表的なヒット曲に、故・植木等氏が歌った「スーダラ節」がある。その一節に「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という有名なフレーズがある。しかし、非正規労働者が労働者の3割以上にもなり、正規労働者でさえもリストラと背中合わせの昨今では、信じがたいほどの楽天的なフレーズである。
 ところで、こんな状況に置かれているサラリーマンが、失職したために農業でもしたいと思い農地を手に入れようとしても、公的にはほとんど無理である。農地法が存在するからである。その一方で、農家は世襲制度と法律に守られ、国民の財産である農地を独占している状況が長く続いている。あまりにも矛盾しているではないか。どうして今でもこんな状況が続いているのだろうか。
 私は3つの理由が少なくても存在しているように思っている。
 まず、農地独占という既得権を農家自らが手放すようなことはない、ということである。安部政権がTPP加盟をてこにして国内の既得権を突き崩そうとしているが、農地に関する既得権を突き崩すには相当な覚悟がいる。そもそも既得権をこの世からなくすのは至難の業である。昔から代々、長男が家督を継ぐという制度は、まさに既得権のなせる業である。こんな身近な制度を誰が根底から葬り去れたであろうか。
 次に、こういう農業分野の問題や矛盾を農家や農業関係者以外はまったく知らない、ということである。学校でも社会に出てからも知らされることがないからである。上記の既得権の魔力からして、当然である。既得権を握っている者自らが既得権の問題を一般の人々に衆知するはずがない。「なぜ教えてくれなかったんだ」と怒ったところで、残念ながら、「世間知らず」と思われるのが落ちである。理想社会とは程遠いかも知れないが、それが世間、それが現実である。
 そして、3つ目が悲願と怨念である。綿々と権力者や商人などに虐げられ一揆を何度企てても権利と自由を獲得できなかった貧農たちの悲願。権力者や都市生活者から蔑視され差別を受け続けてきた農民たちの怨念。これらは、非常に重く根深い。
 昔から無数の農民たちが、戦いや戦争があるたびに戦場にかりだされ、その最前線で命をかけて闘ってきた。それにもかかわらず、豊臣秀吉以外に歴史に名を残した農民がいたであろうか。そして太平洋戦争でも、おびただしい農民たち下級兵士の血が戦場を染めつくした。その命をあがなうかのように、敗戦によって期せずしてやっと手に入れることができた悲願の権利と自由をそうそう農民たちが手放すはずがない。その権利と自由という既得権を農民たちは合法的に、時には非合法に死守してきたのである。
 いずれにしても、こんな状況が温存され、国民の財産である農地が放棄され続けてきた。この問題を放置してきた為政者や農業関係者にも、もちろん責任はあるが、このような現実に無関心できた人々の側にも責任があるのではないだろうか。サラリーマン生活者にも、この問題をもっと自分たちの問題として考えて頂きたい。それなくして、日本の農業や食料の状況は改善しない。
第73話 農村事情(3)
2013年5月12日
 「日本の農家のほとんどは家族営農である」と言われてきた。かつて私の実家も、まさにそうであった。両親と兄夫婦の4名が力を合わせて働いていた。猫の手も借りたいような時は、学生の私も手伝った。冠婚葬祭や体調を大きく崩した時以外は、4人が毎日毎日働いて、どうにか家族全員が暮せていた。今から40年も前のことである。その当時、村内の50戸ほどの多くが農家であったが、すでに専業農家は数えるほどしかなかった。その後、就職のために親元を離れた頃は、専業農家は1戸であった。農村が形ばかりの農村になっていった。
 私の生まれ故郷は、何も特殊な例ではない。日本の農村の、ごくありふれた情景である。父ちゃんや若い者が外で働き、母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃんが農作業を担う、いわゆる「三ちゃん農業」の幕開けである。その後は、母ちゃんも農作業から足を洗い、高齢者が主に担うような現代にたどり着いた。
 ここで、改めて戦後史を振り返えろう。昭和22年、GHQの占領政策の一環として、貧農を救済するために、いわゆる「農地解放」が断行された。その結果、自作農家が増え、米の生産量も年々増加した。農村にやっと光明がさし始めたのも束の間、機械化で農家自らが人手を減らし、後継者として期待されていた若者たちがきらびやかな都会へと吸い込まれ、農村はあっという間に工業化の波にのみ込まれていった。昭和30年代を境に、農家戸数は減り続け、米の減反政策の影響もあって、政府がいくら補助金を注ぎ込んでも、農業の衰退と農村の荒廃は止まらなかった。そして、今後も止まらない可能性がとても高い。  今から思えば、あの農地解放は、一体、何の意味があったのだろうか。農地を細分化し作業効率を低下させただけでなく、結果的に宅地に転用され、地主と不動産業者と国を潤しただけではなかったのか。また、その当時アメリカが恐れていた日本農民の共産化を阻止したのかもしれない。もしそうであるなら、アメリカの先見力はもの凄い。その一方で、日本政府の先見性を疑いたくもなる。
 そして今、TPPという鉄槌が日本の農村に打ち込まれようとしている。日本の農民は、どうしたらいいのだろうか。国が言うような「農産物の輸出拡大」などというスローガンは、現場で悪戦苦闘している農家には空念仏に聞こえてならない。農業の国際競争力が今後それほど簡単に増すのであれば、今までの農業振興策は一体何であったのだろうか。
 農業の衰退は、農村の崩壊にとどまらず、食料安全保障上の観点から、国家の、国民の将来を危うくしかねない。この大問題を農家以外の人々はどう捉え、どう対処しようと考えているのだろうか。
 TPPが私たちに突きつけているのは、単に経済活動の自由化ではないように私は思っている。それは、「私たちが国家と自国民をどう認識し、日々どう生きていくのか」というもっと根源的な問いではないだろうか。その問いを解く糸口は、私たちの日常生活のいたるところにあるような気がする。スーパーのセールに殺到する人の波に、原発事故の直後に放射能に汚染された水道水を嫌ってペットボトルの水が買い占められた時にも、ネット・ショッピングの画面の中にも、プロ・スポーツの世界にも、教育の現場にも、通勤電車の中にも、そして農村にも、その問いを解く糸口が見えるのだが。
第74話 3回の誕生日
2013年5月19日
 人には3回、誕生日がある。母の胎内に生を受けた日、家族のもとに誕生した日、そして社会に旅立つ日である。

 野菜にも3回、誕生日を迎えるものがある。トマトや茄子などの実のなる野菜である。植物は、発芽条件が満たされると、種に蓄えられていた栄養を使って芽を出す。ほとんどの野菜はまず子葉を拡げる。左上の写真のような状態である。この頃はまだ根が十分に働いていないので、種の栄養で成長していく。いわば、母の胎内に受胎したような状況である。

 次に、本葉を開き始める。この頃が母の胎内から家族のもとに誕生することに等しい。自分の根で養分を積極的に吸収するので、肥料が必要になる。そこで、左中のように鉢上げされる。また、丈夫に育つには光がたっぷり当たる必要があり、株間を拡げる。すると苗は、穏やかな環境の中で、急速に成長する。

 そして、左下の写真のように花が咲き始めると、畑に植えられる。人間で言えば、子どもが産めるまでに成長し、社会に旅立つ頃にあたる。厳しい自然環境に順応し、病気や害虫などが溢れる危険な環境に耐え、たくましく成長していく。大地にしっかり根を張り、自然の恵みを受けながら、必死に子孫を残していく。

 こんな植物たちの生の営みを見ていると、自然農法を実践してこられた故・福岡正信氏の農園を30年ほど前に訪ねた時、「君、わかるかね? 植物が神なんだよ」と言われた理由がわかるような気もする。
第75話 害虫対策(2)
2013年5月26日
 世界で温暖化が心配されているにもかかわらず、今年の冬は本当に寒かった。そのためか、春先から害虫がかなり少ない。害虫を食べる天敵も非常に少ない。例年であれば、彼岸頃にはモンシロ蝶が飛び始めるのだが、現在まで数匹しか目撃していない。他の害虫も今まで経験したことがないほど少ない。
 ただし、アブラ虫だけは別である。彼岸過ぎから雨が少なくなったら一気に増え始めた。その対策として左の写真のように防虫ネットを多用しているが、作物の種類によっては防虫ネットが使えないこともある。例えば、トマト、ミニトマト、いんげんなどである。これらには、周辺の放棄地などから飛んできたアブラ虫が相当ついてしまった。放置しておくと、梅雨入り前のこの頃は雨が少ないため、アブラ虫天国になる。私たちにとっては、もちろん地獄である。羽のはえたアブラ虫がウヨウヨ飛んでいて、畑に苗を植えた途端に寄生されてしまう。
 オクラは、丁度この時期に植えるため、毎年アブラ虫対策に四苦八苦する。今年は最悪の状態になるかもしれない。しかし私どもの農園では、オクラの栽培量が多く、お客様の根強い要望もあるので、失敗することは許されない。今回は、オクラを例にして、害虫対策を述べよう。
 オクラを栽培すると、主に3種類の害虫がつく。ネコブ線虫、アブラ虫、それに実を食べる虫である。問題になるのは、ネコブ線虫とアブラ虫だけである。ネコブ線虫がもっとも厄介で、オクラの根にとても寄生しやすく、一度増やしてしますと、土の中にずっと残って多くの種類の野菜にも被害が続く。そのため私は、ネコブ線虫の被害を少しでも減らそうと、植える予定の場所には、冬から何も作付けない。作付けると、ネコブ線虫が越冬して増殖しまうからである。また、手間がかかるものの、種を畑に直接まかず育苗してから植えている。
 しかし、この育苗してから植える方法には欠点もある。冒頭でも述べたように、植えるそばからアブラ虫が寄生してしまうからある。そこで、アブラ虫が嫌うキラキラテープを張っておいた畑に植えていく。これである程度アブラ虫の寄生を抑えられるが、それでも寄生される。もしオクラが生育する上で問題になれば、洗剤を薄めて何度かかけるしかない。一昨年は、テントウ虫やクサバカゲロウなどの天敵が多かったため、まったくかけずに済んだが、昨年は石けん水を二度かけ、どうにか収穫にこぎつけた。
 ここ5、6年はオクラの栽培で大きな失敗をしたことがないのだが、このような手間をかけないと、私の場合はアブラ虫やネコブ線虫を抑えることができない。オクラの有機栽培は本当に厄介である。だから、「やりがいがある」とも言える。
第76話 6次産業化と所得倍増
2013年6月2日
 近年、「将来の成長産業は農業です。6次産業にすればいいんです。農産物の生産が1次産業、それを加工するのが2次、販売まで手がければ3次、合計で6次産業です」と首相自らが公言し、役人や政治家、マスコミなどがあおり立てる。「そんなにも農業が成長産業と言うなら、自分でやってみろ。技術指導くらいなら協力するぞ」とへそ曲がりの私は思ってしまう。「1次から3次までを足して6次産業」などという机上の発想と無責任な発言に違和感を覚えてならない。
 農産物の加工は既に強固な業界が形成されているため、政府が農家や農業団体を対象に6次産業化を強く推し進めても、結局、既存の加工や流通の業界だけが潤い、農民は何の利益も得ないような事態にならないだろうか。
 つい最近では、「農家の所得を倍増する」と安部政権が政策目標を掲げている。そのポイントは農地の規模拡大である。耕作放棄地などを公的機関がまず借り受け、税金を使って放棄地を使える状態にしたり、農地の区画を大きくしたり、水路などを整備し、大規模農家や農業法人などの担い手に貸しつける計画である。私はこの政策が成功することを願っている一人であるが、かつても似たような事業を政府が行なったものの、うまく進まなかったという過去がある。地主が、耕作していないにもかかわらず、農地を手放さなかったからである。「農地を使わなで放っておいても、何も損することはないし、いずれ宅地にしてガッポリ儲かるかもしれない」と地主は考えているからである。その、かつて成功しなかった政策に再チャレンジするには多額の税金を投入することが予想されるが、どのように国民の理解を得るのだろうか。そこがポイントである。
 また、農家の所得倍増計画にしても、政府の思惑どおりに簡単に実現できるのだろうか。膨大な税金を農業分野に何十年もの間つぎ込んできたにもかかわらず、衰退の一途をたどってきた失敗を繰り返さない保証はあるのだろうか。衰退してきた原因や理由を深く掘り起こし、それらを抜本的に改善しないで明るいヴィジョンが描けるはずがない、と考えるのが論理的である。
 こんなことを考えてみると、また政府は税金の無駄遣いの口実として、「6次産業化」とか「農地の集約」とか「所得倍増」などと言っているのではないかと疑ってしまう。
 本気で日本の農業を再興するのであれば、農地の所有に関する法律を抜本的に改革するしかない。例えば、耕作放棄地は強制的に公的機関がただ同然で没収するとか、宅地のように農地も民間組織が自由に売買できるように法律を変えるとか、利益が出ない農家も含めて全ての農地に固定資産税を課すとか、3年続けて利益の出ていない農家には所得補償をしないとか、時代を画するような決断が必要である。まさに首相や関係大臣が命がけで臨むしかない。
 そして、時間がかかるものの、たぶん国民の精神的な部分から変えなければならないと私は思っている。それは、まさに教育の領域である。
 今から四半世紀も前のことだが、アフリカのケニヤやソマリア、タンザニアなどに滞在していた時、小学生が学校で農業を学んでいた。そのころから日本の農業の行く末を心配していた私は、その子らが持っていた教科書を見せてもらった時、「これだ」と直感した。教育から変えなければ、日本の農業の明るい未来は決して訪れない、そう私は確信している。
第77話 資本主義の衰退(1)
2013年6月9日
 人それぞれに主義・主張があり、世に○○主義というものが溢れている。数ある主義の中でも、身近な主義の最大公約数を挙げると、自由主義、個人主義、民主主義、資本主義、共産主義などがある。かつては帝国主義なども幅を利かせていた。近年ではグローバリズムも私たちの生活と密接に関係している。
 なかでも、ここ百年間で急速に力をつけた主義は民主主義と資本主義ではないだろうか。どちらも長い人類史の中では新参者であるが、たぶん民主主義は今後も不動の地位を占めていくであろう。しかし、資本主義はどうであろうか。私は、経済学の専門家ではないので確信はないが、「資本主義は衰退しつつある」と感じている。世界に君臨する中心的な主義の地位からは陥落すると予測している。すでに、その入口を先進国は通ってしまった気がする。いずれは新興国や途上国も通るであろう。
 世間では、アベノミクスという貨幣ばらまき政策によって、株価が急騰した。円安によって輸出産業は好景気にわいている。しかし、これは資本主義の衰退の入口ではないだろうか。
 そもそも、資本主義はインフレを前提にしている。また、人口の増加と物質的な豊かさの追求が必要条件である。明治維新以降、日本もそれらを体現してきた。特に戦後はほとんどの国民が、資本主義に疑問を抱かず、いわゆる「高度経済成長」というインフレ経済を是認してきた。
 しかし1990年代初めから、先進国では類のない20年以上ものデフレを経験してきた。ほとんどの企業は、利益を内部留保し、生産設備などへの投資を控えてきた。また、個人は預貯金を溜めこみ、その資金が国債へと流れ込んでいった。年々、社会全体のカネ回りが悪くなり、資本主義が機能不全に陥ってしまった。そして、日本人は資本主義の弊害に気づくとともに、物やおカネの価値が上がり住宅ローンなどの金利が下がるデフレ経済の利点も学んできた。
 ところが、インフレをめざすアベノミクスという「貨幣ばらまき」政策の登場で、一気に資本主義が息を吹き返したかのように見える。今後もインフレを持続させようとすれば、とうぜん、市中の貨幣を増やし続けなければならない。その結果、国から個人のレベルにいたるまで「カネ」が溢れ、「カネ」の価値が急速に失われるであろう。
 さらに、だぶついた「カネ」は、投機マネーとして不動産や資源、食料や金の市場に流れ込み、為替や株価も大きく変動させる。これは、おカネの価値が極端に相対化されることを意味し、おカネの信用を低めることでもある。
 これが資本主義の根源的な自己矛盾なのである。上述したように、資本主義はインフレ経済に立脚しているが、インフレを続けるために貨幣を増刷し続けると資本主義の根幹である「カネ」の価値と信用が低下してしまう。つまり、自己矛盾の必然的な帰結として、社会が成熟すると資本主義が衰えてしまうのであう。
第78話 資本主義の衰退(2)
2013年6月16日
 このご時世で、資本主義の根幹であるインフレを誰が望んでいるのだろうか。かすかすの蓄財や年金で生活している老人が望んでいるだろうか。住宅ローンを抱えている人々が望んでいるだろうか。子どもの学費を稼ぎだすために自分の小遣い銭も気にしている人が望んでいるだろうか。定職に就けずに苦しんでいる若者が望んでいるだろうか。多分、おカネに余裕のない庶民の多くはインフレを望んでいないような気がする。なかには、小泉政権時代に戦後最長の好景気と言われながらも給料が下がり続けた辛い経験から、資本主義に疑問を抱いてる人も少なからずいるはずである。
 「カネ」が、生産活動のために適切に使われていれば資本主義が衰えることはないかもしれないが、人類は何をもっと生産する必要があるのだろうか。私たちの身の回りを見ると、物に溢れていないだろうか。物質的に豊かになった日本では、家計支出の大半は、公共料金を含む住宅費と食費、車や家電製品などの耐久財の買い替え費用、教育費、保険料、インターネットなどの利用料金、それに趣味や遊びにあてる費用くらいである。「カネ」によって、他にどんな欲望を満たしたいのだろうか。
 かつて自動車産業と肩を並べ、日本の花型産業であった家電業界を見ていただきたい。地デジ対応テレビの需要が終わった家電量販店はどこも閑古鳥が鳴いていている。その大元締めである天下のパナソニック、シャープ、SONYでさえ赤字に苦しんでいる。これが、資本主義のもとで生産活動に励んできた結果である。
 そもそも、資本主義と長く人類が使ってきた「カネ」とは別物である。資本主義は「カネ」の利用の一例に過ぎず、必要な「カネ」を使い続けても、未来にわたって資本主義にどっぷり依拠する理由は何もない。
 広い世間には、資本主義から派生したルールに則って、資金を右から左へ瞬時に移動し巨万の富を得ている人たちがいる。庶民にとっては羨ましい現実だが、彼らは何も生活費に困っている訳ではなく、たぶん欲望を満たすためのゲームを楽しんでいるのだろう。しかし、ほんの一握りの人だけが「カネ」の多くを独占するようなマネー・ゲームが続けば、かつてナチス・ドイツがユダヤ民族を虐殺したように、社会を不穏にするだろう。そして今後、ロシア革命を機に資本主義に対抗して共産主義が世界に広がったように、人類は資本主義に対抗する新たな生き方を求めていくだろう。
 敗戦後、日本の農家は長く抑圧されてきた歴史から開放された。そして、農家の大半を占める兼業農家は、都会から押し寄せてくる資本主義を利用しつつも、その一方で良くも悪くも資本主義に対抗する生き方をしてきたような気がする。彼らのほとんどは、農業以外から得た所得を赤字続きの農業に注ぎ込み、米や野菜などを自給し、余剰農産物を販売してきた。この行為は、資本主義から見れば実に不可解で、日本の農業が衰退してきた一因であるが、当時としてはもっとも現実的な生き方であったのかもしれない。なぜなら、日本のような家族経営の小規模農業は資本主義に馴染みにくく、たぶん農民は資本主義に懐疑的であったからであろう。
 世界を席巻し人類を虜にしてきた錬金術、資本主義。その衰退の先、ポスト資本主義は何になるのであろうか。それを模索する時、戦後の日本農民の生き方が何かの参考になるような気がしてならない。今よりも住みよい世界になっているとの期待を込めて、そんな世の中を、是非とも見てみたい。
第79話 余計なお節介
2013年6月23日
 私は発酵食品をよく食べる。ヨーグルトは毎食、納豆は昼食時に毎日欠かさず食べている。だから、胃腸の調子がとても良い。
 ところで、納豆を食べる時、「まったく余計なお節介だな」とたびたび思う。例の小さなパック詰めの醤油とマスタードである。特にマスタードは嫌いで、家族もマスタードを食べないので、ごみ袋に直行してしまう。皆さんの家庭ではそんなことないだろうか。また、NTTが人手をかけて各家庭に配る分厚い電話帳をどれだけの人が有効活用しているだろうか。我が家では、開くこともなく、古紙として出してしまう。資源とエネルギーが本当にもったいない。
 農作業にも余計なお節介が目についてならない。例えば、草取りを研修生に指示すると、取る必要のない草を取ったり、左の写真のように害虫を集めるために残しておいた草までもきれいに片付けてしまうことがある。また、トマトや胡瓜などの果菜類を栽培する時、一般的には各種の「管理」という作業を行なう。例えば、脇芽を摘んだり、茎を曲げたり、実の数を減らしたり、農薬を頻繁にかけたりと、実に多くの管理という手間をかける。「何でこんなにも余計なことをするんだろう。もっと手抜きをしても同じ利益があれば構わないのに」と私はずっと思ってきた。手間をかけられる作物はきっと「余計なことをするなよ。お前ら人間の都合で痛めつけるのはやめてくれ」と叫んでいるに違いない。
 本当に、私たちの身の回りには余計なお節介がいっぱいある。人々が余計なお節介を欲しているからなのか。それとも、余計なお節介を仕事にしてひと儲けようとしている人たちが世間に溢れているからなのか。もしかすると、そもそも仕事という行為は余計なお節介の別称なのかもしれない。
 人が生きていく上で本質的に重要なことを、普通、仕事とは呼ばない。呼吸、炊事、子作りや子育て、歩行、親の介護、・・・・・。ところが、肺を患った人に人工呼吸器を使えば医療行為という仕事になる。弁当を作って売れば仕事になる。不妊症の夫婦に人工授精を行なえば、これも仕事。保育園もただではない。おカネを払ってスポーツ・ジムで歩行機の上をせっせと歩く人もいる。介護制度ができ介護はもう立派な職業になった。
 このように、人類は自分自身でできることも仕事にし、おカネの世話になり、社会を複雑にしてきた。これは人類の進歩なのか。それとも退化なのか。「もし人間一人ひとりが何でもできれば、仕事などこの世に存在する必要がないはずである」と私は思う。
 「人が生きていく上で本質的に必要なさそうな、余計なお節介がなくても生きていける世の中になれば、あくせくおカネを稼ぐこともなく、もっと楽に生きられるだろうに」と昔から思ってきた自分だが、皮肉なことに、毎日朝から夜中までフルに働いている。理想と現実との溝は深く、その距離は実に長い。
第80話 餌(えさ)を喰う
2013年6月30日
 ある高齢の料理家が印象的なことをおっしゃった。「お袋の味が家庭から消え、今や袋の味になってしまいました」と。現代の食生活をうまく言いあてていると感心した。
 ところで、「餌(えさ)」と聞いて、あなたは何を連想されるだろうか。豚や牛などの家畜であろうか。あるいは猫や犬などのペットだろうか。人によっては、輸入穀物を連想されるかもしれない。あるいは安全性の違いを連想されるだろうか。
 そもそも、餌(えさ)とは何なのだろうか。人間が日々食べている料理品と家畜やペットなどが食べる餌(えさ)は何が違うのだろうか。
 例えば、放牧されている牛が草を食べているのを見て、「牛が餌(えさ)を食べている」と普通は言わない。「牛が草を食べている」と言う。しかし、その草を人が刈ってきて牛に与える時は、「牛に餌(えさ)をやる」と言うのが一般的ではないだろうか。つまり、他者から与えられた食べ物を「餌(えさ)」と言うことがある。現代では、どれくらいの人が自分で作った食べ物を食べているのだろうか。他者から与えられた餌(えさ)のような食べ物を食べていないだろうか。
 次に安全性の観点から、餌(えさ)を考えてみたい。たぶん、人間の食べるものの方が動物の餌(えさ)よりも、法的には安全性が確保されているはずである。しかし、実際はどうだろうか。スーパーなどで売られている加工食品やコンビニ弁当の材料を見ると、実に多くの化学物質が添加されている。保存料、防腐剤、着色料、発色剤、膨張剤、化学調味料、ph調整剤、酸化防止剤、増粘剤、香料、合成甘味料、・・・・・。中には、健康に悪影響を及ぼすと指摘されているものも使われている。これらは人間の食べる料理品か、おカネ儲けのための工業製品か、それとも餌(えさ)なのか。
 私どもの農場の近くで何十年も鶏の卵を生産している農家がある。たくさんの食材を独自に配合し、栄養バランスのとれた餌(えさ)を与えている。もちろん、遺伝子組み換えの穀物は使っていない。ちょっと味と手を加えれば、人間も食べられそうな餌(えさ)である。だから、1個40円以上でないと採算がとれないという。10個入り100円くらいの卵とは別物のようである。
 ひるがえって、忙しい現代人の朝食はどうだろうか。粗末な食事になっていないだろうか。食パンとコーヒーとか、サラダや野菜ジュースのみとか、通勤途上でサンドイッチやおにぎりで空腹を満たすとか、あるいは朝食抜きで仕事に就くことはないだろうか。この頃、朝食を抜いたほうが健康に良いと唱える人もいるくらいである。
 また、朝食に菓子パンやスナック菓子を与えるだけで子どもを学校に送り出す親が増えているという。なかには、育ち盛りのわが子に何も食べさせないまま、学校に行かせる親もいるという。悲しいかな、これでは餌(えさ)以下である。野鳥でさえ虫や魚を次から次とわが子に運んでいるではないか。
 こんなにも物が溢れている現代で、なぜ貧しい食事が普通になってしまったのだろうか。健康に良い食事よりも、もっと高価な薬や病院のほうが大事なのだろうか。私にはとても理解できない。「医食同源」という考え方があるが、これは正しくないと思う。本来は、食が主であり、あくまでも医は補助手段である。私にはそれが自然なように思えるのだが、、、。
第81話 毒を喰う
2013年7月7日
 ハウス栽培であれば雨の影響を受けないのだが、露地栽培はお天気次第である。雨でぬかるんだ泥に足をとられ、カッパの中を汗が流れ落ちる。収穫した野菜は泥で汚れ洗わなければならなくなる。そんな辛い作業の最中に、「こんな雨がエチオピアのアビシニア高原にも降っていたら、あんな飢餓は起きなかったろうに」と思い出すことがある。今から30年ほど前の1980年代初頭のことである。
 中高年の方なら、あの世界的なイベントはご記憶であろう。著名なミュージシャンたちが「バンド・エイド」というというユニットを結成し、「We are the world」という歌をヒットさせたことを。それはエチオピアの飢餓民を救援するためであった。
 ソロモン王とシバの女王の末裔(まつえい)と自認する、誇り高いエチオピアの人々を深刻な飢餓が襲った原因は、異常気象と社会主義政権であったと言われている。1974年の軍事クーデターによって権力を掌握した社会主義政権は、農民による農地の所有を認めず、国が貸す制度を導入した。実際の権限は地方レベルにあり、地方の役人の悪行が農民の営農意欲を失わせ、農地は荒廃の一途をたどっていったと聞いている。例えば、農民がわが子へと代変わりする際、それまで大事に使ってきた農地を必ずしも引き継げないという現実があった。そんなことでは、農民は農地を豊かにするはずがない。酷使し結局は荒野にしてしまった。社会主義あるいは共産主義政権の限界であったのかもしれない。
 このような現実は、その当時のエチオピアに限らず、世界中いたるところで起きてきた。そして現在、中国の農村部でも同じようなことが起きているらしい。地方政府は、農民から農地を取り上げ、桁違いの値段で工業団地などの用地として売却して巨万の利益を得ているという。非農家の人は知らないだろうが、日本でも、以前から似たようなことが行なわれてきた。
 話しを当時のエチオピアに戻そう。私は、日本のNGO(非政府組織)・日本国際ボランティアセンターの職員として、エチオピアの隣国・ソマリアでエチオピアから避難してきた難民への支援活動に従事していた。エチオピアで救援活動をしていた仲間からもたらされる情報や自分でも現地を視察した時に見た光景は今でも忘れることができない。大地の果てまでも見渡す限り干ばつと飢餓が続いていた。物質的に豊かな生活を普通に送ってきた私には筆舌に尽くしがたい光景であった。農地は荒廃し、農地以外の土地もほとんど何も生えていないのである。食料が底をつき、種まき用に貯蔵しておいた穀物までも食べ、それでも足りずに草も食べ、さらに毒を含んでいる草の根までも食べ尽くしてしまったからである。体に悪いとわかっていても、人は飢餓に耐えられないのである。
 そのような、この世のものとは思えないような悲劇も飽食を当たり前と思っている人には想像しがたいだろうが、現代でも人口爆発と異常気象、そして格差社会を背景とした飢餓が貧しい人々を日常的に襲っている。格安のレトルト食品やカップ麺でどうにか命をつなぐことと毒を含む草の根を食べて飢えをしのぐことと本質的には大差がないように私には思える。物質的に豊かな生活を送れている人は、物質的に貧しい人々の飢餓を土台にして生きている現実から目をそむけてはいけないのである。豊かな生活を送れているのは、才能や努力によるところもあろうが、ほとんど運なのだから。
第82話 DNAの叫び
2013年7月14日
 30年ほど前、私は難民キャンプで働いていたことがある。食料に事欠き痩せ細った難民たちでも、なぜか次から次と子どもを産む。その現象をさして、ある援助スタッフが「連中は暇だから、やってばかりいるからさ」と言い放った。同席していた誰もが肯定した。
 しかし、農業を始め様々な自然現象を見てくると、そのスタッフの放言に私は疑いを抱くようになった。
 6月上旬、農場の柿に小さい実がたくさん着いた。しかし下旬ともなると、地面に実がたくさん落ちている。柿の木は、たくさん実を付けても、養いきれるだけの実を残し、その他は落としてしまうという。実のなる野菜(果菜類)でもこのような現象がよく見られる。つまり、難民の子だくさんも柿や果菜類と同じではないだろうか。
 また、写真のようにズッキーニやカボチャは、肥料不足になると雄花(おばな)ばかり咲かせ、雌花(めばな)を咲かせない。命の危機を感じ、手っ取り早くDNAを残すために雄花だけ咲かせ、昆虫が他のズッキーニの雌花に花粉を運んでくれるのを期待しているのだろう。
 人間も似たり寄ったりである。戦地に向かう夫は、我が身の明日が分からないからこそ、妻にわが子を残していく。また、社会が貧しくなれば男児が望まれる。難民やズッキーニと同じである。
 さて、今や人類は、有史以来はじめて、飽和状態に達した。人の住めそうな場所には隅々まで住んでいる。そして、日本や韓国などをはじめ、物質的に豊かになった国々のほとんどで少子化が止まらない。日本でも、国や地方自治体は少子化を喰いとめようと、国民に訴えかけ税金をつぎ込み出生率の向上を図ってきたが、実現できなかった。今後もたぶん実現しないだろう。
 そもそも、少子化を止めようとすること自体、無理があるような気がする。自然の摂理に反しているからである。子どもの頃から豊かさを享受してきたために、今の出産世代は子どもを産む必要をあまり感じていない。つまり、明日をも知れない極貧の難民とは正反対の状況にある。「国家のために、家のために子どもをもっと産んでくれ」という発想そのものが時代錯誤である。戦前戦後の日本とは違うのである。
 そして少子化は、別の視点から見なければ、その本質が見えてこない。私はDNAレベルで起きている現象と想像している。例えば、豊かさによって変化した体質が子どもを産みにくくする遺伝情報を発現させていることも考えられる。別の表現をすれば、「少子化はDNAの叫びであろう」と思っている。生命活動の根源であるDNAが、末永く生き延びようとするDNAが、「最終兵器を手にした人類を、もうこれ以上増やさなくてもいい。増やし過ぎて、自滅するのは嫌だ。」と叫んでいるような気がしてならない。
 かつて私は、会社員を辞めて、ある大学で生態学や微生物学を学んだ。その時、いくつもの驚きの事実を知ったのだが、その一つは、ある種類のネズミは大量発生すると集団で海に突入し死んでしまうという現象である。人類が繰り返してきた愚かな戦争もネズミの集団自殺と同じことのような気がする。
 そう考えると、平和裏に自ら個体数を減らすこと、つまり少子化は人類の最後の英知であると私は思う。
第83話 異変に気づく
2013年7月21日
 今年の関東地方は空梅雨に終わった。例年なら、梅雨の末期には集中豪雨による川の氾濫や土砂崩れが発生し、大きな被害が出ることがある。その地域や場所は事前に特定しにくいものの、後になって冷静に検証してみると、前兆現象や原因が見つかる。
 自然現象でなくても、航空機や列車、道路などの事故も同様である。事故が発生する原因が必ずある。時には、いくつかの原因が重なって発生することもある。事故後に検証すれば、ほとんどの場合、やはり事前に異変や兆候があったとわかる。
 しかし、人は異変に気づきにくい。どうしてなのだろうか。
 農業でも、異変に気づくかどうかが非常に重要である。特に、農薬を使わない場合は、ちょっとした異変に気づくかどうかが、農業で喰っていけるか挫折するかの分かれ道になる。異変に気づく感度が、体力と忍耐力に並んで、もっとも重要である。本を読んでも、大学で学んでも、その感度が上がることはない。農家で研修を受けても、感度を高めるのはほとんど不可能である。なぜなら、研修生を受け入れられるような農家、とりわけ長く営農してきた農家は、そもそも感度が鋭く、ごく普通に異変を察知し、ごく自然に対処しているが、研修生に異変を逐一教えることはないので、研修生はなかなか気づかないからである。これは、職人の間では共通のことである。だから、職人の世界では「技を盗め」と言われるのである。昔も今も、そして将来も、それは変わらない現実である。
 話しを戻そう。どうして人は異変に気づきにくいのだろうか。
 私は、多くの研修生と長期間いっしょに農作業をしてきて、ここ数年、あることに気づいた。それは、傾向として、若い人ほど異変に気づきにくいことである。異変を察知する感度が鈍いのである。読者の中にも、同様の思いをお持ちの方がおられよう。なぜそのような傾向が生まれるのか、よくよく考えてくると、私は「便利さ」に行き着いたのである。
 便利さによって、人類は多くのことを手に入れた。しかし、その一方で、非常に重要なことを失ってしまった。例えば、便利さは人間関係を希薄にした。子どもを過保護にした。失敗を許容する寛容さを社会から遠ざけた。結果を瞬時に導き出すことを求め、深く広くじっくり考えることを排除した。自然環境の脅威を遠ざけ、環境適応能力を著しく低下させた。・・・・・・・・・・・・。便利さによって失った、これらの能力や体験が複合し、人は異変に対し鈍感になってしまったと私は考えるようになった。この鈍感化を一言で表わせば、「生物としての生命力が低下した」とでもなろうか。
 アフリカのサバンナ地帯で生まれた人類が未知の世界に広がっていった時のように、かつて経験したことのない未体験ゾーンに向かって今また人類は歩んでいる。繰り返せない歴史の海に漕ぎ出した。だから、常に異変に敏感でなければ、まともに生き抜くことはできない。
第84話 心の時間
2013年7月28日
 とにかく忙しい。一年でもっとも過酷で多忙を極める季節になった。この時期だけでも、もっと人手が欲しい。
 皆生農園では、50種類ほどの野菜を栽培し通年で直売している関係で、常に10種類以上の野菜を収穫している。とりわけ夏は、トマトや胡瓜、茄子やオクラなどの夏野菜が目いっぱい採れ、それらの収穫の合間をぬって秋冬野菜の作付けをこなさなければならない。キャベツ、ブロッコリー、人参、レタス、小松菜、ルッコラ、大根、蕪、ほうれん草などを次から次へと計画的に蒔いていく。これからの2ヵ月間は、寝苦しさと疲れからくる睡眠不足を克服し、朝の6時から夜までフルに働く毎日である。まさに体力勝負、気力勝負である。余談だが、今まで1名を除き、この過酷な季節にすべての研修生が体調を崩してしまった。それくらい過酷な季節である。
 ところで、朝から夜まで忙しく働いているためか、一日が本当に短く感じられる。そんな多忙な中でも、ほっと一息ついて過去に想いを馳せれば、毎日遊んでばかりいた幼い頃が目に浮かぶ。あの頃も、あっという間に一日が過ぎてしまった。学校から帰れば、ランドセルを放り投げ宿題などそっちのけで、外に飛び出して行った。日が暮れ、遊び疲れて家に帰ると、もう朝になっていた。
 そんな幼い頃の時の流れが思春期の頃からゆっくり進むようになった。将来への漠然とした不安と希望が同居し、能力の限界を感じつつも根拠のない可能性を信じていた。試行錯誤を何度も繰り返し、時を一歩一歩刻んでいた頃が人生でもっとも輝いていたような気がする。語り尽くせない程の、本当にいろいろな体験をした。いや、いろいろな体験をさせてもらった。今は亡き両親や兄姉たちはもとより、今となってはなかなか会えない友人たちや職場の上司の方々、そして社会にも、本当に感謝である。
 ところが50の頃から、人生の山を越え、幼い頃に逆戻りしていくように感じられる。その発端は更年期障害であった。女性だけのものではなく、男性にもあるらしい。私の場合、2年間も膝の痛みに悩まされ、仕事どころか、歩くこともままならない日々が続いた。農場は研修生に任せ、病院をはしごした。3か所目の整形外科の開業医が「薬や治療では根本的には治りません。自分で日々筋肉を鍛えるしかありません。」と言われてしまった。
 今から思えば、その儲け心のない医師からとても大事なことを教えてもらった気がする。人生の終わりに向かう生き方である。そして、そのような生き方を意識するようになってから、忙しさに追われ毎日があっという間に過ぎ去っていくのとは反対に、なぜか心の時間はゆっくりと流れ、何かにつけ思いは過去へ過去へと向かうようになった。その記憶の中の過去は、胎児を抱く子宮のように、老いる肉体をそっと包み込み、心の中に何か温かなものを灯し始めたような気がする。この心の中のほのぼのとした灯が消える時、たぶん、人生の終わりを迎えるのだろう。
 さてさて、あなたの心の時間はどんなふうに流れているのだろうか。心の中に灯は温かく燃えているだろうか。
第85話 耕すことの功罪
2013年8月4日
 昔は人力あるいは家畜の力を借りて、人は農地を営々と耕してきた。「農耕民族」とか、「人類は、農耕を始めたことにより、高度な文明を築いた。」などと言われるように、農業と耕すことは一体に語られる。今この辺の多くの畑でも、何も植えられず、きれいに耕してある。秋からほうれん草などの葉菜や大根などの根菜を作付けるためである。
 では、なぜ人は農地を耕すのか。自然界では、人が土を耕さなくても、必要な水があり気候条件が悪くなければ、豊かな植生が育まれる。にもかかわらず、人は耕す。
 そこで、今回は、耕すことの功罪、つまりプラス面とマイナス面を比較してみたい。
 プラス面として一般的に考えられていることがいくつかある。土を軟らかくする。その結果、種が蒔きやすくなり、排水性が良くなる。肥料を土の中に混ぜられる。草の悪影響を抑える。そして、草との関連で、害虫の発生を抑えることもできる。農家以外の方のために草と害虫の関連を補足すると、夏に草を生やしておくと草に大型害虫が発生するのである。土の中に幼虫や蛹(さなぎ)が残ると翌年まで被害が及ぶ。そんな事情で、冒頭でも述べたように、ほとんどの農家はトラクターできれいに耕し秋を待つ。秋に何も作付けない場合でも、ただ耕すだけの農家もいる。隣接する農地に悪影響が及ぶからである。
 さて、耕すことのマイナス面、つまり罪を挙げる。第一に、手間がかかる。第二に、機械が必要である。第三に、頻繁にトラクターで耕し続けると、地表から20cmくらい下に耕盤という硬い土の層ができ、水はけが悪くなる。農民であれば、誰でもこれくらいは知っている。しかし、これ以降は農家でも意識していない人が相当多いのではないだろうか。それは、耕すことによって土の中に酸素が大量に供給され、微生物が急激に増殖する。その際、微生物は土の中の有機物をむさぼり喰うので有機物が激減し、結果的に微生物が急速に減り、地力が低下してしまうのである。そして、病気が発生しやすくなる。第五に、裸地にすると、森を切り拓いて砂漠を造るようなもので、地域の気温がグンと高くなり、ミニ温暖化が起きる。
 そして、もう一つ重要なことがある。それは、ただ耕すだけで何も作付けないと、絶好の稼ぎ時を逃すことである。夏は、光合成に不可欠な太陽の光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、高い気温が光合成を促進するので、露地栽培でも野菜がどんどん採れる。ハウス栽培の果菜類(トマトや胡瓜などの実のなる野菜)がほとんど出回らないこの時期に、おいしく栄養豊富な果菜類がたくさん得られる。もちろん露地栽培のため、台風に代表される自然の脅威というリスクもあるが、自然の恵みをふんだんに頂けるのである。
 このように見てくると、トラクターという大型機械が普及した現代では、「農業とは耕すこと」と必ずしも言えない。私も機械を使って耕してはいるが、耕盤を作るトラクターはできるだけ使わず、使う場合でも必要悪という認識でいる。
第86話 敵は誰だ?
2013年8月11日
 私は、いわゆる「脱サラ」農民である。アフリカのソマリアにあった難民キャンプで働いていた時に食料生産の重要性を再認識し、今に至っている。
 経験や知識の乏しい駆け出しの頃、有機農業の手法をいろいろ教えてくださった方から、「俺たち農家の敵は誰だか知ってるか?」ときかれた。私は答えに窮してしまった。いろいろな答えが頭の中をめぐり回ったものの、明確に絞り込めなかったからである。そして、彼の口から出たことは予想もしなかった衝撃的な言葉であった。今でも鮮明に憶えている。「となり近所のじいさんやばあさんさ。近所付き合いはしてるけど、連中が俺たち専業農家の敵だぜ。連中はよ、年金や子どもたちの所得があるから、小遣い銭稼ぎに野菜を作ってる。だから、値段なんかどうだっていいのさ。連中の安い値段に引っ張られて値崩れするから、生活をかけて農業している俺たちは苦しくてしょうがない。」と。その時は、「きつい言い方だな。」と思ったが、「怒りと諦めがない交ぜになった彼の発言は、日本の農業事情を鋭く指摘している。」と後になって私もわかった。そして後々、私も彼の言葉を噛みしめることになった。
 もとより、誰しも敵は作りたくない。無用な争い事は起こしたくないし、精神衛生上も良くない。時には命を落とすことさえある。だから人類は、人間関係を大事にし、言葉を駆使し、争いごとの少ない社会を築こうと努力してきた。
 しかし残念ながら、なぜか人類は結果的に敵を生んでしまうような社会を築き、世界を巻き込む悲惨な戦争を二度も起こしてしまった。また、普通の人の回りにも、程度の差こそあれ、なぜか敵ができてしまう。望んでいないにもかかわらず、なぜか敵が現れる。あるいは、自分が相手を敵と認識してしまう。なぜなのだろうか。
 ジョン・レノンの「イマジン」に強く影響を受けた私はこの問題をずーっと昔から考えてきたが、すんなり納得できる答えが見つけられないまま、還暦を迎えてしまった。
 ところが今春、星野昌子さんの叙勲を祝う会に参加し、その答えを見つけられたような気がした。彼女は、難民救援などの活動を行なっていた日本国際ボランティアセンターという民間団体の事務局長を長く務めてこられ、私を今に導いて下さった恩人である。盛り上がっていた会場を彼女のスピーチが静寂に変え、参加者の記憶を30年以上も前に引き戻した。彼女は、勲章を頂いてもいいものか迷ったことから話し始めた。そして、「私は、男性中心の日本社会に嫌気がさし、海外青年協力隊の第1期生としてラオスに飛び出しました。その後、インドシナ難民の救援活動に携わってからというもの、私は権力とずっと闘ってきました。ここに今日もいらしておられる外務省の方々とも闘い続けてきました。本当に手ごわい相手でした。(笑)・・・・・・・・・・・・。しかし、この年になって気づいたのですが、最強の敵は自分でした。自分の中にいる敵でした。」
 その時、長く探してきた答えが見つけられ、私は深く合点した。
第87話 目先の善、将来の悪
2013年8月18日
 立秋の7日から今年2度目の夏が来て、毎日厳しい暑さが続いている。畑の土はパサパサである。お天気任せの露地栽培とはいっても、水をたくさん要求する胡瓜などは水不足で収穫量がかなり減ってしまった。また、これから秋にかけてブロッコリーやキャベツなどを植えるのだが、植えた直後に水をやらないと枯れてしまうことがある。枯れない場合でも、本当にかわいそうなくらい、ぐったり萎れる。
 ところで、文明の興亡を検証すると、農業と密接に関連していたと言われている。農作物、とりわけ穀物の豊かな実りが文明を生み支え発展させてきた。その豊穣が、社会にゆとりを生み、文化を育み、分業化社会を築き、そして軍備を増強した。いわば、現在のアメリカ合衆国のようなものである。そして、強大な社会を支えてきた農地が、長く酷使されてきた結果として、荒廃し砂漠化してしまった。私の知る限り、強大な文明国が衰退した原因は、多くの場合、農地の荒廃と密接に関連している。
 その農地の荒廃の主たる原因は水である。
 広く世界を見渡した時、日本のように豊かな実りを何千年も保証してきた地域は極めて少ないのである。日本の自給率が低いと問題視されているが、そもそも人口が多過ぎることが原因であり、耕作面積当たりの収穫量は極めて多い国なのである。その主食である米は、豊かな水と温暖な気候、そして営々と築いてきた水路によってもたらされている。つまり、日本の隅々まで行き届いている灌漑農業の賜物である。
 しかし、この灌漑農業が実はくせものである。灌漑とは、雨が少ない地域の農地に川や湖、地下などから水を人為的に供給する方法であるが、これを長く続けると農地が荒廃してしまうのである。いわゆる「塩害」が起きてしまい、農地が砂漠のようになり、何も作れなくなってしまう。この塩害による砂漠化は、強大な文明国が衰退した主な原因となっただけでなく、現在も世界中で起きている大きな問題なのである。中近東やアフリカ、中国、そして膨大な食料を生産しているアメリカ合衆国などでも起きている。世界規模で見れば、食料危機の最大の原因は塩害であると言われている。日本の水田も灌漑しているが、幸いにも、水の清らかさと灌漑システムの素晴らしさが塩害を生まない、きわめて特殊な例である。
 水は命の源である。農作物の収穫量を左右する重要なものである。しかし、無理やり水を外から供給する灌漑農業は、長い目で見て、とても危険なのである。そんな危険を知りつつも、枯れそうな野菜を見ると、やはり私も水をやってしまう。
 このように私たちは、つい目先の善に目を奪われるが、それを長く続けると将来は悪に変わることを灌漑農業は教えているような気がする。そんな視点で身の回りを改めて眺めてみると、実に多くのことが「目先の善、将来の悪」であることに気づく。例えば、日本の将来を危うくしている年金制度、国力にものをいわせて国土の隅々まで築き上げた各種のインフラ、そして天文学的な金額の国債や公債、原発から排出された未処理の放射の廃棄物、・・・・・・・。実にたくさんの「目先の善」がこれから「将来の悪」に変わりつつある。私たち中高年は、自分たちの勝手な都合で山積みにしてきた負の遺産を、その決定に関与せずその恩恵にもほとんど浴してこなかった若者たちに押しつけつつある。
第88話 
2013年8月25日
 あなたの大便は悪臭を放つだろうか? 大便をした後に紙で何度も尻を拭くだろうか? 人はなぜ大便を汚いと嫌うのだろうか? 食べ物の話しに夢中になることはあっても、大便の話題で盛り上がることは、まずない。とても不思議である。
 ところで、「人の糞も昔は大事な資源であった。」と言っても、今の若者は何のことやら想像できないかもしれない。私が幼い頃は、ごく普通に人の糞尿を畑にまいたり、堆肥の材料としていた。江戸時代には人糞がしっかりと売買されていた。町民が排泄した膨大な量の糞尿は、郊外の農村地で貴重な肥料として使われ、農産物として町民の食卓に戻ってきた。産業革命を興した欧米人でさえ、衛生的な江戸の町を見て驚嘆したという。江戸は、世界に冠たる大都市であったにもかかわらず、リサイクルが行き届き衛生的であったからである。
 ところが、現代ではどうであろうか。人糞がカネになるどころか、世界中で、その処理に膨大なカネとエネルギーをかけている。そして、ほとんどの人は、糞尿を汚い存在と思うだけで、他の視点から糞尿を見ることなどない。しかし私は、食べ物と同等に糞尿がとても気になってしょうがない。なぜなら、その状態で体調がわかるからである。特に大便は胃腸の状態を如実に語ってくれる。時には、その大便が命取りになることさえある。直腸ガンはその一例である。それくらい、糞の状態は重要である。
 また、外で糞をする猫を見れば、排便の重要さがよくわかる。猫は開けた場所で用をたす。特に畑が好きである。どこからも見えてしまう所でする。その最中に外敵から襲われた場合でも、即座に逃げられるようにとの警戒心からであろう。それくらい、猫は排便に神経を使っている。人間は、猫とはまったく逆で、人目をさけて鍵のかかる小部屋で用をたす。やはり、警戒心からである。
 農場でも、糞は重要である。農薬を使わないのでどうしても害虫が発生してしまうのだが、大型害虫はその糞で害虫の種類、大きさ、潜んでいる場所などがわかる。これから秋にかけては、野菜を食べた様子と糞をたよりに、害虫を一匹一匹探し当て手でつぶしていく。糞の処理をいい加減にした害虫が命を落とすことになる。
 さてさて、冒頭の臭い話しに戻ろう。もしアナタの大便が悪臭を放つようであれば、それは何らかの問題を示すサインと思った方がいいであろう。さらに紙で何度も大便を拭き取るようであれば、ほぼ間違いなく、不健康の兆候である。なぜなら本来、生物は糞をほとんど拭き取ったりしていないからである。医学の素人ながらその原因を想像してみると、人間の体に合っていない食べ物を食べているか、消化器内の微生物に問題があるか、生活が乱れているか、あるいは消化器系に病気があるか、・・・・・・・・・・・。
 いずれにしても、問題であると私は思っている。
 たかが糞、されど糞である。大便は消化器系の健康状態を示す非常に重要なバロメーターである。もちろん、尿も同じである。汚いと忌嫌わずに、ぜひとも親しみと愛着をもって眺めていただきたい。
 そして、できれば義務教育で、食べ物について教えるだけでなく、糞尿などの排泄物についても教えるべきではないだろうか。
第89話 農薬(1)
2013年9月1日
 「農薬は植物を病気や害虫から守り救う薬である。適切に使用すれば、人間に対する毒性は問題ない」というのが、製薬メーカーの言い分であろう。もちろん、農薬の生産と使用を規制している農林水産省も同様の見解を持っているはずある。
 しかし、農薬は本当に安全なのだろうか。
 まず、農薬の概要を述べよう。野菜に対して頻繁に使う農薬には、殺虫剤、殺ダニ剤、殺菌剤、除草剤、土壌燻蒸剤(どじょうくんじょうざい)などがある。5番目の土壌燻蒸剤は、土の中の害虫や病原菌を殺す目的で使われ、上空のオゾン層を破壊すると指摘されている物もある。ハウスで毎年同じ作物、例えばトマトや胡瓜などを栽培する農家は、ほとんどの場合、土壌燻蒸剤を使っている。これを土の中に注入することを土壌消毒というのだが、野菜にとって良好な微生物までも殺してしまうので、一度使うとなかなか止められなくなる。その点では、他の農薬も似たり寄ったりである。
 次に、毒性の強さで分類すると、普通物、劇物、毒物、特定毒物の順に毒性が強くなる。日本では、かつて多くの農民を殺した有機リン系の農薬に代表される毒性の強い物から、徐々に毒性の弱い物に切り替わってきた。現代では、微生物農薬という毒性の極めて弱い農薬があり、法律上、有機栽培でも使用できる。「有機農産物には農薬が使われていない。」という認識が消費者の中では一般的だが、この認識は正確ではない。
 三番目には、その残効性も知っておく必要がある。簡単に言えば、速やかに分解し毒性が薄れてしまう農薬と、なかなか分解せず農産物に長く残留し効果が持続する物とがある。農薬を散布する者にとっては、省力化と「農薬の使用回数を減らした」というイメージ・アップのために、長く残留する農薬を使いたい衝動にかられる。
 四番目は、農作物の中に農薬が浸透する問題である。大産地のキャベツや白菜、ブロッコリーなどには、ほぼ例外なく、浸透性殺虫剤が使用されていると私は推察している。この近辺の小規模農家でも使っているのをよく見かけるからである。この殺虫剤は、害虫に直接吹きかかけて殺すのではなく、土の中に農薬を混ぜて植物に吸わせ、それを食べた害虫を殺す農薬である。だから、いくら洗っても農薬は落とせないのである。また、ピーマンや枝豆などは実の中に害虫が入るため、内部に浸透する殺虫剤が使われることがある。
 五番目は、農薬を使用してから収穫するまでの期間の問題である。例えば、トマトや胡瓜、苺などの実を食べる野菜は、法律上、収穫の前日でも農薬をかけられる。極端に言えば、夜中の23時に農薬をかけ、1時間後の翌日の0時から収穫しても違法ではない。だから、苺狩りなどで洗わずに苺をガバガバ食べることなど、危険極まりないと私は思っている。どんなに分解が早い農薬でも、1日や2日で分解してしまうはずがないからである。
 最後に、農薬の長期的な影響と母子感染を指摘したい。特に私が気にしているのは母親から子どもへの移行がある。胎盤を通して妊婦から胎児へ農薬成分が移行する可能性と母乳を介して乳児へ移行する可能性である。何を食べるかは母親の自由なのかもしれないが、摂取する物を選べない胎児や乳児は本当にかわいそうである。
第90話 農薬(2)
2013年9月8日
 5月から10月までの半年間、関東地方では農薬が大活躍する。露地栽培の場合、梅雨入り前までは主に殺虫剤や殺ダニ剤が、梅雨の時期はジメジメするので主に殺菌剤が、そして梅雨明け後はまた殺虫剤や殺ダニ剤が頻繁に散布される。除草剤は、冬場を除き、通年で使われている。ハウス栽培では、上述の農薬すべてが一年中不可欠である。
 ところで、玉子の黄身は黄色い。では、どうして黄色になるか、皆さんは疑問に思ったことはないだろうか。以前、その答えを知り合いの養鶏農家から聞いたことがある。第80話「餌を喰う」の中で紹介した方である。彼は、各種の餌を独自に配合して鶏に与えているが、その中にイタリアから輸入した赤いパプリカの粉を混ぜていた。理由を尋ねたら、黄身を赤色に近い色にするためだと教えてくれた。さらに驚いたことに、「与える餌によって、黄身の色は自由自在に変えられる。」ということを彼は平然と語った。
 その後、NHKのラジオで同じような話しを聴いた。確か小児科の医師だったと記憶しているのだが、「母乳は汗と同じようなもので、母親の食べ物によって、母乳の成分が変化します。にんにくを食べると、にんにく臭い母乳が出ます。」と語った。その時すでに我が子は大きくなっていたので、そのことを妻の母乳で確かめられなかったが、私はその方の言ったことを納得している。  香取直孝さんという友人がいる。彼は、かつて「無辜なる海 1982・水俣」という水俣病の記録映画を製作した映画監督で、松戸市で長く自然食品店を営んでこられた方である。その水俣病は、有機水銀に汚染された魚を食べた人々に重い障害を負わせただけでなく、死者も出してしまった公害病である。現在、国は10万人もの被害者を認定している。そして、私が強い衝撃を受けたのは、有機水銀に汚染された魚を母親が食べたため、有機水銀が胎盤を通して胎児に移行し、赤子までも生まれながらにして重篤な障害を負ってしまったことである。
 これらの事実からだけでも、農薬は少なくても胎児や乳児には危険な物質であると私は思っている。さらに広く見れば、農薬に限らず医薬品も含めて、人間が工業的に生み出した化合物の中にも極めて危険な物質があるのは紛れもない事実である。
 さらに、こんな事実もある。耕地面積当たりの農薬の使用量が世界でもっとも多いのは日本である。中国が日本に迫る勢いで農薬の使用量を増やしているので、現在は中国の方が多いかもしれないが、いずれにしても日本の面積当たりの農薬使用量は非常に多い。
 それでも、「日本は世界に冠たる長寿国家である。農薬に健康上の問題があるなら、こんなに長寿のはずがない。」という意見も聞いたことがある。私には、このような意見は論理の飛躍、あるいは論理のすり替えに聞こえてならない。長寿の主たる理由は他にあるような気がする。
 かつて難民キャンプで働き、ストレスと食事の貧弱さによってげっそり痩せて帰国した時、日本の食べ物の豊かさに改めて驚嘆させられた。その後、有機農業を始め、相変わらず豊かに見える日本人の食を見つめ直すと、「いったい、何が豊かなのか?」と懐疑的になってしまった。大量の農薬を使わなければ得られない食の豊かさが本当の豊かさなのだろうか。
第91話 農薬(3)
2013年9月15日
 政府は、農薬の使用基準を守れば安全であると指導している。もちろん、農薬メーカーは安全性を力説する。しかし私は、小さい頃から身近なところで農薬の被害を何度も目のあたりにしてきたため、農薬の毒性がとても気になる。
 私が小学生の時、隣りの主人が農薬を散布中に吸い込んだため、両目が引きつり、口から泡を吹き、生死の境で苦しんだ。幸い、一命をとりとめ、後遺症もなかったようだが、その枕元で目撃した光景は今でも目に焼きついている。
 また、娘が小学生の頃、近所の農家からトウモロコシを頂いた。それを食べた直後、娘の全身に発疹が現われてしまった。私の畑で採れたものでは一度もそんなことは起きなかったので、農薬を強く疑った。後に、こんな光景を目にした。ある農家がトウモロコシの実の先端に殺虫剤をそのまま振りかけていた。一般的に殺虫剤は、水で1000倍以上薄め、霧状にして作物にかけるのだが、それを薄めずに実に直接かけ、実についた害虫を皆殺しにしていたのである。完璧な殺虫方法ではあるが、こんなことが生産現場では行なわれていることに私は驚愕してしまった。
 さらに私の兄は、還暦を前にして肺を患い、半年の闘病後、亡くなった。その苦しい表情は、幼い頃に見た隣りの主人の表情と重なって見えた。兄は胡瓜のハウス栽培と米麦栽培で生計を立てていたが、たぶん農薬と籾のイガの吸い過ぎと私は思っている。
 ところで、福島の原発事故をきっかけに、農薬を使っていない農産物を食べたいと願う消費者が増えたようである。しかし、その方たちの願望をあまねく満たすのは、ほとんど不可能である。日本をはじめ、世界中で農薬依存の農業が主流となっているからである。ひとたび農薬の魔力に取りつかれ人々がその魔力から抜け出すことは至難の業である。
 社会を冷静に見た時、もし農薬の使用を減らせば、日本人も含め世界中の低所得者は飢餓に陥る可能性が極めて高い。だから私は、農薬を適切に使う農家を否定してはいない。私も、就農して20数年たつが、たぶん20回くらいは使ったであろう。就農間もない頃、秋にはタアサイを手広く作付けのだが、農薬以外の方法で害虫の産卵を予防したものの不完全で、1回は殺虫剤を使わざるをえなかった。その後、ハウスを建てピーマンを作付けた時、アブラ虫が大量に発生し、洗剤や牛乳を薄めた液をかけただけでは根絶できず、仕方なく殺虫剤をかけた。その絶大な効果に私は驚嘆した。その数年後、ハウス内でアブラ虫が発生しても、天敵を入れれば、いとも簡単に根絶できることを体験し、私は農薬の魔力から脱することができた。
 最後に、お世話になった農家の方が言われたことを紹介したい。「あんた、農薬を使わないそうだね。俺は使うよ。だって、使わなきゃ、野菜が死んじゃうよ。あんただって、病気をすれば薬を飲むだろう。薬だって毒を薄めたもんだぜ。農薬と同じだよ。」と。農薬の毒性を疑っている私が農薬の存在を否定しない、もう一つの理由がこれである。
 結局、農薬の問題を突きつめていくと、医療用の薬の問題とまったく同じであることに気づかされるのである。人工的な化学物質に溢れかえっている現代において、農薬の問題はその一端なのである。
第92話 農薬(4)
2013年9月22日
 今さら私が指摘するまでもなく、農産物の品種改良と生産技術の向上、とりわけ、農薬と化学肥料の普及が人類の今を支えている。膨張し続けてきた人類のほとんどを飢えから救ってきたことも紛れもない事実であるが、その裏側で人類は重大な過ちを犯してきたような気がする。
 これまで3回にわたり、農薬が健康に与える悪影響を述べてきたが、今回は違った側面から農薬の問題を2つ言及したい。
 まずはじめは、環境への悪影響である。農薬が普及してから、水田や小川、沼などに生息していた魚やカエル、ザリガニなどの小動物がめっきり減り、それらを食べていたサギなどの野鳥もほとんど見かけなくなった。魚を釣る楽しみが子どもたちから奪われ、トンボの群れもなかなか見られなくなった。どこにでもウヨウヨいたミミズも農薬の犠牲者であろう。畑に生える草の種類も減っている。除草剤の影響かもしれない。土の中の微生物も、絶滅危惧種として騒がれることもなく、すでに激減したかもしれない。
 人類は、その知的能力と生殖能力を駆使し、堅牢な家族や機能的な社会を築き、爆発的に増えてきた。その過程で、巨大なマンモスから肉眼では見えない生物にいたるまで、実に多くの種を葬ってきた。その行為が加速したのは化学工業の発展からである。なかでも、農薬の悪影響は大きい。
 もう一つはメンタルな影響である。10年ほど前、就農を希望し何軒かの農家で研修を重ねてきた方が私の所を訪ねてきた。いろいろ話すうちに、「生意気なことを言うようですが、農家の方って、あまり深く考えていないような印象を持ちました。作業の意図や理由をおききしても、はっきり言って頂けないことが多かったもんですから。」と言われた。初対面にもかかわらず、本当に失礼な物言いである。しかし残念ながら、我が身を省みれば、あながち否定もできなかった。
 どうして農民はそんなふうに思われてしまうのか、その後いろいろ考てくると、思い当たることが3つ浮かんだ。まず、日本では農家のほとんどが世襲であるため、せちがらい世間の荒波にもまれる機会の少ない農民が圧倒的多数であること。次に、身分や給与の保障された公的機関やJAなどの職員が技術を指導してきたため、採算性や現実的な対応が甘くなり、あわせて農業技術が単純化、画一化してしまったこと。
 そして、もっとも重大なことは農薬と化学肥料が普及したことである。少し誇張して言えば、農薬や化学肥料を使い慣れると、あれこれ広く深く考えなくても、農産物ができてしまうのである。人は、その本性として、物事を単純化し習慣化し、いちいち考えなくても行動や作業をスムーズにこなそうとする。その本性に農薬や化学肥料はぴったり合致してしまったのである。
 このように、農薬の普及は、人類も含めた無数の生物に「取り返しのつかないダメージ」を与え、「思考の後退」も招いてしまった。もちろん、「思考の後退」を招いた原因は農薬や化学肥料だけではない。テレビ、教育の制度と内容、分業化され単純化された生産現場とマニュアル化、パソコンの出現と社会のネットワーク化、・・・・・・・・。人類の進んだ頭脳が生みだしたものが、皮肉にも、逆に人類の「思考の後退」を招いてしまったのである。
第93話 害虫対策(3)
2013年9月29日
 ハウス栽培と露地栽培とでは害虫の種類と発生時期が異なるが、露地栽培の方が害虫の被害を受けやすい。それらの中でも、特に私が厄介と思っているのは、厄介な順にネコブ線虫、ネキリ虫、カメ虫、タバコ蛾、アブラ虫、ハスモンヨトウ虫で、私が現在とっている対策、あるいは以前行なっていた対策を以下に述べる。
 今に至るまで、もっとも厄介な害虫はネコブ線虫である。ネコブ線虫にも好みがあり、サツマネコブ線虫では、オクラ、ツルムラサキ、キュウリ、ナスなどを特に好む。ひとたび増やしてしまったら、作物を栽培し続ける限り土の中で生き続けるようで、根絶させるのはほぼ無理である。作物への悪影響を最小限に抑えつつ、付き合っていくしかない。例えば、被害の出にくい寒い時期に栽培するか、被害を受けにくい作物を栽培する。また、ネコブ線虫を減らす方法もあり、私が試した中で簡単かつ有効なものは以下の4つであった。
 一つ目に、線虫を激減させる植物を栽培する方法で、イネ科、キク科、マメ科のものが一般的である。なかでも、マメ科のクロタラリアが、効果と扱いやすさの点などを総合的に見て、もっとも優れていたと私は評価している。
 二つ目は、土の中に米糠を大量に混ぜ、水びたしにし、ビニールで表面を覆い、一定期間そのまま放置する方法である。ハウス内で夏場よく行なわれる方法である。露地栽培の場合では、冬に米糠を直接畑に混ぜ込み、そのまま梅雨入り頃まで何も作付けなければ、線虫をかなり抑えられる。この休耕期間に、草を生やしてはいけない。草の種類によっては、線虫を増やすからである。
 三つ目は、ネコブ線虫を食べる生物を増やす方法で、堆肥はその一例である。
 四つ目には、土の中に界面活性作用のあるものを入れる方法である。身近な界面活性剤は洗剤である。かつて、ある研究所の勧めで椿油粕を土の中に混ぜ水浸しにしたところ、効果が見られた。研究所の方によると、サポニンが効果を発揮するようである。
 さて次に、ネキリ虫の対策である。基本は、産卵時期にネキリ虫が好む草を生やさないようにし、軟弱な作物には防虫ネットを必ず張ることである。それでも発生させてしまったら、日中は食害した作物の株元に潜んでいるので、一匹一匹手で補殺するしかない。これを怠ると、次から次へと喰われてしまう。あるいは、天敵であるモグラに活躍してもらう手もある。ただし、モグラは作物に悪影響を及ぼすこともあるので、その活用は注意深く行なう。
 三番目のカメ虫は、いろいろな作物に被害を及ぼし、農薬もあまり効かない厄介な害虫である。昨年は、なぜかカメ虫が大量に飛来し、露地栽培のミニトマトが最盛期の8月初めにほぼ全滅してしまった。防虫ネットを使えば完璧に防げるのだが、露地栽培の場合、上述のミニトマトのように防虫ネットを使用しにくい作物では被害が出てしまう。かつて、にんにくと唐辛子などを木酢液に漬け込み、その抽出液を水で薄め、洗剤を混ぜてカメ虫にかけかたことがある。カメ虫は仮死状態になり、ある程度の忌避効果もあったが、長続きしなかった。今では、カメ虫の被害にあいやすい作物はカメ虫の発生しにくい農場で栽培している。
 続きは次回に述べる。
第94話 害虫対策(4)
2013年10月6日
 前回の続きである。
 四番目のタバコ蛾はピーマンやトマトなどに寄生する。防虫ネットで野菜をおおえば、被害は出にくいが、それが困難な場合は発見した時に手で一匹一匹つぶすしかない。なかなか厄介である。
 五番目のアブラ虫の対策は、第66話と第75話でも述べたように、アブラ虫が好む草を農地とその周辺に生やさないように草対策をきちんと行ない、天敵と防虫ネットを活用すれば、ほぼ完璧に抑えられる。天敵としては、テントウ虫、カゲロウ、蜂が有効である。特に強力な天敵はコレマンアブラ蜂である。これは商品化されていて、最小単位が7000円程度で購入できる。それでも解決しない時は、洗剤の希釈液を使うと、手間はかかるが、アブラ虫の被害は問題にならない。
 六番目のハスモンヨトウ虫は、かつては非常に厄介な害虫であった。研修生たちとその幼虫を一気に何千匹も手でつぶしたことが何度もあった。ある若い研修生は「やりたくない。」と作業を放棄したこともある。幼虫のうちに補殺できず土の中で蛹(さなぎ)になってしまったものは、手や熊手で土を薄く削って補殺することも常であった。それでも土の中に残ってしまった時は、嗅覚の鋭い愛犬に蛹を探してもらい、徹底的に補殺したこともある。
 それが今や、フェロモン・トラップを導入したため、まったく問題にならない。雌の出すフェロモンと同じ効果のあるゴムを産卵時期に畑の中に吊るしておくだけである。その臭いに誘われて雄がウヨウヨ集まり罠に落ちるため、雌が交尾できないのである。設置1年目はトラップ容器がほとんど一杯になった。たぶん千匹くらいは捕れたであろう。そのゴム製の臭いの素は1つ1000円で買える。かつての苦労を知る身としては、1000円は桁違いの安さである。
 トラップを設置してから3年目の今年は、写真のようにハスモンヨトウ虫の飛来がかなり減った。トラップと天敵の活躍によって、ハスモンヨトウ虫による被害はほとんど問題にならなくなった。天敵の中では、アマガエルがもっとも有効なようである。彼らが農場で増えるよう、私は春から初夏にかけ農場の片隅に水溜りを作っておく。
 最後に余談だが、農薬を使わなくても農業で喰っていけると私が確信したのは、アブラ虫をほぼ完璧に抑える方法にたどり着き、ハスモンヨトウ虫を見事に捕獲するフェロモン・トラップに出逢ったからである。
第95話 桃源郷
2013年10月13日
 私は田舎の農村で生まれ育った。どの家の屋敷にもいろいろな果樹が植えられ、ほぼ一年中どこかに果物がなっていたていた。それは、まるで村全体が桃源郷のようであった。現代のように甘いお菓子やケーキがあるはずもない田舎では、四季折々の果物が子どもたちの貴重なおやつでもあった。数ある果物の中でも、私は特に柿が大好きで、今でも一年中食べたいくらいである。日本で昔から自生している果物の中では、あの自然な甘みと豊富な栄養を含む柿は最高である。
 その柿の木が借りている農地の片隅に何本もあり、今年も赤く実った。とろっと甘く熟した柿を農作業の合間に頂くと、血糖値が上がるためか元気になり、贅沢な気分にもなる。鳥や虫たちも大好物で、彼らと競って食べている。
 余談になるが、「柿が赤くなれば、医者が青くなる。」という諺がある。今の若者は聞いたことがないかもしれないが、「柿が実る秋は、気候が良くなり、またビタミンを豊富に含む果物がたくさん採れるため、病気になりにくくなる。そこで、医者に診てもらう人が減る。」というような意味である。
 ところで、還暦を過ぎた私だが、元気なうちに是非とも着手したい事業がある。それは、公園や道路沿い、公共施設の周囲、買い手のつかない競売地や相続税を払えないために物納された未利用地などの公有地、さらに長年放棄されてきた農地などに果樹の森を作ることである。市民と行政機関と企業とが一体となって、日本中を果樹の森にしたい。人も動物も四季折々の果物を自由に食べられる森。いわば、「桃源郷」である。「エデンの園」である。
 こんな途方もない事業を夢想し始めたのは今から20年ほど前である。きっかけは、南房総に一家で旅行した時、高速道路の路側帯に延々と続く照葉樹林を見たことである。それは、横浜国立大の宮脇昭教授が中心となり植林されものだが、とても人工林とは思えないほど鬱蒼とした森になっていた。
 車窓を通り過ぎていく森を見ながら、「この森に果樹が植えられていれば、その実を求めてもっと多くの動物が集まり、いっそう豊かな森になるだろうな。」と思った。そして、この思いが始まりであった。
 その後、仕事の関係で船橋市から白井市に転居して、私は非常に驚いた。「もったいない。」と思った。北総鉄道の両脇に幅が100m近くもありそうな草地が延々と続く景観を目にした時である。「農地が狭く食料自給率が下がる一方の日本で、猫の額ほどの宅地のために何千万円もの大金を必要とする日本で、どうして広大な土地が草ぼうぼうになっているのだろうか。莫大な税金をつぎ込み造成した土地が、何十年も有効利用されないまま、税金を使って草刈り業者を養っているだけではないか。どうせ税金を毎年使うなら、延々と続く広大な荒れ地に果樹の森でも作れば良いじゃないか。」と思ったのである。市民の憩いの場になるだけでなく、四季折々に実る果物を誰でも自由に食べられ、無数の生き物が棲息する場ともなる。時には、スポーツ大会や祭りなどのイベント会場として使っても良い。そうなれば、土地の価値は飛躍的に向上する。
 そもそも、公有地は国や自治体のものではない。国民の、市民の財産である。それが草刈り業者の仕事場だけになっているのは、実に嘆かわしい。無為無策の極みである。
第96話 失敗を繰り返す
2013年10月20日
 毎年この時期になると、来年の販売計画を立て、それにもとづき栽培計画を練り始める。そして、その前段として、前年の冬から今に至るまでの1年を振り返り、栽培などで失敗したことを箇条書きにする。細かなものまで入れると、20項目以上にもなってしまう。
 かつて、非常に有能な研修生にその箇条書きを見せ、他に何かないか書いてもらったことがある。彼が独立後に私と同じような失敗を繰り返さないようにとの意図からである。数日後、彼は5、6項目もの失敗を書き加えてきた。毎日そばで一緒に働いている者は、私に何も言わないが、実にしっかり私の失敗を見ているものである。とても感心した。その一件以来、指導者の失敗をしっかり認識する観察眼を持っていないと、独立しても営農し続けられないと思うようになった。「人の振り見て、我が振り直せ」という諺どおりである。
 ところで、私は物忘れが激しい。50歳を過ぎた頃から記憶力も衰える一方である。そこで以前はメモをとっていたのだが、今ではメモをとったことさえ忘れるようになり、栽培記録以外のメモはほとんどとらなくなった。そんな訳で、けっして悪気はないのだが、周りの人によく迷惑をかけ、失敗も繰り返してしまうのである。
 10年以上も前になるが、長く企業で活躍してこられた機械エンジニアの方が、定年退職を機に念願の農民になろうと、私の所で研修し始めた。ある時、彼から「あなたは朝令暮改ですね。」と指摘されてしまった。苦笑いする私に、「けっして非難している訳ではありません。良い意味ですから。」と付け加えられた。朝言った作業の段取りを、天気などの状況の変化によって、よく途中で変更したためであった。しかし中には、物忘れが原因で変更したことも少なからずあった。
 また、私のところで研修し独立した青年から激しく叱責されてしまったこともある。「あなたは物忘れが激し過ぎる。脳に異常があるかもしれないから、病院で検査した方が良い。病院を調べてきたので、ここにぜひ行った方が良いですよ。」と紅潮した顔で真剣に訴えられた。情けないことに、返す言葉が見つからなかった。
 それ以来、「どうして自分は物忘れが激しいのだろうか。」と自己分析を繰り返した。よくよく内面を見つめると、物忘れがもとで他人に迷惑をかけたり失敗した時、その時はそれなりに反省するのだが、その反省を深く心に刻み込まない性格であることに気づいた。必然的に、物忘れは改善されない。迷惑をかけ、失敗を繰り返すことになる。
 そしてさらに、「なぜ反省を深く心に刻み込まないのか。」と思索したところ、2つのことに思い当った。一つは、「失敗しても、命にかかわることでなければ、まあいいや。」と思う習性。もう一つは、「失敗を忘れることでストレスを蓄積しないよう、私の脳が自己防衛しているのではないか。」ということである。どちらも、都合の良い自己弁護のようだが、どうもそのようである。
 こんな訳で、還暦を過ぎたというのに、私は失敗を繰り返してしまう。たぶん、死ぬまで失敗の連続かもしれない。浪曲に「馬鹿は死ななきゃ治らない。」という有名な文句があるが、残念ながら、私の場合はそのとおりになりそうである。
第97話 豊作貧乏
2013年10月27日
 実りの秋、食欲の秋を迎えた。暑くなく寒くもなく、良い季節だ。この頃になると、種まきや定植がほぼ終わり、収穫の日々が続く。それまでの苦労が報われる気がする。
 しかしその一方で、秋には厳しい現実もある。豊作貧乏である。私は、豊作貧乏になると、「人の命を支える職業が何故こんな憂き目にあうのだろうか。」と重い気持になる。
 思い起こせば、今から40年以上も前のことになるが、大学の教養課程の授業で「経済には市場原理があり、物やサービスの価格は需要と供給のバランスで決まる。」と教わった。野菜も例外ではなく、市場原理が働き豊作の場合は価格が暴落する。虚しい気持になるが、仕方がないのかもしれない。
 ところが、社会を広く眺めると、必ずしも需要と供給のバランスだけで価格が決まっていない産業分野に気づく。例えば、医療産業には市場原理がほとんど働いていないようである。農産物では品質に応じて値段が決まるが、名医に診察してもらっても未熟な医者に診てもらっても、基本的に医療費は同じである。また、「この季節は患者さまが少ないため、医療費を値引きいたします。」という病院は皆無である。そんな値引きをすれば、医師会から除籍されたり、国からは違法行為と厳しく責められるだろう。
 今さら言うまでもないが、医療と同じように、食料も人の命を支えている。その食料生産の中核である農業や漁業に市場原理が働くように、医療産業にも働いて不思議ではない。しかし、なぜか働かない。
 別の角度からこの問題を眺めてみたい。「自由主義経済においては、物やサービスの価値はすべて相対的である。」ということが原則である。つまり、物やサービスなどの価値は、需要と供給のバランスはもちろん、時代や諸種の状況によって、あるいは民族や個人の価値観によって、一定ではない。価値が相対的に変わるので、当然、価値に連動して値段も変動するのである。医療サービスの価値も相対的であるので、市場原理により医療費も変動すべきであると私は思っている。論理的に間違っているだろうか。
 しかし、現実はまったく違う。この理由をいくら考えても、論理的な理由が私には見つからなかった。それは非論理的な領域にあると思うしかない。感情とか、欲望などの精神的な領域である。ある日、「苦しい時の神頼み」という諺が頭に浮び、その理由に思い当った。たぶん、「人は、病気や怪我で苦しい時、医療機関の世話になる。命にかかわる場合は、医師が神のように思えることがあるのだろう。だから、神が相対的ではないように、医師や医療サービスも相対的価値を問われない。当然、市場原理は働かない。」ということであろう。「看護師が天使に見えた。」などと言う患者が少なからずいることも、こう考えると、うなずける。
 最後に、とても重要な歴史的事実に目を向けよう。人類は食料危機が原因で争いや戦争を絶えず繰り返してきた。日本が満州に侵攻した主たる理由でもある。また、第二次世界大戦後、かつて敵同士で殺し合ったヨーロッパの国々が統合に向かって歩み始めた第一歩は食料問題の解決であった。しかし、人類は医療危機を理由に戦争を起こしたことがあるだろうか。私の知る限り、一度もない。
 結局、ひたひたと忍び寄る食料危機に対しては鈍感なために、いざ危機が表面化するとパニックに陥るのである。そして、日本人はその傾向が強いように私は思う。
第98話 農民の仕事
2013年11月3日
 「農民の仕事は何ですか?」と問われて、皆さんは何と答えるだろうか。「農産物を作ること。」という答えが、多分、一番多いであろう。「農地を宅地に変えて販売し、巨額の不労所得を得ること。」と答える人も少なからずおられるだろう。あるいは、農業政策に批判的な人の中には、「働かないで補助金をもらうこと。」と言う人もおられるだろう。米余りの対策として、水田の作つけ面積を抑えるようと国が長く続けてきた減反政策を皮肉る言葉である。農家でない人がこんな批判を口にするようであれば、相当な農業通である。しかし、こんな批判を言える都市住民は、残念ながら、ごく少数であろう。このことも、日本の食料自給率が上がらない原因の一つかもしれない。
 さて、ここからが本題である。「農民の仕事は農産物を作ること。」と言ってしまえば、それまでだが、もっと根本的なことに目を向けたい。
 まず、「農民の仕事は農産物を作ること。」というフレーズに私は昔から違和感を覚えてきた。かつて就農にあたって大変お世話になった出荷組合では、出荷する野菜の袋一つひとつに生産者からの短いメッセージを添えていた。その見出しに「私が作った・・・・です。」という野菜の紹介があったのだが、私は疑問を抱きながら書いたものだ。便宜上そう表現したのかもしれないが、そもそも人間に野菜は作れないのである。トマトはトマトの木が作るのであり、トマトもトマトの木も空気と太陽と土などの自然の恵みを頂いて育つのである。農民はその生育過程でちょっと手を貸すくらいであると私は思っている。
 その手の貸し方に多くのバリュエーションがあるだけなのである。例えば、農薬を使わないとか使うとか、露地で旬の時期に栽培するとかハウスの中で季節外れに栽培するとか、おいしさを追求するとか気にしないとか、有機肥料のみで栽培するとか化学肥料のみで栽培するとか、あるいは化学肥料と有機肥料の両方を使うとか、堆肥を使うとか使わないとか、機械をあまり使わないとかフルに使うとか。さらに販売まで考えると、農場の近くで販売するとか遠く離れた所まで輸送して販売するとか、消費者との関係を大事にするとかしないとか、とにかく多くのバリュエーションがある。
 さらに、このような手の貸し方で、私がもっとも心がけているのは、「作付けした野菜がその生命力や可能性を最大限に発揮できるように、手助けすること。」である。実際それくらいしか私にはできない。研修生にもまったく同じ気持ちで接している。
 最後に、左の写真を見ていただきたい。7月上旬から10月下旬まで収穫できたオクラである。生育環境が良いと、オクラはその可能性をフルに発揮し、次から次にたくさん採れる。11月の霜が降りる頃まで採れるのだが、実の位置が高くて収穫できなくなるため10月下旬には引き抜く。たくましく育ち健康的な根がしっかり張っているので、シャベルを使い2人で汗をかきながらの作業になる。
第99話 人体実験
2013年11月10日
 かつてイギリスに、エドワード・ジェンナーという医師がいた。天然痘の予防のために、牛からとったワクチンを使用人の息子に接種して、その効果を試した人である。もちろん現代では、動物実験の前に人間で試すことなど法的に許されるはずもない。そんな命がけの人体実験を敢行するには、相当な確信と勇気が要る。まして現代のような医療設備と技術がない時代である。人の健康と幸福を願う熱意がなければ、到底できないことである。
 ところで私も、ジェンナーの足元にも及ばないが、何でも試してみないと気が済まない性格のため、実験が大好きである。大学では、記憶力が劣りノートをとるのも苦手であったため講義には眠気を誘われたものの、実験は嬉々として取り組んだ。就職した会社では運良く設計部門に配属され、電子回路の実験に明け暮れた。結果が予想や期待に反していると、「なぜだ?」と探求心がくすぐられ、徹夜もまったく苦にならなかった。
 そして、農業に身を投じてからも、他人と同じことをするのが嫌いな性格も手伝って、とにかく多くの実験を繰り返してきた。しかし、専門知識の不足から、そのほとんどは失敗に終わった。納得のいく結果は1割にも満たないだろう。
 有機農業に転換し始めた頃、息の長い実験に取り組もうと決意した。たぶん、最後で最長のライフ・ワークになるかもしれない。それは、自分の信じている健康的な生活を実践し続けた時に、はたして何歳まで元気に動けているか、我が身をもって知る実験である。いわば、人間の潜在的な生命力と寿命を知る人体実験である。具体的に日々実践していることは別の機会に書く予定である。
 幸い今までのところ、実験はほぼ順調に推移してきた。花粉症の他には、日常生活に支障をきたすような持病がない。還暦を過ぎた今でも、虫歯は1本もなく、すべて自前の歯である。また、免疫力もかなり高く、インフルエンザに罹っても、まず発病しない。仮に発病しても、薬を飲まず二、三日寝ていれば、回復してしまう。
 しかし、今までは順調でも、この人体実験も納得のいく結果が得られないかもしれない。そんな不安がときどき脳裏をよぎる。何しろ、一寸先は闇である。自分の体であっても、自分の努力だけではどうにもならないことが余りにも多い。仕事柄、車を毎日運転しているので、交通事故を起こすかもしれない。健康診断をほとんど受けていないので、もしガンにでもなれば、手遅れになる恐れがある。あるいは自然災害や紛争に巻き込まれない保証は何もない。予期せぬことが我が身に降り注げば、実験はそれで頓挫してしまう。
 つまるところ、ほとんどの人にとって人生は、どんなに努力しても、どんなに苦闘してもあがいても、満足な結果など得られずに終わる一回限りの実験なのかもしれない。
第100話 サラリーマン農業は可能か
2013年11月17日
 サラリーマンから農業に身を投じた人を「脱サラ農民」という。私もその一人であるが、世襲した農民と比べ、多くの障壁を越えなければならない。もっとも代表的な障壁は農地の入手である。市町村から農家と認められていない者が農地の購入や賃貸を希望しても、制度的に難しい。他にも障壁が数々ある。施設や機械などの初期投資がばかにならない。本格的に農業を始めるなら、1000万円くらいは用意しておかなければ、非常にきつい。販路も基本的に自分で開拓しなければならない。大方のサラリーマンが経験しないような障壁に何度も進路を阻まれる。自営を始める者の宿命かもしれない。
 さて、戦後の高度経済成長のあおりを受け、都市が肥大化する一方で、農村は疲弊してしまった。その原因はいくつもあるが、その一つが組織力であると私は思っている。農家は、運命共同体としての家族で自営し、基本的に家族以外の者を雇用してこなかった。だから、サラリーマンと比べて組織を運営する必要性と機会が少なく、組織力がほとんど蓄積されてこなかった。くわえて、農家の兼業化にともない、村内の自治活動や相互協力も減っていき、村全体としての組織力も衰退してきた。農村の過疎化に拍車がかかると、組織力の衰退どころか、家族や農村そのものの崩壊が進み、ほとんどの農民は組織力と資金力の豊富なサラリーマン社会に呑み込まれてしまった。
 そしてついに、農政の規制緩和を受けて、5、6年前からサラリーマン社会が農業に参入し始めている。その強力な組織力と豊富な資金力を背景に、スーパーやコンビニ・チェーン、外食産業などの食品関係の会社から、まったく農業と関係ない異業種の会社まで、さまざまな企業が農業に参入してきた。
 しかし、組織力と資金力が潤沢にある企業でも、従業員をサラリーマンとして雇い、はたして農業部門だけで純益を出しているのだろうか。はたしてサラリーマン農業が日本農業の一角を占めるまでに成長できるのだろうか。
 現時点での私の結論は、「今までのような社会状況が続く限り、ほぼ不可能。」である。もちろん、今でもサラリーマン農業で経営が成り立っている会社はあるが、日本農業の総生産額と比べたら、四捨五入すればゼロになるほど微々たる生産額である。
 では、なぜ日本ではサラリーマン農業が困難なのか、思い当たる問題を三つ挙げる。まず、日本の農地に問題がある。北海道や一部の水田地帯を除けば、一枚の農地が非常に狭く、利用効率がきわめて悪い。加えて、いたる所に耕作放棄地があり、営農している農民にとっては百害あって一利なしである。二つ目の問題は、天候などの自然環境の悪影響を頻繁に受けることである。台風でも接近すれば、その対策のために休日など返上し、暴風雨の中で非生産的な仕事を黙々とこなさなければならない。また、自然災害による被害を補償する保険など実質的にはない。週休二日と労働保険に守られてきたサラリーマンが農業のこんな過酷な労働条件に耐えられるだろうか。そして、三つ目の問題は農産物の利益率が非常に低いことである。例えば、キャベツや大根、白菜などの大型野菜が値崩れすると、中身の野菜の値段よりも、それを入れる段ボールと輸送の費用の方が高くなり、出荷すればするほど赤字になるのである。人件費を稼ぐどころではなくなる。
 それでも、家族営農を続けている既存の農家だけではなく、サラリーマン農民を雇っても経営が成り立つような会社が増えないと、日本の食料自給率は向上しない。
第101話 農村と都市
2013年11月24日
 いつの世も人類は、集団や社会を形成し、助け合い、力を合わせて生き延びてきた。
 しかしその一方で、武力や経済力、習慣や制度、法律や宗教、権威や権限などを駆使し、他者を搾取してきた。なぜなら、搾取すること、奪うことは生きることの本質に関わることだからである。誰しも自分の胸に手を当ててみれば、わかるはずである。歴史をさかのぼれば、農耕文化が芽生えた頃から都市が農村を搾取し始めた。近代では、ヨーロッパ各国が世界各地に植民地を設け原住民を搾取してきた。そしてさらに、ヨーロッパで搾取されていた人々が新天地・アメリカに渡り、皮肉にも立場を逆転して、先住民の命や土地を奪い有色人種を搾取してきた。日本もまた、綿々と搾取の歴史を歩んできている。
 ところが戦後、日本では都市による農村の搾取が崩れつつあるような気がする。その背景には、身分制度の撤廃や急速な工業化にくわえ、各種テクノロジーの発達や教育の普及があるだろう。そして、もう一つが農村の衰退である。
 そんな衰退を私も身近なところで見てきた。農家の三男として生まれ育った私は、成人後は都会でサラリーマン生活を始めた。戦後の経済成長期においては、ごくありふれたライフ・スタイルで、実に多くの農家が子どもたちを都会に送り出してきた。儲からない農業に我が子を就かせまいとする親心からである。私の実家も例外ではなく、母は「農家に嫁いで大変だった。だから、娘は絶対に農家には嫁がせない。」と言い、そのとおりにした。「お前は大学を出てサラリーマンになれよ。」と父は何度も私に言いきかせた。
 こんな農村社会の急変の背景には、経済的な理由だけでなく、作業現場の変化もあった。それは、莫大な公費を投じて水田が整備され便利な機械が普及したために、どの農家も働き手を減らさざるをえなかったのである。
 そして、もう一つの根深い背景があったと私は思っている。「都会に搾取されるのはもうご免だ。」という強い願望が、1000年以上も抱いてきた悲願が農村に充満していたように思える。だから農民は、搾取される側の農村から搾取する側の都市へと我が子を送り出してきた。それはまるで子どもたちが、いじめられるのが怖いからと、いじめる側に回る行動とまったく同じである。
 さらに、農村に残った農民は、敗戦にともなって降って湧いた千載一遇のチャンスを逃すまいと、選挙をフルに利用してきたのである。だから必然的に、農村の投票率が都会のそれを大きく上回るのである。そんな時代の要請を背負って登場した田中角栄氏をはじめ、何人もの首相や多くの議員が農村の活性化のために半世紀以上も尽力してきた。しかし残念ながら、農村の衰退は止まらなかった。
 今や、農村の衰退が行き着くところまで行き着いてしまった。そして世界に目を向ければ、日本が歩んできた戦後の道程を、中国をはじめ、経済がめざましく発展している国々もひたすら突き進んでいる。
 結果的に都市は、搾取する農村を失い、活力の源泉を絶たれてしまった。くわえて、右肩上がりの経済が崩壊したこともあり、都市住民が都市住民を搾取する関係が始まったのである。非正規労働者や派遣社員が急増してきたのは、その一例である。たぶん根本的な変化がない限り、今後もこの搾取関係は増すであろう。少子高齢化とも相まって、いっそう厳しい社会になるかもしれない。
第102話 異常気象と農業経営
2013年12月1日
 今年は、夏から秋にかけ異常気象に何度も翻弄され、私たち皆生農園も苦労した。その影響で、秋から冬にかけて暴落しやすい野菜が今年は高どまりしている。被害をうけた農家はもちろん、消費者も大変である。ちなみに、生鮮野菜は2割品薄になると、末端価格は2倍になる。逆に2割だぶつくと、半値になる。工業製品とは異なり、需給関係のわずかなインバランスで、野菜の価格は激しく乱高下する。
 それでは、夏以降に発生した3つの異常気象とその影響をふりかってみたい。まずは長期の猛暑があげられる。今年の猛暑日は記録的な多さで、10月になっても西日本では猛暑日を記録した所があった。例外にもれず、私どももかなりの影響をうけた。猛暑と水不足のために、胡瓜は収穫量が減り、いんげんと里芋は壊滅状態になってしまった。その一方で、猛暑の好きなオクラは豊作になり、トマトやミニトマトも十分とれた。私どもでは結果的に、多種類を栽培している関係で、猛暑の悪影響は軽微で済んだ。
 次に、10月も異常であった。雨の日が多く日照不足が続いた。例年であれば、10月中旬から天気が周期的に変わり秋晴れの日が多くなるのだが、今年はとにかく雨の日が多かった。11月の中旬からやっと秋晴れの日が続くような始末である。千葉県内では、台風や秋の長雨による記録的な雨量のため、畑が水びたしになり大根が腐ってしまった地域もある。私どもでは、種蒔きや定植が計画どおりにできず、一時期キャベツと大根が欠品状態になってしまった。くわえて日照不足のために野菜の生育が遅れ、例年であれば11月上旬にとれるブロッコリーが、今年は12月にずれこんでしまった。
 3つ目の異常は、寒波の到来が早かったことである。それも暖かかったところに急に寒波が訪れた関係で、野菜が寒さに慣れる間がなく、今まで体験したことのない被害がでた。秋が短く、夏からいっきに冬が来てしまったような気がする。当地では、11月11日に初霜がおり、13日には初氷がはった。そのため、例年であれば12月上旬までとれる露地ピーマンが早々と全滅し春菊とブロッコリーも霜害にあった。人もそうだが、急激な気温低下は植物にとっても過酷である。露地栽培では、ハウス栽培と違い、異常気象の悪影響を受けやすく、経営が安定しない。だから、農家は次々にハウス栽培に移行してきた。
 異常気象の悪影響をもっとも大きくうけるのは、大根とかキャベツとか、限られた種類のみを栽培している地域や農家である。作物の種類が少ないためにリスクが分散されないからである。また、栽培規模が大きい地域や農家も同様である。規模が多きすぎるために異常気象への対策がとりにくいからである。余談だが、この現象は農業分野に限らない。例えば、リーマン・ショックの影響で家電製品を主力としていたPanasonicやシャープは経営危機に陥ったが、その一方で、家電製品だけでなく、景気の影響をうけにくい重電部門なども持っている東芝や日立はその後も健全な経営をしている。
 それでも、異常気象をのりきった農家は確かに儲かる。しかし、そんな農家は少ないのである。大多数の農家は収穫量が減り、いくら単価が高くても売上金額は伸びない。かつて野菜が暴騰している時、お客さまから「野菜が高いわねー。儲かってるんでしょう?」と聞かれたことがある。しかし私どもでは、世間の価格とは関係なく一年中ほぼ同じ値段で販売しているため、野菜が暴騰している時でも、うまい汁は吸えない宿命を負っている。
 異常気象は今後もたびたび起きるであろう。それに対応できる農家は生き残れるが、それができない農家には厳しい未来が待っている。
第103話 諸悪の根源
2013年12月8日
 かつて日本は、朝鮮半島や台湾へ、中国へ、南アジアへと領土を拡張していった。そして今から72年前の今日、拡張した領土を維持するために、ハワイ真珠湾を奇襲した。本格的に日本が、アメリカに挑戦し始めた日である。冷静に考えれば、勝てる相手ではなかったアメリカに、なぜ当時の日本人は挑んだのだろうか。眠っている熊にミツバチが攻撃するようなものである。歴史の転換点には多くの犠牲がつきものだが、それにしても余りにも多くの犠牲を払ったものである。
 ところで今、人類は有史以来の最大の転換点に差しかかっている。そのためか、悲惨な紛争や暴動があちこちで起きている。かつてのような国家間の正面戦争ではないことに、問題の根深さと解決の難しさを私は感じる。比較的治安が良いと言われてきた日本でも、このまま格差社会が拡大していけば、悪いことが次々起こり始めるだろう。なぜそう成ってしまうのか。何が私たちをこうも苦しめているのか。いったい諸悪の根源は何なのか。
 こんなことを、1980年代後半のバブル経済が始まった頃から私はずっと考えてきたが、農業を始めてみて「諸悪の根源は土地である。」という結論に達した。冒頭に触れた日本による侵略もその一例である。戦後の日本を振り返っても、土地にまつわる問題が後を絶たない。今でも続く周辺国との領土問題。なかなか解決していない成田空港問題。莫大な利益を上げるため銀行などが行なった土地転がし。その後の不動産バブル。ほとんど無価値の原野を高く売りつけた原野商法。農民でありながら農業を営まず農地を宅地に変えて得た巨額の不労所得。そして耕作放棄地。津波の犠牲者のための高台移転も用地の確保がネックになっているという。私自身も、地主の勝手な都合や私利私欲のために二度も農地を移転させられ、辛酸をなめさせられた。
 もともと土地は、誰のものでもない。浮き世に生を受けている間、必要に迫られ、ちょっと間借りしているくらいのものなのである。50坪や100坪ほどの宅地を買うのに、何千万円もの費用がなぜ必要なのか。上物、つまり住宅に一定の費用がかかるのは当然だが、猫の額ほどの宅地を得るために一生を捧げなければならない世の中は、何かむなしい。憲法で保障された生存権にてらせば、おおいに違和感をおぼえる。人は生まれながらにして平等などということは現実にはありえないが、それにしても、生まれながらにして土地を持つ者と持たない者との格差が、あまりにもあり過ぎるのではないだろうか。
 たしか私が高校3年生の頃だったろうか、サイモンとガーファンクルというアメリカ人のフォーク・デュオが「コンドルは飛んでゆく」という歌を大ヒットさせた。工業製品にいろどられた物質文明と、強さと速さと便利さを限りなく追求する西洋文明を痛烈に批判した歌が、今でも心に響いている。その中に、こんな歌詞もある。「ここにいた白鳥が飛んでいったように、自分も遠くに船出したい。だけど、大地に縛りつけられた人間は、この世でもっとも悲しい音と声を出すしかない。」
 人に恵みを与える大地が、その一方で人の一生を強く拘束している。
 つまるところ、諸悪の根源である土地という呪縛から自らを解放しないかぎり、直面している大転換点を人類は曲がりきれないだろう。もはや地球には、希望に満ちたニュー・フロンティアと呼べる土地は見当たらない。人類が末長く生存したいのなら、きわめて受け入れがたいことかもしれないが、今ある土地をどうにか分かち合うしかないのである。
第104話 パパラギ
2013年12月15日
 31歳の時、ある方から「パパラギ」という本を頂き、引き込まれるように一気に読んだ。サモアの酋長が、白人を「パパラギ」と呼び、訪問した宗主国のドイツと自国のサモアの社会や生活を比較し、彼の理想的な生き方を語っている。いわば文化人類学的な本である。しかし実際は、サモアの酋長ではなく、著者自身が書いたものらしい。
 ところで人類は、前話でも述べたように、かつて経験したことのない、大きな転換点に差しかかっている。その原因は、地球のキャパシティーを超えつつある人口、侵略し尽くしてしまったニュー・フロンティアなどの土地の問題にくわえ、制御不能な核物質、瞬時にして豊かな生活を世界的な規模で葬り去ることができる経済活動、感情と欲望の嵐で理性と節度を吹き飛ばそうとしている情報化社会、働けど働けど豊かさを実感しにくい格差社会など、数え上げたらきりがない。かつて人類は、何度も何度も押し寄せる、このような苦難の巨大津波に遭遇したことがあっただろうか。世界各地で起きている暴動や紛争を知るにつけ、民衆の我慢が限界を超えそうな状況に気づかされる。
 そんな危機意識を胸に、未来に明るい希望のヒントを求め、「パパラギ」(ソフトバンク文庫)を再読してみた。あらためて心に深く残った酋長の独白から3つ挙げてみたい。
 まず「お金」について、こんなことが書いてある。「愛の神について、ヨーロッパ人に話してみるがよい。顔をしかめて苦笑いするだけだ。(中略)ところが、ぴかぴか光る丸い形の金属か、大きい重たい紙を渡してみるがよい。とたんに目は輝き、唇からはたっぷりよだれが垂れる。お金が彼の愛であり、お金こそ彼の神さまである。彼らすべての白人たちは、寝ているあいだもお金のことを考えている。(中略)お金のために、喜びを捧げてしまった人がたくさんいる。笑いも、名誉も、良心も、幸せも、それどころか妻や子までもお金のために捧げてしまった人がたくさんいる。ほとんどすべての人が、そのために自分の健康さえ捧げている。」
 また家については、こんな記述がある。「パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、溶岩の割れ目に住むムカデのように、石と石のあいだで暮している。頭の上も、足の下も、からだの周りも、すべて石である。(中略)サモアの小屋に吹くような新鮮な風は、どこからもはいってこない。このような箱の中では、サモア人ならすぐに窒息するだろう。(中略)不思議でならないのは、どうして人がこの箱の中で死んでしまわないか、どうして強いあこがれのあまり鳥になり、羽根が生え、舞い上がり、風と光を求めて飛び立ってしまわないか、ということである。だがパパラギは、石の箱が気に入っており、その害についてはもはや気がつかなくなっている。」
 さらに時間とその使い方について、酋長は疑問を投げかけている。「(前略)とりわけ好きなのは、手では決してつかめないが、それでもそこにあるもの、時間である。パパラギは時間について大さわぎするし、愚にもつかないおしゃべりもする。といって、日が出て日が沈み、それ以上の時間は絶対にあるはずはないのだが、パパラギはそれでは決して満足しない。(中略)パパラギは時間をできるだけ濃くするために全力を尽くし、あらゆる考えもこのことに集中する。時間を止めておくために、水を利用し火を利用し、嵐や天の稲妻を使う。もっと時間をかせぐために、足には鉄の車輪をつけ、言葉には翼をつける。だが、これらすべての努力は何のために?」
 うー、耳が痛い。
第105話 四配
2013年12月22日
 「四配」は私の造語で、いつもこれを心にとめて営農してきた。
 一つ目の「配」は「目を配る」ことである。農薬を使わない農法では、とにかく観察が決め手である。日々、作物などに目配りし的確に状態を把握する。それを怠ると、害虫の餌食になり、病気に冒されてしまう。また、一緒に働いている者の作業や健康状態などにも目配りしなければならない。
 二つ目の「配」は「気を配る」、あるいは「心を配る」ことである。周囲を観察して気づいたことをどう認識し、経験や知識などに照らしてどう対処すべきか考えることである。適切な対処方法が思いあたらない場合は、本やインターネットで調べたり、詳しい方に教えてもらうことも必要になる。
 三つ目の「配」は「手を配る」こと、つまり実行すること、あるいは手配することである。対処すべきことに優先順位をつけ、具体的に段取りをくみ、必要であれば他者に協力をお願いする。また、実行したことを評価したり、適時適切な修正を加えることも常に留意しておかねばならない。
 そして、四つ目の「配」は「富を配る」ことである。仕事とは何かの富を得ようとする行為であるから、失敗や大きな状況変化がない限り、とうぜん手元に富が入ってくる。現代では、富のほとんどはお金という形であるが、農業の場合は自給用の農産物も富の一つである。特に多くの種類を通年栽培していると、自給用といえどもかなりの量になる。それらの富を、一部の者が独占することなく、関係者に不満が残らないように分けることが重要である。
 私の郷里、栃木県足利市に「相田みつを」という書家がおられた。詩人でもあり、独特の筆づかいと平易な言葉で心にしみる詩をたくさん残された。その中に、「うばい合えば足りぬ わけ合えば余る うばい合えば憎しみ わけ合えば安らぎ」という詩がある。確かに、争いのほとんどは奪い合いから始まっている。
 暮れも押しつまって、街はクリスマスに彩られている。子どもたちはサンタクロースの訪問を待っているだろう。北欧だけでなく、世界中にサンタクロースのような人々が溢れ、富を分かち合えれば、貧困や飢餓などほとんど起きないはずである。だが、「言うは易し、行なうは難し」なのである。それは恐らく、私たちの欲が多過ぎるからであろう。先の詩を書いた「相田みつを」でさえ「にんげん 我慾のかたまり にんげんのわたし」という詩も残しているくらいである。
 ときどき妻から、「もう少し仕事を減らしたほうがいいんじゃないの。あなたは欲が多過ぎるんですよ。」といさめられる。妻の言うことは十分わかるのだが、競争社会の真っただ中を生きてきた団塊世代としては、悲しいかな、骨の髄まで染みついてしまった欲がなかなか抜けないのである。
 しかし、還暦を過ぎ体のあちこちにガタがきたことでもあり、閻魔大王から厳しい判決を受けないように、来年からは我欲を少しずつでも削っていこうかな。
第106話 ミトコンドリア
2013年12月29日
 成人の細胞は60兆個もの細胞からできている。くわえて、無数の微生物が私たちの体に生息しているという。例えば、体の表面にいる微生物は皮膚を有害な微生物から守り、口から肛門までの消化器の中の微生物は食べ物の消化や吸収に大きく関与しているらしい。もちろん、それらの中には人にとって有害な微生物も含まれている。そして、これら多種多様な微生物の数が人の細胞の数を上回ることもあるという。そうなると、一人の人間はどこまで本人なのかわからなくなってしまう。脳がコントロールできる細胞が人間個体なのか、あるいは同じ遺伝子を持っている細胞が人間個体と規定できるのか、解きがたい問いである。
 ところで人類は、飽くなき探求心と好奇心に突き動かされ、多くの謎を解き明かしてきた。その一つにミトコンドリアを私はあげたい。ミトコンドリアは、真核生物の各細胞の中にある小器官で、本体の真核生物とはまったく別にミトコンドリア自体も遺伝子を持っている。ということは、「同じ遺伝子を持っている細胞が人間個体である。」と規定すると、ミトコンドリアは、人間の細胞の中にありながら、人間の一部ではなくなってしまう。
 ミトコンドリアは本当に不思議な生物である。独立した一つの生物として生きていたミトコンドリアが、太古のある時期、真核生物の中に入り込み、融和し、悠久の時を一緒に生き延びてきたという。にわかに信じがたいが、その学説が今や定着しているようだ。ミトコンドリアの機能の一つは、糖を分解しエネルギーを効率的に作り出すことである。つまり人間は、体の表面や消化器に住みついている微生物の恩恵を受けているどころか、各細胞の中に取り込まれた別の生物が作り出すエネルギーを使って生きている。余談だが、植物の細胞内で光合成を行なっている葉緑体も、太古の昔ミトコンドリアと同じように真核生物の中に入り込み、今にいたるまで綿々と太陽の光からエネルギーを作り出している。
 このミトコンドリアの不思議を知って以来、三つの謎が頭から離れない。
 まず、なぜミトコンドリアが真核生物の中に入ったのだろうか。偶然なのか、それとも真核生物が意図的に取りこんだのか、あるいはミトコンドリアが自ら入り込んだのか。
 二つ目の謎はエネルギー源の謎である。ミトコンドリアが細胞内に入る前も、真核生物は細胞の中でエネルギーを作り出していたはずであるが、なぜミトコンドリアが作り出すエネルギーを積極的に利用し始めたのだろうか。真核生物にエネルギーを提供しているミトコンドリアには何のメリットや見返りがあるのだろうか。
 三つ目は融和の謎である。別の生物の細胞に入り込んだミトコンドリアがどのようにして融和したのだろうか。本当に不思議である。もちろん、他の生き物が細胞内に入り込むことは決して特殊な現象ではない。精子は卵子に入る。ウィルスも細胞内に入り込む。どちらも普通にいつでも起こっている。同じ生物の精子と卵子が融和するのは不思議でもないが、別の生物であるミトコンドリアがどうして融和できたのだろうか。ウィルスは、ミトコンドリアとは異なり、別の生物の細胞に侵入し増殖し細胞を破壊していくことがある。つまり、融和などとは程遠い行動をウィルスはとるのである。
 今となっては、この真核生物とミトコンドリアの不思議な関係が発生した理由やプロセスを人類は解き明かせないかもしれないが、その事実からでも何か学び取ることがあるのではないだろうか。何か生き物としての根源的なことを。
第107話 未知との遭遇
2014年1月5日
 毎日仕事に没頭している関係で、過ぎ去った日々を思い返したり、将来へ道筋をじっくり見定めたりする余裕がなかなか取れないが、まとまった休みが取れる年末年始は別である。
 うつらうつら朝寝坊をしながら振り返ると、去年もたくさんの初体験があった。新たな出会いも厳しい別れも、好ましいことも嫌なことも、大事なことも些細なことも、成功も失敗も、たくさんの初体験をした。歳のせいか今となってはその多くを忘れてしまっているのだが、その時は一つひとつに一喜一憂し、退屈しなかった。ありがたいことである。元気で働けたことに、感謝、感謝である。
 このような初体験、いわば未知との遭遇は、自分の殻に閉じこもり外界との接触を断っていなければ、多かれ少なかれ誰にでも起きている。もし「何か毎日同じようだな」と思うのであれば、厳しい言い方かもしれないが、未知との遭遇を感じ取りにくくしている何かがあるのである。それは、明るい都会の真っただ中で夜空を見上げて流れ星を探すようなものかもしれない。そのような環境の中にいては、見える物も見えにくくなって当然であろう。
 未知なるものに遭遇した時に、問題になるのはそれをどう受け止めるかである。その受け止め方は千差万別、各人各様なのであるが、その受け止め方こそがその人の個性であり、人生の質を左右するものであり、時には民族の興亡に関わることさえある。非常に荒っぽい分け方を許していただければ、2種類の受け止め方がある。それは、肯定的に受け止めるか、否定的に受け止めるかである。あるいは楽観的に受け止めるか、悲観的に受け止めるかと言ってもいい。
もちろん、「未知との遭遇を肯定的に受け止めるのが良くて、否定的に受け止めるのは良くない。」などと単純に決めつけられない。その人の体験してきたことや性格、あるいは置かれた状況や社会慣習などによって、同じことも違って受け止めることが普通であるからだ。
 ただし、確かなことは、「肯定的に受け止めると、時には身を滅ぼすこともあるが、その方が気楽であり、ストレスを受けにくい。」ということである。
 日頃、研修生に厳しく接している私だが、根は楽観的なので、未知との遭遇を苦にすることはあまりない。「人生は死ぬまで未知との遭遇かもしれない。もしかすると、死そのものが人生最大の、そして最後の未知との遭遇かもしれない。」と達観できれば、厳しい未知と遭遇した時でも、動揺しなくてすむだけでなく、時には楽しむことさえ可能である。
 さてさて、今年はどんな未知との遭遇があるのだろうか。身を持ち崩さないように自滅しないように気をつけつつ、できるだけ前向きに受け止めて生きていこう。
第108話 危機を感じて
2014年1月12日
 この季節になると、野鳥の種類がめっきり減り、何か寂しくなる。よく目につくのはカラスくらいである。大小さまざまな鳥が冬を生き抜くために、南方へ渡ってしまったからである。はるか数千キロもの南方へ、その身ひとつで渡る小鳥がとても偉大に思える。
 ところで、こんな大根を見たことがあるだろうか。普通は捨てられてしまうので、消費者の目にとまることは、まずない。大根は伸びる途中で有機物や石などの硬い物に突きあたると二股に分かれるが、写真の大根は違う理由で根が多くなった。それは、猛暑の8月に蒔かれたため、水を求めて必死に根を次々に生やしたのである。ごぼうも同じように何本もの根を生やし、半分くらいは売り物にならなかった。
 本来、ほうれん草は冬が旬で、葉を厚くし地面に大きく拡げる。太陽の光をたっぷり受けエネルギーなどを蓄え、厳寒を生き抜くためである。だから、冬のほうれん草は甘く、栄養豊富になるのである。
 トマトは野菜の王様と私は思っている。そのおいしさ、用途の広さ、生産量、栄養、栽培の難しさ、世界的な普及などを総合的に比較すると、その価値は他の野菜の追従を許さない。また、非常に痩せた乾燥地でも育つトマトは生命力の点でも驚異的である。そんなトマトの苗を丈夫にするために少し萎れるまで水をあげないでおくと、葉の色が数時間で濃い緑色に一変する。たぶん、命の危機を感じて葉緑体を急増させたのだろう。この現象は、私たち人間でも起きるらしい。空腹が続くと命の危機を感じて、葉緑体と同じようにエネルギーを作り出しているミトコンドリアが増えるという。
 第82話「DNAの叫び」で紹介したズッキーニは、肥料不足や苗を植え遅れると、雄花ばかり咲かせ子孫を早く残そうとする。ブロッコリーや菜の花、小松菜などの葉物野菜でも、同じように生育環境が悪くなると、花を早く咲かせる。いずれも命の危機を感じての反応であろう。
 人間も、まったく同じである。難民キャンプでは、明日をも知れない境遇のため、子だくさんである。アメリカ社会でも、経済的に恵まれないヒスパニック系やアフリカ系の人口は増え続けている。中東でも同様である。厳しい境遇にあるパレスチナ人のほうがユダヤ人よりも人口増加が著しい。命の危機を感じた生物はその数を増やそうとする。これは、生き物すべてに共通する真理である。
 日本はどうだろうか。少子化にともなう人口減少は止まりそうにもない。それは、戦後の平和な時期に物質的にも恵まれて育ったため、命の危機を感じ取る能力が衰え、生殖能力と生き抜く力が弱くなっているのではないだろうか。つまり、生物として根源的な危機に直面しているのではないだろうか。冒頭であげた大根を見ながら、私はそんなことを感じた。
第109話 健康十行
2014年1月19日
 もっとも寒い季節になった。それでも一年中、私は窓を開けたまま眠っている。田舎で育った私は、隙間風の入る部屋でずっと寝ていたので、部屋を閉め切った状態で眠るのは息苦しいのである。温かさを選ぶか、十分な酸素を摂るか、その選択の結果である。
 さて、以前書いた第99話の「実験」で健康的な生活について触れたが、この百姓雑話の読者から「具体的に何を実践しているのか知りたい」という声があり、健康を維持するために日々心がけていることを、以下のような「健康十行」として簡潔にまとめてみた。
1.腹式呼吸で良い空気を深く呼吸する。私たちの体は糖を酸素で燃やしてエネルギーを作り出して
  いるので、呼吸がもっとも重要である。つい無意識のうちに浅い呼吸になるので、良い呼吸をし
  ているか時々チェックしている。もちろん、腹を締めつけるようなズボンや肌着はつけない。
  そして上述のように、どんなに寒くても一年中窓を開けたまま寝ている。
2.全身の血行を良くし、体を温かく保つ。血行不良と低体温は、新陳代謝を低下させ免疫力を弱め
  るため、病気を発症しやすくする。体が冷えたと感じたら、速やかに体温を上げる。また、血行
  を悪くするような姿勢はできるだけ避ける。
3.適量の良い水を適時に飲む。人間の体の60%以上は水で、生化学反応は水の存在下で起きてい
  る。つまり水は、命の源であり、食べ物以上に命に直結している。そこで、私は飲料にも気をつ
  けている。例えば、アルコール飲料はほとんど飲まない。飲むと、血行が良くなりハイな気分に
  なるが、ターボ・エンジンと同じ理屈で寿命を縮めるからである。また甘い飲み物は、空腹時に
  飲むと血糖値を急激に上げるので、できるだけ食後に飲む。
4.適量の良い食物を適時ゆっくり摂り、食後はできれば30分は休息する。
  食事は日々もっとも気にしている。昼食と夕食の間を9時間くらいあけ、胃腸をきれいにすると
  ともに、十分な空腹感を味わいミトコンドリアを活性化する。間食は一切しない。食材は野菜が
  中心で、動物性たんぱく質とでんぷんは少し控えめにしている。食事は野菜から摂り始め、糖質
  は最後に摂る。さらに、胃腸の中の微生物を良い状態に保つために、ヨーグルトや納豆などの発
  酵食品は毎日食べている。
5.病気の予防に努め、薬に頼らない。花粉症以外の薬は基本的に飲まない。もちろん、いざという
  時のため、抗生剤も飲まない。自分の体力を信じ、インフルエンザくらいで病院には行かない。
  病院に行けば、別の病気をもらってくるかもしれないからである。
6.規則的な生活を送る。言うまでもなく、健康維持の基本である。
7.日の出とともに起き、睡眠時間は6から7時間。昼食後は20分の仮眠をとる。
  日没とともに野良仕事は終える。そして、今日一日を無事に生きられたことに感謝し、できるだ
  け明日のことは考えず寝床につく。
8.起床する前ストレッチで体をほぐし、適度の全身運動を毎日続ける。できるだけ体に負担がかか
  らない姿勢を保ち、足腰の関節に負担があまりかからないように歩く。ストレッチはおもに腰か
  ら下を伸ばす。
9.ストレスを持ち越さない。ストレスは免疫力の低下を招き、病気を発症しやすくするので、スト
  レスを蓄積しないよう、くよくよしない。嫌なことは忘れる。
10.欲はほどほどにし、できるだけ心穏やかに暮らす。私はこれが一番難しい。
第110話 農業で喰う(1)
2014年1月26日
 突然ガンで亡くなった母に生前、一生苦労するような農家にどうして嫁いできたのか尋ねたことがある。その答えは「農家なら一生喰いっぱぐれがないと思ったから。」という簡潔なものであった。戦前の時代背景からすれば、もっともな理由である。
 ところが、時代が激変し、日本の農業は戦後の工業化の波にのみ込まれてしまった。ほとんどの農家は、農業所得だけでは生活できずに、息子や娘をサラリーマンにしたり、農閑期には出稼ぎに行ったり、農地を宅地化し高く売ることで不労所得を得たり、工業団地や公共事業を積極的に誘致したりと、実にあの手この手で収入の道を探り生活を支えてきた。
 しかし、農家は次々に離農してきた。その現実は今にいたるまで何ら変わっていない。離農の原因はいろいろある。外的要因もあれば、内的要因つまり本人自身の問題もある。多岐にわたる原因が存在するのは、農業が多面的な職業だからである。例えば、必要な知識ひとつとっても、生物に関する知識にとどまらず、物理や化学、気象学などの理学系の知識はもちろん、機械や土木建築などの工学系の知識も必要となる。さらには経理もできないと、経営状況を正確に把握しにくくなる。
 まして、農家以外からの新規就農者にとっては、まるで十一面観音に対峙するようなものである。私も例外ではなく、好きで農業に身を投じたものの、厳しい境遇に長年あえいできた。そして、失敗するたびに、あるいは自然の猛威に打ちのめされるたびに、「一体どうすれば、農家以外からの新規就農者でも農業で喰っていけるのか。」と自問し続け、試行錯誤を繰り返してきた。
 こんな厳しい職業に、斜陽産業の農業に人生をかけたいと新規就農してくる人が後を絶たない。具体的な将来像を持ち、多様な能力を兼ね備えて就農する人がたくさんおられる。本当に貴重なチャレンジャーである。既存の農家だけでは衰退を止められそうもない農業分野に必要なのは、農家以外からの新規就農者である。
 しかし、その前途には難題が次から次と立ちはだかるであろう。それらを乗り越えるには、強い意志と忍耐力はもちろん、多種多様な能力も必要である。そして、先人の体験も何かの支えになるであろう。
 そこで、山ほどある難題を乗り越えようと努力するチャレンジャー、新規就農者の参考になればと願い、次回から20話ほどにわたり、数々の失敗体験から学んだことを連載しよう。
第111話 農家は何を売るのか?
2014年2月2日
 「農家は何を売るのか?」と問えば、「農産物を売るのに決まってるじゃないか」と言われてしまいそうである。確かに、もっとも妥当な答えである。しかし、もしプロの農家がこのような返答にとどまるようであれば、何か物足りなさを感じてしまうのは私だけだろうか。農業と「業」がつくからには、趣味でもなければ、気分転換や健康維持を主たる目的にはしていない。あくまでも、職業である、生業である。
 今さら私が言うまでもないだろうが、職業とは物、サービス、情報などを創出し、売り、人件費を得ることである。もちろん、社会への貢献も求められる。そして、これら売るものに顧客が求める価値、あるいは求めると予想される価値を付加することが職業には欠かせない。物やサービス、情報などの価値は画一的ではなく、絶対な価値もない。つねに価値は相対的である。時代や地域で異なるだけでなく、人それぞれがそれぞれの価値観を持っている。したがって当然、価値は多種多様である。
 農業の分野においても同様のことが言える。消費者が求める価値に最大公約数はあるものの、ビジネスの国際化にともなう物や人の移動などにより、現代では食べ物の価値は多種多様である。その多種多様性を具体的に理解し、どのような消費者にどんな価値のある農産物を買ってもらうか、プロの農家であれば深く突きつめなければならないと私は思っている。第二次産業や第三次産業では、ごくごく当たり前に行なわれていることである。
 また、職業であれば、当然、利益を出しコストに人件費を計上できなければならない。人件費を稼ぎ出せなければ、生活が成り立ちにくいし、職業として継続できないからである。余談になるが、「反収はどれくらいか?」と農地面積当たりの売上高を気にする農家は多いが、「自分はどれくらいの時給を稼いでいるか?」と考える農家はきわめて少ない。
 このように、農業という業界では、他の業界ではごく当たり前のことが、日本では昔から強く意識されてこなかった。そのため、他の産業に大事な後継者を奪われ、販売の主導権を流通業界に握られ、歯止めのきかない農民の減少と食料自給率の低下を招いてしまった、と私は思っている。
 最後に、冒頭の質問に戻ろう。いったい農家は何を売るのか? もちろん農産物であるが、プロの農家であれば、その中身をもっと問うべきではないだろうか。私は、少し抽象的かもしれないが、「農産物という命を売る、価値を売る、健康を売る」と思っている。人の命をつなげるために命ある農産物を売る。食する人の期待に応えうる価値を加えた農産物を売る。そして、食する人々の健康に寄与する農産物を売る。昔からそれが農民の役割であり使命であったが、農薬や化学肥料が普及してからというもの、その役割と使命を忘れた農民が増えてしまったと思えてならない。
 そして将来にわたっても、どんなに科学が発展しても、あるいは人類が地球外に移住しても、その役割と使命を農民は持ち続けていかねばならない。そんな気がする。
第112話 動脈産業と静脈産業
2014年2月9日
 つい最近、こぎれいな服装の若い女性が廃品回収している光景を目にした。初めてである。鉄くずや壊れた機械などを回収する廃品回収業者といえば、中高年の男性と相場が決まっていた。もし若い女性がこの業界にも進出してきたのであれば、とても好ましいことであり、時代が変化しつつある兆しかもしれない。
 ところで、この季節になると畑仕事に余裕がうまれ、栽培や収穫の他にいろいろな作業をする。例えば、畑の土を良くするために糠や籾殻を入れる。有機農業では欠かせない大事な作業、いわゆる「土づくり」である。その他にも、施設の建築や修理、種の手配、機械のメンテナンス、畑にアクセスする道の整備、農場に隣接する森の枝切り、他の農家の視察、確定申告の事務などがある。
 そしてこの時期、もう一つ大事な作業がある。片付けである。片付けと言っても、野菜を栽培する畑ではない。施設の建築や解体、水道工事などで出たゴミの片付けである。私の場合、畑以外の場所の片付けがつい後手に回ってしまう。
 自己弁護すれば、私は貧しい農家に生まれ、それも大家族の中で育ったために、気安く物を捨てられず、思い切った片付けがなかなかできない。「今は使わなくても、いつか使えることがあるかもしれない」という思いが先に立ち、細かな木くずさえ捨てずに持っている。余談になるが、この頃、近くの大きなホーム・センターでも木くずが売られている。世間には、私のような古い人間がまだまだ大勢いるのだろう。
 社会にはいろいろな産業がある。それらをあえて二つに分けると、動脈産業と静脈産業に分けられる。冒頭であげた廃品回収業は典型的な静脈産業である。農業で言えば、作付けや収穫は動脈産業で、収穫後の畑やその周辺の片付けは静脈産業と言えるだろう。私たちは、つい陽のあたる動脈産業に目を奪われがちである。とりわけ男性にその傾向が強い。くわえて、「静脈産業は動脈産業より劣る」という認識が主流になっている。  しかし、血液は動脈と静脈があってはじめて滞りなく循環するように、動脈産業と静脈産業は表裏一体であり、根源的には同等である。そのことを私たちは、戦後の大量生産・大量消費の風潮に流され、つい忘れかけているのではないだろうか。
 かつて江戸時代には、江戸郊外の農民が農産物を町に売りにきて、その帰りに人糞を買っていったそうである。長屋の住人の糞尿が大家にとっては大事な収入であった。つまり、動脈産業と静脈産業が同等に機能する見事な循環が江戸という大都会とその周辺で普通に行なわれ、来日した西洋人が驚嘆したという。その循環型社会を象徴する精神として「もったいない」という美徳が日本文化の底流にあったが、戦中戦後の貧しい生活を体験してきた世代が少なくなるにつれ、失われつつあるような気がする。
 最後に、話しを農業にもどそう。有機農業は、籾殻や藁、糠や動物の糞など、食料を生産した後にでる残渣、いわば「ごみ」を利用することが多い。それらを大地に還し、農産物を生みだす。つまり、有機農業は静脈産業と動脈産業の両方をあわせ持つ職業である。そして、有機農業に限らず、社会全体でも、もっと物を大切にする循環型社会に戻ることを願ってやまない。
第113話 対面販売から見えてくること
2014年2月16日
 かれこれ10年近く野菜を対面販売してきた。自分自身で販売すると、いろいろなことがわかる。とりわけ、お客様の希望や嗜好が生々しく伝わってくる。消費者心理として安く新鮮なものを買いたいという希望はもちろんのこと、できるだけ甘いもの、生で食べられるものを買いたいという嗜好も強い。また、有機栽培のものを売っている関係か、安全性の高いもの求めるお客様が主流になっている。ありがたいことに、「こんなに安く売らないで、もっと高くてもいいんじゃないの。これじゃ、利益がでないでしょう。」と言ってくださる方もおられる。
 時には、お客様からこんな質問を受けることがある。「今日は、ほうれん草はないんですか?」と夏にきかれる。それも結構ご年配の女性だったりすると、正直嘆かわしい気持になる。また、真冬に「トマトはないんですか?」という問いはたびたび投げかけられる。本来、ほうれん草は冬野菜で、トマトは夏野菜なのである。旬でない時期に栽培されたものは、栄養が劣るだけでなく、農薬がたっぷりかけられている。スーパーなどで売られている寒い時期のキュウリやトマトは農薬を食べているようなものである。そんな現実を知らない消費者が多いことに気づかされる。
 ところで、日本の農家が次々に辞めてきた理由の一つは、消費者の気持ちや食の傾向をあまり考えてこなかったことがある。一般的に、ほとんど料理をしない男性が営農全般をとり仕切っているため、料理をする女性の気持を栽培に反映しにくい。
 そのような供給する側の欠陥を乗り越えようと、1990年代から全国に農産物の直売場が林立してきた。特に都市近郊では本当に多い。代表的なものは「道の駅」やスーパー内の「地元農産物コーナー」であろう。ほとんどの直売場では新鮮で比較的安くいろいろな農産物が買えるため、スーパー全盛期から比べれば消費者にとっては使い勝手が良くなった。
 しかし、対面販売を長年にわたり続けてきた私の目からは、それでも物足りなさが残る。消費者の立場から見ると、まだ何かが欠落している。
 例えば、安全性の問題である。直売場では「安心・安全な・・・・・・・・」という呪文のような慣用句がよく使われるが、実に曖昧な表現である。何をもって安心なのか、なぜ安全なのか、その根拠や理由を明確にしないまま、供給側の都合で安心とか安全とか強調される嫌いがある。私の知る限り、ほとんどの農家は市場に出荷するものと直売場で販売するものとを作り分けしていない。どちらも同じように栽培する。だから、直売場の農産物はスーパーで売っている物より安全だとは言い切れない。
 また残念ながら、食の安全性に関心がある消費者の中にも、「地元産だから安心・安全よねー」などと供給側の口上を鵜呑みにしている人が非常に多い。政治家が鏡に映った国民の民意であるように、日本の農家や農産物も鏡に映った消費者の意識なのかもしれない。
 そして、もう一つは情報不足である。野菜の栽培方法、旬、栄養、食べ方などを地元農産物の直売所や生協ですら満足に伝えてはいない。昔から八百屋さんが消費者に伝えてきた情報なのだが、・・・・・・・。人間関係が希薄になってしまった現代では仕方のないことなのだろうか。
第114話 災い転じて福と成す
2014年2月23日
 今月8日、何十年ぶりかの大雪になり、農場周辺では40cm以上も積もった。左の写真のように、70cmくらいの高さがあるビニール・トンネルがほとんど埋もれてしまった。温暖化のためか、あるいは寒冷化のためか、根本的な原因はわからないが、人間も野生の生き物たちも、大雪にはほとほと悩まされる。
 今回は、大雪になると覚悟し事前に積雪対策をとっていため、あまり被害はでなかったが、ほとんどの野菜が雪に埋もれてしまい、収穫に苦労した。分厚く積もった雪を手とスコップで取り除かなければならず、両手はちぎれるような痛さに襲われ、雪に足をとられて足腰に大きな負担がかかった。販売はいつもどおりに続けたが、時間の制約で収穫できないものもあり、お客様にご迷惑をかけてしまった。
 また、もう一つの悩みが生まれた。積雪のために土がいつまでもじめじめし、計画どおりに作付けられないことである。育苗ハウスの中に所狭しとある苗は植えられず、小松菜やほうれん草、大根などの種まきは滞ってしまった。そのため、4月中旬からの約1ヵ月間は収穫量が減り、またお客様に不便をお掛けしてしまいそうである。ハウス栽培であれば天候などの自然災害を受けにくく、こんな問題は起きないが、露地栽培では台風シーズンから立春頃まではとても難儀する。
 しかし、積雪は悪いことばかりではない。少なくても、2つの効用がある。まず、畑やその周辺に生き残っているアブラ虫を減らすことができる。今回は、越冬ブロッコリーの一部に大量のアブラ虫が発生してしまった関係で、積雪の直前にそのブロッコリーを撤去し耕しておいた。これでアブラ虫は1匹も生き残れない。残酷なようだが、農薬を使わない農業の現実である。
 また、二つ目の効用は、積雪が土を良くすることである。特に皆生農園では冬の間に畑に米糠を直接まいて土づくりをしているのだが、米糠の分解の過程で微生物が急速に増えるため、土の中の水分が不足しがちになる。そのような状態で積雪があると、積もった雪が徐々に溶けていくので、その不足を十分に補ってくれ、土の改善が一気に進む。
 さらにもう一つ、農家にとっての効用がある。私どもは販売単価をほぼ一定で直売しているので余り関係ないのだが、野菜の値段が高騰することである。先に述べたように、積雪が解消するまでは収穫や作付けができないためである。
 農業は自然相手の職業である。どうあがいても自然の力を超えることはできず、いつも良好な条件下で栽培できる訳ではない。次から次といろいろな苦難に直面する。
 しかし、そんな時でも、より少ない出費と労力でその課題や問題に立ち向かい、「災い転じて福と成す」ことができるか、そこが職業人としての力量が問われる点である。
第115話 自由と代償
2014年3月2日
 農民でない人が農業を始める動機はいろいろある。その中でも、代表的な動機の一つが「農業は、自分のやりたいように、自由にやれる職業だから」というものである。組織や上司の監督下で働くサラリーマンと比べれば、確かに自由度は高い。自己責任において、何から何まで自分で考え、決定し、実行できる。力を尽くし期待どおりの成果が上がった時の達成感は格別である。
 今から30年以上も前の会社員時代、上司のカバン持ちで、2週間ほどアメリカに出張したことがある。初めての海外旅行ということもあって、行く先々、驚きの連続であった。特に強烈な印象が残ったのは、アメリカ人が「自由(freedom)」を強く意識しながら生きていることである。もともとの建国の経緯と精神からして当然と言えば当然なのだが、彼らアメリカ人は自由を神のように崇めているかのように私は感じた。実際、大統領の就任演説の中でも、盛んに「freedom」という文言が使われる。
 ところで昨年末、私どもの畑の脇で2匹の猫が相次いで車に引かれ亡くなってしまった。道路を挟んで反対側の家から、たびたび農場に訪れ、草むらにいるバッタなどの昆虫を食べていた。家と畑の間の道路は、森の中を走る狭い道なのだが、近くにある工業団地に通う人たちの裏道になっており、朝夕の交通量がとても多い。猫は、犬と違い、鎖につないでおくわけにはいかなので、いつか車に引かれてしまわないかと心配していたことが現実になってしまった。
 特に写真の上側の一回り小さい雌猫は、日常的に姿を現わし、作業をしている私に近づき、こちらの様子を興味深げにうかがっていた。時には、腹ばいになり、うつらうつらしながら、収穫作業をしている私を見ていることもあった。そんな可愛い猫の命を、たぶん車は一瞬で奪ってしまったのだろう。家と畑を隔てる狭い道が三途の川になってしまった。まさに、一寸先は闇である。一刻も早く飼い主が見つけられるよう目立つ所に運ぼうと抱きかかえた時、まるで我が子を亡くしたような感情がこみ上げ、涙がこぼれ落ちてしまった。
 最後に、これから新規就農する若者にアドバイスを一つ残したい。それは、農家の跡取りとして就農するケースも含め、自ら選んで農業を始める者は、その自由の裏側にある「自己責任」を常に自覚し、時には「手痛い代償」を払うリスクを覚悟しておかなければならない、ということである。この自覚と覚悟のないまま営農していると、避けようのない厳しい状況に陥った時、非常に大きな精神的、肉体的、そして経済的なダメージをこうむることがある。
 そんな、ごく当たり前のことを、凍てつく大地に横たわる2匹の猫が語っているような気がした。
第116話 安全とコスト
2014年3月9日
 安全の確保にはコストがかかる。残念ながら、それが現実である。社会が豊かになり複雑になるにつれ、安全コストが膨らんできた。
 30年以上も昔になるが、仕事でアフリカに向かう途中、乗り継ぎでインドのデリーに立ち寄った。空港内のトイレで用をたし始めたその時、突然トイレの電気が消え、誰かが私のすべてのポケットを物色したのである。男性ならわかるだろうが、そんな時に抵抗などできるはずがない。昔より治安の悪くなった今の日本でも、なかなかこんな体験はできないだろう。このような体験を海外で何回もしてきた関係で、安全を確保するには不断の注意と膨大なコストがかかると私は痛感している。
 ところで、私たちの安全を確保するものと言えば、昔なら自衛隊と警察のほかには、身の回りにそれほど多くはなかった。それが今では、実にたくさんの組織や制度、機械やシステムなどが私たちの生活を四六時中すっぽり包み込み、実に多くの人々が安全確保に携わっている。当然のことながら、相当なコストを私たちは負担している。にもかかわらず、空気と水と安全はタダと思いがちな日本人は、日頃ほとんど意識していないのではないだろうか。30代の研修生に「私たちの安全は何によって確保されているか?」と問うてみても、案の定、自衛隊と警察しか即答できなかった。
 8年ほど前、最寄りの駅の真ん前に高層マンションが建った。そこに住む方に野菜を宅配する時、警備の厳重さに驚いた。部外者の入口は1カ所しかなく、インターホーンで訪問先の方が解錠しないと入れない。新聞や郵便を受け取る場所も外界と遮断されている。戸建てなら宅配の授受で玄関を開けなければならないが、そのマンションでは宅配も守衛人が受け取ってくれる。外界と隔絶され安全が隅々まで確保されていた。
 他にも、安全確保のシステムはたくさんある。信号機や交通標識、長大な河川の堤防や港の防波堤、医薬品の何段階もの安全試験、上空から眺めると星々のように輝く無数の街灯、大小さまざまな警備会社などは昔からある。近年は通信網のセキュリティー・システム、隅々まで張りめぐらされている監視カメラ、宇宙から地上を監視している偵察衛星、・・・・・・・・。本当に挙げたらきりがない。これらのために費やされている安全コストを累積すると、たぶん自衛隊などの防衛予算を超えるのではないだろうか。
 そして、今後さらに膨大な安全コストを私たちは負担しなければならない。それは、老朽化したビルや橋、トンネルや上下水道網などのインフラ補修のコストにくわえ、終わりの見えない原発事故の後始末と核廃棄物の処理コストである。これらの安全コストは、想像も試算も難しい。たぶん有益なものを新たに生産することもなく、財政的な負担が私たちの未来を重苦しくするだけだろう。そのことを痛烈に知らしめた原発事故から、もうじき3年になる。
第117話 日本の有機農産物はなぜ高いのか
2014年3月16日
 昨年末、神戸から電話が入った。来年オープンするカフェで有機栽培の野菜をぜひ使いたく宅配してもらえるか、という話しであった。千葉から送ると送料が高くつくので地元で仕入れることを勧めたところ、地元では手ごろな値段で買えないと嘆いていた。
 日本では、有機農産物の需要に対して生産量があまりにも少なく、加えて生産効率が悪いため、値段が高止まりしているのである。かつて、私どもの農場で働いていたアメリカ人青年も値段の高さに驚いていた。母国では有機農産物がとても安く売られているという。
 ドイツのボンにあるIFOAM(国際有機農業運動連盟)のデータによると、有機栽培している農地の面積で世界一はオーストラリアで、12,000,000ヘクタールあるという。日本には9,000ヘクタールしかない。国土の面積と農地の利用方法が違うので単純には比較できないが、あまりにも差がある。農産物の安全性が問題視されている中国でさえ1,800,000ヘクタール近くあり、日本の200倍である。農林水産省の2010年のデータによれば、全農産物に占める有機農産物の割合は0.18%しかない。
 日本の有機農産物の生産量が少なく値段が高い原因を生産現場に探ると、大きな原因が3つ見つかる。まず一つ目は気候である。梅雨時にカビが生えやすいが、植物の病気もほとんどがカビによるもので、高温多湿の期間が長い日本では病気が多発し、農民は殺菌剤を手放せない。例えばブドウは、土の痩せた乾燥地で栽培すると病気は発生しないが、関東以南では梅雨の時期に病気が発生しやすい。加えて、高温多湿のために草がはびこりやすく、除草剤も広く普及している。
 二つ目の原因は農地である。だだっ広い農地であれば、その中に生息する害虫をひとたび徹底的に駆除すれば、その後はほとんど発生しない。しかし、日本では農地一枚あたりの面積が非常に狭いため、自分の農地を対策しても周囲の農地から害虫や病気が侵入して来る。当然の結果として、農薬を使い続けることになる。
 そして、あえて三つ目の原因を挙げるとすれば、それは農民の知恵の退化があるかもしれない。50年ほど前までは、日本では農薬をほとんど使用していなかったのである。
 次に、消費側の原因を指摘したい。戦後、食生活の変化、いわゆる「洋食化」が進む中で、消費者は食の贅沢を追求してきた。例えば、一年中トマトを食べる習慣がすっかり定着した。それも、より甘いトマトを食べたいという消費者が圧倒的多数である。しかし、トマトは本来、夏の野菜であり、昔は酸っぱいのが当たり前であった。昔ながらの酸味の強いトマトを夏に栽培すれば病気に強く有機栽培もさほど難しくはないが、季節外れに甘いトマトを栽培すれば、病気との戦いになり農薬を使わざるをえなくなる。さらに、ハウスを暖房するために石油を燃やすので生産コストが増える一方で、冬は日照量が少なく寒いので期間あたりの収穫量が少ない。それらは結局、すべて値段に反映されてくる。
 最後に、流通側の原因を挙げよう。日本では有機農産物を求める消費者が都会に集中している。一方、それを生産する農家は2つのタイプがあり、おもに都市近郊で栽培し直売しているタイプと、都会から離れた地域で栽培し生協や「・・・・・の会」などという販売組織を通じて供給しているタイプがある。前者は、生産効率が悪いので、販売価格を高く設定する傾向がある。後者は、生産効率は良いのだが、販売組織に依存するため流通経費が上乗せされる。結局、どちらのタイプでも末端価格が高くなってしまうのである。
第118話 機械化と農業
2014年3月23日
 人類が築いてきた文明には、際立った特徴がいくつかある。まず文明は、争いや戦争を引き起こし、無数の戦死者を礎に発達してきた。これは学校での歴史教育の中で、嫌というほど教えられる。二つ目は、農耕の普及によって自然をとめどなく破壊してきた。文明の興亡は、豊かな自然とその破壊の歴史でもあった。三つ目は、貨幣の発明と輸送手段の発達により、物を広範囲かつ容易に移動することができるようになった。コンピューターの出現以降、その勢いは加速する一方であり、豊かさの裏側にある物質文明の貪欲さがあらわになってきた。四つ目は、太古の文明は各地に点在しその接触や影響は限られていたが、蒸気機関を備えた外洋船によって一気に文明のグローバル化が進んできた。
 そして、五つ目に機械化が挙げられよう。つねに文明は、いろいろの方法を考案し、生産効率の向上を追求してきた。なかでも、機械化がもっとも力を発揮してきた。産業革命以降、その傾向は急速に進み、今やコンピューターが機械を自動制御する時代になり、生産効率は桁違いの飛躍を見せている。そして、私たちの生活は機械なくして一時も立ちいかなくなった。
 その機械化は、農業分野にも押し寄せてきた。欧米に比べて遅れていた日本でも、戦後の高度経済成長の波に押され、農村の隅々まで機械化が浸透した。かつて「農業は耕すことなり」と言われたが、今や「農業は機械を使うことなり」とでも言えようか。各種の機械なくして農業は成り立たなく、人類の生存も農業機械なくして成り立たなくなっている。
 そして機械化は、新たな職種を生む一方で、機械化しやすい職場から人を排除してきた。近い将来、車の運転は自動化され、私たちの生活を日々支えている流通網も大きく様変わりし、ドライバーが減っていくだろう。大容量の高速コンピューターが、膨大なデータを分析し判断業務を十分にこなせるようになり、オフィスの中間管理職員が激減するかもしれない。機械をうまく使いこなせる人が豊かになり、機械に負けた人が職を失い貧しくなる。そんな時代に突入しつつある。
 では今後、農業分野は機械化の影響をどのように、どの程度受けるのだろうか。そのことを考える上で、アメリカ産ブロッコリーが示唆に富んでいる。空輸コストをかけても末端価格が100円前後ということは、農家の手取りは数十円であろう。そのブロッコリーの収穫の様子をテレビで見たことがあるが、広大な農地で中米からの移民たちがナイフを片手に黙々と収穫していた。農薬散布などに飛行機まで使っているアメリカで、ブロッコリーの収穫はコストのかさむ人手に頼っているのである。
 トラクターなどの大型機械を衛星のナビを使って自動操縦する技術が開発されつつあるが、それが実現したところで、大した省力化にはならない。農業分野の機械化は行き着く所まですでに行き着き、野菜工場を除けば、機械化の余地はほとんどない、と私は思っている。少なくても日本では、一区画あたりの農地面積が狭く、また天候などの自然の影響を大きく受けるため、画一生産が難しい。したがって、これ以上の機械化を目指してもコスト的に合わないであろう。とりわけ、野菜や果物の収穫作業ではそうである。
 多くの産業分野で機械に人が疎外され駆逐されかねない将来においても、農業分野は人の力に頼っていくであろう。だから、私は農業を選んだ。
第119話 天気を読む
2014年3月30日
 人は弱い。横着である。そして、自分がもっとも可愛い。だから、いつも言い訳を用意している。もっとも口にする言い訳は「時間がない」である。次は「お金がない」かもしれない。幼い子どもでさえ、親に叱られれば、「だって、・・・・・・」と言い訳をする。子どもの言い訳は成長に不可欠であるが、大人の言い訳は、進歩を妨げ、明るい未来を自ら閉ざすようなものである。卑近な例だが、私のところで研修し独立後も就農し続けている人に共通しているのは、忍耐強く、研修中にけっして言い訳を口にしなかったことである。
 ところで、農民がよく口にする言い訳は天候についてであろう。台風、猛暑、遅霜、降雹、異常寒波、長雨、日照不足、・・・・・・・。天候には言い訳のネタがつきない。それらを象徴する一言が「農業はお天気次第だからなー」である。この一言で、自分の至らなさを水に流そうとする。
 確か2000年であったろうか、5月24日に季節外れの雹が大量にふった。パチンコ玉をこえる雹が雪のように積り、ほとんどの露地野菜が一瞬にして全滅した。もちろん私も「これじゃ仕方ない」と、その時は思った。途方に暮れながら野菜や資材を片付けたことを今でも鮮明に憶えている。
 ハウス栽培の普及と、各種の資材や栽培技術が開発され、天候の影響を昔ほどは受けなくなった。それでも、やはり露地栽培は今でも天候の影響を大きく受ける。秋の台風シーズンから春の遅霜シーズンまでは気を抜けない。それにもかかわらず、この期間は満足な利益が出にくい。
 しかし、農業を生業とするなら、「農業はお天気次第だから、仕方ない」と言って済ます訳にはいかない。「人知を尽くして天命を待つ」ならいいが、できる対策もせず自然災害を座して待つようでは、他の業界で頑張っている方々に笑われてしまうのが落ちである。「やるべきことをやったのか? 本当にベストを尽くしたのか?」と。
 いくらハウス栽培が普及しようが、人口の光を使った野菜工場が増えようが、農業は天候に大きく左右される。それは宿命である。であればこそ、日々の天気の推移をモニターするのはもちろん、1週間先までの天気の変化くらいは具体的に把握し、それに沿った段取りを組んで作業に当るのは当然である。さらに半年くらい先までの天候も予測して栽培計画を立てると、より失敗率を減らすことができる。農業以外の業界でも、天気や天候を読むことはすでに常識となっている。コンビニなどの小売業ではその日の天気に合わせて商品を発注し、製造業では長期予報を参考にして生産計画を立てている。
 農民も、今や農場に居ながらにして、携帯電話やスマホを片手にリアルタイムで天気の変化を知ることができる。これら画期的なツールを使ってまで営農することに違和感を持たれる方もおられようが、「農業はお天気次第だからなー」などと言い訳するのは職業人としての意識が薄いのではないだろうか。
第120話 早起きは三文の徳
2014年4月6日
 彼岸も過ぎ、日の出がだいぶ早くなった。私どもでは、日の出に合わせて始業時刻を変えるため、今月からは6時30分に作業を始める。4月でも霜が降りることがあるので、太陽が昇っていても早朝はまだまだ寒い。
 ところで、勤労者の圧倒的多数がサラリーマンになり、生活パターンが夜行化したからだろうか、「早起きは三文の徳」という諺の影が薄くなった。若い世代にきいても、その意味はわからないであろう。
 そんな時代になっても、まともに営農している農民の多くは早朝から働いている。体を酷使することが多いので早起きが辛い時もあるが、そうしないと農民は喰っていけないからである。
 私は、研修に来る新規就農者にできるだけ早朝から働くように必ず勧める。どんなに知識があっても、どんなに体力があっても、早起きが苦手な人は挫折しやすい。重役出勤する新規就農者を地元の農民は相手にしない。「周りの人たちは君の作業が良いか悪いかなど見ていない。研修生が立派な成果など上げるはずがなく、地元の人はそんなこと十分わかっている。ただ、遠巻きに静観し、早朝から頑張っている姿に共感するだけなんだ。」とアドバイスする。
 かく言う私も、もともとは夜型人間であった。農薬を使う一般的な農業から農薬を使わない有機農業に転換した頃から、仕方なく朝型に変えてきた。だから、今でも早起きは辛い。
 では、なぜ有機農業では早起きが不可欠なのか。いくつかの例を挙げて説明したい。まず、害虫の問題が一番の理由である。害虫の中でも、昆虫の被害を最小限に抑えるためには、早朝の種まきや苗の植え付けが有効なのである。なぜなら、それらの害虫は夜か暖かい時間帯にしか飛ばないため、早朝は比較的安全なのである。
 次の理由は天気の悪影響を最小限にすることである。特に雨の影響は日常的で、有機農業をしていると、雨の降る直前に行なう作業がいくつもある。したがって、まずは早朝に農場にいる方が何かと有利なのである。例えば、アブラ虫に付かれてしまった野菜を片付ける際、アブラ虫が地面にこぼれる。それを放置すると、周辺の作物に移動してしまうが、片付けた直後に軽く耕し、その後間もなくある程度の雨が降ればアブラ虫はほぼ完璧に駆逐できる。この作業を他の作業の合い間をぬって行なうには、やはり早起きが欠かせない。
 三つ目の理由は作業効率の関係である。第117話「日本の有機農産物はなぜ高いか」でも述べたように、日本の農地の一区画は非常に狭いため作業効率が良くない。加えて、一般的な栽培方法に比べ、有機栽培すると作業の種類が増えるため作業効率がさらに落ちてしまう。したがって、早朝から畑に出て作業時間を増やさないと、作業をこなせないのである。
 このような現実から、有機農業を生業にする者にとっては、「早起きは三文の徳」以上に、絶対条件と言っても過言ではない。
第121話 アリと指
2014年4月13日
 7、8年前になろうか、北海道大学の長谷川英祐先生がNHKラジオでアリについて話された。とても示唆に富んだ研究に目から鱗が落ちたような気がした。リスナーの反響がとても多かったらしく、再放送された。
 アリも、人間と同じように、集団で暮している。「女王アリを頂点に、すべての働きアリたちが一所懸命働き、社会をうまく機能させている」と私たちは思い込んできた。イソップ寓話「アリとキリギリス」でもアリは働き者として描かれている。
 ところが、長谷川先生の観察によると、働きアリの2割ほどは、働かず、ぼーとしていたり、好き勝手なことをしている。しかし、それまで働いていたアリを取り除くと、働いていなかったアリがしっかり働き始めるのだという。長谷川先生は、「すべてのアリが必死に働くよりも、働かないアリがいる場合のほうが、平均して長く集団を存続できる」と分析している。興味のある方は先生の著書「働かないアリに意義がある」を読んでいただきたい。
 アリの社会が持っている「ゆとり」は人間社会でも重要であり、農業を営む上でも不可欠である。農業は、1年や2年で完結する仕事ではない。本気で関わるなら一生の仕事になる可能性が高い。したがって、ただ体を動かすだけでなく、時には心身をリフレッシュしたり、じっくり考えることも必要である。やみくもに働くのは水槽の中でクルクル泳ぎ回る金魚のようなものである。
 話しは変わって、指の話し。人類が、今のような文明に到達した理由はいくつかある。確か中学生の時、「二本脚で歩くようになったから」、「言葉を巧みに使えるようになったから」、そして「火を使えるようになったから」と教わった気がする。現代では、どうのように学校で教えているのだろうか。
 それらに加えて、「人類が巧みに手を動かせる」ことも多きく影響したのではないかと私は思っている。とりわけ、他の生物に比べ親指の動きが際立っており、微妙なタッチや繊細な動きが可能である。さらに、親指の先端は他のどの指とも合わせることができる。これらの結果、人類は巧みに道具を作り、それらを使いこなせたのだろう。現代では、携帯電話やスマホの操作は親指で行なっている。まさに、親指の成せる業である。
 ところが現代の若者は、親指を巧みに使える割には、どうも手全体の動きが鈍く、不器用なように私は感じている。農作業を一緒にしていても、事あるごとに見受ける。たぶん、幼い時から親指でゲーム機のキーを押し続けてきても、遊びや生活の中ですべての指を複雑に使いこなす訓練をしてこなかったためであろう。
 人間が本来持っている「指や手を巧妙に動かす」能力は、農業をするうえでも非常に重要なのである。いくら農業に関する知識があっても、どれほどの体力があっても、指や手を正確かつ素早く動かす能力が劣れば、ゆとりなど生まれるはずもなく、当然、じっくり考えることなどできなくなるのである。
第122話 チャレンジとミス
2014年4月20日
 人はなぜか失敗を何度も、何度も、何度も繰り返す。私も、還暦を過ぎ人生を振り返ると、失敗や過ちの連続であったことに気づかされる。そのほとんどを思い出せないほどである。それらに比べたら、成功体験など微々たるものである。
 かつて第96話の「失敗を繰り返す」で失敗について述べたが、今回は別の視点からまた述べてみたい。
 なぜ人は失敗するのか。ひとことで言えば、「能力以上のことをしようとチャレンジするから」とも言える。あらかじめ決められたルーティン・ワークをこなすだけなら、よほど気を抜かないかぎり、あるいは悪意を持って恣意的に行動しないかぎり、失敗は起きない。その典型的な例は列車の運転である。日本では、決められた運転ルールをあえて破らないかぎり、列車事故はまず起きない。
 しかし人間は、持って生まれた気質からか、何事にもチャレンジしたがる。特に若者はそうしたがる。その旺盛なチャレンジ精神こそが、数々の文明を築き現代のような世界を実現してきた。しかしその一方で、絶え間ない失敗の歴史を刻んできたのも事実である。その失敗の一例が野心に満ちた老練な指導者に先導され戦争に突き進んだ歴史である。
 ところで、どんな職業でも失敗を一定以下に抑えないかぎり、その職業で喰っていくことはできない。かと言って、競争社会に身を置くかぎり、失敗を恐れずチャレンジしなければ、遅かれ早かれ、やはりその職業では喰っていけなくなる。実に現実は悩ましい。
 農業分野も同じである。日本では、政府も含めた農業関係者が、既得権益を守るために実質的にカルテルを結び、新たなことにチャレンジしてこなかった。時には、チャレンジしようとする者を叩いてきた。だから、日本の農業は衰退したのである。もう、そんな歴史に終止符を打ち、若いチャレンジャーをもっと快く迎え入れなければならない時代になった。
 ところが、チャレンジは必ずミスを誘発し、些細なミスも度重なると大きな失敗を招きやすい。そのミスは少なくても6種類ある。それらは、計画ミス、判断ミス、能力不足ミス、うっかりミス、横着ミスである。これら5種類は、本人の内的要因によるもので、どんな職業に就こうが起こりえる。そして、6つ目は外的要因によるミスである。特に農民は自然現象に起因する外的要因ミスを犯しやすい。
 これら6種類のミスの中で新規就農者が犯しやすいミスは、計画ミス、判断ミス、能力不足ミス、自然現象に起因する外的ミスである。いずれも経験不足からくるミスである。もちろん、他の分野で働き始めた新人もこれらのミスを犯しやすいが、会社などの集団の中で働く場合は、経験豊かな上司や先輩などが一緒に働くため、ミスを未然に防ぐことが容易である。
 しかし、農業は基本的に自営のため、周囲の者のチェックやフォローがとても少ない。特に農家以外の者が新規に農業を始めると、これらのミスが頻発する。ちょっとしたミスが大きな失敗に結び付くことは少なくない。新規就農者の挫折の大きな原因になっていると私は思っている。
第123話 就農投資
2014年4月27日
 「どれくらい資金を用意したらいいでしょうか?」と、新規就農を希望する人から尋ねられることがある。実に答えにくい質問である。家族構成や本人のライフ・スタイル、希望する農業形態や就農地などによって必要となる資金は大幅に異なるからである。もちろん、本人の能力や年齢も関係してくる。だから、一概に言えないのである。それでも、農家出身でない場合は、「1000万円くらいは用意した方が良いですよ」と一応アドバイスする。とにかく、一から農業を始めるには、よほど幸運に恵まれないかぎり、相当な資金が必要になる。農業に精通された著名な研究者が「農業は装置産業だ」と表現されたことがあるが、まさにそのとおりである。順調に利益がでるまで、投資の連続である。
 ところで、新規就農を希望する人の中には、「学ぶことへの投資」も必要であることを甘く考えている人が少なくない。そのような人は、就農投資として機械や資材の購入とか、軌道に乗るまでの生活費くらいしか想定していないのである。
 改めて言うまでもないだろうが、農業で生計を立てるには、それ相応の農業技術が必要である。くわえて、出費を抑え経営を安定させるには、農業に関する技術だけでなく、他の分野の技術も必要になる。特に、機械類を修理する技術、施設を建築する技術、電気や水道などを工事する技術、そして経理事務はきわめて有効である。
 もちろん、農家にとっては農業技術がもっとも重要であることに変わりはない。生業として農業を営んでいる農家は多岐にわたる農業技術を駆使している。一つひとつ挙げたら、数冊の本になるくらいである。農業経験のない就農希望者がプロの農家で毎日みっちり実習しても、1年くらいではマスターしきれない程である。
 しかし現実には、技術の重要性を具体的に認識しないまま就農してしまう人たちがいる。当然のことながら、そのような人たちは、失敗の連続に心身とも疲弊し、資金が尽き、挫折してしまう公算が高い。
 課題は技術の習得だけではない。技術を単に模倣するだけでは不十分である。私の経験では、ほとんどの実習生は技術の根底にある基礎知識も不十分である。例えば、農業に直結した基礎知識である「光合成」や「発芽条件」を質問すると、その内容を具体的に答えられない人がいる。あるいは「比熱」や「比重」といった中学校で習ったことさえ忘れてしまっている人が多い。少なくても義務教育レベルの理数系知識くらいは頭に入れ、技術の意味を深く理解し、学んだ技術を自分なりに応用できるようになるまで磨かなければ、斜陽産業である農業で喰っていくのは難しい。
 さらに、前話「チャレンジとミス」で述べたミスを減らすためにも、できれば実習期間に技術だけでなく失敗体験もたくさん学び疑似体験することである。それらを自分自身の財産にしてから独立してもけっして遅くはない。遠回りのようだが、結果的には近道になる可能性が高いのである。
 農業経験のない人が農業を始めようとする時、まず学ぶことが非常に重要であり、学ぶことへの投資も就農投資の一つなのである。
第124話 「やりたい事」と「やるべき事」
2014年5月4日
 大きい組織で働こうが小さい組織で働こうが、あるいは一人で働く場合でも、仕事に一生懸命とりくむと、なぜか「やりたい事」よりも「やるべき事」のほうが多くなりやすい。「あれもやりたい、これもしてみたい」と思っていても、目の前には「やるべき事」が次々と発生してくる。その多くは気の進まないものである。それが仕事というものなのだろうか。
 農業も例外ではない。猫の額ほどの家庭菜園で趣味の農作業をするなら別であろうが、生業として農作業をするのであれば、気の進まない「やるべき事」が山ほどある。露地野菜を作っている農家にとって、その代表格が草取りと畑の片付けである。今までたくさんの農家の方々と知り合いになったが、誰一人として草取りや畑の片付けに喜びを感じている人はいなかった。畑が草だらけになってしまったら、野菜を効率よく作れなくなることを誰もが知っているし、収穫の終わった畑を片付けなければ次の作付けができないことくらい十分わかっている。
 しかし、ほとんどの農民にとっては、草取りや片付けは生産的な作業と思えず、心身ともに疲れる作業なのである。つまり、気の進まない「やるべき事」なのである。
 左の写真は高齢化が進む日本農業を象徴するようなものである。左側はきちんと使っている畑、真中の畑は除草剤で草を枯らしたりトラクターで耕し最低限の「やるべき事」をしている畑、右側の草地は放棄地で「やるべき事」を放棄した畑である。すでに3年以上もこの風景が続いている。
 「やりたい事」を農業の中にもっと増やすにはどうしたら良いのだろうか。私はずっと模索を続けてきた。
第125話 富を生まない借金
2014年5月11日
 前話に続き、農村の現実を知っていただきたい。
 私の住んでいる市は梨の生産量がとても多い。千葉県下でも有数の生産地である。我が家の近くにも大きな梨園があり、右の写真のように、春先から秋にかけ「SS」という農薬散布機がもうもうと農薬を噴き上げている。50mほど離れてはいるが、風向きによっては自宅まで飛んでくる。
 かつては至る所からSSの轟音が鳴り響いていたが、近年その轟音があまり聞こえなくなってきた。梨農家が次々に廃業しているからである。そして、梨の木が撤去され住宅用の土地に変えられていく。特にここ1、2年、あちこちの梨園が宅地化されているので、何か理由があるのだろうと、地元の梨農家の方に事情を尋ねてみた。すると、4つの理由を挙げられた。
 まず、後継者がいないこと。
 次に、税金があまりにも高いこと。市街化区域内では1000平米(1反)あたり年間30万円の固定資産税がかかるので、300万円を超える税を支払う梨農家も珍しくないという。さらに、その梨園を子どもに相続する際には億という相続税がかかるというから、生きている内に処分したくもなる。これに拍車をかけているのが農地を宅地化できる期限が迫っていることである。市の条例により、来年3月までに宅地化の許可を得ないと、その後はなかなか許可がおりなくなる。この機を逃すと、税金を払いきれず、借金地獄に陥ってしまうのである。
 三番目の理由は、梨園の周辺に移り住んできた住民の苦情である。冒頭で述べたSSによる農薬散布は、毒性の関係で早朝行なう。その際、SSが轟音を放つため、市の環境課に苦情が入るという。また、肥料や堆肥をまくと、その臭いが周辺に漂い、これも苦情の元になってしまう。そのため、続けたくても、続けられなくなる。
 そして、四番目の理由は借金である。かつて梨は贈答用として高値で売られていた。市川市には梨御殿が何軒もあった。しかし、1990年代初めのバブル経済の破綻から続く不景気で贈答用がめっきり減り、多くの梨農家が安値で市場に出荷せざるをえなくなり、売上額が減少してしまった。その結果、営農に投資するというよりも、税金を払うため、あるいは家族の生活を支えるために借金を重ねてきた。いくら頑張っても借金が返せず、上述のように梨園を宅地に変えざるをえなくなったのである。つまり、これらの借金は結果的に、新たな富を生むことへの投資ではなく、新たな富を生まない借金になってしまった。 この梨農家の例はけっして他人事ではない。インフレ経済のもとでGDPや所得が右肩上がりの時代であれば、借金は新たな富を生む可能性が十分あった。しかし、これからの日本は少子高齢化がいっそう進みデフレ経済下で国力が衰えていくことが予想されるので、借金は新たな富を生むどころか破綻のリスクを大きくする。梨農家は農地を宅地に変えれば何億というお金が入るが、国は一体どうするのであろうか。
第126話 3つの「乏しい」と3つの「ない」
2014年5月18日
 かつて、第69話の「七つの力」で、新規就農者が営農する際に必要な「力」について述べた。それらは、財力、体力、忍耐力、基礎学力、思考力、人間関係力、そしてコミュニケーション能力の7つである。
 これらの中で、特に必要と私が思っているのは、忍耐力、基礎学力、思考力の3つである。これらに乏しい人は、相当な財力がない限り、農業参入を再考した方が良いだろう。容赦のない自然の脅威、病害虫や雑草との闘い、他の農家との競合、激しい低価格競争、なかなか休日などとれず過酷な肉体労働の連続などが前途に待ち受けている。どれをとっても、実に手ごわい。昔から続けてきた農家が次々に辞めていくのも当然である。だから、こんな業界で生き抜くには相当な忍耐力がいる。
 また、基礎学力と思考力の重要さは何も農業に限ったことではない。どんな業界でも欠くべからざる能力である。ただ、ここで私があえて挙げたのは、農業に就きたいと希望する人の中に少なからず基礎学力と論理的な思考力に乏しい人がいるからである。
 では、これら3つの能力が備わっていれば就農しても大丈夫かと言えば、現実はそう甘くない。どうにか生活できる程度の所得を確保するには、少なくても3つの「ない」を常に意識し、可能な限り実行しなければならない。
 それは、まず無駄なコストをかけないことである。コストと言えば「お金」を連想しがちだが、手間も忘れてはいけない。農業の指導書や参考書、あるいは学校の先生や農業指導者は手間も重要なコストであることをほとんど指摘しない。先生や農業指導者はもちろん、指導書や参考書を執筆する人たちの多くは農業で喰っている訳ではないからある。コスト意識が甘くなるのも当然である。
 2つ目の「ない」は、できるだけ失敗しないことである。土づくりに努め肥料を適切に施し種を蒔き、その後いくつかの管理作業を行なっても、病害虫や雑草、あるいは自然災害などの被害にあい収穫までこぎつけなければ、結果的には失敗なのである。その間の努力は徒労に終わり費用が逃げていくのだからマイナスなのである。
 そして最後の「ない」は安易に諦めないことである。限度を超えない範囲で、とにかく諦めない。
第127話 生産と消費
2014年5月25日
 昔は多分、「消費者」という言葉はもちろん、「消費」という概念さえなかったかもしれない。江戸時代に「士農工商」という身分階級が確立されても、人口のほとんどは農民であったから、生産者と消費者を峻別する意味がなかったのであろう。
 ところが、工業製品が社会に溢れ始めた頃から、使い捨ての文化が浸透し、消費という概念が社会的地位を得、生産者と消費者が対等に語られるようになった。そして、農林水産業の衰退に反比例するかのように、消費者が勢いを増し、生産者を圧倒するようになった。
 そして、「お客様は神様です」という名文句を歌手・三波春夫氏が使うようになってから、いろいろの場面でこの言葉は使われるようになった。社訓や社是に掲げる企業も少なくないであろう。物やサービスを売る者が消費者を、「お客」と呼ばず、「お客様」と呼ぶようにもなった。この範囲ならまだしも、消費者は生産者や販売者に対して理不尽な態度、あるいは横柄な物言いをしても構わないという風潮が蔓延している。どうも私は違和感を覚えてならない。
 私たちの生活を支え命をつないでいる物は、けっして空から降ってくるものではなく、人々の生産活動の結果である。その生産活動を消費活動の下位に置き、あたかも消費者が生産者を支配するような社会に、あるいは文明に深い危機感を感じるのは私だけだろうか。
 しかし、金属と石とプラスティックに埋め尽くされた無機質な都会を離れ、豊かな自然環境をじっくり観察すれば気づくであろう。自然界は実に見事である。生産と消費は「物質の循環」という法則のもとで対等な関係、あるいは相補関係にある。
 人間界も同じではないだろうか。生産があって消費があり、消費があって生産がある。江戸時代までの都市と農村はそんな関係にあったらしいが、残念ながら、現代はそんな関係が希薄になってしまった。深刻な食糧危機にでもならないかぎり、生産と消費の対等な関係が成立しないのだろうか。あるいは、国家の財政が破綻し、行き過ぎた貨幣経済が是正されなければ、実現しないのだろうか。
 できれば、そんな過酷な状況に追い込まれる前に、生産と消費が対等に扱われる時代が来て欲しい。
第128話 親の期待、子の希望
2014年6月1日
 昭和36年、「農業基本法」が制定された。高度経済成長とともに拡大した農工間の所得格差の是正が最大の目的であった。この法律に基づき農地の基盤整備に多額の補助金が投じられるとともに、大型農機具の普及よって日本農業の近代化が一気に進められた。戦後の農業がもっとも活気に満ち、米の生産量がピークに差しかかった頃である。
 ところが、国の政策の結果、生産性と農家の所得を伸ばすことには成功したものの、皮肉にも政策の目的とは裏腹に農家の戸数は年々減り続けてしまった。生産性の向上によって大幅な労働力の余剰が生まれ、加えて工業分野の労働賃金が飛躍的に上昇したため、東京や大阪などの都市部へ農民が流失してしまったからである。農村から都会への人口流出は年々加速し、農業の担い手不足が深刻化した。農業基本法が制定された頃600万戸を超えた農家が、平成20年には250万戸ほどになり、専業農家にいたっては41万戸に落ち込んでしまった。
 一般的には、農民人口の減少がこのように語られる。しかし、はたして効率化と経済的な理由がすべてであったのだろうか。
 私は、職業選択の自由が憲法で保障されたことも影響していたように思っている。
 時代をさかのぼれば、農家の長男は農業を継ぐのが当たり前であった。望むと望まざるとにかかわらず、親と同居し親の老後を世話し、代々の墓を守ることが長男の宿命であった。私の父親は、8人の弟妹と自分の5人の子どもたちを養うため、親の期待にこたえるために、農業高校の教師になる希望を捨て、農家を継いだ。私と10歳違いの長兄もまさしくそのような人生を歩んだ。2人とも農業をしたくて農家になった訳ではなかった。農家は世襲という常識としがらみから抜け出せず、親の期待と自分の希望が食い違ったまま人生を終えてしまった。
 私の実家の例は、たぶん特殊ではなかったろう。農村ではごくありふれた状況であったろう。
 農家に限らず、親の期待と子の希望はなかなか合致しない。それが職業ともなれば、なおのこと合致しにくい。戦後、憲法で職業選択の自由が保証されたからというもの、合致しなくて当然という社会になった。経済が右肩上がりの時代は、それで良かった。あるいは、それが良かった。
 ところが、今や長く続くデフレ経済下で、満足な就職先を見つけられない若者が年々増え続けいる。こんな時代で、「職業選択の自由」はどんな価値、どんな意味を持つのだろうか。
第129話 虐(しいた)げられた者が新しい時代を切り拓く
2014年6月8日
 恐竜などの大型動物が繁栄していた頃、哺乳類は、常に肉食動物に狩られる危険のなかで、ひっそりと生き続けてきたという。今のネズミのようなものであったかもしれない。その当時の哺乳類は、後々こんなにも繁栄する時代が来るとは、とても想像できなかったに違いない。
 植物の世界でも、同じことが起きてきた。その変遷を生態学の用語で「植生の遷移」というらしいが、現代の短期間を見ても、やはり虐(しいたげ)られやすい植物でもしたたかに生き延びている。例えば、小松菜がそうである。関東人の食事に欠かせない小松菜は、成長力の大きな夏草が寒さのために生えにくくなった頃、そっと芽をふく。厳寒のなかをゆっくり育ち、来春には他の草が生えないほど茂る。そして写真のように、見事な黄色い花をたくさん咲かせ、大量の種を大地にふりまき、夏草が枯れる秋を待つ。
 人類の歴史をふり返ってみても、まったく同じことが言える。今の中国も、虐(しいた)げられていた農民階級の支援をうけた共産党が長征の末に権力を握ったものである。また、アメリカ社会の中心にいる白人たちのルーツは、かつてヨーロッパで虐(しいた)げられ、新天地を求めて移住してきた人々がほとんどである。日本に北方や南方から渡ってきた人々も、それまで住んでいた社会のなかで虐(しいた)げられていた人々ではなかったろうか。
 ところで、農家の三男として育った私は、都会の高校、大学、会社へと通うようになり、農家出身であることがとても嫌であった。都会育ちの同級生は小学生の頃から学習塾に通い、利発で、私は劣等感にさいなまれた。その劣等感の根底には、農民が昔から延々と虐(しいた)げられてきた下層階級であったという厳しい現実があった。30代になり、難民キャンプで救援活動を行なうなかで食料生産の重要性を痛感し、農家出身という劣等感をやっと乗り越えられた。
 理屈では、あるいは理想としては、「人の価値に差はなく、職業に貴賤はない」と言われているが、現実は理想から大きくかけ離れている。農民は、人々の命を支えてきたにもかかわらず、いにしえより非農民から抑圧され虐(しいた)げられてきた。農民に支援されて政権への道を歩み出した中国共産党でさえ、結局は農民を搾取してきた。
 しかし、世界の状況がこのまま進めば、農民が搾取されない時代が必ず来る。「虐(しいた)げられた者が新しい時代を切り拓く」時がそこまで来ている。なぜなら、人類はかつて経験したことのない状況に置かれているからである。それは、人口の爆発的急増、核兵器の保有、民主主義、経済のグローバル化である。この4つの状況が変わらない限り、農民が搾取されない時代が来ると私は確信している。そして多分、その大規模なうねりは中国から始まるような気がしてならない。
第130話 虐(しいた)げられた者が新しい時代を切り拓く(2)
2014年6月15日
 人類は賢いか、それとも愚かなのか。難しい問いである。これから述べることは、どちらかと言えば「人類は賢い」という観点から考察した結果である。
 前話では、「いにしえより虐(しいた)げられてきた農民が搾取されない時代が来る」と述べた。その根拠として、人口の爆発的急増、核兵器の保有、民主主義、経済のグローバル化という世界的状況を挙げたが、今話ではこれら4つの状況と農民の解放との関連を考えてみたい。
 まず、人口の爆発的急増を起点に考える。この急増は、多少のブレーキがかかることはあっても、今後数十年は反転しないだろう。急増の根底に生物としての本能があり、くわえて突出した生殖能力を持つ人類が自然に減っていくとは考えにくいからである。日本や韓国は例外的な国である。中世、ヨーロッパで伝染病が発生し人口が1/3に激減したことがあるが、教育と医療と情報ネットワーク、さらに交通網の発達した時代において、中世と同じようなことは起きようがない。人口が減るとすれば、核戦争か巨大隕石の衝突、あるいは地球外生命体による侵略くらいしか想像つかない。この中でもっとも具体的に懸念されるのは核戦争である。
 しかし、これだけ核兵器が世界中に拡散してしまった状況下では、国家間で「刺し違え」を覚悟しない限り、核戦争を起こせない。私には人類がそこまで愚かとは思えない。
 結局、人口の急増が反転することはなく、世界的な食料不足が進む。さらに人口の増加だけでなく、肉食化と農地の荒廃がそれに拍車をかけ、食料生産の重要性がいっそう高まる。
 そうなった時、昔のような国家による食料統制が起きるだろうか。否である。長い抑圧と侵略の歴史から人類が学び取った民主主義がそれを決して許さない。まして、これだけインターネットが世界の隅々まで行き届いた時代に、国家による市民への抑圧的統制は不可能である。近い将来、中国がそれを証明するであろう。
 国家による食料統制が困難でも、企業などによる買い占めが懸念される。この可能性は否定できない。しかしそれでも、急速に進みつつある経済のグローバル化が買い占めを低減することは間違いない。そして良くも悪くも、この経済のグローバル化が後退することはないであろう。私たちの身の回りを取り巻く品々を見れば、それは明白である。根本的には、経済のグローバル化は、単なる経済の問題ではなく、物質的な豊かさを求める人類の必然的な選択であるとともに、武力による物品の争奪に明け暮れてきた人類が民族間や国家間の争いを乗り越え「一つの人類」になるためのラスト・チャンスだからである。
 このように、人類がかつて経験したことのない4つの世界的状況を論理的に繋いでくると、「虐げられてきた農民が、その抑圧や搾取から開放され、新しい時代を切り拓く」時はすぐそこまで来ていると帰結する。
第131話 追体験(1)
2014年6月22日
 6月というのに、寒い。小雨の中、今年も水田の草取りをした。
 5年ほど前から友人の田んぼの一枚を借り、農薬を使わず、もっぱら昔ながらの人力草取りである。早苗の間を写真のような除草機を押すと、前後の爪が回転し、雑草を土から取り除くのである。地主の家にも同じ機械があるが、もう何十年も使っていないという。その古い機械を一度借りてみたが、鉄と木でできているため、とても重く、体にこたえた。いま私が使っているのは、アルミ製で、昔のものに比べたら非常に軽く扱いやすい。あんな重い機械で除草していた昔の農民は、よほど力があったのか、それとも根性があったのか。
 私は、水田地帯の農家に生まれ育った。三男ということもあり、農作業は日頃ほとんど手伝わなかったが、それでも田植えと稲刈りの時期は、駆り出された。小学校も、早く家に帰って手伝うようにと、これらの時期は午前中だけであった。
 しかし、米作りがほぼ完全に機械化されてからは、親戚縁者の助けを借りる必要がなくなり、子どもが田植えや稲刈りの手伝いをする機会もなくなってしまった。瑞穂(みずほ)の国の農民が、便利さの代償として、何か大事なことを失ったような気がしてならない。
 ほぼ機械化されたとは言っても、もっとも厄介な作業が残された。草取りである。それを克服したのが、除草剤の開発である。幼い頃に見た高齢の農民の多くは腰が曲がっていたが、それは草取りのためであったろう。特に女性は、腰の筋力が弱いためか、ほとんど曲がっていた。中には、日常生活もままならないほど腰の曲がったお婆さんもいた。
 まさに除草剤は、稲作農民にとっては、救世主であった。もちろん、今でも除草剤のない稲作はありえない。農林水産省の古い統計データから推察すると、日本の農民がもっとも使用している農薬は除草剤であろう。その除草剤は、画期的な貢献の一方で、水田や小川の生き物をほとんど絶滅させてしまった。私が草取りしている田んぼにはオタマジャクシやアメリカザリガニはもとより、本当にたくさんの生き物がいて、ときどき素足で踏みつけてしまうほどである。しかし、となりの水田には小動物の気配がまったくない。
 私が、きわめて小規模ながら、除草剤を使わず昔ながらの人力除草をしているのは、安全性の高いお米を食べたいという動機もあるが、主たる理由は「追体験」である。昔の稲作農民の、そして両親の苦労を追体験するのが目的である。
 産業革命以降、人類が急速に発展してきたのは、古い発明や開発の上に新しい発明や開発を積み重ねてきたからである。過去の発明や開発は知識や情報として若い世代に教え込まれ、手間暇かかる追体験を省力してきたから、急速に発展することが可能であった。物質的な豊かさを際限なく追求するために、このような進歩の仕方を当たり前と受け止めてきた。国家としても、そうしないと、国の存続さえ危ぶまれたからである。そして今や、世界の隅々までインターネットで瞬時に情報が行き来するようになり、その傾向はいっそう強くなった。既存の知識や情報を疑いもせず、竹の子のように一気に上へ上へと伸びてゆく。
 しかし、本当にそれで良いのだろうか。
第132話 追体験(2)
2014年6月29日
 美輪明宏氏が歌う「ヨイトマケの唄」は戦後の経済復興を象徴するような歌である。歌の中で、主人公は大学を出てエンジニアになる。まさに団塊の世代以降の花型職種であった。全国各地の工業高校や大学の工学部に学生が殺到し、今では想像もつかないほど工学部の受験倍率が高かった。
 ところで日本は、明治維新後、アジアの国々の中ではいち早く欧米先進国にキャッチ・アップした。その理由としてよく指摘されるのは、庶民のレベルまで教育が行き届いていたことである。江戸時代後期には、日本の識字率が欧米のそれをはるかに上回っていた。幕府や藩の学校だけでなく、寺子屋や私塾はいたるところにあり、江戸だけでも1000カ所以上の寺子屋があったという。今なお政界に影響力を残している「松下村塾」もその一つに過ぎない。
 そして、もう一つ忘れてならないのは職人の存在である。江戸時代の「士農工商」という身分階級でいえば、「工」にあたる庶民たちである。その職人の伝統が、戦後におけるエンジニアの量産につながったと思われる。そして、輸出大国となる過程で、各種のエンジニアは多大な貢献をした。まさに技術立国の要であった。
 しかし21世紀になり、その技術立国があやしくなりつつある。かつて日本の独壇場であった半導体産業は韓国などの企業に追い抜かれ、家電製品は中国製にとって代わられてしまった。かつての花形産業の中で、かろうじて自動車産業だけが奮闘しているだけである。
 かつてエンジニアのはしくれだった私は、このような結果になってしまった原因を探ってみたら、「ほとんどの日本人がエンジニアと職人の違いを明確に意識してこなかった」ことに行き着いた。
 エンジニアになるには既にある理論や技術を学校などで学習する。それを基礎にして新しい物を作る。その一方、職人は昔から受け継がれてきた匠の技を師匠からじっくり習い、まずは師匠と同じ物ができるように励む。基本的に理論や理屈でなく、時間をかけて一から追体験する。エンジニアと違い、どちらかと言えば、勘と体が職人の命である。したがって、身につけた匠の技を他人が簡単には盗めないのである。逆に、エンジニアが作り出したものは、他の者が簡単に模倣できてしまう。だから、エンジニアが作った物は特許で守らざるを得ないのである。
 このように理解すれば、なぜ日本が技術立国から滑り落ちそうになっているか推察できよう。
 私たち人類は、急速な発展競争に明け暮れるあまり、体験から学ぶことを長らくおろそかにしてきた。しかし、世界的規模で大きな転換点を迎えている今、体験から学ぶことの重要性と必要性を再認識し、知識や情報に偏ったバーチャルな世界から人間が本来持っている理性と感性を取り戻そうではないか。
第133話 効率と生存
2014年7月6日
 「わが社が存続するためには、生産効率をもっと上げなければならない」と企業経営者は社員に奮起をうながす。人の命を預かる医療業界でも今や常識である。一部の仕事を除けば、効率の追求はとても重要である。世界がこれほどまでにグローバル化し、どこにいてもインターネットを使って資金や情報が瞬時にやり取りできる時代になった今、人生哲学や倫理観、価値観の相違に関係なく、仕事上の効率の追求はきわめて当然の職務態度である。これが人類の辿りついた労働の現実である。
 農業の世界も例外ではない。日本ではその典型を稲作に見ることができる。私の生地は稲作地帯で、水田を耕運機で耕す以外は、すべて手作業であった。まず川下の農家は川上に農家の田植えを手伝い、順に手伝い合いながら川の流れにそって田植えを済ませていった。
 それが今や、トラクター、種蒔き機、田植え機、除草剤、収穫と脱穀を同時にこなすコンバイン、そして乾燥機などの普及によって、機械のない時代に比べて桁違いの労働時間で一連の作業が終わってしまう。半世紀も前の農民が見たら驚嘆するほどの効率化である。
 稲作だけでなく、野菜の栽培でも同じである。生産効率をどうしたら上げられるか、まともに農業を続けている農家であれば、いつも考えている。ここで、2つの例を紹介したい。
 今から15年以上も前になるだろうか、あるピーマン農家の収穫の早さには驚かされた。一般的にピーマンの収穫は、左手でピーマンを掴み、右手の鋏でヘタを切り収穫コンテナに入れる。しかし、その農家はダーッとピーマンを切り落とし、通路に転がっているピーマンを一気に集めるのである。一般的な収穫方法の半分以下の時間で済ませてしまった。
 もう一つはトマト農家の例である。一般的な栽培方法では、トマトの苗を植えるたびに畝(うね)を作る。ここでは詳細を省くが、その畝(うね)を作るのに手間がかかるだけでなく、少なくても2ヵ月は収穫が途切れる。しかし、そのトマト農家では、一度作った畝(うね)を崩さず、ズーッと同じ畝(うね)でトマトを栽培している。いわゆる「不耕起栽培」である。収穫中のトマトの間に次の苗を植えるので、収穫がほとんど途切れない。実に効率が良い。相当な実力がないとできない栽培方法である。
 しかし、効率の追求は両刃の剣である。効率をあまりにも追求すると弊害も生む。農業で言えば、農薬依存がそれである。農薬を使えば、病気や害虫から作物を守れ、生産効率は格段に向上する。しかしその一方で、農薬による健康被害や自然破壊は地球規模で蔓延している。
 さらに、工業分野での問題としては、公害がある。かつて日本でも深刻な公害問題に悩まされていた。それが一段落したら、次は放射能汚染である。中国では、PM2.5の問題が深刻である。それがために、富裕層を中心に海外へ移住する中国人が増えていると聞く。生存にかかわる問題への究極の選択かもしれない。
 また、効率の追求は生産活動にとどまらない。敵をいかに効率よく殺傷するか昔から人類は考え新兵器を作ってきた。
 効率、効率、効率・・・・・・・。いつになったら人類は効率の追求を見直すのだろうか。それとも、効率の追求は人類のDNAに組み込まれている宿命なのだろうか。
第134話 「使う側」と「使われる側」の逆転
2014年7月13日
 私は、いまだに昔ながらの携帯電話、いわゆる「ガラケイ」を使っている。スマホを買っても、その多彩な機能を使いきれないと思うからである。また、高価なスマホを畑で失くす恐れもある。私にはガラケイとパソコンで十分である。
 ところで世の中には、「使う側」と「使われる側」が逆転し、本来「使う側」の者が「使われる側」に使われてしまっているケースがたくさんある。何気なく日頃は見過ごしがちであるが、冷静に観察すると、驚くほど多いことに気づく。私たちが抱える諸問題の根底にほぼ共通して見出すことができる。
 農業分野の例をあげれば、稲作農家が典型である。日本では、ほとんどの稲作農家は所得を得られていない。つまり、赤字なのである。高価な機械を買い揃え、重労働から解放されたものの、いわゆる「機械貧乏」と言われる状態で、買ってしまった機械のために働いているようなものである。使うための機械に人が使われているのである。
 いつの頃からか、農家と農協の関係も逆転してしまった。農家が自分たちのために使う目的で組織した農協が、その設立の理想や理念を忘れ、徐々に農家を誘導し、拘束し、いつの間にか職員の働き場を確保し続けるために農家を使っている。私には生協とその組合員の関係も似たり寄ったりに見える。生命保険会社は既に逆転関係を追認し、株式会社化しつつある。
 昔、公務員は「公僕」と言われ、市民に使われる立場、奉仕する立場と思われた時期があった。しかし、今やその本分をおろそかにし、農協と同様に組織維持に傾斜し、「市民にとって必要な職務だから」というよりも、「自分たちの仕事を作らなければならないから、職務を継続している」ことが少なからず見かけられる。極端に言えば、公務員を使うための税金が公務員に使われるための税金になっている。
 また、市民の代表として公務員を使う立場の議員にいたっては、今さら言うまでもない。官僚が用意した原稿を棒読みする大臣や首相を見れば、「使う側」と「使われる側」が逆転していることは一目瞭然である。
 会社組織はどうであろうか。デフレ経済が20年以上も続き、正社員の比率が年々下がり続けてきている現代では、果たしてどうなのだろうか。上司は部下をうまく使えているのだろうか。
 そして、「使う側」と「使われる側」の逆転関係で最大の問題は、人類が使うために生み出した物、あるいは知識や情報に人類が使われていることである。それらの中でも、人と「お金」の関係がもっとも危険である。人が使うために発明した便利な「お金」に、いつの頃からか足が生え、手が伸び、人の欲望を餌にして巨大化してしまった。人類は、はたして「お金」との本来の主従関係を取り戻せるのだろうか。
第135話 化学物質過敏症
2014年7月20日
 先月下旬、「化学物質過敏症」(Chemical Sensitivity)の方々が野菜を買いに来られた。インターネットで調べたらしい。お二人とも厳重なマスクをかけていた。頂いたパンフレットによると、「一度多量の化学物質を浴びたり、少量でも長期にわたって浴び続けることによって、その人の体の許容量を超えたときに、拒否反応として一気に発症する」とのことである。スギ花粉症と同じようである。身近にある化学物質として、防虫剤、農薬、合成洗剤、清掃用洗剤、化粧品、タバコの煙、排気ガスなどが原因となっているらしい。意外なところでは、家電製品などから放出される電磁波も原因になるというから、過敏体質の人であれば、誰でも発症する可能性がある。けっして他人事ではない。
 ところで私は、いつも胃腸の調子がとても良いのだが、彼らが尋ねて来られた頃、珍しく下痢で悩んでいた。枝豆とミニトマトを食べると下痢をするのである。当初は食べ過ぎを疑ったが、昨年まではそんなことはなかったので、食べ過ぎによる下痢とはどうも思えなかった。そんな折、上述の方々が来られ、私は農薬を疑うようになった。今までミニトマトに1度も農薬をかけたことがなかったが、今年はアブラ虫に悩まされ、仕方なく1回殺虫剤をかけたのである。この殺虫剤がどうも怪しい。
 もともと、臭いなどに過敏で、周囲の人々が感じない物質にも反応する。だから、タバコは吸えない。何か燃やす煙にさえも胸が締めつけられる。スギ花粉症にいたっては、十代の頃から40年以上も付き合っている。誰かが風上で農薬を散布していると、唇がピリピリすることもある。
 そんな体質のため、上述の「化学物質過敏症」の方々の苦しさが自分のことのようにわかる。最近では、ネギをいれるビニール袋にも強い異臭を感じた。妻にそのビニール袋の臭いを嗅いでもらったが、特に何とも感じないという。内心、「まったく鈍感な人間はいいなあー。きっと長生きする」と思った。
 また、20年ほど昔になるが、妻が社宅として借りた新築マンションに越した時、壁などから放出されるホルマリンの臭いで死にそうになった。誇張している訳ではない。その時も、妻は特に異臭も苦痛も感じなかった。結局、妻とは別の部屋で窓を開けながら寝た。世間ではその当時、「シック・ハウス症候群」が社会問題化していた。今から思えば、「化学物質過敏症」の走りである。
 こんな訳で、私は農薬を使いたくないのである。「農薬を使わなければ、安全性が高まり付加価値が増す」という理由で農薬を使わない農民が大多数であろう。しかし私の場合、それ以前の問題として、自分の体が農薬を嫌っているのである。
 どうして人類は、こんなにも多種多様な化学物質を合成してしまったのだろうか。原発事故以来、放射能除染が大問題になっているが、身の周りに溢れている化学物質も大きな問題ではないだろうか。
第136話 雑然
2014年7月27日
 本や書類を雑然と積み上げている人がいる。どちらかと言えば、私もそうである。本人は「雑然な状態」と思っていなくても、はた目にはそう見える。かつて仕事の関係で、霞が関の役所を尋ねることがよくあったが、ところせましと書類が積まれてあったのを見た時、さすがの私も驚いた。机の周辺に置ききれず、廊下にまでうず高く積まれていた。民間企業であれば、上司から整理整頓を厳しく命じられるところである。一般的に、書類や道具などを雑然と放置すると、作業効率が落ち、「だらしない」とみなされてしまう。
 ところが、農業においては、整然とすることが常に良いかと言えば、必ずしもそうとは言えない場合がある。ここではナスの例を挙げる。
 左の写真は、7月上旬の私どものナスの様子である。一般的に、実のなる野菜(果菜類)は枝が折れないように支柱や紐で支える(誘引)のが不可欠とされている。また、品質の良い実を採るために、枝の数を減らす(整枝)。しかし写真のように、5月中旬に定植したまま、支柱も誘引もしていない。整枝もしていない。ナスの好き勝手に任せてある。
 6月初めから収穫し始めたが、このように放置しておくと、とにかく一杯とれる。「親の意見とナスの花は千に一つも無駄はない」と昔から言われるように、ほとんどの枝に実がつく。枝を無理やり誘引していないために枝が広がり受光面積が大きくなるからである。植物にとって、まさに光は命の源である。さらに良いことは、実がたくさん成るために、肥料の効き過ぎによる病害虫が発生しにくくもなる。
 ただし梅雨明け前後には、台風対策などのために疲れた小枝を切り落とし誘引するとともに、多くの収穫を補うために追肥をする必要がある。
 一方、となりの畑には、右の写真のように手の行き届いたナスがある。この近辺の農家がよくする誘引方法である。きつく誘引してあるために受光面積が狭く、収穫量は少ない。整枝もしてあり着果数が少ないため、全体的に肥料が効きすぎていて、葉の色が黒々としている。厳し言い方をすれば、ナスの実を採るために栽培しているというよりも、葉を育てているようなものである。
 人は、効率や美的理由で整然としたがる。時には、整然とすることが目的化することもある。しかし、このナスの例のように、整然とせずナスの好きなようにさせておいた方が良いこともある。
 この近辺には耕作放棄された農地がたくさんある。深い森もいたるところにある。そんな景色を眺めていると、「自然界のすべてのものは、整然とした法則にそって存在し動いていても、人の見た目には雑然とした状態に移行する」と私は思えてしまうのである。横着な人間の屁理屈なのだろうか。
第137話 サバイバル・キャンプ
2014年8月3日
 長い梅雨が明け、とにかく暑い。しかし、草食系の私にとっては、植物と同じように、光と熱気に満ちた夏は最高である。
 これから農場では、とにかく夏野菜が毎日たくさん採れる。その収穫のあい間をぬって、秋冬野菜を作付けていく。すでにサニーレタス、いんげん、人参、キャベツ、レタス、ブロッコリーの種をまき始めた。ブロッコリーは5日ごとにまく。中旬を過ぎると、春菊、白菜、大根、小松菜、ルッコラ、かぶ、タアサイ、ほうれん草と続く。体調管理に気をつけつつ、早朝から夜までフルに働く。この間に台風でも来ようもんなら、寝る間を削ってでも必死に対策しなければならない。肉体的にはとても辛いが、還暦を過ぎた今でも生きている実感がグングン湧いてくる季節である。
 ところで私は、この一番忙しい季節に3日間だけでも、農作業を休みたいと昔から思ってきた。しかし残念ながら、未だに実現していない。わが子が小さい頃から思ってきたのだから、かれこれ20年数来の悲願である。農作業を休むと言っても、家で休養するわけではない。10名くらいの子どもたちを対象にサバイバル・キャンプを開催したいのである。「お泊まり会」などという生やさしいものではない。その名のとおり、事前に大人がほとんど何も用意しておかないキャンプである。
 集まった子どもたちは、まず水と食料の確保から始めなければならない。慣れない水を飲んで下痢をするかもしれない。次にトイレと寝床を作る。ガスも電気もないので、もちろん煮炊きの火は自分たちでおこす。知恵を出し合い、協力しなければ、不便さとひもじい思いにさいなまれる。注意を怠れば、危険なことに巻き込まれる。命を落とす可能性もある。まさに、ほとんどの親が続けてきた子育て方法とは真逆であり、現代社会と対極にあるキャンプである。
 なぜサバイバル・キャンプかと言えば、不便な体験は人を賢くし、忍耐力を養うからである。ひもじい体験は食べ物の有難さを実感させるからである。危険な体験は、命の何たるかを考えさせ、用心深い人間にするからである。初めて会った人と協力し合い生き抜く体験は奪い合うことの愚かさを悟らせるからである。くたくたに疲れ、慣れない寝床に就き、漆黒の空から降ってきそうな星々を眺めながら、子どもたちは強烈な体験を胸に焼きつけていくだろう。
 そして、このようなキャンプを何度か体験した子どもたちが大人になった時、きっと戦争などしない人間になっている、と私は確信している。「戦争は悲惨だ。決してやってはいけない」と何度親が言い聞かせても、あるいは先生が授業の一環として、「核兵器が世界中にあふれ、経済がグローバル化し、いろいろの民族が一緒に住んでいる時代になったのだから、戦争しても勝者はいない。みんな敗者になるしかない」と論理的に教えたところで、ほとんどの子どもは心から理解することはないだろう。生きていくうえで本当に大事なことは、自らの体験からしか学べないのである。
 真夏の暑さとは桁違いの灼熱が広島と長崎を焼きつくした、この時期になると、私はいつもこんなことを思う。
第138話 結果は正直に現われる
2014年8月10日
 この頃から、トラクターの使用頻度が増え始める。15種類以上の秋冬野菜を次々と作付けるためである。
 トラクターで耕していると、地表や土の中から、いろいろな生き物が現われる。野菜に被害を与える虫は、草食性のため、トラクターの音や振動にあまり反応しない。しかし、肉食系の小動物は必死にトラクターから逃げていく。その代表がクモとハサミムシである。これらは害虫を食べてくれるので、引き殺さないように注意しながらトラクターを操作する。必要であれば、トラクターから降りて、脇に逃がしてやる。
 そして、残酷なようだが、害虫は見つけたら、一匹一匹手でつぶしていく。この時期よく見かける害虫は、ヨウトウムシの蛹(さなぎ)、そしてネキリムシとコガネムシの幼虫である。
 ネキリムシ(右の写真)は、夜の間に植物の茎を地ぎわから食べてしまう。小松菜やほうれん草のように、大量に種をまく野菜には大きな被害は出ないが、ブロッコリー、キャベツ、レタスなど、苗を点々と植える野菜は、放置しておくと、全滅してしまう。
 ヨトウムシの蛹は、8月から成虫になり、これまた甚大な被害を及ぼす。秋に発生する害虫の代表格である。
 コガネムシの幼虫は、ネキリムシと同じように、地表から1cmくらい下の根を喰いあらす。また、成虫になると野菜の葉を食べるので、なおのこと厄介である。
 春から秋にかけて畑に草を茂らせると、これらの害虫が一気に繁殖する。それらを放置したまま野菜を作付けると、惨憺(さんたん)たる結果をまねく。農薬を使わない場合は、全滅することもある。草の管理を怠たると、結果は正直に現われる。
 しかし、有機農業を実践している者は草を甘く見る傾向がある。いたるところ草ぼうぼうの状態になっていることも決して珍しくない。そのような農民は、研修生をただ同然で使っているなら営農し続けられるかもしれないが、自立した一人の職業人としては不適格ではないだろうか。
第139話 目標とストレス
2014年8月17日
 私どもの農園では、この時期から秋の彼岸くらいまでが年間でもっとも忙しい。夏野菜の収穫量がピークにさしかかり、その一方で10種類以上の秋冬野菜の種を定期的に蒔いていくためである。
 例えば、ブロッコリー、キャベツ、レタス、サニーレタスは7月下旬から定期的に何度も蒔いているので、ちょうど今頃からを頻繁に定植し始める。育苗ハウスの中は定植を待っている苗がたくさん並び、水やりに気が抜けない。9月に入るとすぐに、春菊、白菜、大根、小松菜、ルッコラの種を蒔き始め、中旬からはほうれん草、水菜、玉ねぎ、タアサイ、にんにく、菜の花、春ブロッコリーと矢継ぎ早に種蒔きや定植が続く。
 これらの中で、もっとも頻繁に作付けるのが、ブロッコリー、小松菜、ルッコラ、ほうれん草である。ブロッコリーは5日おきに、小松菜とルッコラは6日おきに、ほうれん草は7日から10日おきに、休まず蒔いていく。そうしないと途中で出荷が途切れてしまい、お客様の期待を裏切ることになってしまうからである。春夏野菜と違い、秋冬野菜は、種まきが数日遅れると、収穫時期は1週間以上もずれ込むことがあるので、作付け計画をしっかり実行しなければならない。多種類の野菜を通年で直売している者が避けて通れないスケジュールである。
 きわめてタイトに組まれた作付けを10年以上も続けてきたので、特に技術的な問題で悩むことはないのだが、健康管理にはとても気をつかう。体調を崩して2、3日も休めば、計画は大幅に狂ってしまう。
 幸い、暑さが好きな私は10年以上もこの時期に体調を崩したことはないのだが、精神面の負担が非常に大きくのしかかる。9月になると、台風や秋の長雨によって畑がぬかり作付けできないことが度々起きるため、一層ストレスがたまってくる。露地栽培の宿命である。
 農業という自営業に限らず、どんな仕事をするのであっても、目標を立て責任をもって職務を遂行する時、不可避の事態に阻まれると、強烈なストレスがかかってくるものである。私もこの時期は、夏バテとストレスで寝つきが悪くなり、現代病とも言える鬱病ぎみになることがある。
 20年以上も厳しい夏を乗り切ってきた私だが、心身ともに疲れ切りスズメやカラスたちをぼんやり見ていると、「目標など立てず、行きあたりばったりの生き方もまんざら悪くはないな。所詮、一人の普通の人間が目標を立てて頑張ったところで、結果はたかがしれている」と思うことがある。
第140話 夏をのりきる10の対策
2014年8月24日
 旧のお盆が過ぎ、猛暑のなかにも時折、秋風が汗ばむ体をスーッと撫でていく。しかし、これからが夏バテにもっとも気をつけなければならない時期である。
 今話では、前話の「目標とストレス」に関連した話題を書く。紙面の制約があるものの、できるだけ具体的に、かつ実践的に述べたい。
 夏は強い日差しと高温のため、露地栽培の農家は稼ぎ時である。しかし、人もそうだが、野菜も夏バテする。それを防ぐ対策をとり、しっかり夏をのりきれれば、農業で生計を立てるのも難しくない。その対策とは、高温、強風、強烈な日差し、乾燥、病害虫、大雨、草、人手の確保、販路の開拓、そして労働者自身の健康管理である。
 夏野菜と言えば、キュウリ、ナス、オクラ、トマトなどの、おもに実のなる果菜類である。キュウリとナスは、暑さには負けないのだが、土の乾燥と強風に弱い。したがって、土を露出させないように地面をポリエチレン・フィルムや藁、草などで覆いときどき散水する。散水はダニの増殖を抑制する働きもある。また、強風で実が擦れると販売しにくくなるので、ネットか緑肥植物で防風することも不可欠である。
 トマトは、高温過ぎると花が咲いても受粉しにくくなる。受粉しても膨らんだ実が強い日差しで焼けたり、タバコガという害虫に喰い荒されてしまう。また湿気と雨に弱いトマトは、多雨によって疫病を発症しやすく、また実の割れもおこす。露地トマトの無農薬栽培は極めて難しく、採算性を考えたら、販売を目的とした栽培はやらない方が良い。それでも、露地トマトの無農薬栽培にチャレンジするのであれば、排水性の良い畑に作付け、ポリエチレン・フィルムか藁などで泥はねを防ぎ、畑の周囲を防風ネットかソルゴーで囲い、防虫ネットで害虫の侵入を防ぎ、必要なら日差しの強い時は遮光材で覆うことである。
 また枝豆は、収穫が8月上旬から9月上旬の場合、高温、強烈な日差し、乾燥、害虫の対策が不可欠である。関東平野では、これらの対策を施さないと旧のお盆から9月中旬の出荷はとても無理で、生産量が極端に落ち込む。需要の多いこの時期に出荷できれば、大きな利益を確実に得られる。
 さらに、夏の代表的な葉物野菜と言えば、モロヘイヤ、エンサイ(別名:空芯菜)、大葉がある。エンサイは東南アジアの湿地に自生している野菜のため、十分な潅水が欠かせない。モロヘイヤと大葉は乾燥に強いが、販売を目的とした場合はやはり散水する必要がある。これを怠ると、収穫量が減るだけでなく、害虫のダニが発生して、売り物にならなくなる。これらの葉物野菜も、もちろん、防風対策が欠かせない。特にモロヘイヤと大葉は強風で葉が擦れ、これまた売り物にならなくなる。
 草対策の必要性は改めて言うまでもないだろう。イネ科の雑草には基本的に病害虫が発生しないが、その他の雑草には病害虫が発生しやすく、秋冬野菜に悪影響を及ぼす。
 上記のような7つの対策を十分にとっても、人手の確保、販路の開拓、そして健康管理がうまくいかなければ、売上は伸びない。特に健康管理で気をつける点は、早寝早起きと昼寝を励行し、昼休みを十分取り、10時頃から3時頃までは基本的に外での仕事をしないことである。また、熱中症を防ぐために、適切な水分をしっかり摂取する。もし頭痛がし始めたら、それは熱中症の前兆なので、冷たい水でシャワーを浴び、首や額、脇などを冷やす。自分自身の体調をしっかり把握し、健康を管理できない人は夏をのりきれない。
第141話 短い命
2014年8月31日
 8月上旬の早朝、森に囲まれた畑の一角に、いつものように車を停めた。すると、そのすぐ脇の森の中から猫の鳴き声がする。そっと覗きこむと、可愛い4匹の子猫がいた。2週間ほど前にお腹の大きな猫がこの近くで横になっていたので、どこかで生んで、ここに連れてきたのだろう。子猫たちが、私の気配を親と勘違いしたのか、写真のように先を争うようにこちらに身をのりだしてきた。動物好きの私にとっては、天使たちが降臨してきたようであった。
 しかし、とても気がかりなことがあった。子猫たちのいる場所が危険な道から5メートルほどしか離れていないのである。以前、百姓雑話の第115話「自由と代償」で触れたように、昨年末からの数カ月の間に、この場所で猫が3匹も車に引かれたのである。道を挟んで反対側の家で飼われている母猫が、夜な夜な危険な道を渡って子猫たちの元に来る時、車に引かれるかもしれない。あるいは、子猫たちがよちよち歩き始め、母親を追って危険な道に出れば、ひとたまりもない。
 何もせず自然に任せるのがいいのか、一刻も早く飼い主を見つけるのがいいのか悩み、野良猫を何十匹もボランティアで世話しておられる方に相談した。アドバイスに従い、段ボール箱で小屋を作り、それに子猫を入れ、危険な公道から少し離れた所に移動させた。
 毎朝、天使のような子猫たちをこっそり覗くのが楽しい日課になった。
 ところが、小屋を作ってから1週間ほどたった朝、子猫が3匹になり、その翌朝には2匹になっていた。たぶん、母猫が夜の間に別の場所に連れて行ったのだろう。
 そして次の朝、子猫たちを確認しようと覗くと、小屋の外で2匹が寄り添うように亡くなっていた。他の2匹の子猫がいる場所へ戻る母猫の後を追いながら、息をひきとったのだろうか。短い命であった。
 「自分のしたことで、この2匹は親から見捨てられたのかもしれない」と思うと、心が締めつけられる。
第142話 問題製造業
2014年9月7日
 これからの2ヵ月は年間でもっとも厄介な季節である。とりわけ台風による暴風と害虫による被害は悩ましい。前者は、野菜の被害だけではなく施設を破壊することもあるので、なおさらである。農業の宿命とはいえ、厳しい現実である。離農する農民が後を絶たない原因の一つになっている。脱サラして20年以上も農業を続けてきた私だが、この季節には何度も挫折しそうになった。びしょびしょになりながら暴風雨の中で敢行する強風対策は、やったことのない人には想像もできないほど過酷である。時には、命がけの作業もしなければならない。
 もとより、農業は自然相手の職業である。特に露地で有機栽培すると、上述のように天候や環境などの自然の影響をまともに受けてしまう。いくら知恵をしぼり際限なく働いたところで、避けがたい問題が頻繁に発生する。
 ところで、世間一般にも問題が山積している。人類の未来を危うくする問題を数えあげただけでも、両手で足りないほどである。社会や自分の将来に明るい希望を見出せず、いつも不安にさいなまれ仕事に追い立てられているため、精神を病んでしまう人が増え続けている。当然である。普通の人間はそんなにタフではない。
 まったく、問題が何故こんなにも多いのだろうか。
 4年前の9月、台風の直撃を受けて甚大な被害をこうむった。その無残な畑を見回りながら、世の中に問題が絶えない原因は何であろうと考えてみた。へそ曲がりの私は、「あえて問題を作る人々がたくさんいるからだ」という結論に行き着いた。合法的に、かつ公然と問題を作る職業や制度が少なくないように思えるのである。
 近年では、世界経済をガタガタにしたリーマン・ショックやアメリカ軍などによるイラク侵攻が顕著な例である。また、日本にはほとんど存在しなくなったが、あえて壊れやすい製品を作る会社もある。さらには、人の健康を取り戻すべき病院でさえも、病人を作ってしまうことがある。いわば、「問題製造業」とでも言える産業が世界規模で形成され、それによって莫大な富を得ている人たちがたくさん存在している。
 残念ながら、政治家やマスコミ関係者などの中にも問題製造業に携わっている人々がいる。本来、政治家とは集団の利害対立や問題を解決するために存在しているのだが、政治が職業化するとともに、より多くの政治家を養うためか、あるいは政治家の権威を高めるためなのか、あえて問題を作るようになった。上記のイラク侵攻もその例かもしれない。結局、侵攻の理由であった大量破壊兵器は見つからず、アメリカの力を誇示し死の商人を儲けさせるために、無実の市民を大量に殺傷しただけであった。
 視線を身近なところに移せば、近年の日中関係の政治的悪化もその例であろう。時が解決してくれるだろうという期待を込めて賢い政治家が領土問題に蓋をしたのに、さしたるヴィジョンもないまま開けてしまった。これ程までに経済的な相互依存と人的交流が進んだ中国と日本があえて事を構える必然的かつ合理的な理由を平凡な市民の私には見出せない。
 できれば、こまごまとした日々の仕事をこなしている時、あるいは満ち足りた食事をしている時、そのことがどこかの他人に問題を押しつけているかもしれないとイマジネーションを働かせたいものである。
第143話 三「安」(1)
2014年9月14日
 食べ物に欠かせない要件がいくつかある。例えば、安全、安価、安定供給、おいしさ、栄養、鮮度、食欲をそそる香りや外観などが思い浮かぶ。これらの中でも、安全、安価、安定供給という三つの「安」をすべて満たそうと私は長年努力してきた。
 しかし、20年以上も努力してきたが、これらをすべて満たすのは今でも実現していない。安全性を追求すればするほど、コストがかさみ、失敗が増え、安価にできなくなる。また、安定的に供給しようとすれば、栽培の難しい時期は失敗やロスが多くなり、やはり安価な提供が難しくなる。
 今話は、安全と安価に焦点を当てて、生産現場の視点から述べてみたい。
 一般論で言えば、食品の安全性のレベルに明確なボーダー・ラインは引きにくい。国が定める安全基準によって一応の目安をつけられるものの、その基準は生産側の都合に合わせて制定されている。その一例をあげる。
 10年ほど前、NHKテレビが特集番組で、「関東の高原キャベツの有名な大産地で減農薬を達成した。従来38回使用していた農薬を、研究と努力を積み重ね、半分の19回まで減らした」と高く評価した。しかし、キャベツを栽培したことのある普通の農家であれば、「なんだ、その程度かよ!」と思ったであろう。私の知るかぎり、この近辺でキャベツに10回以上も農薬を使う農家はいない。そもそも、38回も農薬を使うのは論外なのであるが、国の安全基準の範囲内であることには間違いない。
 上述のキャベツのように38回も使っていた農薬を半減するのは余分なコストをほとんどかけなくても可能であるが、安全性を追求して農薬の使用を限りなくゼロにしていくとコストが急増する。本州以南のような高温多湿の気候では病気と害虫のリスクが非常に高いからである。安全性の高い野菜をスーパー価格で買いたいと消費者が要望しても、ごく一部の農家以外は、採算上とても対応できないのである。
 かつて、ある脱サラ研修生が私に、「こんなに苦労して無農薬栽培しているのだから、もっと高く売るべきですよ。安すぎる」と苦言を呈したことがある。また、ある専業農家から「お前はよー、妻が公務員だから、そんな安い値段でもいいが、俺たち専業農家はそんな値段じゃ喰っていけねーぜ!」と言われたこともある。
 諸事情を考えれば、彼らの主張がもっともなのである。今までのような日本の農業事情、医薬品によって健康を維持しようとする消費者の健康意識、不効率な流通システムなどの変化や改善がない限り、安全と安価を両立させるのは極めて難しい。
 これが、「より安全な野菜をできるだけ安く」を長年追求してきた私の、残念ながら、結論である。
第144話 三「安」(2)
2014年9月21日
 前話では、生鮮野菜の安全と安価は両立しにくいことを供給側から述べてみた。今話では、安定供給と安価・安全について、供給側と消費側の双方から眺めてみたい。
 まず、供給する農家の側から述べる。
 日本では、気温の影響を大きく受けやすい野菜は産地が移っていくことで、安定供給が実現されている。キャベツを例にとれば、冬から夏にかけて暖かい地方から高地や北海道へと大産地が移動していく。逆に、夏から冬にかけては寒い地方から暖かい方へと戻っていく。当然のことながら、大産地と消費地が離れれば離れるほど、輸送コストが増える。特に、重量野菜の代表であるキャベツ、大根、白菜は末端の販売価格に占める輸送コストの割合が高くなる。価格が暴落すれば、段ボール代と輸送費などのコストを除くとマイナス、つまり働いても自腹を切ることになる。
 では、輸送コストを削減するために、消費地の近くでキャベツを通年栽培したらどうなるか。関東平野では、品種をいろいろ変えたりすれば、ほぼ通年で出荷できるが、キャベツは暑さが苦手であり、夏場は病気や害虫の被害を受けやすい。当然のことながら、農薬の使用量が増え、生産コストも上がってしまう。
 次に消費者側から、安定供給と安価・安全について考えてみたい。
 野菜を対面販売していると、消費者の食の嗜好が手に取るようにわかる。そして、私がもっとも耳にする消費者の声は、冬でも「トマトないの?」である。一年中トマトを食べたいというのである。私もトマトが好きなので、その気持ちは十分わかる。
 しかし、この「一年中食べたい」という嗜好が問題なのである。例えばトマトは、夏野菜なので、寒い時期には暖房されたハウスでしか栽培できない。当然のことながら、コストがかさむ。つまり、「一年中食べたい」という嗜好が価格を上げるのである。胡瓜も同様に、冬場は値段が高い。夏場の倍近くする。そして、冬場に栽培される夏野菜には農薬が頻繁にかけられ、安全性が劣る。
 結局、「旬に関係なく一年中好きな野菜を食べたい」という消費者嗜好が、過剰な安定供給を要求し、価格を押し上げ、安全を犠牲にするということにつながる。流通システムが発達したためにスーパーなどにはどんな野菜でも一年中売られているが、四季のはっきりした日本では、安全と安価と安定供給のすべてを満たすは極めて難しいのである。
 ちなみに、上記の消費者嗜好によって、生鮮野菜は需給関係のインバランスが末端価格に大きく影響する。たった2割でも品薄になると、スーパーなどの末端価格は2倍になる。逆に、2割供給過剰になると、半値になると言われている。わずかの需給関係のインバランスで末端価格が大きく変動する今までのような状況は、生産者と消費者の双方にとってマイナス面の方が多い。縮小していく日本経済を想定すれば、供給の安定よりも価格の安定の方がより重要であると私は考えているのだが、いかがであろうか。
第145話 彼岸花
2014年9月28日
 真っ赤な彼岸花が咲いた。春先に出る蕗(ふき)のとうのように、土の中から花だけを伸ばしている。葉は、花を散らした後、秋も深まった頃に出てくる。そして、翌年の初夏には枯れてしまう。
 ところで、植物が花を咲かせる条件はいくつかある。国民的な花となっている桜は、冬の寒さを十分に浴びると開花の準備を進める。そして、春の暖かさに促され、一気に開花する。同じパターンで開花する野菜には、空豆やえんどう豆がある。これらは、春に種を蒔いても、葉が茂るばかりで、花が咲かない。同じマメ科の野菜でも、インゲン豆や大豆(早どりすると枝豆になる)、小豆など、多くのものは寒さにあたらなくても花が咲き実をつける。同じ科の植物でも、同じパターンで花が咲く訳ではない。
 キク科の植物も開花には2つのパターンがある。お墓参りに欠かせない菊は、短日植物で、夏至を過ぎて日が短くなると花が咲く。コスモスも同じである。しかし、食用の春菊は、その名のとおり、春暖かくなると花が咲く。やはり同じキク科の蕗やレタスも春菊と同じパターンをとる。
 もちろん、気温の変化や日長に関係なく、ある程度成長すれば花を咲かせる植物もある。野菜で言えば、トマト、なす、ピーマンなどのナス科の野菜、きゅうりやオクラなどである。また、本来は早春が開花時期であるブロッコリーも、品種改良によって、今では一年中いつでも花を咲かせられる。
 野菜の中には、花が咲くと困るものもある。上述のレタスや春菊はもちろん、夏の葉物野菜ではモロヘイヤと大葉がそうである。これらを露地栽培する時に気をつけることは、けっして早蒔きしないことである。梅雨のシーズンにちょっと涼しい気候にあうと、花が咲いてしまうからである。花が咲くと大葉は硬くなり食べにくく、モロヘイヤの種には毒がある。どちらも季節に逆らってはいけない。
 話しを冒頭の彼岸花に戻そう。私は、彼岸花がどうやって季節を知るのか、未だにわからない。蕗(ふき)は、たぶん、地温を感じて花を出すのだろうが、彼岸花は、必ずしも地温に反応しているとは思えない。なぜなら、ほとんど地域に関係なく、また日当たりの良い場所と悪い場所に関係なく、ほぼ同じ時期に咲くからである。本当に不思議である。
 実家の墓地の周囲には絨毯を敷きつめたように彼岸花がたくさん自生していた。その名にふさわしい咲き方をするものである。
第146話 土に生きる
2014年10月5日
 農作業をしていると、いろいろな動物と出会う。野良犬や野良猫、カラスなどはもちろん、たくさんの虫たちも見かける。この時期よく見かける虫は、クモとハサミムシである。クモは巣を作るものではなく、自由に動き回るクモである。農薬を散布していないので、特にクモが多い。畑を耕した翌朝、キラキラ輝くクモの糸が畑一面を覆っている。たぶん、耕したために地中から出てきた虫をクモが捕食したのだろう。
 この頃から、クモが卵の白い塊(かたまり)をかかえるようになる。そして先日、孵化したクモの子が親の背中から四方八方に散っていくところを初めて見た。感動的だった。右の写真がそれである。まさに「クモの子を散らすように」という喩がぴったりであった。
 クモもハサミムシも肉食性で群れを決して作らない。カマキリやカエルも同様である。これらは皆、害虫も食べてくれる大事な味方、天敵である。喰われる小さな虫のほとんどは草食性だから、元をたどれば、クモやハサミムシ、カマキリやカエルも土に生かされていることになる。
 土に生かされている動物と言えば、ミミズが代表格ではないだろうか。何しろミミズは土を食べる。その中に含まれる栄養物を吸収し、コロコロした土を排泄する。このコロコロした土は、少なくても3つの効用があり、植物にとって非常に良好な土壌環境を作る。まず有機物が、ミミズの消化器を通過したことで分解され、植物が吸収しやすい状態になっている。
 二つ目は、スポンジのように水を吸収するとともに適度に空間を作るので、保水性と排水性をバランス良く保つ働きをする。その効果がいかんなく発揮されるのが梅雨の時期から秋の台風シーズンにかけてである。大雨が降っても、地表に水が溜まらない。陸地に生息するほとんどの植物は、土に含まれる水分が多過ぎると生育不良を起こし枯れてしまうこともあるので、ミミズ働きは絶大である。
 そして、3つ目の効用は、排泄された土に有害な菌を殺す作用があるらしい。その成分を抽出した商品が市販されてもいる。
 このような働きをしているミミズは、他の生物を襲うキバやハサミがあるわけでもなく、わが身を守る甲羅や毒も持っていない。生きていく上で必要最小限の器官と組織しか持っていないように思える。ただひたすら土を食べ、モグラや鳥などに捕食されても、地球上いたるところに生息している。
 ところが、ミミズの生存を脅かす生物が現われた。それは人間である。人間は、農地を作るため、あるいは木材を得るために見境なく森を切り拓いてきた。また、半世紀ほど前からは農薬をまき散らしてきた。かつて日本の農民は、堆肥を作り、ミミズの効用を熟知していたが、今やそんな農民は少数であろう。一般の消費者にいたっては、土に生かされ大地を肥沃にするミミズを汚いと嫌う人が圧倒的多数であろう。
 しかし、そんな人間自身も、やはり土に生かされているのである。
第147話 三「毒」
2014年10月12日
 私たちの身の回りには、少なくても三種類の毒がある。空気毒、飲食毒、環境毒である。
 半月ほど前に御嶽山が噴火したが、その際に硫化水素が大量に噴出された。人命をいとも簡単に奪う有毒ガスであるが、幸い私たちの日常にはほとんど存在していない。いま私たち日本人のもっとも身近にある空気毒は5つある。たばこの煙、車などの排気ガス、スギ花粉やダニなどのアレルゲン、密閉された室内の空気、そして中国から飛来する黄砂とPM2.5である。前の2つは近年改善されてきたが、後の3つは年々深刻になっている。ある記事によると、中国人が移民する主な理由の一つが、空気汚染に代表される環境汚染であるという。
 二つ目の「飲食毒」も私の目には深刻に映っている。浄水器を通さないと飲めないような水を「飲料用」として堂々と売っている水道関係者は恥ずかしくないのだろうか。電力業界と同様に、独占体制が産む弊害のように見える。
 また、政府やJAなどが「安全・安心な日本の農産物をもっと輸出しよう」と力を入れているが、日本の農薬使用量から考えて、掛け声ほどには輸出量が伸びるはずもない。それは、スーパーなどに出回っている農産物を見れば、一目瞭然である。農薬の使用状況が具体的に明示されている農産物を探しても、ほぼ皆無である。明示すると消費が落ち込むと懸念され、未だに表示されていない。長寿国の日本では、たぶん、将来にわたって表示されないであろう。
 余談だが、「日本食が長寿の秘訣」と日本食を称賛する人たちがたくさんいる。しかし、それは、「日本に出回っている食材が長寿の秘訣」と必ずしもイコールではない。長寿の理由はそんなにも単純ではない。手厚い医療サービスと温暖な気候の方が日々の食事よりも長寿に貢献していると私は思っている。
 三つ目の環境毒は、「自然毒」と「社会毒」とがある。デング熱にかかる患者が日本にも出始め、改めて蚊による伝染病の危険性が注目されているが、病気のもとになる細菌やウィルスはもっとも身近な自然毒である。クモやヘビ、ハチなどの動植物の中にも毒のある生物はいても、日本ではさして大きな問題にはなっていない。
 そして近年、1990年代に右肩上がりの経済が崩壊してからというもの、日本人にとって社会毒がいっそう深刻になってきた。「パワ・ハラ」や「セク・ハラ」に代表される毒々しい言葉の暴力は増加の一途である。市民の代表である議員の中にも、常軌を逸したようなヤジを飛ばしても、平気な顔でいる議員がいる。また、マスコミや銀行などの金融機関の努力を尻目に年々増え続けているオレオレ詐欺、これまた増え続ける非正規労働者と収入の格差、・・・・・・・・・・・・・・。挙げたらきりがない。
第148話 根絶
2014年10月19日
 やっと楽になった。草との闘いも終わり、害虫や病気の被害もこれからは、まず心配ない。もちろん、農薬を使う農家もほっとする。残る心配は台風と価格の暴落だけである。台風被害が出ると価格は暴落しないが、出なければ必ず暴落する。将棋で言えば、まさに王手飛車取りのようである。いずれにしても、中秋から初冬は「労多くして益少なし」の時期である。
 ところで先日、「どうやったら害虫を根絶できるんだろうね」と、近所の親しい農家に尋ねてみた。すると予想どおり、「そりゃー、無理だんベー」と即座に返ってきた。殺虫剤を長年使ってきた農家にとって、害虫の根絶などは発想外であろう。あまりにも殺虫剤の威力は絶大なので、「野菜に害虫はつきもの。農薬は不可欠」という固定観念が骨の髄まで染みついてしまっている。
 しかし私は、今までの経験から、地域の農家が協力し合えば、害虫を地域的に根絶できると思っている。すべての種類の害虫とまではいかないまでも、かなりの種類の害虫を地域的に根絶するのは可能である。それらの害虫とは、ネコブセンチュウ、アブラ科の野菜につくモンシロチョウやコナガなど、アブラムシ、ネキリムシ、そして、雑食性のハスモンヨトウである。
 かつてエン菜(別名:空芯菜)は、収穫が始まると防虫ネットを撤去するので、8月上旬にハスモンヨトウが大量に発生し、あっという間に全滅してしまった。しかし、3年続けてハスモンヨトウのフェロモン・トラップを仕掛けた結果、今年は1ヘクタール以上の農地でハスモンヨトウの発生箇所は数えるほどしかない。
 左の写真は、10月中旬時点のエン菜である。6月19日に植えてから、防虫ネットをかけていないので、ハスモンヨトウが一カ所に発生したものの、アマガエルとカマキリがあっというまに食べ尽くしてしまった。写真をよく見ると、食害された痕跡を見つけられるが、まったく問題ない。今では、害虫が激減したため、アマガエルは他の場所に移動し、カマキリが1匹いるのみでる。
 もちろん、食物連鎖の中で害虫にも重要な役割があるので、根絶するのは問題であるが、農薬を使わなくても済む程度に激減させるのは許されるのではないだろうか。地域ぐるみで対策を施し発生を激減させ殺虫剤の使用を止めるか、今までのように作物に発生したものを農薬で殺すか、その選択のように思える。
 最後に余談だが、人類は実に多くの生物を絶滅させてきた。日本中いたるところで見かけたというオオカミやトキ、カワウソはすでに絶滅してしまった。あの巨大なマンモスも人類が絶滅させたという。かろうじて絶滅の危機を乗り越えたものも、その多くは人間が捕獲を止め保護活動を行なったからである。
 本当に人類は、他の生物との共存が実に苦手な生き物である。
第149話 収穫
2014年10月26日
 畑をわたる秋風がとても心地良い季節になった。陽だまりで飲む熱いミルク・ティーは全身をグッと活気づけてくれる。農場は今、作付けがほとんど終了し、草や病害虫の被害から開放され、本格的な実りの秋を迎えた。この時期になると、もう今年も終わりという気分になる。
 ところで、農業分野では、「技術」と言えば、普通それは「栽培技術」を意味する。土を良くするのはどのようにするのか、どんな野菜をいつ作付けるのか、肥料はどのように施すのか、機械をどう使ったら有効か、病気や害虫の対策はどのようにするのか、畝(うね)の種類や作り方は・・・・・・・・、温度や水の管理は・・・・・・・・。
 しかし残念ながら、収穫の終わった畑の片付けとか草対策を技術と呼ぶ人は、まずいない。収穫や荷造り作業でさえ、技術を要すると思っている人は極めて少ない。それは、農業関係の指導書や市販の図書を見れば、明白である。農業関係の学校や学部でも、それらの作業の必要性は一応教えても、その重要性と適切な方法は教えない。ちなみに、私の農場を視察に訪れた人たちの中で、畑の片付け方法とか草の対策について質問してきた人は、一人もいない。収穫に関する問いは「この品種はいつ作付けるといつ収穫できるのか」という程度である。荷造り方法にいたっては、まったく関心を示さない。
 そもそも、畑の片付けや草の対策、収穫や荷造りなどの作業は「できて当然」、「やって当たり前」とみなされ、「特に高度な技術など必要ない」と思っている農民や指導者が圧倒的多数である。「そんな思い込みや固定観念、あるいは偏見があるから、まともに利益が上がらず、次々に挫折していくのである」と言えば、言い過ぎだろうか。
 さらに、少し乱暴な物言いに聞こえるかもしれないが、農業で喰っていくための栽培技術は、高等学校程度の理系の基礎知識があり栽培が好きであれば、早い遅いの個人差はあっても、誰でも体得できる。もし体得を急ぐのであれば、栽培技術をしっかりマスターしている農家で2、3年、研修を兼ねて働けば、それで十分である。
 ところが、畑の片付け、草の対策、収穫、そして荷造りは違う。畑の片付けとか草の対策には性格が大きく影響し、収穫と荷造りは器用さが決め手になるので、本を読んだり、高校や大学などの公的機関で研修したところで、ほとんど役に立たない。農業を教えている先生自らが農業に身を投じないことが、その証左である。
 取るべき手立ては、改善すべき点を明確に自覚し、意識的に作業の改善をこつこつと重ねることである。それでも、1年や2年で、普通の精神力の人はそうそう変わらない。実際、就農にあたって私は2年ほど専業農家で実習したが、栽培技術は学べたものの、その他の技術はほとんど身に付かなかった。独立後、10年以上の試行錯誤を重ね、どうにか自学した。
 繰り返しになるが、農家として喰っていけるかどうかは、栽培技術はもちろんだが、畑の片付け、草の対策、収穫、荷造り、そして経理が満足にできるかどうかにかかっている。中でも、収穫と荷造りの能力がもっとも重要である。ちなみに、私が栽培している野菜の中では、春菊、菜の花、大葉、モロヘイヤ、パセリ、エン菜(別名:空芯菜)、中春から初夏にかけてのブロッコリーは、特に収穫が決め手になる。栽培は簡単である。
第150話 農業を楽しむ
2014年11月2日
 農業は儲からない。ひと儲けしようと始めても、後悔するだけである。そんな儲からない職業をあえて選ぶからには、何か別の価値を農業に見出さないと、長続きしない。
 例えば、食べてくれる人々が健康に暮らせることに喜びを見出すとか、耕作放棄地を引きうけ農村地域を活気づけるとか、他に類をみない独特な栽培方法を考案するとか、実践経験を十分つんで国内や海外で指導にあたるとか、人生に疲れた人や都会の人間の憩いの場を提供するとか、・・・・・・・・・・・。挙げればきりがないが、農業を心から楽しむことも一つの重要な価値ではないだろうか。
 ところで私は、新規就農者に冷ややかな時代に就農したため、とにかく次から次に厳しい試練にさらされてきた。そのたびに「楽しく農業をしたい」と心で叫びながら、試練に耐えてきた。そんな経験から、農業を心から楽しむための営農姿勢を自分なりに見出した。それは以下のようであるが、もちろん、継続するためは利益を出すことも欠かせない。
 何はともあれ、まずは農作業が好きであること。寝る間を削ってでも農作業をしたいくらいでないと、「好き」が長続きしない。次は、ことあるごとに、よく考え創意工夫を凝らすこと。好きならば当然できるはずである。もし創意工夫ができないなら、心底好きとは言えない。
 ここまでなら、趣味と何ら変わらない。ここから先が農業、つまり生業の領域に入る。
 第一に、つねに学ぶこと。農業関係はもちろん、多方面のことも学び続けること。どんな仕事でも同じだが、学ぶことに横着な人、あるいは嫌いな人はなかなか向上しない。なかなか向上しない労働に楽しさを見出すのは難しい。
 第二に、少しずつでも失敗率を減らして行くこと。失敗ばかりしていては、利益が出ないばかりか、楽しくなくなる。そして、自分の未熟さや愚かさによって失敗しても、けっして自己嫌悪に陥ってはならない。重要な経験を積むための授業料、あるいは後々の収益を出すための投資と失敗を肯定的に受け止め、改善策を考える。
 第三に、個々の農作業を適切かつ迅速にこなす能力を向上させること。能力向上に終わりはない。加齢とともに年齢的な限界が出てきた場合は、同じような効果や結果を得るための別の方法を考え出す。人間の知恵と肉体的な能力には測り知れない奥深さがある。
 第四に、自然の脅威に耐えること。自然は、溢れんばかりの恵みを与えてくれる一方で、つねに脅威を及ぼす。露地栽培の場合、もっとも厳しい脅威は台風による暴風である。作物をボロボロにしてしまう。この脅威に対して、できる限りの対策をとり被害を最小限に抑えられれば、精神的にも、もちろん金銭的にも必ず報われる。
 第五に、農業は危険なことの多い職業なので、健康を害しないように、つねに細心の注意を払うこと。特に足腰を痛めやすく、農業に挫折するどころか、人生を棒に振ることさえある。元気でなければ、楽しくなれない。
 最後は、「足る」を知ることである。上記のようなことを実践し続けると、普通の人にはいつの間にか過信と強欲が芽生えてくる。過信は、もし想定外のことが突発すると、致命的なダメージを及ぼす。そして、強欲は素直な喜びと楽しさを奪ってしまう。
 しかし、現実は「言うは易く、行うは難し」である。
第151話 大器晩成
2014年11月9日
 とても野菜がおいしい季節になった。私は、枝豆とブロッコリーとさつま芋が特に好きで、これらは毎日、そして一年中食べたい。6月中旬から採れていた枝豆が10月上旬に終わると、ちょうどブロッコリーとさつま芋の季節が来る。今年もさつま芋は、朝から晩まで日が当たる南傾斜の畑で栽培したため、3kg以上もある巨大な芋がごろごろ採れた。ポクポクで味も良い。おいしいだけでなく、さつま芋には、ジャガ芋と同じように、加熱しても壊れにくいビタミンCが含まれている。
 野菜にも種類によって、種まきから収穫までの期間にかなり幅がある。1ヵ月以内のものもあれば、3年以上もかかるものもある。さつま芋や里芋は、お米と同じように、植え付けから収穫まで半年近くかかる。同じ根菜でも、晩夏にまく大根は収穫まで2ヵ月もかからない。秋のラディッシュにいたっては、種をまいてから収穫までの期間、いわゆる「在圃期間」が3週間くらいである。栽培の回転が早く、利益が十分あがる野菜である。その一方で、さつま芋や里芋は、どんな技術と工夫をこらしても、年に一度しか採れない。そのため、栽培規模を大きくし機械化しないと、利益がなかなか出ない。
 もっとも栽培期間の長い野菜は、私の知るかぎり、アスパラガスであろう。種をまいてから収穫にこぎつけるまで、実に3年ちかくかかる。その間は草取りや病害虫の対策をするだけである。農薬を使わなければ、とても利益など出てこない。今から10年ほど前にアスパラガスを栽培したことがあるが、1回収穫しただけで、その後は草に負けてしまった。それ以来、お客様から要望があっても、一度も作っていない。利益うんぬんの以前に、露地栽培では草取りや病害虫の対策が非常に大変で根負けしてしまうのである。
 ところで、農業以外の産業に目をやると、IT革命以降、軽薄短小のビジネスが幅を利かせている。パソコンに向かってコンマ何秒の単位でポンポンとキーを打ち、架空のお金や物を右から左に動かし、巨万の富を一瞬にして獲得する企業や個人も珍しくないという。その一方で、重厚長大の産業は苦戦しているように見える。地デジ切り替えのためにテレビがそうとう売れ、ウィンドーズXPのサポート終了によるパソコン買い替え需要があったが、それ以降、家電製品の製造も販売もパッとしない。かろうじて、自動車業界が頑張っているものの、今や車の中身はコンピューターとソフトが重要で、その意味では軽薄短小の産業と言えなくもない。そういう時代になってしまったのである。
 農業に視点を戻すと、今や農業も同じである。栽培期間の長いものや重い野菜、いわゆる「重量野菜」を栽培しても儲からない。足腰を痛めるリスクが大きいだけである。利益を十分あげ農業で喰っていくためには、栽培の回転が早いもの、つまり在圃期間が短く軽い野菜を作ることである。都内23区内で小松菜だけ栽培し利益を十分あげている農家がかなりいるのもうなずける。
 しかし、いくつかの例外はあるものの、おいしく栄養が豊富な農産物は栽培期間が長い。例えば、真冬に食べるほうれん草の在圃期間は3ヵ月以上である。ところが、暑い季節のほうれん草は播種後1ヵ月以内に採れてしまう。したがって、味も栄養もきわめて劣る。ある機関の検査では、夏のほうれん草に含まれるビタミンCは真冬のものの20%ほどであるという。
 健康により良い野菜、おいしい野菜は時間がかかるのである。
第152話 好きな野菜、嫌いな野菜
2014年11月16日
 食べるのが好きとか嫌いとかではなく、栽培するのが好きか嫌いかという話しである。栽培する野菜の種類を増やすつもり人や新規就農者の参考になれば、幸いである。
 私は、販売と自給の都合で、旬の野菜を切れ目なく、年間40種類ほど栽培している。農業が性に合っているとはいえ、すべての野菜の栽培が好きという訳ではない。なかには、嫌いな野菜もある。正直に言えば、販売の都合上、仕方なく栽培するものもある。例えば、大根、白菜、キャベツ、ごぼう、里芋、長ねぎがそうである。前の3種類の野菜は「重量野菜」の御三家である。当然だが、嫌いなものには、それなりの理由がある。
 嫌いな理由に言及する前に、栽培する際の理由を挙げる。私は、どんな野菜でも次のような15以上の理由を考慮し、栽培するかどうか、栽培する場合はどれくらいの面積にするか決めている。儲かるからとか、作り慣れていて簡単だからなどという単純な理由だけで栽培するかどうか決めたりはしない。それらの理由は、お客様のニーズがどの程度あるか、自分や家族が食べたいか、利益はどの程度出るか、あるいはどの程度の赤字になるのか、どんな栄養がどの程度含まれているか、おいしいか、栽培や収穫などの際に体への負担はどの程度あるか、病害虫や雑草の被害にあいやすいか、収穫適期は長いか短いか、栽培期間は短いか長いか、失敗しやすいか、失敗しない場合でもロスがどの程度出るか、後作への悪影響があるか、新たな投資が必要か、自然の脅威を受けやすいか、一斉収穫ができるか、それとも長期間にわたってだらだら収穫するのか、収穫後に貯蔵する必要があるか、そして、技術的な進歩が見込まれるか、などである。これらの栽培理由のどれを優先するかはケース・バイ・ケースであるが、体への負担が大きいかどうかは常に重要視している。うっかり腰でも傷めたら、仕事どころか、人生を棒に振る可能性すらあるからだ。
 さて、話しを戻そう。上記の6種類の野菜、大根、白菜、キャベツ、ごぼう、里芋、長ねぎには、私にとって次のようなネガティブな共通の理由がある。まず、寒い時期の長ねぎを除き、どれもお客様の需要が少ない。ほとんど栄養がない。それもあって私は、食べるのが嫌いではないが、特に食べたいと思っていない。どちらかと言えば、栽培期間が長い。里芋、長ねぎの栽培は非常に長い。作業の際に体への負担が非常に大きい。この理由は重要である。そして、技術的な進歩がほとんど見込めない。どれも簡単である。農薬を使う農民であれば、誰でも栽培できる。したがって、世間に出まわる量がだぶつき価格競争になりやすく、労働採算性が極端に悪化する。私の場合、長ねぎ以外は必ず赤字になる。こんなにもネガティブな理由が重なると、心理的な拒否反応によって作業がつい後手に回り、技術的には極めて簡単でも、私は失敗しやすい。
 では、私の好きな野菜の御三家、枝豆、ブロッコリー、さつま芋はどうか。前話でも述べたが、これらの野菜は一年中食べたい。栄養が豊富でおいしいためである。自然災害や病害虫の被害にもあいにくいので、まず失敗しない。体への負担も比較的少ない。枝豆とブロッコリーは、農薬を使わなくても私はほとんど失敗しないが、一般の農家はかなり農薬を使うので、相対的に付加価値が上がり十分利益が出る。栽培しない理由は何もない。
 ただし、さつま芋は、誰でも無農薬栽培ができるので利益が出ない。貯蔵の必要があり、面倒である。しかしそれでも、私の準主食であり、毎日でも食べたいので、栽培するのがとても好きである。収穫の時は、いつもウキウキする。
第153話 晩秋のカマキリ
2014年11月23日
 カマキリは戦士である。ある程度大きくなると、鳥以外に敵はいなくなる。巨大な人間が近づいても、こちらを鋭い眼光で凝視し、たやすく逃げたりしない。つかもうとすると、その大きな鎌で攻撃してくる。指をはさまれると、かなり痛い。
 カマキリは益虫である。農薬を使わない農業では必要不可欠である。第148話の写真のように、カマキリは害虫をよく食べてくれる。晩秋になると、あちこちにお腹の大きい雌のカマキリを目にする。「よくぞ生き延びてくれた」と感謝の言葉をかけたくもなる。カマキリとアマガエルが農場に住み着いてくれれば、大型害虫はまず問題にならない。本当にありがたい。
 カマキリは賢者である。カマキリに顔を近づけると、あの三角顔を左右に振ったり回してこちらをじっと観察する。「こいつは自分より強いか、それとも弱いか」とでも洞察しているのだろうか。そして、じっとこちらを観察していたカマキリが、身の危険を感じると、大きな体にもかかわらす、ぱっと羽を広げて飛んで行ってしまう。負ける戦いはしないのである。実に賢い。
 そして、カマキリは孤独である。戦士の宿命かもしれない。春の彼岸頃になると一つの巣からたくさんの赤ちゃんカマキリが四方八方に旅立って行き、その後はずっと単独行動をとる。晩秋まで無事に生き延び、見事に交尾できるのは1パーセントにも満たないであろう。そして、雄は命がけの交尾をする。右の写真は、5年ほど前に初めて目撃したもので、交尾の際、雌に喰われて雄はボロボロになってしまった。人間で言えば、「腹上死」のようである。喰われてしまうことが雄にとって本望なのかどうなのか分からないが、見るからに痛々しい。
 男性の中には、「企業戦士として日夜がんばり、家族を養ってきたにもかかわらず、熟年離婚を突然言いわたされた俺みたいだな」などと、カマキリを我が身に重ねる男性もおられるかもしれない。そうなったらきっと、理性を超えた怒りと心痛に襲われるに違いない。人生の大半を否定されるような虚しさにも襲われるだろう。しかし最終的には、訴訟を起こしても勝てる公算がなければ、とても辛いだろうが、これまた戦士の宿命とあきらめるしかない。
 晩秋の陽だまりで熱いミルク・ティーを飲みながら、カマキリを見ていたら、あれこれ想いがめぐってきた。そして、改めてカマキリの顔をまじまじと見つめたら、織田信長を連想してしまった。あの鋭い眼光と三角顔。信長にそっくりである。その戦い方も似ている。信長は負けると判断すると、潔くさっさと陣を引いてしまう、そんな戦士であった。そして、末路も何か同じようなものであった。
第154話 姥捨て山
2014年11月30日
 「姥捨て山」という民話がある。あまりの貧しさに老人を山奥に捨ててしまう話しで、いわゆる「口減らし」の風習を描いている。家族や集団が生き延びるための究極の選択とはいえ、悲しい風習である。かつて難民キャンプで見た光景も同じで、まず働き盛りの男性から限られた食料を食べた。老人や女性、幼な子は後回しであった。食べ物に困ったことのない人が見れば差別的で非人間的なように映るが、あのような状況では仕方ないのである。略奪や紛争、果ては戦争を起こしてまで生き延びようとするよりも、悲しいことではあるが、少しは救いのある選択であると私は思う。
 この民話の根底に、ある種の世代間闘争も私は見てとれる。現代では、世代間闘争などという言葉はあまり聞かなくなったが、貧富の格差と世代間闘争は戦争や紛争の原因にたびたびなってきた。ドイツでは、第一次世界大戦の戦後賠償と世界大恐慌のために貧富の格差が非常に大きくなり世代間闘争が激化した。その結果、若者を中心に熱狂的なナチス支持者が増え、状況打開の矛先がユダヤ民族と他国に向けられ第二次世界大戦を引き起こした。ほぼ同じ頃、深刻な経済悪化に見まわれた日本でも、若手の将校が首相などを狙った「5.15事件」や「2.26事件」が発生したが、これも貧富の格差からきた世代間闘争と言えよう。1970年代のカンボジアの内戦の時にポル・ポト政権が行なった虐殺や、1965年から始まった中国の文化大革命もやはり貧富の格差からきた世代間闘争が背景にあったであろう。
 そして、日本社会では今、「姥捨て山」とは逆の現象が始まっている。老人が若者を捨てる現象である。定年世代や定年を間近に控えた世代は、若者から職を奪い、確実に年金を受給できるよう政治に圧力をかけている。私もこの世代に属しているので、この世代の気持ちを理解できる。がむしゃらに働き、戦中戦後の廃墟から世界2位の経済大国まで日本を押し上げてきた世代である。「老後くらいは、働かなくても、のんびり豊かに生きていきたい」と願うのはごく自然な感情である。
 しかし、その一方で、デフレ社会しか知らない若い世代には、望む仕事に就けず低賃金に悩まされ、結婚をあきらめている人たちがたくさんいる。政府の発表から類推すると、若者の3割くらいを占めているだろう。そのような状況にあえぐ若者は、当然のことながら、年金制度に懐疑的で期待もしていないであろうし、政治に不信感を抱いている。
 この「姥捨て山」と逆の社会現象は、上述の「5.15事件」や「2.26事件」が起きた頃の社会状況に酷似している。その当時、貧しい農村から多くの若い娘が売春婦などとして安く売られ、働き盛りの二男三男はハワイやアメリカ、ブラジルなどに移民させられ、満州にも入植させられた。そんな社会に不満をつのらせ政治に強い不信感をいだいた若い世代が武力で世の中を変えようとしたが、老練な軍国主義者に利用されてしまった。その行く突く先は数百万の若者の犠牲と焦土と化した国土であった。
 今さら言うまでもないが、歴史は何度も何度も繰り返されてきた。今のような経済、政治状況が続けば、日本でも再び若者が老人世代に反撃する時が遠からず来るであろう。いわば、現代版「姥捨て山」である。現に今、香港や台湾で起きている若者の政府に対する抗議行動は、まさに世代間闘争であり、若者による反撃の始まりである。
 実に困難な時代に人類は突入しつつある。
第155話 新たなグレート・ジャーニー
2014年12月7日
 初冬の冷たい北風が吹く日、近くの大きな調整池に鴨が飛来した。長旅の疲れをいやすかのように、風に揺れてキラキラ輝く陽だまりをゆっくり泳いでいる。鴨の体を人間に換算すれば、世界一周くらいの距離を飛んで来るのだろうか。その旅は、まさに生き延びるためのグレート・ジャーニーである。
 前話の続きである。
 現在、香港や台湾では学生などが政権への抗議行動を続けている。貧富の格差を背景とする世代間闘争である。日本でもこんな経済、社会状況がさらに進めば、遅かれ早かれ若者による闘争行動が始まるのは、火を見るより明らかである。その火種は中東やウクライナに、そして日本の周辺にもある。
 そんな事態を避けるため、安倍政権はアベノミクスを推進している。しかし今までのところ、高額所得者や資産家をさらに富ませる一方で、年金受給者や低所得者の生活を苦しくしている。私には、この政策が太平洋戦争中に軍票を乱発し戦費を調達した政策に重なって見える。当時でも冷静に考えれば、紙切れ同然になるかもしれない軍票を乱発したところで、圧倒的な物量を誇るアメリカに勝てないことは容易にわかったはずである。
 アベノミクスによらない解決策、それも武力によらない解決策を二つ提案したい。一つは、20年以上も続けてきたデフレ経済をこのままゆっくり続けることである。すでに物質的な豊かさがほぼ飽和容態になり、人口が減っていくのだから、けっして難しい生き方ではない。昔のように親と同居すれば、持ち家のために一生を捧げる必要もなく、所得が減っても結構ゆとりのある生活を営めるだろう。
 そして、もう一つの解決策は大規模な移住である。日本の円が強いうちに、世界中に移住するのである。おごらず、いばらず、その国やその地域の人々に少しでも貢献すれば、生きていけるはずである。国内に残った者は、豊かさを享受しつつ、円が暴落しないように、また他国から侵略されないように思慮深く生きていけばいい。その気になれば、この解決策も難しくはない。今や一日で世界を一周でき、どこにいても瞬時に情報とお金のやり取りができる時代である。もう島国根性を捨てようではないか。住めば都である。
 ひとつの例は老人ホームである。今まで介護職員を東南アジアから呼び寄せる政策を続けてきたが、その逆の政策はどうだろうか。国際紛争に巻き込まれにくい国に老人ホームを作り移住する。年金額が減っても、十分豊かな老後をおくれよう。この政策で気がかりなことは良質な医療と治安の確保であろうが、ODA資金で現地に日本の医療機関を作り、手ごろな値段で現地の人々にも医療サービスを提供し、あわせて現地の医療スタッフの技術レベルを向上すれば、医療と治安の問題はなくなる。まさに、一石二鳥三鳥である。
 もはや、物やお金だけで他国と関係を良好に保つ政策には限界が見え始めている。これからは、日常生活に密着したサービスと文化、そして市民レベルでの交流や混住によって他国との良好な関係を築く時代である。近年、世界に浸透しつつある日本の顔は日本食やアニメ、そしてユニクロやイオンなど、どれもこれも文化やサービスである。
 長いスパンで時代を見とおせば、戦火を交えないで人類が末長く生き延びるため、新たなグレート・ジャーニーに挑む時代にさしかかっているのである。
第156話 高い健康から安い健康へ
2014年12月14日
 今年の秋はとても暖かかった。記録的な暖かさが続いたため、野菜がすくすく育ち、ほうれん草や小松菜などの葉物野菜が例年より3週間以上も早く採れた。その結果、スーパーなどの野菜の値段が暴落している。収穫したくなくなるくらい、とにかく安い。
 マスコミは、値段が高騰した時は報道するが、こんなに安くて農家が困っていても報道しない。マスコミは、基本的にマジョリティーの立場から社会を見ているので、農家よりも消費者の立場を擁護するのである。マスコミの中立性は今も昔も幻想である。
 さて、ここからが本題である。日本人の平均寿命は、男女とも80歳を超え、女性は世界一である。気候が温暖で治安が良いことに加え、食べ物の質が良く、高度な医療サービスが手軽に受けられるためである。
 しかし、それにしても、日本の食費は高い。高い健康コストを日本人は払っている。本来、日常的に命をつなぎ健康を保つ食べ物の値段は安い方が良い。安くても農家が生活でき再生産できるのであれば、安い方が良いのである。欧米やオーストラリアなどの先進国では、諸物価に比べ食料品の価格が安い。それでも、農業はしっかり生き続けている。食料自給率も日本より高い。
 さらに、日本の医療費も高い。これまた日本人は高い健康コストを平気で払っている。日本の行く末を考えれば、どうにかしないといけない。個々人の生き方を変え、また国策を変更して、もっと安く健康を保てるようにしないと、将来は暗くなる一方である。
 例えば、一人ひとりがもっと健康に関する知識を持ち自分の健康状態に敏感になり、できるだけ薬に依存しないように生活しようではないか。どうしても薬が必要な時は安いジェネリックを希望しよう。幼子や高齢者、内臓疾患のある人は風邪でも危険だが、そうでなければ風邪やインフルエンザくらいで病院に行くのは止めよう。新薬の開発では、もっと的を絞りこみ投資資金の効率を高め無駄を減らし、国が定める薬価を下げよう。これらの努力によって、医療関係につぎ込む税金は必ず減る。安い医療費の実現である。
 さらに、今後とも日本の人口は減る一方であり国内の経済規模は縮小していく可能性が大きいのだから、必要性の低いインフラ整備に巨額の税金をつぎ込むのはもう止めよう。造れば、多額の維持費と修繕費、そして解体費を将来世代に負担させることにもなる。
 これら、医療とインフラ整備に充てる税金が減った分を専業農家や専業の農業法人への所得補償に充てよう。そうすれば、農産物の価格は必ず下がる。これで、安い食費も実現する。
 そして、もう一つ。教育内容も変えよう。ほとんどの大人にとって役に立たない授業の時間を減らすか選択科目にし、その分をもっと健康の授業にあてよう。社会に出て、はたして何割の人が微分や積分を必要としただろうか。
第157話 ボランティア
2014年12月21日
 早朝、農場にむかう途中で道路を掃除している男性をよく見かける。年の頃は60代半ばであろう。写真のように、側溝などにたまった泥や草などをピカピカのプリウスの後部に積んでいく。話しかけても何も語らず、写真もやっと取らせてもらった。報酬も名誉も何も求めず、ただひたすら道路をきれいにしている。
 ところで、団塊の世代と呼ばれている人たちが次々と定年をむかえ仕事から離れつつある。私もその世代に属しているが、職業柄、定年を言いわたれることはない。望めば、死ぬまで働ける。幸か不幸か、日本の農民の共通点である。
 団塊の世代は、明治維新を推進した若者世代に匹敵するくらい、右肩上がりの社会を爆走してきた。戦中世代とデフレ世代の間に位置し、平和と繁栄を享受してきた。
 この世代とその前後の世代の特徴は、物の乏しい時代に育ったため、物づくりが大好きで得意である。日本が「物づくり立国」と形容されるようになった一因である。また、競争に明け暮れてきたため、とにかくタフで、何事にも必死に頑張る習性がある。「仕事」と呼ばれる活動から開放されても、時間のゆとりができると何かしたくなる。日長ぼーと過ごせない性癖が心の底まで染みついている。したがって、良くも悪くも、日本社会に今後も大きく影響を与え続けるだろう。
 そこで、定年世代の中でも活力を持てあましている人たちは、第三の人生にチャレンジしてはどうだろうか。年金や貯蓄で余生を過ごせるのであれば、例えばボランティア活動に参加してみるのも良いだろう。お金を稼ぐために日夜働いてきた頃とは違った、新たな世界と価値観が見えてくるかもしれない。損得を超えた人間関係を築ける可能性もある。
 現役世代を引退してからボランティア活動をするのは、何も目新しいことではない。職住が分断される前までは、老人が孫の世話や地域の子どもたちの面倒を見てきたのである。たぶん、ずーっと人類はそうやって、家族や集団を維持し団結してきたのだろう。だから、「長老」として尊敬され、老いてもなお社会的ポジションが用意されていたのである。そこには、「孤独死」などという寂しい末路はなかった。
 そもそも、サラリーマンという人種や年金生活などというライフ・スタイルは、長い人類の歴史からすれば、つい最近のことで、産業革命から生まれた生産方式と資本主義が必要とした生き方なのである。何ら普的な生き方ではない。身の回りに物が溢れ資本主義の欠点が顕在化してきた現代、次なるライフ・タイルを私たちは模索し始めているのである。その一つが、冒頭で紹介した男性のように、金銭目当ての活動ではない、自主的なボランティア活動である。
 私が農民だから言う訳ではないが、仕事を引退してもなお元気な高齢者は農業ボランティアとして活躍してもらいたい。衰退の一途をたどる日本の農業はすでに国家的な危機状態にある。もはや、とても農民だけでは復興できない状態なのである。
 長年、私は会社員などのボランティアに助けられてきた。そして、皆生農園のある地域には、中高年の都市住民が運営する「しろい環境塾」というNPO法人があり、これまた長年活動してきた。その一つが、耕作放棄地などを復活させ農業を営む活動がある。今ではすっかり農村地域に根付き、その存在感を増す一方である。このような人たちがごく普通に存在する近未来を思い描きながら、私は農業を営んでいる。
第158話 厳しい試練の先に(2)
2014年12月28日
 近年、農業を「6次産業」とか「成長産業」とか、政府やマスコミ、知識人と言われる人たちが農業の将来性を喧伝している。しかし、農業を継続していく困難さは、なかなか語られない。そこで今話では、改めて農業の厳しさを述べてみたい。これから就農を計画している人々の、何かの参考になれば、幸いである。
 私が就農した当時は、バブル経済の最盛期で、農地の入手がきわめて難しい時代だった。実際は農業をしていない農家、いわば「名ばかり農家」が農地を貸してくれない。いずれ農地を宅地にして高く売りたいと思っていたのだろう。市役所に行って協力をお願いしても、まったく力になってくれなかった。行政としては、いつまで営農できるかどうかわからない新規就農者に農地を紹介するよりも、その土地が宅地として売れ多額の税金を得る方が確かに魅力的である。
 その当時から比べれば、国や県、そして市町村レベルの行政機関が新規就農者に対して非常に協力的になったが、農地の入手は今でも相当難しい。農地をめぐる法律や制度、システムが根本的に変わらないかぎり難しい状況は続くであろう。例えば、農業委員会による農地の賃貸や売買の許可制度を撤廃し、農地も宅地のように自由に売買できるようにするとか、戦後の農地解放のように耕作放棄地は都道府県か市町村がただ同然で没収するとか、とにかく思い切った政策転換が必要である。
 二番目の試練は自然の脅威である。自然は、余りあるほどの恵みを与えてくれる一方で、つねに脅威もあわせ持つ。なかでも、もっとも厳しい脅威は台風による暴風雨である。激しい暴風雨の最中にびしょびしょになりながら対処する辛さはとても一言では語れない。そんな作業を必死にしても、暴風雨があまりにも激しくなると、いとも簡単に作物をボロボロにしてしまい、苦労が一瞬にして水の泡になってしまう。露地栽培からハウス栽培に移行する農家が後を絶たないのは、そのためである。
 三番目の試練は指導者と協力者である。しっかり営農している農家や農業塾、学校や公的機関、さらにJAなどにおられるが、問題はそれらの指導者が農業経験の乏しい新規就農者にとって「良い指導者」であるかどうかである。私の経験では、そういう方は非常に少なかった。今まで、根っからの農家の方々に相当お会いしてきたが、非農家出身の新規就農者の窮状を深く理解し、損得勘定抜きで支援してくれた人は、たった一人だった。その方は5年ほどの間に、私も含め4名の新規就農者の定着に尽力された。新規就農者に農地を紹介してくれたり、販路を世話したり、時には重機で耕作放棄地を自費で開墾し貸してくれたりと、実に献身的な方であった。たぶん、このような方はごく少数であろう。
 そして、四つ目の試練は健康管理である。これは、何も農業に限ったことではない。組織の中で責任の重い人や一流のスポーツ選手などは、ストイックなほど健康管理をしている。あの家康などは、自分で作った漢方薬を飲み長生きし、天下を手中に収めた。
 一言で言えば、自営農民はサラリーマンとまったく違う。農業は、肉体的に過酷な職業で、労働環境が悪い。つねに危険と背中合わせである。それにもかかわらず、労災保険も実質的には機能していない。農作業中にギックリ腰をしても、いっさい保険の対象にはならないのである。農業どころか、生活に支障が生じかねない。
 そんな職業ではあるが、今年も元気に働くことができた。感謝、感謝である。
第159話 老いとチャレンジ
2015年1月4日
 歳を重ねるにつれ、変化を嫌い恐れ、だいたい保守的になる。健康を保ちたいとか、現状を守り続けたいとか、ひたすら保守を願うようになる。多分それは、人生最大の、たった一度の大変化、死という未体験の大変化が視野に入ってくるからかもしれない。
 また、たいていの人は、年老いてくると、少しでも老化を遅らせたいと願うようになる。やはりこれも、老化の先に死がちらつくからだろう。「遅かれ早かれ、どうせ死ぬのだから、今さらじたばたしたって・・・・・・・」とは、なかなか悟れないのである。「死は終わりではなく、楽に暮らせるあの世がその先にある」とか、「神を信じれば、天国に行ける」とか言われても、見たことのない世界を信じるのは難しい。それが凡人の、あるいは無神論者の性かもしれない。
 そこで凡人は、老化を遅らせようと、いろいろなことをする。例えば、健康や病気について学んだり、食事や生活習慣を改善したり、積極的に運動したり、何か新しいことにチャレンジしたりする。チャレンジは、その対象が何であれ、脳を活性化させ老化を遅らせる効果がある。
 すでに還暦を過ぎた私も、10年ほど前に膝痛で歩けなくなった頃から、足腰の衰えが気になり始めた。物忘れもよくある。かつて、病院で脳の検査をするように若者から勧められたこともある。脳の退化が相当進んでいるのかもしれない。
 そんな訳で、私も老化を少しでも遅らせようと、身の程も知らずに、今年もいくつか新たなことにチャレンジしようと思っている。その一つが中国南部での農業である。かれこれ、10年以上も前から考えていたことである。
 この歳になると、体が気持に追い付かなくなり、いつまで現役で働けるかわからないが、今年からその準備を始めようと思っている。目標をしっかり持ち少しずつでも努力していけば、いずれ10年後くらいには道が開けると楽観している。
 そのためにも、健康を害せず、事故にあわないように気をつけ、今年もマイ・ペースで頑張ろう。
第160話 食べる楽しみ、食べられる喜び
2015年1月11日
 人間は、そら恐ろしい生き物である。先週の日曜の夜、NHKスペシャルの「ネクストワールド 寿命はどこまで延びる 老化を防ぐ物質発見!」を見て、そう思った。番組によると、ホルモンに似たNMNという化学物質が体内のサーチュリン遺伝子を活性化し、老化を遅らせるだけでなく、若返らせたり、病気を治せるという。そのNMNを既に日本の大手食品メーカーが生産し始めたそうである。
 前話「老いとチャレンジ」で、「老いを感じると人は、老化を遅らせようと、健康や病気について学んだり、食事や生活習慣を改善したり、積極的に運動したり、何か新しいことにチャレンジしたりする」と書いた。しかし、番組の内容を素直に信じれば、金持ちは超高額のNMNを取り込むだけで、こんな努力をする必要がなくなりそうなのである。
 このNMNとクローン技術、さらにiPS細胞による臓器再生の「新・三種の神技(器)」を駆使すれば、人間は永遠に生きられる可能性がある。つまり人間は、神の最後の創造物ではなく、まさに人間自らが神になってしまう技術を手にしかけているのである。
 この番組を見終えて、そら恐ろしさに加え、2つのことを思った。その一つは、「人はどう死ぬようになるのか」である。人の死には5つのパターンがある。老死、病死、事故死、他殺、そして自殺である。これらのうち、仮に前の2つの死がなくなり、人口爆発を抑えようとすれば、後の3つの死に方を増やさなくてはならなくなる。なぜなら、食料や資源などに限りがあるからである。まさか、仙人のように霞を喰って生きていくわけにはいかないだろう。
 もう一つ思ったことは、「今までのような農業はほとんど不要になるかもしれない」ということである。なぜなら、人口増加に食料生産が追いつかず、宇宙食をさらに進化させたような、工業的に生産された凝縮栄養物をほとんどの人類が摂取することになるかもしれないからである。つまりそれは、人類がその誕生以来ずっと続けてきた食事が激変することを意味する。
 永遠に死なないために、もしそんな食事が当たり前になったら、「食べる楽しみ」や「食べられる喜び」は一体どうなるのだろうか。
 我が家には、「救(きゅう)ちゃん」という1歳数カ月の雌猫がいる。一昨年の秋、目ヤニで目が開かず衰弱し道の真ん中にうずくまっているところを拾ってきた。獣医の努力の甲斐があって、一命は取りとめたものの、持病の食道拡張によって口から固形物を食べられない。そのため、高栄養の流動食を毎日欠かさず4回、胃に注射器で直接流し込んでいる。その流動食で、量も栄養も十分足りているはずなのだが、それでも人間の食べる物をさかんに欲しがり、人が食べた後の皿をとてもおいしそうに舐める。この猫にとっては、食べることが生きていることそのもののように見える。
 本質的に、人間と猫の間に食欲の違いがあるのだろうか。不老不死のために、人間は「食べる楽しみ」や「食べられる喜び」を放棄できるのだろうか。もし食欲を放棄できるようなら、この世から喫煙者などいなくなるはずである。
 もちろん、番組はこの画期的な技術の影の部分にはいっさい触れなかった。原爆の開発の時もそうだったが、科学者は往々にして視野が狭く、暴走する。恐ろしい。
第161話 冬(1)
2015年1月18日
 冬は苦手である。寒さのために全身の活力が衰え、作業がつらくなる。たぶん、寿命も縮むだろう。さらに、1月からスギ花粉症が始まり、7月初旬までいろいろな花粉に反応してしまう私にとって、冬は忌まわしい季節でもある。いっそのこと、冬の間だけ暖かい国でのんびりバナナ栽培でもしたいと思うことがある。
 農場は、田舎にあり周囲に家が少ないので、明け方の冷え込みは半端じゃない。厳寒の朝は、地表温度がマイナス10℃を切る。5、6km離れた都市部にある自宅とは冬の最低気温が数℃は違う。風がなく冷え込みの厳しい日は、朝から晴れていても、午前中は地面が凍っている。もちろん、写真のように、露地野菜も凍りつく。もし日中の日差しが弱いと、凍りついたまま夜をむかえ、人の体が凍傷で壊死するように、野菜も腐ってしまうことが普通に起きる。
 また、野菜が凍りつく関係で、午前中は収穫できない。陽ざしを浴びて生気を取り戻す午後からである。よほど要領よく収穫しないと、日暮れまでに終わらない。時には、頭にライトを着けて収穫することもある。収穫物は夜間に凍りつかないように保温庫に入れておき、翌朝から荷造りする。
 さらに、この季節は何かと作業がしにくい。凍っていた地表が溶けると、土がぐちゃぐちゃになり、足がとられる。収穫の際は、包丁か鎌を持っているので、滑らないように細心の注意をはらう。四輪駆動車でも畑の中の道ではスリップすることがある。まったく難儀する季節である。
 しかし、露地栽培の場合、冬は必要不可欠である。少なくても3つの恩恵をもたらすからである。まず、寒さを乗り越えようと、野菜たちが栄養と甘みをたっぷり蓄える。根菜と葉菜は冬こそ旬である。2つ目は、害虫や雑草との闘いから開放されほっとできることである。そして3つ目の恩恵は、寒さで土が良くなることである。
 関東平野で農業を営む場合、真冬から8月くらいまでしか十分な利益はでない。秋は台風の被害がたびたび発生し、それでいて北海道や東北地方から安い野菜が首都圏に流れ込み野菜の値段が値崩れするためである。したがって、冬の恩恵をしっかり受けとめ、夏に向けていかにスタート・ダッシュをきれるか、それが重要になる。
 冬こそ勝負の時である。
第162話 冬(2)
2015年1月25日
 前話の最後に、「冬こそ勝負の時である」と述べた。もちろんこれは、私のような農民に限ったことではない。厳しい冬が重要となる職業はたくさんある。そして冬は、人だけでなく、ほとんどの生き物にとっても厳しい季節である。
 例えば、本来は肉食が好みの野鳥でさえ、好きな食料が不足する冬場は野菜も食べる。写真は、ヒヨドリがホウレン草を食べた跡である。ヒヨドリの被害を減らそうと、ホウレン草にネットをかけたり、精米業者から頂いたクズ米を毎朝あげたりしている。そのクズ米には、ヒヨドリだけでなく、スズメ、ハクセキレイ、ヒバリ、ウグイス、メジロ、そしてカラスなどが訪れる。
 ところで、地球の長い歴史を振り返ると、やはり厳しい冬の季節が何度も訪れていた。氷河期や氷期と呼ばれている期間である。現代は比較的暖かな間氷期にあたる。生き物が生息しやすい間氷期は、その名のとおり寒い期間の間の端境期のようなもので、氷河期や氷期よりもはるかに短かったらしい。そして、約22億年前と6億年前には、地球表面すべてが凍りついた期間があったという。いわば、桁違いの冬が延々と続いたようなものである。その結果、地表の生物はすべて死滅し、深海で生き延びた生物が私たちにつながっているという説が近年唱えられている。
 現代に視点を戻せば、私たち人類は、経済発展にともなう物質的な豊かさのはてに、再び厳しい社会状況に直面している。貧富の格差に代表される経済の冬が、社会の冬をもたらし、心まで凍りつかせようとしている。
 最後に、冒頭にあげた野鳥たちの行動を述べて終わりにしたい。ヒヨドリのように、好きではないホウレン草を仕方なく食べて命をつなぐ鳥がいる一方で、カラスは、力ずくで他の鳥たちを追い払い、葉っぱよりもおいしくカロリーのあるクズ米を独占する。そして写真のように、独占したクズ米をその場で食べるだけでなく、物陰に隠しておく。また、スズメなどの小鳥たちは、自分よりも大きく強い鳥たちの目を盗んで、とにかく食べられそうな物であれば、何でも口にする。それぞれが、限られたチャンスをとらえて、厳しい冬を必死に乗り越えていく。
 ひるがえって自分は、厳しい社会の冬をどのように乗り越えていくつもりなのか。それが問題である。
第163話 中国(1)
2015年2月1日
 30年ほど前から、私は中国がとても気になってきた。きっかけは、アフリカから帰国する機内で読んだ中国史の文庫本である。ただ記憶させるだけの学校の歴史教科書とは違い、悠久の歴史が現代にいきいきと蘇ってきそうな本であった。
 その数年後、中国経由でケニヤに向かう途中、北京に数日滞在した際、そこで目にした街中の様子は戦前の日本のようであった。車はほとんどなく、広い通りに自転車があふれかえっていた。宿泊したホテルは、電気と水道の時間制限があり、とてもホテルと呼べないような有りさまであった。外国人向けのホテルでそうなのだから、庶民の生活はもっと不便であたろう。たぶん、ごく一部の特権階級を除けば、鄧小平が実権を握るまでは、圧倒的多数の国民が貧しさを共有していたに違いない。
 ところが今や、世界2位の経済力を誇っている。昨年の今ごろ、娘が住んでいた上海を訪れた時、あまりの変容に度肝を抜かれてしまった。どう見ても、30年前の北京の街並みとはまったく重ならない。昇り竜のような中国をニュースや記事で知ってはいたものの、まるで今にも、中国が世界を飲み込んでしまうかのような勢いを感じた。巨大な経済力を手にした中国は、一体どんな未来を切り拓こうとしているのだろうか。
 かつて日本は、勢いあまって豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだ。また、明治維新をへて欧米先進国を猛追し、やはりその勢いを自制できず、満州国の独立を口実に中国を侵略し南アジアへも軍を進めていった。はたして中国も、日本と同じ過ちを犯すのだろうか。非情にも、歴史はくり返すのだろうか。
 しかし、冷静に世の中を見回せば、昔とは比べものにならないほど世界が狭くなっている。庶民の生活の隅々まで世界経済に組み込まれ、外国製品に囲まれている。また、どこにいても瞬時に行きかう情報をスマホなどで手軽に入手でき、地球の反対側に住んでいる人とでも映像を見ながらリアルタイムで会話ができる。そして、周囲にはたくさんの外国人が混住している。近々の統計では、70万人ほどの中国人が日本に住んでいるという。韓国朝鮮人を抜いて、在日外国人の中では中国人がもっとも多い。農場周辺の農村地帯でも、中国人などのアジア系外国人だけでなく、アフリカ系の人々もたくさん働いている。
 こんな時代であるにもかかわらず、中国は日本と同じ過ちを犯すのだろうか。経済力だけでなく、軍備の増強を急ぐ中国を見ていると、不安が胸をよぎる。尖閣諸島をめぐる中国の挑発やサンゴの密漁という違法行為を平然と行なう中国に対し、日本人が好戦的に変貌することはないのだろうか。
 万が一、中国と日本が戦火を交えることにでもなった時、中国本土の権力者はどういう対応をとるのだろうか。在米邦人を見捨ててまで太平洋戦争に踏み切った日本のように、これら在日の同胞を身捨てるのだろうか。
 「今世紀は中国の世紀」と言う人が少なからずいる。私もそうなるような気がしている。少なくても、アメリカやヨーロッパと並んで、第三の覇権国家してアジアに君臨する時代がそこまで来ている。仮にそうなったとしても、周辺国が望まないような抑圧的な覇権国なら、悠久の歴史を持つ中国でも歴史から何も学んでいないと誹(そし)りを受けるだけになる。
第164話 春来
2015年2月8日
 立春を過ぎ、日差しがだいぶ強くなってきた。まさに、光の春である。
 農場の周辺でも、写真のように、椿が満開である。小鳥たちにとっては、餌が不足するこの時期に咲く椿の甘い蜜がとても貴重な食料源である。目をこらすと、椿の花にミツバチなどの昆虫も確認できる。彼らにも春来である。いたるところで命の再生産がもう始まっている。
 畑の中では、菜の花がチラチラ咲き始めた。例年よりも3週間ほど早い開花である。たぶん、12月から1月上旬にかけて真冬並みの寒さが続き、1月中旬から月末にかけて春の陽気が訪れたためであろう。レタスなども先月中旬から急に成長し始め、予定より3週間ほど早い出荷となった。今後まだまだ寒さが続くというのに、畑の中もすっかり春模様である。
 ところで、春来は良いことばかりではない。日差しが強くなると、昼夜の温度差が大きくなるので、温度管理が煩雑になる。夜明け前の最低気温が氷点下でも朝から快晴の場合には、9時を過ぎると育苗ハウス内の気温が30℃ちかくなるので、その前に必ずハウスの側面を開けて換気をしなくてはならない。うっかり忘れることは厳禁である。激しい温度差は野菜の苗に過剰なストレスを加えるだけでなく、苗を軟弱に育ててしまうからである。理想的には、温度差を20℃以内におさめ、じっくり育てたい。
 また、春に収穫するレタスは年内から3月上旬にかけて植えるのだが、ビニールで必ずおおう。寒さに慣らしてあるレタスの苗は、氷点下10℃を切らなければ枯れることはないが、いくつかの事情があり、一定の大きさになるなではビニールでおおわなければならない。しかし、ビニール内を高温にすると、レタスの葉が焼ける恐れがあるので、晴れの日は、やはり9時頃までにはビニール・トンネルの裾を開けなければならない。そして、午後には閉める。苗を植えた後、この繰り返しが1か月以上も続く。実に煩雑であるが、これをしたくない農家は、誰でもできる時期、つまり値崩れする時期の出荷となる。
 どんな職業でもそうかもしれないが、横着して儲けようなどとは、虫のいい話しである。
 当たり前のこと、やるべきことをコツコツとこなしてこそ、どうにか半歩他人の先に出られかどうかである。凡人が才能豊かな人に伍していくには、それしかない。
 「亀でもウサギに勝てる」と思えるようになった時、私は還暦ちかかった。「もっと若い頃そう思えていたら、違う春来があったかもしれない」と、見事な椿を見ながら、ふっと思った。
第165話 中国(2)
2015年2月15日
 中国では、18日から旧暦の正月を祝う春節が始まる。農村から都市に出稼ぎに来ている人達もいっせいに帰省する。2012年には、春節前後の40日間で、のべ30億人以上が移動すると中国政府が予測していた。他国に類を見ない民族大移動である。中国の1割ほどの人口しかいない日本にとっては、それだけでも中国のパワーを感じないわけにはいかない。
 春節は、四千年以上もの歴史があり、中国本土に限らず中華系の人々が住んでいる国や地域でも盛大に祝われるという。もはや中国のお祭りをこえ、世界のお祭りに等しい。
 この中国人の民族大移動は春節に限ったことではない。中国人は世界の隅々まで移住し、しっかり根付いている。今から30年以上も前、アフリカ辺境の国ソマリアに難民救援のために日本の若者が行った時、その地に住んでいた日本人は豊田通商の一家族と国連職員の一人だけであった。しかし、中国人のコミュニティーはすでにあり、多くの中国人が道路建設や農業指導などの援助事業に携わっていた。もちろん、中華料理店もあった。
 ちなみに、法務省の統計によると2012年末時点で、日本に住む中国籍の人は約65万人で、在日外国人でもっとも多い。その一方で、中国国家統計局によると2010年時点で、中国に住む日本人は約6,600人しかいない。これらの数を両国の人口比で換算しても、中国に住んでいる日本人は日本に住んでいる中国人の1割くらいである。
 ところで、他国に住んだことのある人なら体験したことがあると思うが、言語も文化も、そして生活習慣も異なる社会の中でまともに生きていくのは、並大抵のことではない。困惑と不安が日々つきまとい、時には身の危険も感じながら、笑顔の底にも常に用心深さを潜ませておかなければならない。島国育ちの日本人には相当のストレスが加わる。
 そんな厳しい試練があるにもかかわらず、膨大な数の中国人が世界中に住んでいる。たぶん、他国に移住した民族の中では、中国人がもっとも多いのではないだろうか。はるか昔、ベーリング海がなくユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きであった頃、アジアに住んでいた人類が南アメリカの最南端まで移住していったという。いわゆる「グレート・ジャーニー」である。このアジアに住んでいた民族は、たぶん、現在の中国あたりの人たちではなかったろうか。
 中国人のバイタリティーは、一体どこから湧き出るのだろうか。島国育ちの日本人には想像しがたい生命力があるような気がしてならない。
 その中国が、驚異的な経済発展を背景にして、軍事力を急速に増強してきた。今や、ロシアやアメリカに迫る勢いである。底知れぬバイタリティーと強大な軍事力を持つにいたった中国はアジア諸国にとって脅威となりつつある。
 はたして、共産党という「特権階級」は、どんな未来を描いているのだろうか。かつて第一世界大戦を境に、大英帝国からアメリカ合衆国に移った覇権を「次はグレート・チャイナが握る」とでも意図して、軍事力を増強しているのだろうか。中国の民衆までもが「グレート・チャイナ」を夢見て、毎日がむしゃらに働いているのだろうか。もしそうであるなら、東南アジアの未来は悲惨である。
 たぶん、ほとんどの日本人はそんな未来を望んではいないであろう。ならば、私たちは何をすべきなのだろうか。あるいは何をしてはいけないのだろうか。
第166話 
2015年2月22日
 「菌」という字を見て、あなたは何を連想するだろうか。医療従事者、理学系の学者や学生、健康に強い関心を持っている人たちなどは、いくつもの「菌」をすらすらと述べられるだろうが、ほとんどの人は菌のことをあまり意識していないではないだろうか。そして、後者の多くは「菌」と聞いて、まず「バイ菌」を思い浮かべるだろうと、私は思っている。
 余談になるが、そもそも「バイ菌」という菌はこの世に存在していない。人の健康にとって良くないと思われる菌の総称でしかなく、「雑菌」や「雑草」と同じ意味合いで私たちは何気なく使っている。そう呼ばれている菌にとっては失礼な話である。こういう呼び方は、アフリカ系の人を十把ひとからげ「黒人」と蔑称することに一脈通じているように思えてならない。
 ところで昔は、農家の多くが真冬に一年分の味噌や醤油を仕込んだ。日本酒も同じである。その際に欠かせないのが麹菌や酵母菌などである。温度が高いと、これらの菌は他の雑菌に負けてしまうので、寒い時期に仕込む。私の実家も、隣近所と協力して、3日がかりで仕込んでいた。子どもも火の番などにかりだされ、一家総出の年中行事であった。
 味噌や醤油の他にも、各種の酒や漬物、ヨーグルトやチーズ、納豆や鰹節など、発酵食品を挙げたらきりがない。このように、菌は私たちの食生活に欠かせない。そればかりか、「菌によって私たち人間は生かされている」と言っても過言ではない。成人の体は60兆個ほどの細胞からできているが、健康であれば、その60兆個の細胞よりも多い菌が人間の体に棲んでいるという。食物を十分に消化吸収できるのも、消化器管内に住んでいる菌群のお陰である。体表も常在菌によって守られている。
 もちろん、野菜も例外ではない。野菜にとっては、特に土の中の菌群が生育に大きく影響する。有機物の乏しい「痩せた土」では、菌が少なくなり、野菜の生育が悪く病気にもかかりやすくなる。その一方で、有機物の豊かな「肥(こ)えた土」には、前者とは桁違いの数の菌が生きている。
 それらの菌たちも、人間の消化器内に棲息する菌群と同じように、有用菌(いわゆる善玉菌)、有害菌(悪玉菌)、日和見菌に大別できる。そして、野菜が健康に育つためには、菌が根の周辺にたくさん棲息するだけでなく、有害菌の割合が小さいことが重要である。
 ところが、ほとんどの農家は、病気対策のために殺菌剤を多用する。殺菌剤は、とうぜん、相手を選ばない。悪玉菌だけでなく、善玉菌や日和見菌も見境なく殺してしまう。そして悪いことに、悪玉菌の方が復活力が強い。したがって、殺菌剤を使い始めると、止められなくなってしまうのである。
 ひるがえって、私たちの生活を見てみると、無意識に同じようなことをしていないだろうか。ちょっとした風邪くらいで抗生剤を飲む人がいるが、風邪の原因であるウィルスに抗生剤は効かない。それどころか、消化器内の大事な菌群を殺してしまう。抗生剤を飲むと下痢をしやすいのは、そのためである。また、必要以上に手や体を石鹸で洗ってはいないだろうか。そんな習慣は、肌荒れのもとになるだけである。肌を有害な菌から守っている常在菌や脂質まで洗い流してしまうからである。
 過度の清潔癖は、健康管理に関する現代病の一つである。
第167話 現代病
2015年3月1日
 春3月、スギ花粉の季節が来た。農場はスギ林に囲まれていて、南寄りの強い風が吹くと、黄色い花粉が煙のように飛散し、野菜や施設の屋根などにも降り積もる。かれこれ40年以上もスギ花粉症に悩まされてきた私には、おぞましい光景である。芥川龍之介の小説「鼻」に登場する僧のように、鼻をむしり取りたくもなる。鼻がつまり、口から息をするのだから、どっちみち鼻などいらない。そんな気分になる。
 そこで、花粉対策のためにマスクをつけると、困ったことに、いくつもの弊害を生む。まず、息を吸う時にマスクの外側についた花粉が、息を吐くと、目の周辺に吹き飛ぶので、目がとても痒(かゆ)くなる。
 二つ目は非常に息苦しいこと。近年、日本はもちろん、PM2.5の関係で中国でもマスクが急速に普及したので、膨大な数の人々がこの息苦しさに悩まされているのであろう。この息苦しさは、酸欠を引き起こし、脳の機能と体力をかなり減退させている。
 三つ目は、息を吸う時により力強く横隔膜を引き下げ、胸骨をぐっと拡げなければならない。そのため、胸腔内の圧力が大きく下がり、心臓の収縮を妨げることになる。一回一回の妨げは微々たるものかもしれないが、拍動のたびに心臓にかかる負担が累積すると、相当なものになると私は思っている。実際、父親譲りで心臓が弱い私は、鼻がつまると心臓がズッキンズッキンと傷むことがある。
 余談だが、マスク着用や鼻づまりによる胸腔内の減圧とまったく逆が、咳やくしゃみによる急激な加圧である。これらは、いっそう心臓の負担を増すであろう。私の祖父は喘息(ぜんそく)持ちで、70歳ほどで亡くなってしまったが、私の目の前で胸を押さえながら急に苦しみ始め、20分ほどで息絶えてしまった。今から思えば、たぶん長年の咳による心臓疾患が死因ではなかったろうか。
 四つ目は体が熱くなることである。3月ともなると、日差しが強くなり、天気のいい日はけっこう暖かい。少し力仕事をすると、体がポカポカほてる。こんな時にマスクを着けていると、体内で発生した熱を吐息で逃がせず、じっとり汗をかく。私にとっては、これもマスク着用の弊害である。
 ここで、改めて鼻の構造をよく見ていただきたい。哺乳類の鼻は画期的な構造をしている。「臭いを感じ、埃や細菌などを除き、吸気を温め過湿する」だけなら、体表に単純な穴があるだけでいい。しかし、もう一つの重要な機能のために、哺乳類の鼻は長く尖っている。この構造によって、吐き出した息が遠くへ飛散し、次に吸う時は鼻の周囲から新鮮な空気を吸うことができる。あまりにも単純な構造と機能のようだが、これによって酸素を十分に取り込め、激しい運動にも耐えられるのである。
 このように、鼻が持つ優れた機能をマスクは低下させてしまうのである。
 前の第165話「菌」では「過度の清潔癖は、健康管理に関する現代病の一つである」と私見を述べたが、今話で指摘した必要以上のマスク着用と、その背景にある空気汚染も現代病の一つであると私は思っている。戦後の廃墟から復興するために膨大な量の木材が必要と予測し、山だけでなく平地にもスギやヒノキの植林が勧められた。しかし、その掛け声も消えぬうちに、外国から安い木材を輸入した日本。結局、山や林は荒れはて、町や村は過疎化し、残ったのは「花粉症」という国民的な現代病だけであった。
第168話 服装
2015年3月8日
 日頃あまり意識しないで服を着ている人も多いだろうが、服装はとても重要である。生きていく上で欠かせないものとして、昔から日本では「衣食住」と序列をつけている。これら3つの中でも、「衣」がもっとも生命維持に直結している。家がなくても、人は死なない。路上生活者を見れば、明らかである。食べ物がなくても水さえ飲めば、1週間や10日くらいは命をつなげられる。しかし、寒さで体温を保てなくなれば、そく死につながってしまう。冬山での凍死の例を挙げるまでもないだろう。
 ところが、石炭や石油などの化石燃料をふんだんに使えるようになってからは、寒い季節や地域でも、服が命に直結するようなことはなくなった。そのためか近代以降は、「服装」と言えば、「ファッション」とか「仕事着」を連想するくらいで、服装の本質的な目的であった防寒の重要性が薄れてしまった。
 しかし、職業として農業を営むのであれば、やはり服装に十分気を配る必要がある。ハウス栽培なら別だが、露地栽培の場合、「服体知」という序列を付けてもいいくらい、服装が重要であると私は思っている。ここで言う「体」とは体力であり、「知」とは知識である。
 ところで、私どもの農場がある地域では、真冬の最低気温が零下10℃くらいになる。そんな冷え込んだ朝でも、必要があれば、防寒着を着こんで外で作業する。その一つの作業が畑の土を良くする作業、いわゆる「土づくり」である。畑に米糠と籾殻を直接まき、トラクターで浅く耕す方法を15年以上も続けてきた。冬場の大事な作業である。
 余談だが、この方法で土づくりを始めた頃は、「じかに米糠などの有機物を土に混ぜ込むのは邪道だ」と非難されたこともあった。「有機農法では完熟堆肥を土に入れるものだ」というのが常識だったからである。消費者はもとより、農家のほとんどは有機農法イコール堆肥の使用と今でも思っている。しかし私は、有機物を直接土に混ぜ込む方が、堆肥を使うよりも利点が多いと確信している。
 本題に戻ろう。「土づくりの必要性はわかるが、何も寒い早朝にしなくてもいいではないか」という声が聞こえてきそうである。しかし、私は土づくりの作業を冬場に行なうため、日が高くなり少し暖かくなると、凍っていた畑の土がとけ、ドロドロになり、とても米糠や籾殻をまける状態ではなくなるのである。もちろん、トラクターで耕すこともできなくなる。つまり、寒い早朝でしかできない作業なのである。
 このような訳で、私にとっては、軽くて暖かい防寒服が不可欠である。それとともに、日差しが強い季節には遮光服と帽子が重要になる。ガンや白内障の原因になる紫外線を遮るためである。いくら暑くても、半袖シャツと半ズボンは厳禁である。できれば常に手袋も着けたいが、作業性が落ちる時は、仕方なく素手で行なう。
 さらに付け加えれば、ジーンズなどの平織りのズボンも厳禁であり、長靴は雨の日以外は基本的に履いてはいけない。どちらも膝への負担が増すからである。ニットのズボンと上着、そして軽い地下たびがもっとも良い。微々たる違いだが、日々の服装の違いが長年蓄積すると、大きな違いとなる。例えば、服装に無頓着な農民は、腰痛や膝痛などの健康被害のために挫折する確率が高くなるだけでなく、作業に緻密さが欠けているようだ。
 たかが服装、されど服装なのである。
第169話 不幸をビジネスにする
2015年3月15日
 「未来兵器」、「歩兵装備」、「怒りの突破力」、「日本刀」、「真実の信長」。つい最近、これらの本がコンビニの本棚に並んでいた。それも、もっとも目につく位置にズラッと並べられていて、驚いた。今世紀に入り年々、世界がきな臭くなってきたが、その一端が本の陳列にも現われているのだろうか。
 「戦争は絶対に悪い」と言う人がいる。私も戦争に巻き込まれたくはなし、天寿を全うしたい。もちろん他人に危害を加えたくもない。しかし時折、「人間は戦争を根絶できるほど賢くはないのかもしれない」と考え込んでしまうことがある。
 また、「人ひとりの命は地球よりも重い」と人命の尊さを表現する人がいる。人の命を軽んずる現実社会への警鐘なのだろうが、このような表現にも私は違和感を覚えることがある。そう言う人でも霞を喰って生きている訳ではない。毎日毎日、無数の命を犠牲にして生き延びているのである。人が人を殺すことと、鶏を殺すことと、命の本質において何が違うのだろうか。紙面の関係でここでは簡単に述べるが、人を殺してはいけないという倫理観は、「それを許せば、自分も殺されるから」という自己保身から生まれたものである。ほとんどの人は、フライド・チキンを食べても鶏の悪夢に悩まされることはないし、豚を殺したところで豚は復讐してこない。「もののけ姫」で描かれているようなことは、目の前の現実世界ではありえないことなのである。
 幼い頃、私の両親は養鶏も営んでいた。加齢とともに産卵頻度が落ちた鶏は、父が殺して、家族の食卓にのぼった。鶏の足を縛り、逆さに吊るし、首を切り落とす。下に置いたバケツに鮮血がどっと噴き出す。それでも、鶏は体を激しくバタつかせている。そんな光景を何度となく私は目撃した。だから、今でも鳥肉があまり好きではない。
 結局のところ、光合成をする植物を除けば、肉眼で見える生き物のほとんどは、他の生き物の命を犠牲にして、自らの命をつないでいる。ごく当たり前の、自然の摂理である。この自然の摂理のもと、無数の命を犠牲にして私たちのすべてが生きている。
 しかし現代では、動物を自らの手で殺して食べることほとんどなくなり、そんな光景を目撃する機会も稀になった。その結果、この摂理を忘れ、人類は安易に戦争を起こしやすくなったような気がしてならない。
 そして、戦争をビジネスにしている人たちが余りにも多いことも、戦争が増え続けている原因なのではないだろうか。まさに、「不幸をビジネスにしている」のである。
 そのような視点で社会を見回せば、人に幸福を与えるどころか、不幸の上に成り立っている職業が少なからず存在している。たとえば、保険会社、葬儀業者、警察・消防署、多くのマスコミ、・・・・・・・・。枚挙にいとまがない。近年テレビ・ドラマでよく取り上げられている医師や看護師にしても、人の病や事故という不幸があって初めて成立する職業である。不幸と対極にいる医師は産科医くらいではないだろうか。
 ひるがえって、自分はどうだろうか。種をまき無数の命にスイッチを入れる。よく育つように環境を整え、病気や害虫に負けないようにする。そして収穫。無数の命を犠牲にして対価を得る毎日が続く。それが現実とはわかっても、時折、「オレも不幸をビジネスにしている」と思ってしまうことがある。
第170話 里芋
2015年3月22日
 野生動物にとって冬は生きるか死ぬかの厳しい季節である。第10話「土を喰う」でも触れたが、今年も畑に混ぜ込んだ糠をヒヨドリなどが土ごと食べて命をつないでいる。本来ヒヨドリは肉食なので、糠をおいしいとは感じていないのだろうが、生き抜くためには必死なのだろう。群れをなして、毎日畑に来ている。
 皆生農園で働く者も似たりよったりである。割れたトマトや人参、害虫に喰われたキャベツや白菜、芽のでたジャガ芋、割れた人参、表面が腐りかけた玉ねぎ、極端に曲がった胡瓜なども、売れないからといって、むやみに捨てない。とにかく食べる。見かけは綺麗でも農薬まみれの野菜を食べるよりは、ましである。
 ところで先週、里芋を植えた。通常、3月から4月末ころまでに小芋を植える。葉が大きくなると、その種芋の直上に親芋がまずできる。そして夏になると、その親芋の周囲に子芋が次々でき始める。さらに子芋が大きくなると、子芋の周囲にも芋ができる。孫芋だ。今では、食用として一般に流通するのは子芋と孫芋で、親芋は捨てられてしまう。里芋らしからぬ食感のためだが、実にもったいない話しである。生育条件が良ければ、ゆうに1キロを超え、子芋と孫芋を合わせたくらいの重さになる。昔は、加工業者が各農家をまわり、その親芋を買っていったという。農家にとってはもちろん、加工業者や消費者にとっても、親芋も役に立ったのである。
 しかし、主食の米がだぶつき始めた頃から、採算上の理由からだろうか親芋は売れなくなり、畑に捨てられるようになった。世界のあちこちで飢餓に苦しんでいる人たちが9億人(国連機関のFAOが2012年に発表)ほどもいることを思えば、嘆かわしい現実である。
 年間約1700万トン。この数字が何かおわかりになるだろうか。実は、年間に日本で捨てられている食料品の重量である(2010年、消費者庁による推計)。この中には、食べられる物が500~800万トンも含まれていると推計されている。ちなみに、日本の米の生産量は約850万トン(2012年、農林水産省の公表)だから、膨大な量の食料品を日本人は無駄にしている。先の里芋などのように農場の段階で捨てられる農産物や漁港などで捨てられる海産物からはじまり、加工する段階で捨てられる物、流通や小売りの段階で廃棄される物、そして、消費者の段階で捨てられる物、・・・・・・・・。いろいろな段階で、本当にたくさんの食料品が捨てられている。大多数の人々が、無自覚のまま、あるいは何らかの理由をつけて、食べられる物を気安く捨てている。「その行為の行き着く先は自分の命を捨てること」につながると私には思えてならない。
 その一方で、とにかく1円でも安い食品を求めてスーパーのセールに行列する人々も少なからずいる。時間と労力をそこまで費やさなくても、食料廃棄を少し減らせば、結果的に食料費を抑えられるような気がするのだが・・・・・・・。
第171話 命の季節
2015年3月29日
 いたるところ花盛りである。真冬に咲くクリスマス・ローズから始まり、椿、パンジー、梅、もくれん、ろうばい、水仙、桜、桃、梨、そして林檎と、次々に咲いてくる。
 彼岸を過ぎると、畑の中も春一色になる。降水量が増え日差しが強くなるので、冬を越した野菜が急に大きくなる。収穫しきれなかった小松菜は、写真のように人の背丈ほどにもなり、黄色い花をたくさん咲かせる。このように大きくなった小松菜も、耕して土に戻すと土が良くなるので、まんざら悪くはない。さらに、その独特の甘い香りに誘われて、どこからともなくミツバチが花粉を集めにやってくる。これまた、役に立っている。
 小松菜と同じ十字花科(俗称:アブラナ科)の大根、白菜、キャベツ、ルッコラ、タアサイなども一斉に咲き始める。いずれも、その名のとおり4枚の小さい花びらが十字に開く。一つひとつの花は小さいものの、大量に咲くので、とても見ごたえがある。
 その一方で、厄介な雑草もいっせいに花を咲かせる。ホトケノザは小さいピンク色の花を咲かせる。このホトケノザは、第3話「ホトケノザ」で指摘したように、害虫のアブラ虫が寄生しやすいので、彼岸頃までにはきれいに片付けなくてはいけない。この地味な作業を怠ると、6月頃までアブラ虫に悩まされ続ける。無農薬栽培の農民にとっては冬から早春にかけての草対策は不可欠、必須の作業である。
 鳥たちにも春が来た。ピーピーとかん高い鳴き声をあげて野菜を喰い荒していたヒヨドリがどこかへ渡っていった直後からウグイスが盛んに鳴き始める。菜の花が満開になる頃には、ピヨピヨと鳴きながら鳩くらいの大きさの鳥が南方から渡ってくる。この鳥は、必ずつがいで、愛を確かめ合うかのような飛び方をする。そして、ゴールデン・ウィーク頃になると、営巣しているヒバリが、上空でホバリングをしながら、軽やかな歌声を響かせる。その頃は、もう初夏の兆しが見える。
 まさに今、命が躍動し始める季節の到来である。
第172話 食物が心身に与える影響(1)
2015年4月5日
 私が幼い頃と比べると、日本人の顔や体の型が大きく変わったような気がする。外見上わかりやすいのは、顔の輪郭、歯の形と並びと数、鼻の形、脚の長さ、肌と髪の色、目の位置と瞼(まぶた)の形、腕の長さなどがある。これらのなかで、顔、歯、目、脚、鼻の変化は、食物との関連が強いと私は考えている。
 まず、顔と歯。よく指摘されていることだが、えらの張った人がとても減った。これは、硬い食べ物を嫌い、軟らかい物を好んで食べることが影響していると言われている。同じ理由で、歯の数や歯並びが変わった。親不知(おやしらず)が生えてこない人がほとんどで、なかには親不知そのものが歯ぐきの中に形成されない人もいるという。また、軟らかい物ばかり食べているために顎が小さくなり、歯が整然と並ばず、窮屈に並んでいる。昔なら「歯並びが悪い」と言われたものだが、現代では「かわいい」とか「小顔」などと肯定的に捉える人も珍しくない。
 歯に関してはもう一つ、大きく変化した点がある。いわゆる「出歯」が減ったことである。昔は前歯が前に出ている人がごく普通にいた。今では歯科矯正で出歯を直す人も多いだろうが、食べ物が草食から肉食に変化したことが主因だと私は推測している。そう思う根拠は、草食動物と肉食動物の歯並びを見れば、歴然としてくる。馬や鹿、キリンなど植物を主食とする動物は出歯である。草や葉をかじり取るには、前歯が前に出ている方が都合がいい。一方で、猫科などの肉食動物は前歯が内側に反っていないと、噛みついた獲物に逃げられてしまう。同じ理由で、肉食のサメの歯も内側に向いている。
 目の位置もだいぶ変わった。内側に寄ってきた。これも肉食化の影響だと思う。草食動物は身を守るために、目が両脇に付いていて360度見渡せた方がいい。しかし、肉食動物は獲物との距離を正確に把握するために、鼻筋の近くに寄っている。かつて、ビヨルン・ボルグという名テニス・プレイヤーがいた。彼は、両目がかなり近くに寄っていた。強豪なはずである。
 さらに、日本人の脚が長くなったのも、肉食化の影響と思われる。獲物を捉えるためには、長い脚で早く走る方が有利であるが、草食系の生き物は腸が大きく長い方が有利なので、どうしても胴が長く大きくなる。かつて、エチオピアに行ったことがあるが、肉食を好む北部の人々は北欧人のような顔と体型をしていた。しかし、南部の農耕民族は、昔の日本人と同じように、ずんぐりむっくりであった。
 最後に、鼻の形。どうも肉食化すると、鼻が低く横に広がっている、いわゆる「団子鼻」から、鼻が高くその幅が狭くなるような気がしてならない。なぜか理由はわからないが、日本人の鼻は確かにそう変化した。整形だけの影響ではないだろう。カンボジア人もそのように変化したようである。
 これらの例のように、食物が私たちの体に与える変化や影響は、自覚している以上に、計り知れないほど大きいと私は思っている。
第173話 食物が心身に与える影響(2)
2015年4月12日
 前話では、食べ物が身体に与える影響を考えてみた。今話では、感情や思考などに及ぼす影響を考えてみたいのだが、このテーマについて学術的に語る能力を私は持っていないので、ここでは少ない知識を寄せ集めた推察になる。
 かつて、こんな映像をテレビで見たことがある。野生のチンパンジーの群れが小型のサルを狩り、おいしそうに食べる様子である。その一部始終を観察していた動物学者によると、チンパンジーは肉食を好んでいるらしい。その一方で、同じ類人猿でも、オラウータンは草食である。そして、前者は闘争的であるが、後者はおっとりとした性格で樹上生活を営んでいる。
 さて、われわれ人間は、どうかと言えば、明らかにチンパンジーに酷似している。それも、経済的な余裕にともない、草食からどんどん肉食化している。日本食が先進国を中心に健康食として認識されつつあるものの、やはり人類全体としては肉食化が主流である。
 米ソの冷戦が終わり核戦争の脅威がわずかに薄らいだものの、世界各地で局地戦が増えてきた。とりわけ近年、アラブ諸国での戦闘が激化しつつある。このアラブ諸国民は、基本的に遊牧民で、羊や山羊などの肉を主食としている。
 今から一世紀半ほど前、欧米諸国による植民地化を拒み、日本は明治維新を境に世界に乗り出し、「脱亜入欧」を施政の柱にすえ、欧米化を一気に進めた。その勢いをかって、アジア諸国を統治し植民地化したものの、覇権国家アメリカの経済制裁に窮し、大国アメリカに戦争をしかけてしまった。客観的に考えれば、勝てる相手ではないアメリカになぜ挑んだのか。
 私は、その理由をこんなふうに推察している。「その当時の日本人は草食系のため、闘争的な性格が希薄で戦い方を熟知していなかった」と。別の表現をすれば、「草食系のため、戦い方を論理的に思考する能力に欠けていた」とも言える。まさに「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」の諺をそのまま体現したのである。
 食べ物が思考に与える例をもう一つ挙げる。私は今まで多くの欧米人や遊牧民に会ったが、本質的に彼らは肉食系である。その彼らに共通している点の一つは、議論に長けていることである。とにかく自己主張を口にする。基本的に自分の要求や意志を主張し続け、簡単に妥協しない。「言わなくたって分かるだろう」などという阿吽(あうん)の呼吸はほとんど通用しない。そして、激しい口争いをしても、一件落着すれば、何もなかったように笑顔で抱き合い握手する。
 こんなふうに考えてくると、食べ物は私たちの心に大きく影響し、肉食化は性格を闘争的に変えるように思えてならない。想像を飛躍すれば、人類が紛争や戦争から開放されない原因は食べ物にあるのかもしれない。
第174話 学ぶ(1)
2015年4月19日
 学びの春が来た。
 よく通る道沿いに小学校があり、ピカピカのランドセルを背負った子どもたちが、親に手を引かれ、ぞくぞくと校門をくぐっていった。よく見れば、どの子も同じような表情をしていない。楽しさを全身で表わしている子もいれば緊張ぎみの子どももいる。母親の手をしっかり握っている子もいれば他の子と手を結んでいる子もいる。それぞれの性格と育ち方の違いが素直に現われているようだ。
 還暦を過ぎた私でも、小学校から高校までの入学式は鮮明に憶えている。桜の咲くなかを新鮮な気持ちで初登校した、あの日のことを。緊張感と不安と、根拠に乏しい希望を胸に校門をくぐった。車をとめピカピカの小さい新入生たちを見ていたら、叶うことならあの頃に戻り、はっきりとした「学びの自覚」を胸に、もう一度学び直したいと思ってしまった。
 私は、明確な「学びの自覚」を持たないまま、大学まで卒業してしまった。卒業に必要な最小限の単位をどうにかとれば、学校の推薦で就職など楽にできた時代であったので、勉強は二の次であった。今の若者には想像もつかない気楽な大学生活であった。老いてから思い返すと、貴重な青春期を無駄にしたことに気づかされた。もちろん、手遅れである。この後悔がとても根深いためか、この歳になってもときどき、単位が取れず大学を卒業できない夢にうなされる。いわゆるトラウマかもしれない。
 このトラウマが原因なのか、「人はなぜ学ぶのか」とか「何をどう学べば良いのか」などと私は考えてきた。そして、還暦を過ぎ老いの領域に片足を突っ込んだ今でも、社会の動きや周囲の人たちの言動に接するにつけ、これらの疑問が脳内で沸騰する。
 今さら私が言うまでもなく、もとより人は学ぶ生物である。学ばなければ生きていけない。学びを怠ったり、年齢や立場を理由に学びを放棄すれば、ただただ時の流れともに老いていくだけで、主体的に明日を切り拓いていくことは難しい。現実は甘くない。
 また人間は、現存のいかなるコンピューターよりも優れた脳を持って生まれてくる。しかし、生きていく中で膨大な量の情報を取り込みながら、それと同時に思考回路――――コンピューターで言えば、ソフト――――を複雑に編み上げていかなければならない。それこそが学ぶ行為である。
 このように学ぶことの必要性や道筋を考えたところで、実際にはもう一つ重要な問題が残る。それは、「何をどう学べば良いのか」という具体的な行動である。やみくもに知識を詰め込んだところで、学校の試験の成績が良くなることはあっても、人生の糧とするには非常に効率が悪い行為である。
第175話 過去で生き、未来を喰いあらす
2015年4月26日
 今だけで生きるのは、とても難しい。限りない欲望を満たすため、ついつい過去で生き、時には過去をむさぼり喰い、未来をも喰い荒して私たちは命をつないでいる。人類の歴史で、こんな貪欲な行為が世界規模で横行した時代はあったのだろうか。
 一つの典型的な例が石炭や石油などの天然資源に依拠した文明である。はるか太古の昔、人類の歴史よりも桁違いに長い期間をかけて植物や動物が太陽のエネルギーを蓄積した資源をごく短期間で使い果たそうとしている。まさに過去で生きている。
 身近な社会を見ても、同じようなことが平然とまかりとおっている。日本では、右肩上がりの経済が崩壊してから、ほとんどの企業は従業員を非正規化したりパート化して人件費を削減してきた。しかしその一方で、いまだに過去の実績や功労を糧に会社や公的機関に居座り、高額な所得を得ている中高年が多い。これも、過去で生きているようなものである。一度手にした地位と権力を盾にして、既得権益にしがみついている。実力勝負の世界で生きている者から見れば、そのような人々は見苦しく映るのではないだろうか。
 実力の世界と言われているスポーツ界にも、日々の実績だけではなく、過去の実績に生かされている選手たちがいる。例えば、プロ野球選手である。プロ・ボクサーやプロ・ゴルファーのように試合ごとの賞金で喰っているわけではない。実力勝負と思われがちなプロ・スポーツ界でこうである。
 数年前から、団塊の世代が次々と定年退職している。これらの人たちうち、その大方は比較的高額な給与を受け取っていたサラリーマンである。したがって、彼らが退職後に受け取る年金も、もちろん高額になる。今でも心配されている年金財政は、今後ますます悪化するだろう。消費税を10%に引き上げたくらいでは、とうてい賄えるはずもない。必然的に、高額な年金を支えるのは若い勤労者になる。いわば、「若者の未来を喰いものにしようとしている」と言えなくもない。
 かく言う私も今年から年金をもらえるようになった。しかし、20代の5年間しかサラリーマン生活を送っていなかったので、その額はごくごく微々たるものである。若い人たちの未来を喰い荒すほどではないだろう。ほっとするような、懐具合が寂しいような複雑な気持ちになるが、自らの選択の結果なのだから、仕方がない。
第176話 学ぶ(2)
2015年5月3日
 学校の授業が純粋におもしろいとか楽しいと感じる生徒や学生が一体どれくらいいるのだろうか。他の者より良い成績を得て優越感を感じたいために勉強する者、親や先生に褒められたくて勉強する者、あるいは高学歴を残し他人(ひと)の上に立ったり高収入を得たいために受験勉強に没頭する者、そのような者がほとんどではないだろうか。
 私といえば、高校までの授業のほとんどはつまらなかった。特に社会科は嫌いであった。ただただ暗記するだけで、年表でも見れば済むことなのに、そんな暗記に何の意味があるのか私にはまったく理解できなかった。それも、学校で教える歴史は、庶民の歴史ではなく、勝者や権力者の立場や視点から書かれていて、庶民が生きていく指針としては役に立ちそうもなかったからである。
 しかし、高校進学にあたり、名の知れた地元の進学校に入るため、嫌いな社会科も勉強した。それは、小学校の頃から陰湿ないじめにあっていたからである。いじめる連中は学力がぱっとしなかったので、彼らと物理的に縁を断つには進学校に進むのがもっとも有効な対処と思ったからである。そんな理由で受験勉強をしたため、学んだことが身につくはずもなかった。高校に入ってからの勉強は苦痛そのものであった。学ぶことの楽しさを味わうことがないまま、高校を終えた。
 心底から学ぶことの楽しさを初めて知ったのは、5年間勤めた会社を辞め、C大学の生物学科で生態学と微生物学を受講した時であった。その分野で著名な先生は、その授業内容が物事の本質に迫っているだけでなく、学生が興味をそそるように語ってくれた。
 しかし悲しいことに、このような先生にたどり着くまでに、ほとんどの若者が義務教育や高校で学びにつまずくのである。
 それは、国がさだめる指導要領にしばられた「つめ込み教育」が伸びざかりの子どもらの「どうして?」や「なぜ?」を次々に摘みとっていくからである。コンピューターに例えれば、メモリーにデータをどんどん記憶させるだけで、それらのデータを処理して何らかの結果を導くソフトを入力しない、それが日本の教育である。たぶん今もそうだろう。だから、アメリカのようなイノベーションがなかなか生まれない。
 余談だが、過度の学歴社会で熾烈(しれつ)な受験勉強を強いられている韓国や中国も同様である。世界四大文明の発祥地であり、火薬や羅針盤、磁器や絹織物などを発明した中国に、あれだけの人口を擁している中国に、はたして何人の自然科学系のノーベル賞受賞者がいるだろうか。海外の華僑も含め8人しかいない。ちなみに、日本人は19人である。
 自然科学系のノーベル賞受賞者からも推察できるように、学びの本質は、「どうして?」「なせだ?」に存在するのである。湧きあがる疑問や好奇心に正直に応え学ぶ楽しさを実感させるのが真の教師である。そして、幼子にとって何よりも不幸なことは、まず出会う親や先生が未熟な教師であることである。「どうして?」を連発されて「うるさい!」と怒鳴る親、「どうしてですか?」と訊かれては困る先生が大半である。
第177話 命の季節(2)
2015年5月10日
 1週間ほど前、レタス畑の通路にウグイスがいた。うまく飛べない。巣から飛び出したばかりの若鳥と思われる。畑の裏手が深い森になっていて、春先からウグイスのさえずりが聞こえていたので、そのつがいの雛なのだろう。研修生とともに、その若鳥の前にたたずみ、どうしようか思案にくれた。もし親鳥が迎えに来なければ、初夏のような暑い日差しのもとで、死んでしまうかもしれない。また、畑にはよく猫が来るので、喰われてしまう可能性もある。妙案がなく、とりあえず涼しい作業場に連れてきて、水とミミズを与え、人から見えないところに置いた。ほどなく元気を取り戻した若鳥は、盛んに鳴き声をあげ、親鳥を呼び始めた。扉の隙間からそっと覗いていたら、2匹の親鳥が迎えに来て、どうにか一緒に飛んで行った。無事に生き延びられただろうか。
 裏手の森からは、「ホーホー」というフクロウの声もする。通常は夜しか鳴かないのだが、なぜかこの季節だけは昼間から鳴いている。やはり子育て中なのだろうか。
 開けた畑に出ると、上空からビバリのさえずる声が聞こえる。かつて、私のねぎ畑でヒバリの巣を見つけたことがある。ある時、右の写真のように、卵が1つ割れていた。他の動物に食べられたのだろうか。親の顔を見ないうちに、命が絶えてしまった。
 4月の中旬以降、当地では雨がほとんど降っていない。そのため、雑草や野菜にとりついたアブラ虫が一気に増え、それを食べるテントウ虫などの益虫もいたるところで目につく。食欲旺盛なこれらの幼虫が大活躍する季節になった。
 今年は、3月下旬から4月中旬にかけて例年になく雨が多かった。畑のいたるところに水溜りができ、その泥をツバメが巣づくりのために忙しく運んでいた。それが一段落した頃、雛が生まれたのか、親ツバメは畑の中を低く飛び小さい虫を捕食し始めた。今まさに子育ての真最中なのだろう。息つく暇もなく、初夏にツバメは2回目の産卵をする。命の営みに追われ、初秋には慌ただしく南方に渡っていく。
 水田に行くと、カエルやアメリカザリガニ、タニシなどがちらほら目につく。これから産卵と子育ての季節が始まる。いたるところで生き物たちが子孫を残す営みにそれぞれ励んでいる。まさに命の季節である。
第178話 新・・・・・
2015年5月17日
 私はいまだに単純な携帯電話、いわゆる「ガラケイ」を使っている。iPoneの新製品が発売されるというニュースを聞いても、別世界の出来事のように思えてならない。買ったところで、使いこなすのが面倒で、宝の持ち腐れに終わるのは明らかである。
 ところで、世の中には、「新・・・・・」と名のつくものが溢れている。「新製品」や「新車」、「新築住宅」や「新建材」、「新年」や「新世紀」、「新入生」や「新入社員」、「新郎」や「新婦」、「新米」や「新鮮野菜」、「新大陸」や「新天地」、「新政府」や「新法」など、挙げたらきりがない。
 日頃とくに意識しないで使っているが、これらには共通する概念がある。イメージと言ってもいい。それは、ほぼすべての人たちが「新・・・・・」と聞くと、なぜか良い印象を受けることである。マイナス・イメージのものは数える程度しかない。
 このようなイメージは、民族や文化の違いによって程度の差があるものの、先進国と言われる国々の中では日本が特にその傾向が強いと思われる。どうして日本人はこうも新しいものが好きになったのだろうか。
 私の知る限り、欧米の先進国では古いものの価値もしっかり認めている。例えば家がある。古い家を手入れしながら何百年も使うことなど当たり前である。人によっては、購入した古い家を自分でリフォームして高く売ることも珍しくないという。大工仕事が得意な女性もたくさんいるようだ。かつて日本では、「日曜大工はお父さんの仕事」というのが常識であったが、そのお父さんも今や不器用で頼りにならない。ささいなことでも業者に依頼し、高い代金を支払うことになる。
 私の分野、農業でも同じ現象がある。春先から初夏にかけて、「新ジャガ」、「新人参」、「新玉ねぎ」がスーパーに並ぶ。この「新・・・・・」というネーミングに私は違和感を覚える。どうも臭い。多くの、否、ほとんどの消費者は気づいていないかもしれないが、何か下心が透けて見える。
 例えば、新人参。その名は何か良さそうな印象を与えるが、実際は逆である。日本では、産地が移動して、一年中どこかで人参が採れる。それらの中でも、夏から初秋にかけて種を蒔いた人参が冬人参で、これが終わり、晩秋から冬にかけて蒔いた人参が新人参と呼ばれ春から初夏にかけて出回る。この新人参は、冬人参よりも味も栄養もかなり落ちる。食べ比べると、まるで別物である。煮ても硬い。加えて、農薬の危険性も高いときている。冬人参よりも優れた点は何もない。にもかかわらず、「新人参」というネーミングに、つい手が出てしまう。
 この例のように、本質的に劣るものでも、そのネーミングによってどうにでも人の印象を変えられる。その典型が「新・・・・・」である。本来は「新」である必要がないものでも、ただ儲けるためだけに、「新・・・・・」を考え出していることが実に多い。そのために、多大な労力と資金を費やしている。
 さらに加えて、新しいものを加速度的に生み出す文明に大多数の人類が取り残されつつあるのではないだろうか。そして、取り残された人々は、貧困の連鎖に陥り、困窮の淵であえいでいるのではないだろうか。
第179話 美しい日本
2015年5月24日
 森や林が美しい。
 私どもの農場がある地域は、都市化をまぬがれたため、森林がいたるところに残っている。5月の連休頃は、常緑樹の深緑と落葉樹の若葉色とのコントラストが鮮やかで、それらを眺めているだけでも心が癒される。時間とお金をかけてまで、自然の景観を求めてハイキングや登山に行く必要を感じない。この歳では、疲れるだけである。
 今回は景観と政治の話しをしてみたい。
 安倍氏が二度目の総理に就こうと行動し始めた頃、盛んに「美しい日本を・・・・・」と力説していた。私は、「やっと日本社会も文化の成熟期を迎えたのかな」という感慨から、あのスローガンが気に入っていた。たぶん、歴代の総理が「美しい」などという感情表現を前面に打ち出したことなどなかったように記憶している。
 思い返せば、ほとんどの首相は、経済関係の政策を強調してきた。記憶にあるだけでも、池田氏の「所得倍増」から始まり、バブル経済がはじけた後では「景気回復」とか「雇用の確保」などが叫ばれた。安倍氏も、「アベノミクス」という経済政策を強調し、「美しい・・・・・」を口にしなくなった。いったい、あの「美しい・・・・・」というスローガンはどこにいってしまったのだろうか。具体的なアイディアが欠けていたのだろうか。それとも現実的な必要性から、「花より団子」を選んだのだろうか。
 ところで昨年、冬場の農閑期に家族で上海に行ってきた。農作業の合間に家族で海外旅行をする夢がやっと叶った。どこまでも続く高層ビル群と昼夜の別なく走り回る車の多さに、中国の勢いを感じさせられた。しかしそれは、都会嫌いな私にとっては、とても息苦しい空間でしかなかった。無数の人々が欲望とコンクリートに囲まれた社会に押し込まれ、とても「美しい」とは感じられない世界であった。
 帰りのジェット機が成田空港に近づくと、眼下に自然豊かな景観が広がっていた。正直ホッとした。そして、空港からの帰路、北総鉄道の沿線に広がる田園地帯が故郷の風景と重なり、自分の心の拠り所を再発見したような気がした。
 ところが、トンネルを抜け「印旛日本医大」駅を過ぎたころから、風景が一変した。鉄路の両側にうず高く土手が築かれ、いたるところが枯れ草に覆われていた。電車の中から土手越しに見えるのは高いビルだけ。人の手が行き届いた緑の田園地帯とは対極の世界である。普通の人には殺風景と映るだろう。
 たぶん、美しい日本を期待して来られた外国人が、あのような殺風景な景観を来日早々から目にしたらガッカリしてしまうだろう。政府は、「美しい日本・・・・・」をトーン・ダウンし、今では「観光立国」を声高に叫んでいる。あの手この手で外国からの観光客を増やそうとしている。その起爆剤として、東京オリンピックも招致した。もし本気で観光立国を目指すのであれば、せめてまずは、空港から都心までの鉄道や道路の周辺景観をもっと美しくできないものだろうか。四季折々の花々と森や林の中を電車で都内に向かえば、観光客もきっと好印象を持つだろう。
 もちろん、周辺住民もその美しい環境を満喫できる。森の中にサイクリング・コースやイベント会場があっても良い。そのような美的空間への国費投入は未来への価値ある遺産でもある。
第180話 腰痛
2015年5月31日
 腰痛は、人類が二足歩行を始めたために起きた、宿命のようだ。痔も同じ原因らしい。どちらも、命にかかわるような病ではないが、日常的に悩まされ厄介である。ひどい腰痛になると、心臓病よりも生活の質をずっと落とすことになる。生きている証として心臓は重要視されてきたが、今や人工心臓に置き変えられる。しかし、人口の腰は未だ開発されていない。
 ところで、農民にも腰痛持ちがたくさんいる。なかば職業病とも言える。トラクターや田植え機、除草剤などの普及で、腰の曲がった農民は激減したものの、腰痛は相変わらず農民を苦しめている。コルセットやゴム・ベルトで腰を補強したり、症状が悪化し始めると整体院などに通い、どうにか腰痛と付き合いながら、農業を続けている。
 幸い私は、農業に就いてから20年以上、腰痛に苦しめられたことがない。年に二度、非常に忙しい5月と9月に腰痛ぎみになるが、念入りにストレッチを行ない、細心の注意を払いつつ、今まで乗り切ってきた。
 研修に来られた人にもまず、腰痛に気をつけるよう注意する。それはかつて、研修生に労災保険をかけていた時代、農作業中にギックリ腰になったので労災申請をしたものの、労働基準監督署は労災と認定してくれなかったからである。そもそも腰痛は、他覚症状がない限り、保険の対象にはならないのだと説明された。一般の保険もいろいろ調べたが、同様であった。
 些細な動作でも腰を痛めないように気をつけている私から見ると、腰痛のほとんどは本人の不注意から起きているように思える。冒頭に述べたように、人は腰痛になりやすいことを常に意識し、生活習慣や体型、動作などに気をつけていれば、だいたい避けられる。
 例えば、重い荷物を床から持ち上げ背後の台に乗せる動作を思い浮かべていただきたい。この単純な動作をする時でも、私はいくつかのことを必ず実行する。まず、その荷物の重心の真上に体の中心を移動し、膝を曲げ、主に脚力で荷物を持ち上げる。その際、腰はできるだけ真っすぐ伸ばしておく。そして体全体を回転し、台にゆっくり置く。たったこれだけのことだが、これが腰を守るこつである。決してやってはいけない動作は、荷物の重心から離れた場所に立ち、膝を伸ばしたまま腕を伸ばし、腰で持ち上げながら腰をひねって荷物を後ろの台に乗せることである。
 ちょっとした「うっかり」が人生を左右することがよくある。ギックリ腰などもその一例である。文字どおり、体の要である腰に対して細心の注意を払い、死ぬまで腰痛にならないようにしたいものである。
第181話 農産物の旅
2015年6月7日
 先週の日曜日、ジャガ芋を初収穫した。珍しく今年は遅霜の被害がなく、5月が記録的な少雨であったために病気が発生せず、一株に1.5kgを超える芋がついている。20年以上も営農してきたが、こんなにも豊作の年は初めてである。
 ところで、農産物も旅をする。海を渡り、空を越え、長い旅をして来る農産物が少なくない。ジャガ芋もその例にもれず、中南米を侵略したスペインがヨーロッパに持ち込んでから、世界に普及していった。気温が低いために米や麦が栽培できない地域では貴重な主食になっている。それによって、ジャガ芋は世界史に大きな足跡を残してきた。
 例えば、産業革命以降、イギリスがスペインとの戦争に勝利し世界の覇権を握った背景には、いち早く産業革命を推し進めただけでなく、ジャガ芋の存在が大きい。ジャガ芋が庶民の胃袋を満たしたからである。スペインにとっては皮肉な結果としか言いようがない。時代は下って、覇権国のイギリスにドイツが挑んだ背景にもジャガ芋の存在がある。
 ほかにも、ジャガ芋には悲しい歴史がある。第23話「ジャガ芋あれこれ」で述べたように、19世紀中ごろ、ヨーロッパでジャガ芋の病気が蔓延し、多数の餓死者を出した。特にジャガ芋を主食としていたアイルランドでは100万人以上が餓死したと伝えられている。
 農産物は、長旅の末に世界に広がっていっただけでなく、今や日常的に船やジェット機で世界の隅々まで運ばれている。日頃、日本人は居ながらにして世界中の農産物を食べている。ひとつひとつ挙げたらきりがない。海産物や花も同様である。
 TPP交渉では、農産物の貿易自由化に関する交渉が難航しているように伝えられている。しかし、野菜や果物などの農産物は、もう既に日本は門戸を開いている。日本政府が主張する米の自由化阻止も時間の問題である。ごく一部の既得権者を除けば、国民の大多数は自由化され安くなることを歓迎しているからである。「主食の米を自由化すると、いざという時に大変である」という主張があるが、そんなことは起きない。水田は有り余っており、備蓄も十分あるからである。また、稲は、ジャガ芋のように病気になりやすい植物ではなく、年々進む温暖化によって冷害による不作を心配することはない。火山の大規模な噴火か大隕石の衝突による一時的な寒冷化でも起きない限り、もはや不作は起きない。
 それでも、米の不作による価格高騰や飢餓を心配する人は、米よりも、小麦や飼料用トウモロコシの価格高騰をもっと憂慮すべきである。小麦粉はもちろん、それを加工したパン、ケーキやクッキー、うどん、パスタなど、それらのほとんどが輸入小麦に依存している。日々の食事や菓子類に欠かせない鶏卵はほぼ全て輸入トウモロコシに依存している。鳥肉や豚肉もトウモロコシが変化したものである。
 人類が地球の隅々で生活している時代においては、食べ物を求めて大集団で移動することはほぼ不可能であり、悲劇を生む。であるなら、食べ物を移動させるしかない。これを否定し、食べ物の移動を禁止しようとすれば、それらを力ずくで奪おうとする人々が必ず出現する。結局、その行くつく先は戦争である。
 食べ物の怨みは、実に怖いのである。
第182話 地産地消
2015年6月14日
 前話で述べた農産物の貿易自由化と対極にあるのが「地産地消」であろう。これを一言で表現すれば、「身近なところで生産されたものを食べよう」とでもなろうか。地元の千葉県では、「千産千消」と言い換え、千葉県産の農産物をアピールしている。
 ところで、長年にわたり直売してきた私は、「地元でとれたものだから、安心、安全なのよねー」という声を何度も聞いてきた。地産地消をきわめて肯定的にとらえた意見である。しかし、このような考えに明確な根拠が一体どれほどあるのか、私は懐疑的である。また、生協などが「産直」とか「産地指定」という用語を使うことがよくあるが、「地産地消」と同様に、何とも曖昧な表現で、「だから、どうなんだ」という核心部分がぼかされ、「これは良いものだ」というイメージが踊っているように感じている。
 すでに日本では、冷蔵や冷凍技術が隅々まで普及しているので、離れた産地からでも新鮮な農産物が届くようになった。だから、「地元産イコール新鮮」という考えは、もはや幻想である。
 また、「地元でとれたものだから、あるいは国産だから安心、安全」ということも、実に怪しい。一例を挙げよう。一般に市販されている国産のブドウとカリフォルニア産のブドウとでは、安全性が高いのはどちらか。たぶん、後者であろう。ブドウは、そもそもカリフォルニアのようなカラッとした気候向きの植物で、ジメジメした気候では病気や害虫が発生しやすい。当然、農薬の使用量は増える。かつて私のところで働いていたアメリカ人青年も同じことを言っていた。カリフォルニアには有機栽培の果物や野菜がごく普通に売られているそうだ。
 では、地産地消のメリットは何か。日常的には3つある。まず、輸送コストが抑えられる点。2つ目は、経済の循環が小さいこと。そして、物質の循環が小さくなる可能性があることだろう。
 そして、あえて4つ目のメリットを挙げるとすれば、地球規模の気象異常が突発しても、どうにか喰いつなげるかもしれないことである。
 これらのメリットは、グローバル化し続ける世界経済の流れに逆行する。しかし、物質文明の行き詰まりによって世界経済が破綻する可能性に対して、一つのアンチテーゼになるかもしれない。
 だからと言って、やみくもに地産地消を称賛するのは考えものである。極端な地産地消はグローバル化とは別のリスクを抱えることになるからである。例えば、前話でも述べたように、食料危機に見舞われた集団から侵略されやすくなる。生まれた時から物質的な豊かさに囲まれて育った世代にはピンとこないかもしれないが、かつて日本人自身が食料を求めて侵略行為を起こした事実が何よりの証左である。もう一つのリスクは、何かの事情で地産地消が破綻した時、他国や他地域にすがっても、救いの手を差し伸べてもらえないかもしれない。
 結局、行き過ぎた自由貿易もかたくなな地産地消も、どちらもリスクが大きくなる。双方をどのようにバランスさせるかが重要なのであろう。
第183話 野菜の王様
2015年6月21日
 数ある野菜の中で、野菜の王様は何だろうか。
 つい最近発行された「40歳からは食べ方を変えなさい!」(医学博士・済陽高穂著)を読んだ。健康に関心のある方なら、つい手に取りそうな本である。タイトルから想像つくように、健康に良い食材や食べ方が書いてある。農産物としては、玄米、大根、キャベツ、ブロッコリー、人参、トマト、にんにく、玉ねぎ、ごま、りんご、レモン、ぶどう、大豆、椎茸、ジャガ芋、緑茶、蜂蜜が推奨されている。
 それら中で、ブロッコリーに野菜の王様という栄誉が与えられている。まったく同感である。著書によると、ブロッコリーには、200種類以上のフィトケミカルが含まれ、抗酸化力が抜群だという。つまり、ガンや老化などの原因の一つである酸化を抑える。また、緑色の素である葉緑素は、強力な抗酸化力にくわえ、血中の悪玉コレステロールを減らし善玉コレステロールを増やす働きがあると指摘されている。さらに、ブロッコリーや大根、小松菜などのアブラナ科の野菜に含まれている辛み成分は、体内で「スルフォラファン」という物質に変化し、食事や呼吸で体内に取り込まれた有害物質を解毒する酵素を活性化するというから、まさに野菜の王様である。著書の中では触れられていないが、ブロッコリーに含まれるビタミンCは、菜の花とパセリとともに、野菜の中ではもっとも多い。
 余談だが、野菜の女王様、王子様、お姫様は何であろうか。もちろん、個人の嗜好や食習慣などが関わるので一般化はできないだろうが、私の思うものを挙げたい。まず、女王様にはトマトをいち押ししたい。これは大方の賛同が得られるだろう。次に王子様として枝豆はどうだろうか。一昔前なら胡瓜かもしれないが、胡瓜は私の選抜基準にあわないので、枝豆を王子様にした。そして、お姫様は何といっても苺である。あの形状と色合いが乳首にそっくりで、漢字にも母の字が入っている。
 これら4品目に共通している、私の選抜基準は4つある。一つ目は栄養が豊富で健康にとても良いことである。次に美味しいこと。これら4品目を美味しくないという人はきわめて少ないのではないだろうか。三番目は手軽に食べられること。手の込んだ料理をしなくても食べられる。そして最後は手頃な値段でどこでも買えることである。
 では将来、これらの野菜の地位は変わるだろうか。私は、まず変わらないだろうと思っている。なぜなら、すでに農産物の貿易が世界の隅々まで行き届いていて、新たな野菜が流通することはまずありえないからである。それでも、あえて一つの可能性を挙げれば、遺伝子組み換えで新たに出現するかもしれない「スーパー・ベジタブル」であろう。
第184話 枝豆あれこれ
2015年6月28日
 枝豆がおいしい。私は大好きである。なので、6月上旬から10月上旬までの5カ月間、切れ目なくずっと枝豆が収穫できるように栽培している。ブロッコリーとともに、毎日食べてもけっして飽きない。
 ところで前話では、枝豆の良さの理由には触れなかったが、一言で言えば、「オール・マイティー」なのである。栄養豊富で、おいしい。くわえて、調理が簡単。三拍子揃っている。その栄養に関しても、カロリー、たんぱく質、脂質、食物繊維、ビタミンやミネラルがどれも豊富に含まれている。さらに、ポリフェノールの一種である大豆イソフラボンは、女性ホルモンと似た働きがあり、更年期障害や骨粗しょう症を軽減するだけでなく、乳ガンや前立腺ガン、大腸ガンも防ぐという。
 枝豆は、すでに江戸時代から庶民の舌を満足させていた。ここ数十年の間に普及したブロッコリーよりもはるかに歴史の古い食材で、現代ではビールに枝豆は欠かせない。枝豆として若採りしないで熟させれば大豆になり、しょう油や味噌、豆腐や納豆などの材料となる。だから、個人的には、野菜の王様にしたいくらいである。
 枝豆のおいしさには二種類ある。実がパンパンになる前の、莢(さや)の緑色が濃い時期は脂質やアミノ酸によるおいしさで、実が充実し莢の色が少し黄色くなりかけた時期は糖質のおいしさである。前者は、刺身や牛肉などの脂身によるおいしさに近く、後者は砂糖のようなおいしさである。さらに実が充実し莢が黄色くなると、でんぷんとたんぱく質の含有量が増え大豆のような味になり、おいしくなくなる。
 おいしく枝豆を食べるには、上述のように食材がおいしいことはもちろん、ゆで方、塩味の加減、ゆでた後の食べるタイミングなどにも配慮しなければならない。なかでも、ゆで方が大事で、ゆで過ぎると味が落ちてしまう。私は、沸騰したお湯に枝豆を入れ、5、6分そのまま沸騰させ、さっと湯上げし、塩をまぶす。一般的には、熱々のうちに食べるのがおいしいと思われているが、冷蔵庫で一晩冷やしたものも、翌日のカレーがおいしいように、これまたおいしい。塩味がなじむからである。
 スーパーなどで枝豆を購入する際、ほとんどの消費者は莢(さや)の色が鮮やかな緑色のものを選ぶ。この常識はほぼ正しいが、正確ではない。莢の色だけでおいしさが決まるわけではなく、品種によっては莢の色が少し黄色みがかったほうがおいしいものもある。
 収穫の季節にも左右される。梅雨時と晩秋がもっともおいしい。真夏は、一番食べたい季節だが、強い日差しと高温のために実入りが早く、味が十分のる前に収穫時期が来てしまう。一般に、実のなるものは、昼夜の温度差が大きい時期の方が栄養豊富でおいしい実が採れる。魚沼産コシヒカリがおいしい理由もここにある。
 枝豆の栽培は「カメ虫」などの厄介な害虫との戦いである。一般的には、強力な農薬を何度もかける。毒性の低い農薬だと、カメ虫がなかなか死なないからである。しかし、農薬を使わなくても、防虫ネットを適切に使えば害虫の被害はでない。
 最後に気がかりな点を一つ。枝豆用として収穫せずに熟させたものが大豆だが、その94%ほどが輸入であり、国産はごくわずかしかない。味噌も醤油も、豆腐も納豆も、そしてサラダ油なども外国の大地に依存している。
第185話 適正規模
2015年7月5日
 梅雨のまっ最中である。今年の関東地方は空梅雨ぎみであったが、先月下旬から、やっと梅雨らしくなった。エルニーニョ現象が起きているので、たぶん今年の梅雨明けは相当遅れそうである。
 この時期の悩みの種は病気と雑草である。どちらも高温多湿の状況が大好きで、先月下旬から露地トマトに「疫病」という厄介な病気が発生し始めた。この病原体は胞子を飛散するカビのため、放置すると、あっという間に全滅する。農薬以外では、確実な対策がない。梅雨明けまで、ひたすら発病した部位を取り除くしかない。気の遠くなるような作業である。農薬を使わない露地栽培ではトマトがもっとも難しい。
 また、雑草が畑やその周囲のいたるところでグングン伸びる。トラクターで耕せる所は極力トラクターで対策する。しかし、トラクターが使用できない場所は、草刈り機で刈ったり、手で取り除いたりする。草対策は、いくらやったところで何ら収益を生まないため、面倒くささが先に立ち、つい後手に回る。農薬を使わない農業は、病気や害虫、雑草に苦しめられ、日本では大面積を耕作するのがかなり難しい。
 ところで、日本の成人男性の身長はだいたい170cmくらいだろう。ではなぜ、170cmくらいで身長の伸びが止まるのだろうか。学者の中には、この問いに答えられる方もおられるかもしれないが、まともに答えられる一般人はほぼ皆無であろう。あえてこじつければ、「人間にとってその身長が適正規模だから」とか、「DNAにある遺伝情報がそうなっているから」とか、何か釈然としない答えしか思い浮かばない。「その身長がなぜ適正か」という理由が思いつかないからである。
 農業においても、適正な耕作規模があるはずである。しかし、「その規模がなぜ適正か」と問われても、身長と同じように、明確な理由を探すのは大変である。私も、農業を始めてから10年以上たっても、適正規模がわからず失敗を繰り返してきた。
 例えば、耕作規模を決める際、少なくても次のようなことを考慮すべきであろう。それらは、営農の目的、栽培方法、販売方法、作付けする農作物の種類、地域の地形や気候、機械化の度合い、営農従事者の数、構成、能力、経済状況などである。
 これらの要因を総合的に勘案し耕作規模を決めるべきである。営農の目的には、販売を目的にすることもあれば、趣味や自給を目的にすることもある。両者は適正規模が格段に異なる。栽培方法においては、露地栽培かハウス栽培かによって、大幅な差が出る。あるいは、農薬や化学肥料を使うか使わない栽培方法かによっても、適正規模は結果的に違ってくる。営利を目的として営農する場合でも、販売方法が適正規模に影響してくる。市場やJAに出荷する場合と宅配などで直売する場合を比べれば、前者は単価が安いので、当然、適正規模を大きくしなければ利益が出にくい。さらに、栽培するものによっても、適正規模は相当異なる。一般的に、実のなる果菜類よりも葉菜や根菜類は大面積を要する。地形や気候、機械化の度合いや営農従事者の数などは言うまでもない。
 では、現実はどうであろうか。私の知る限り、ほとんどの農民は、どちらかと言えば、単純な理由で規模を決めている。手持ちの農地と営農従事者に関する要因が優先され、他の要因はあまり考慮されない。この決定方法は、もちろん現実的ではあるが、将来の発展性を乏しくしやすい。これがまさに、日本の農業が衰退した原因の一つである。
第186話 無理な要求、勝手な押しつけ(1)
2015年7月12日
 今や日本人は冬でもサラダを食べる。ほとんどの人たちが、たぶん、何の疑問も持たず食べているのだろう。スーパーに行けば、ほぼ全ての農産物が一年中売られている。それを可能にしたのが、ハウス栽培の普及、品種の多様化、産地リレー、輸送手段の高度化、輸入などの、供給体制の発展である。
 ハウス栽培は、自然の脅威を受けにくく、暖房すれば夏野菜を真冬でも作れる。品種の多様化が顕著なものは野菜である。同じ小松菜でも、暑い時期に栽培できるような品種から、寒い時期向きの品種まで、実に多くのバリュエーションがある。ほうれん草やキャベツも同様である。
 また、産地リレーも日本では一般化している。年の前半は、暖かい地方から出荷し始め涼しい北海道や高原に産地が移動し、後半は逆のコースをたどる。この産地リレーと輸入を無理なく実現したのが輸送手段の高度化である。生鮮野菜でも鮮度が落ちにくいように冷温で、時には凍らせて素早く輸送する技術、いわゆる「コールド・チェーン」の普及は画期的である。アメリカで採れたブロッコリーが、ジェット機で空輸され、日本のスーパーに並んでいる光景は当たり前となっている。
 これらの技術的な発展があって、真冬でもサラダが食べられ、夏野菜であるトマトや胡瓜が一年中食卓を彩る。涼しい気候でしか栽培できないレタスが夏でも出回る。限られた旬の農産物を使って、あれこれ考えながら料理をする必要は、もはやない。
 しかし、何か大事なことを捨て去ってこなかっただろうか。発展の恩恵を享受する一方で、工夫や知恵を退化させてしまわなかっただろうか。命の源泉である食べ物をとおして季節の移ろいを体感できなくなったのではないだろうか。
 あえて今さら、このような文明論的な疑問を持ちださなくても、発展の負の部分、具体的なマイナス面がいくつもある。それらの一端でも多くの消費者に私は知ってもらいたい。
 一つ目は、エネルギー消費が増えたことである。冬にトマトや胡瓜を作るには石油などを燃やして暖房する必要がある。輸送するにも石油が必要である。冷やした状態に保つのも石油や電気が要る。真冬のトマトや胡瓜、夏場のアメリカ産ブロッコリーは、食べ物を買うとともに、石油も買っているようなものである。
 二つ目は、安全性の問題である。閉め切ったハウスの中で暖房すれば、梅雨時と同じ高温多湿の状態が続き、病気のもとになるカビが生える。とうぜん、農薬を多用する。少し誇張すれば、寒い時期のトマトや胡瓜は農薬を食べているようなものである。好きな物を食べて健康を害するのも、タバコと同様に、個人の自由ではあるが、・・・・・・。
 三つ目は、農民への健康上の負荷である。季節に逆らって栽培すると、肉体的・精神的に大きな負荷がかかる。時には健康を害する。何度も例を挙げた冬場のトマトや胡瓜は農薬づけである。農薬が空気中に漂う中で農民は収穫などの作業を行なわざるをえない。一般的に、毒物を肺から吸収するのは胃腸からよりも危険度が大きい。農民からすれば、野菜を売るだけでなく、自らの健康も売っているようなものである。
 好きな物を一年中食べたい。誰もが持っている性である。私も大好きな枝豆やブロッコリーを一年中食べたい。でもそれは、農民に無理なことを要求することがある。
第187話 無理な要求、勝手な押しつけ(2)
2015年7月19日
 経済大国になった頃から、衛生上の理由もあってか、日本では何でもかんでも野菜をビニール袋に入れて売るようになった。世界的には、この売り方は特殊である。昔は、小松菜やほうれん草などの葉物も、袋に入れないで、ただ束ねただけの状態で売られていた。
 ところが近年、スーパーに行くと、大根やキャベツはもとより、ジャガ芋や玉ねぎ、胡瓜やトマト、ピーマンや人参、さらには長ねぎなども裸でばら売りされている。レタスが、ビニールでラップされずに、そのまま皿に載せられ売られているのも珍しくはない。年々増えつつあるこの傾向は、一人住まいや少人数の世帯が増えたことも関係しているのだろうが、資源の節約と労働コストの削減からも、歓迎すべき商慣行である。
 この販売方法が可能になったのは、ビニール袋に入れず裸売りしても鮮度の落ちにくい品種が開発されたことも一因である。業界用語で、「棚持ちが良い」と言われる品種である。人参で言えばT種苗会社の人参が、大根では青首大根が20年ほど前に市場を席巻した。どちらも、肉質が硬く皮がしっかりしていて水分が逃げにくいために、ビニールに入れなくても、棚持ちが良く鮮度が落ちにくい。また、硬いので輸送中に割れにくい。さらに、出荷段階で大きさが揃うので、販売価格を統一しやすい。実に生産者や流通・販売業者にとっては都合の良い品種である。
 消費者は、「鮮度が落ちにくい」と言われると、何か良いことかと思うかもしれないが、必ずしもそうではない。上述の人参や青首大根は硬くて、食べにくい。また、この棚持ちの良い人参が当たり前になってから、おもな人参は人参らしい味や香りが薄れ栄養も減ってしまった。また、青首大根は、大根らしい辛みが少なく淡白な味で、肉質が荒くなった。すでに、このタイプの人参や大根が普及し、ほとんどの消費者は違和感を持たなくなってしまったようだ。
 ねぎや胡瓜も同じである。ねぎは、強風で折れないように、やはり硬い品種が主流になってきた。今や冬ねぎでさえも硬い。また胡瓜は、本来、表面にブルームという白い粉がふく。胡瓜を守るためのものだが、農薬と間違えられるので、カボチャなどの苗の根に胡瓜の芽を接ぎ木するようになった。この方法によって、皮がピカピカになるだけでなく、根が強いために収穫量が増え、土に由来する病害虫に強くなった。それでも、一般の胡瓜は農薬を何十回もかけてある。生産者にとっては良いことずくめの栽培方法だが、残念ながら、胡瓜本来の味や食感が変化してしまった。
 これらは、ほんの一例である。ほとんどの品種改良は、生産者や流通・販売業者の都合やメリットが優先された「勝手な押しつけ」であり、消費者のことなど基本的に配慮されていない。遺伝子組み換えの農産物も、もちろん、同じ発想から開発された農産物である。
 世の中は、消費者を「お客様」と呼び、あたかも敬意を払っているかのようなビジネスが当然となっている。しかし、その言葉の裏では、ほとんどの場合、上述の例のように、・・・・・・・・・がまかり通っている。
 できれば少しでも、こんな流れに私は抗したい。
第188話 モダン・タイムス
2015年7月26日
 梅雨が明けた。関東地方は、エルニーニョ現象の影響もあってか、梅雨入り宣言後も雨がほとんど降らなかったので、明けるのが遅くなると予測していた。しかし、明けてみれば、ほぼ例年並みであった。強い日差しと高温のために、各種の夏野菜がたくさん採れ始めた。とにかく毎日、忙しい。9月の中旬まで、早朝から収穫に追われる日々が続く。
 そのうえ、秋冬野菜の種蒔きも始まった。ごぼうと人参は既に蒔き終わり、ブロッコリーやキャベツも蒔き始めた。私どもの主力野菜であるブロッコリーは、これから10月上旬まで定期的に蒔いていく。秋の彼岸頃までは、厳しい暑さにくわえ、年間でもっとも忙しい。体調管理を徹底しなければならない。疲れから腰を痛めれば、仕事どころではなくなり、生活そのものにも支障をきたす。熱中症にでもなれば、命にかかわる。厳しい自然環境を相手に多品目を通年栽培する者の宿命かもしれない。
 また、この期間は、体調管理にくわえ、いかに作業効率を上げられるかがポイントになる。作業が遅いとか、要領が悪いと、やたらと時間ばかり費やし、体調を崩すことになる。運良く崩さなかった場合でも、秋冬作が計画どおりに進まなくなる。なぜなら、収穫作業と作付け作業がバッティングしたら、収穫を優先するからである。
 作業効率を追求するのは、何も農業だけではない。芸術家や高度な知的労働者は別かもしれないが、一般の製造業では、1分1秒単位で製造工程が管理され、1円以下の単位でコストを計算するのが普通である。そうした血のにじむような努力の結果として、世界のトヨタが存在している。現代のような経済活動が続く限り、しょせん、仕事とはそういうものであろう。
 とりわけ、コンピュータの出現が労働の効率化に拍車をかけた。さらに、GPSとスマホの普及により、離れた所からでも労働者の状況が把握されてしまう。運転手や営業マンが出先で気軽に昼寝など、もはやできない時代になった。
 しかし一体、人間はどこまで効率追求が可能なのだろうか。人間の精神はいつまで効率追求に耐えられるのだろうか。はたして普通の人間は、現実(リアリティー)と仮想現実(バーチャル・リアリティー)の乖離の拡大によって、自己破滅しないのだろうか。人類は滅亡の直前まで効率を追求し続けるのだろうか。こんな素朴な疑問を抱き「効率の追求」に異を唱えようとしても、身分の保証された人や資産家、あるいは著名な学者やジャーナリストでもなければ、もはやは不可能に近い。
 胡瓜(キュウリ)を収穫していたら、アマガエルが胡瓜の頭に座り、じっと獲物が通りかかるのを待っていた。収穫の手をとめ、それを見ていたら、「人間もこんな生き方ができないのだろうか」と思ってしまった。
 一世紀近く前、チャップリンが映画「モダン・タイムス」で世相を痛烈に批判した。たぶん、彼の批判的な指摘は、人間が効率を追求し続け、機械が生産活動にいっそう深く浸透し生活に欠かせなくなればなるほど、人の生き方を問うていくことだろう。
第189話 販売戦略
2015年8月2日
 5月の連休明けから2ヵ月半ほど、20代後半の青年が短期研修に来ていた。彼は、研修最後の日、今後の計画を改めて語った。自分の畑で採れた野菜だけでなく、生活必需品などを、手づくりのトレーラー・ハウスに積んで、売りに回ると言う。なかば夢見ごこちで語る彼の目はキラキラ輝いていた。あの頃の自分は、会社員としてバリバリ働いていたものの、彼のように目を輝かせながら働いていただろうか。若い頃の自分を思い出し、やり直すことのできない過去に悔いを感じながら、彼の話しに耳を傾けていた。
 彼の話をひとしきり聞き終わり、「誰に売るのか」と質問した。彼は即答できなかった。まだまだ、詳細を詰め切れていないのだろう。
 ビジネスとして何かを売ろうとする際、「どのような人たちに買ってもらうか」という問いは、ほとんどの場合もっとも重要で、販売戦略の根幹をなす。この問いを深く掘り下げると、「社会は今何を求めているのか。今後何が必要とされるのだろうか。何が時代をリードするのだろうか」という命題に行き着く。ここまで掘り下げて考えないと、いわゆるイノベーションは起こせない。
 農業分野においても、この問いは欠かせない。
 かれこれ十数年ほど前、地元の種苗店が主催するトマト研修会に参加した。三軒の農家を訪れ、栽培現場を拝見し、いろいろな工夫をお聞きした。トマト栽培の経験が浅かった私にとっては、とても学ぶ点が多かった。中でも、一軒の農家は突出した技術力と明確な営農哲学を持っておられ、驚嘆した。もし本格的にトマト栽培に取り組むなら、彼のような方法が理想であると今でも思っている。
 その方から学んだことのすべてを書き出したら紙面が足りないので、ここでは2つの紹介に留めたい。まず彼の営農哲学である。それを一言で表現すれば、「より良いものを手ごろな値段で普通の人々に食べてもらいたい」ということに尽きる。
 具体例として、彼はこんなことも話された。「世間には、トマトが吸収する水を極端に制限し、とても甘く水に沈むトマトを栽培し、自慢している人がいる。かなり小さいトマトが、並み外れて高い値段がつけられ有名デパートなどで売られている。私は、あのようなトマトを作ろうと思えば作れるが、そんなトマトは作らない。甘さはほどほどでいいと思っています。水を適度に与え収穫量を確保し、手間を省き生産コストを抑え、できるだけ安い値段で販売したい。裕福でもない普通の人たちが買えるトマトを私は作りたい。それで家族が生活できれば、それでいいですよ。・・・・・・・・・・」
 そのような哲学を持って生産されたトマトをその場で頂いた。甘さは十分であった。ほど良い酸味もあり、私好みであった。後日、近所のスーパーの地場野菜コーナーでその方のトマトが売られていた。その安さに驚いた。
 それでも彼は、私のようにがむしゃらに働いてはいない。余裕を持って働いている。何故それが可能かと言えば、連続不耕起栽培という非常に難しい栽培方法を確立し、栽培の手間を激減させたからである。
 別れ際に、「私がのんびり働いていても生活できるので、息子も一緒にやりたいと言ってくれました」と、彼はごく自然におっしゃった。
第190話 我が身を守る
2015年8月9日
 昨日は立秋であった。昔から「梅雨明け十日」と言って、梅雨明け後の10日間くらいは厳しい暑さが続くものの、立秋の頃からは秋の気配が感じられる。その暦どおり、一昨日までは南寄りの熱風が吹いていたが、昨日からは北東寄りの涼しい風に変わった。体がとても楽である。
 私の生家は猛暑で有名な群馬県館林市の近くで、昔も暑かった。それでも、夏休みの絵日記に記録した最高気温は32~33度どまりであったように記憶している。
 ところが、今世紀に入った頃からは猛暑が半端ではない。エルニーニョ現象による冷夏でもならない限り、9月になっても35度以上の猛暑日がある。こうなると、暦の上の立秋を過ぎても、もはや残暑とは言いがたい。
 農場では、水をやれる畑で栽培すれば、夏野菜は暑いほどたくさん採れる。胡瓜やオクラはスクスク伸びるので、毎日休まず2回、早朝と夕方に収穫しなければならない。嬉しいような辛いような、・・・・・・・・。秋の彼岸くらいまでは、収穫を休めない。体力勝負の季節である。
 そんな訳で、この時期は十分な体調管理が必要となる。刻々と変化する体調を敏感に自覚し、適切に対処する。医者はもとより、他人の介護に頼ることなく、自ら我が身を守るしかない。
 もとより誰でも、生ある限り、我が身を守りたい。幸せになりたい。しかし、そのためにとる行動が、自分本位で他者の犠牲の上に成り立つものであると、必ずや争いの元になる。
 社会や国家も基本的に同じである。自立した社会、独立した国家であろうと思えば、その構成員は「自ら我が身を守る」という自覚と生き方が欠かせないが、他の社会、他の民族、他の国の犠牲の上に成り立つものであると、その行くつく先は戦争である。
 70年前の今日、長崎に原爆が落とされた。けた外れの威力で一瞬のうちに、広大な面積を焼きつくしてしまった。我が身を守る術もなく、時もなく、殺される直接の理由もなく、ただ「敵国民」という理由だけで。まさに、究極の戦禍である。
 今から30年ほど前になるが、アフリカの辺境国ソマリアの、そのまた辺境の地に設営された難民キャンプで活動していた時、宋 由貴(そう ゆうき)氏を団長とする少林寺拳法グループの方々が視察に来られた。難民支援の具体的な行動を模索されてのことである。私は、その時はじめて知った、彼らの行動理念が今でも忘れられない。それは、「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」というものだが、社会の健全な有り様を平易な言葉で表わした、実に奥深い教えである。
 時代は再び物騒になってきた。こんな時こそ、上述の「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」という教えを胸に、他者に犠牲を強いることなく、叡智と忍耐と努力をもって我が身を守ることが人類に求められているような気がしてならない。
第191話 マニュアル化の功罪
2015年8月16日
 毎日、退屈しない。いや、「退屈させてくれない」というのが適切だろう。栽培する野菜の種類が多いため、実にいろいろな作業があり、さらに、天気の変化にあわせて予定の作業を変更することもあれば、予期せぬことへの対応に追われることもある。こんな日々を煩わしいと思うか、新鮮な感覚で前向きに受けとめるかは本人次第だが、その隔たりはとても大きい。
 ところで先日、ある研修生が「作業をマニュアル化したらどうですか」と助言してくれた。研修を受ける者にとっては、きちんと整理されたマニュアルがあれば、その方が理解しやすい。研修期間も短くて済む。学校で言えば、教科書やテキストのようなものである。
 早速、主な野菜の栽培マニュアルを作成しようとパソコンに向かったが、なかなか作業が進まない。その内、夏野菜の収穫量が多くなり、「忙しい」という理由をつけて作成を中断してしまった。よくよく深層心理を覗き込んでみると、マニュアル作成に何か心に引っかかるものがあった。
 その一つは、冒頭でも述べたように、作業の種類が非常に多く、くわえて状況に応じて臨機応変の対応が要求されるため、マニュアル化がなかなか難しいことである。事と次第によっては、その場で新たな対応策を考えなければならないこともある。それでも、システム・エンジニア(SE)のような才能があれば可能かもしれないが、残念ながら、私は持ち合わせていない。
 もう一つは、マニュアル化が思考力を減退させるような気がしてならない点である。コンビニやスーパーなどの従業員の受け答えはマニュアル化されているらしい。私は、レジで現金の受け渡しをする時、彼らの発する言葉に違和感を覚えてならない。日本語として不適切なだけでなく、何か機械と会話しているような気がしてならないからだ。
 しかし私自身、「いずれ、やらなければ」と以前から思っていたので、遠からず仕上げようと思っている。
第192話 4つの資源(1)
2015年8月23日
 「日本は資源が豊かですか」と日本人に問えば、大多数の人々が、石油やガス、石炭や金属などの鉱物資源をイメージし、「乏しい。日本は資源小国です」と答えるに違いない。
 確かに、私たちの生活や産業活動を根本から支えているエネルギーは石油やガスから作られ、そのほとんどは輸入に頼っている。石油にいたっては、エネルギー源として利用されるだけでなく、プラスティックをはじめとする多種多様な工業製品に加工されている。
 かつて、日本がアメリカに戦いを挑んだ直接的な理由は石油の窮乏であったという。その当時、エネルギー源としては、主に石炭が活用されていたので、現代ほど石油への依存度が高くなかったものの、エンジンを動かす燃料としては不可欠であった。そのため、無数の命と引き換えに石油の調達に走ったのである。
 それから70数年たち、いまや地球上のほぼ全ての人々の生活は、石油なしには立ち行かない。各種の統計データを調べるまでもなく、身の回りを見回せば、一目瞭然である。
 その石油やガスの多くが中東地域から日本に運ばれてくる。いわば生命線とも言えるシーレーンを守るため、「ホルムズ海峡が機雷封鎖されれば、自衛隊が掃海作業に出向く」と息巻いている人たちがいる。想定問答としては成り立つものの、世界情勢を冷静に見渡せば、ホルムズ海峡を機雷封鎖するような国が一体どこにあるのだろうか。覇権国アメリカが睨(にら)みを利かせている状況で、亡国のリスクを負ってまで、無意味な暴挙に出る国家など想像もつかない。万が一どこかの国の独裁者が機雷封鎖したところで、ロシアからも、アメリカからも、アフリカや南米からでも、いくらでも買える。ロシアは、石油やガスの輸出に大きく依存しおり、二つ返事で売却を約束するだろう。情報と物流が世界に隅々まで行き渡り、経済がグローバル化した時代に、ホルムズ海峡を機雷封鎖することなど極めて非現実的である。
 さて、冒頭の「日本は資源小国である」という認識であるが、私は何か偏狭な認識のように思えてならない。文明の栄枯盛衰を見れば、資源の枯渇で滅びた文明がいくつもあることに気づく。仮に日本が資源小国であれば、2000年以上も長きにわたり独立国家として存続するはずがない。今やこんな狭い国土に1億を超える人がこれだけ豊かな生活を送っている。資源小国であろうはずがない。
 本来、資源を「綿々と人々が生き、社会や文明が健全に機能させるためのもの」と考えれば、鉱物資源にだけに限定することはない。少なくても、鉱物資源の他に、3つの資源が考えられる。気候を含めた自然環境という資源、文化や社会制度、教育程度や民族性などという人々に関する資源、そして水や食料の資源である。これらを俯瞰する時、日本が資源小国などと言えるだろうか。
 私は四半世紀ほど前から、鉱物資源の安定的な調達を心配する前に、食料資源の安定調達を憂うるべきであると思っている。もはや軍事力を行使してまで、鉱物資源を調達する必要性は極めて低い。なぜなら今後、世界経済が本質的なデフレに向かうのはほぼ間違いなく、石油や鉄をはじめとする鉱物資源に関しては買い手市場が続くと予想されるからである。
第193話 4つの資源(2)
2015年8月30日
 このところ、中国の経済に急ブレーキがかかり始めた。そのため、石油をはじめとする、鉱物資源の価格が下落し続けている。今後、数年前のように石油が再び値上がりするかと言えば、それは多分ありえない。なぜなら、急拡大してきた中国経済は、あまりにも投資に依存し過ぎてきたことに加え、人口減少と極端な貧富の格差を容認する政治体制によって、経済拡大は頭打ちになり、遠からず日本のようになることは間違いない。
 かと言って、中国に代わって世界経済を力強く牽引する国を探したところで、どうも見当たらない。辛うじてインドに期待が持てるものの、いずれ中国と同じ道を歩むのは歴史の必然であろう。他のアジア諸国や中南米、アフリカの国々は、技術や教育のレベル、社会体制や自然環境などの総合的な国力において先進国に大きく水をあけられており、第三次世界大戦でも起きない限り、先進国にキャッチ・アップするのはほぼ不可能である。
 このように将来を予測すれば、日本が鉱物資源の調達に四苦八苦する可能性は極めて低い。そして何より、人類は資源浪費型の生き方を転換していかなければならない。
 さて、私たち日本人の未来はどうだろうか。冷静に足元を探ると、奈落の底に落ちそうな二つの落とし穴に気づく。それらは、国債の暴落と東南海での巨大地震である。増え続ける国債は、ロシアン・ルーレットのように、遅かれ早かれ必ず暴発する。今世紀になってから、その引き金はすでに何度か引かれている。そして今後も、世界のあちこちで引かれそうである。ひとたび国債の金利が上がり始めたら、円は一気に売られ、政府や日銀がいくら介入しても「大幅な円安とハイパー・インフレ」という奈落の底に落ちていく。まさに、敗戦直後の再来である。あの時は国土再建と朝鮮特需に救われたが、今後は救いの手が伸びて来そうもない。
 ハイパー・インフレはすべての物価に及ぶ。例外品は米くらいであろう。もちろん、輸入品の価格は暴騰する。とりわけ、石油とかガスの暴騰は電気代に跳ね返り、すべての生産活動と日々の生活を直撃する。純国産食料と思われがちな卵なども、飼料を輸入トウモロコシに大きく依存しているため、必然的に上がる。消費者物価の値上がり幅は、消費税が5%から8%に上がった時の比ではない。桁違いのインフレが起きる。
 いたるところに食うや食わずの庶民が溢れ、飢餓が当たり前になる。餓死者の数が連日報道されることはあっても、交通事故死と同様に個人名はほとんど報道されなくなるだろう。そうなってから食料増産を叫んだところで、すでに手遅れである。
 結局、戦前と同じ道を歩み出すだろう。いや、すでに歩み始めている。世界的な大恐慌の後に歩んできた道を。あの時は、「アメリカだ、ハワイだ、ブラジルだ」と移民政策を推進し、日本では喰っていけない農民たちを半ば棄民のように送り出した。それでも移民先が足りず、何のかんのと理屈をつけて、軍事力を背景に台湾、朝鮮、満州へと農民などを送り込んだ。その後の顛末は周知のとおりである。
 普通の人は、省エネや不便さにはかなり耐えられようが、日々の食事を3回から1回に減らすのは到底耐えられない。まして、飢餓状況が広範かつ長期に蔓延すれば、社会から理性が失われ、狂気が常識になってしまうだろう。
 一刻も早く、食料自給率を向上し、食料資源の安定的な確保に国力を注ぎ込まなければならない。
第194話 稲作
2015年9月6日
 稲刈りが始まった。黄金色の稲穂が北寄りの涼しい風に揺れている。瑞穂の国を象徴するような光景である。幸いにも、今年は台風の被害がなかったので、おいしい良質米がきっと採れるだろう。
 ところで、農業は「装置産業」と言われることがある。今では、昔のように鍬や鎌などの手農具はほとんど使わず、機械類がなければ仕事にならない。とりわけ稲作は、米価の下落によって利益率が年々減っているにもかかわらず、高額な機械類を揃えなければならない。
 かつて、お世話になっている稲作農家にその現実をお聞きしたことがある。彼によると、何はともあれ、各種の機械と施設を取り揃えなければならないと言う。少なく見積もっても、トラクター、田植え機、稲を刈り脱穀するコンバイン、トラック、籾すり乾燥機、草刈機、農薬散布機、肥料まき機、種まき機、育苗施設、籾すり乾燥機をおおう作業場と倉庫が必要となる。これらを一式新たに揃えると、数ヘクタールの稲作農家の場合でも、ざっと2000万円くらいはかかるそうだ。それも、これらのほとんどは年に一度しか使わない機械や施設である。
 この近辺では、1ヘクタールあたり良くても5トンほどしか採れない。東北や北海道の産地に比べ、かなり少ない。近年の米価は、JAに販売すると60kg(1俵)あたり約1万円だから、1ヘクタールあたり80万円ほどの売り上げとなる。3ヘクタール耕作しても、240万円の売り上げである。日当1万円で30日稲作に携わるとして、人件費が30万円。種や農薬、肥料、燃料、修理などにかかる費用を50万円とすると、機械類の償却に回せる金額は160万ほどである。機械類などに投資した資金を回収するのに13年ほどもかかってしまう。
 こんな実態で稲作を続けようと思う農家はどれだけいるだろうか。数ヘクタールの規模では、稲作専業ではとても喰っていけない。実際、先に挙げた知り合いの農家は、稲作は2ヘクタール強で、畑作が主である。
  今までに、10人ほどの米作農家に「儲からないにもかかわらず、どうして米を作るのか」と尋ねたことがある。「当たり前だろう、主食だよ」と私を叱責するかのように力強く答えられた農家。「子どもたちや親戚縁者に食べてもらいたくてねー」と笑顔で答えた農家もおられた。「高い機械類を揃えちゃったから、仕方ないよ」と苦笑された方も。「皆がやめていくので、誰かがやらなくちゃならないだろう」と重い荷物をみずから背負った方もおられた。
 雇用保険や労災保険、有給休暇、年金保険や健康保険に守られている会社員の方々に、こんな答えを口にする農民の気持ちがどれほど理解できるだろうか。
 せめて、おいしい新米を食べる時くらいでも、稲作農家に少しは想いを寄せてもらいたい。
第195話 心の支え
2015年9月13日
 天職と思って始めた農業だが、毎年この頃になると心が折れそうになる。「もう農業をやめたい。サラリーマンとして現金収入を得ながら、家庭菜園でのんびり野菜を作り快い汗を流すほうがいい」と今まで何度も思った。語り尽くせぬ苦労と多額の投資の末にやっと軌道にのせた印西市の農場(三自楽農園)を研修生に貸したのも、そんな思いもあってのことである。
 心が折れそうになるのは、3つの苦難がこの時期に重なるからである。
 一つ目は、超多忙のために肉体を限界ギリギリまで酷使することである。秋以降は、北海道や東北地方から安い野菜が首都圏に流れ込んでくる関係で、大して稼げない。だから、夏野菜を最大限作らなければならない。当然のことだが、収穫に追われる。その一方で、秋冬野菜の作付けが目白押しのため、早朝から晩まで息つく暇もない。そのような超多忙にくわえて、溜まりにたまった夏バテが現われ始めるのもこの時期である。
 二つ目は、この頃から出荷できる野菜の種類と量が極端に減り、お客様に迷惑をかけてしまうため、何かと神経をつかいストレスが蓄積する。
 そして三つ目は、台風の襲来である。この辺りは、9月が台風の被害がもっとも出やすい。ここ10数年の間に、猛烈な台風の直撃を2回経験したが、どちらも9月であった。2001年の時は、今でも忘れない9月10日である。ニューヨークの貿易センターのツイン・ビルが崩れ落ちた、その前日である。ニューヨークの被害も空前の規模であったが、我が農場も壊滅状態で、ハウス内の野菜以外はほぼ全滅であった。農場が荒野と化し、茫然自失の我が身をおして、その後の2週間くらいは虚しい片付けの日々が続いた。こんな経験をすれば、誰だって肉体的にも精神的にもボロボロになってしまうだろう。2010年の時も同様な惨事になった。
 このような苦難を経験しても、気を取り直し、どうにか立て直してきた。
 ところが、体力の限界を自覚し始めた頃から、「どうして俺は農業を続けるのか?そうする自分の心の支えは一体何なのだろうか」と自問することが増えてきた。
 心の支え。各人各様、誰でも持っているのだろうが、なかなか明確に自覚しにくいかもしれない。もしかすると明確に自覚しないまま、ある日突然、お迎えが来てしまうかもしれない。それが自然というものなのだろうか。
第196話 未来を買う
2015年9月20日
 未来は誰でも買える。
 自分の未来がどうなるのか誰もはっきりと予見できないものの、日常的に未来を買っている。日本でも経済が右肩上がりの時代は特に、個人も企業も国家も、社会全体で盛んに未来を買っていた。そして、そのことで生活の質が全般的に向上し便利な世の中になり経済大国になることもできた。
 未来を買う例をいくつか挙げれば、健康保険や年金保険、民間の医療保険などがある。掛け金を支払うことは、その時点で見れば、未来を買っているようなものである。税金も同様である。所得税を払わない人でも、買い物をするたびに消費税を払い、自動的に未来を買っている。
 ビジネスの世界に目を転ずれば、未来が時々刻々さまざまな場面で売り買いされている。例えば投資がそうである。一口に投資と言っても、多岐にわたっている。製造業が新しい設備や機械などに資金を投じることも、株や債券を購入することも投資である。また、企業が従業員の教育や訓練にかける費用も投資である。どんな分野で活躍するのであっても、他の人より前に出ようと思えば、自分に投資しなければならない。これらの投資はすべて未来を買っていると言えよう。
 さらに、コンピューターをウィルスやハッキングから守るために行なう対策も、国家が軍隊などの軍備を維持するのも、やはり未来を買うための投資と言うこともできる。これらの投資は、掛け捨て生命保険と同じで何ら生産的ではないが、いざという時のために欠かせない。
 自分の未来がどうなるか明確に予見できず、買った未来が結果的に有益なものになるかどうか定かではないにもかかわらず、なぜ人は未来を買おうとするのか。先の見えない未来に不安を感じるからだろうか。あるいは、より良い生活を未来に期待してのことだろうか。
 ところが、私が身をおく農業分野では、すでに何十年も前から農民は未来に失望し、未来を買うどころか、未来を切り売りしてきた。農地は、農地としてほとんど売られることなく、宅地や雑種地となり、先人の苦闘が一瞬のうちに無に帰してしまった。そして、宅地や雑種地として売れない農地は、「耕作放棄地」として野ざらし状態であり、ほぼ再生不能である。再生するには膨大の費用と相当な根気が要るからである。
 このまま日本の食料生産が縮小し続けたら、いったい日本人の食を誰が満たしてくれるのだろうか。食料の輸入を否定するつもりはないが、国際情勢が急変したり世界的な異常気象が突発したら、輸入がどうなるのか予測不能である。現にわが国は、第一次世界大戦でドイツと戦火を交えたが、第二次大戦ではともに手を組んで連合国側と戦った。アメリカとの関係も同じような歴史を歩んできた。国境がある限り、そして人類の好戦的な性格が変わらない限り、しょせん国際関係など当てにはならない。
 こんな危惧を払拭するには、農業の未来を積極的に買う若者がもっともっと現われること。それしかないのである。
第197話 面倒くさい
2015年9月27日
 歳のせいもあってか、「面倒くさいなー」と思うことが増えてきた。だから、何のかんのと理屈をつけて、ついつい手抜きをする。もちろん、良い手抜きも必要な時があるものの、だいたい手抜きは悪い結果を招く。自分なりに反省し自戒もしていても、どうも改善できない。
 さらに近年は、手抜きにとどまらず、やるべきことを放置しやすくなった。農場では、草対策が後手に回りやすく、研修生やボランティアなどの皆さんに頼りきっている。草対策は、非生産的な作業と思われがちだが、「有機農業は草との闘い」と言われほど重要な作業である。それは重々わかっていても、面倒くささが先に立ってしまう。
 家の中では、食卓の横に各種の書類が山と積まれている。それら中には、大事なものや期限が設定されているものもある。だが、「どうせ命にかかわる書類などないだろう」と勝手に決めつけ、放置してしまう。ときどき妻が心配し、山の中から大事な書類を見つけ出してくれるので、たぶん、それに甘えているのかもしれない。
 ところで、私たち人間は根源的に5つのものに規定されていると私は思っている。それらは肉体、精神、エネルギー、時間、そして社会である。これらをコンピューターに例えれば、肉体はハード・ウエアに、精神はソフトに、エネルギーは電気に、時間は処理スピードに、そして社会はネット・ワークに対比できるだろう。
 とりわけ社会は、私たちの想像をはるかに超えた規模と複雑さで、個人の生活や生存を規定し、休む間もなく時々刻々と影響を与えている。自分とはまったく関係なさそうなことが他国の片隅で起きても、経済活動と情報ネット・ワークをとおして、またたく間に自分に影響を及ぼしてくる。3・11の大津波で福島にあった自動車部品の会社が被災した時、そこで生産していた部品の世界シェアが大きかったために、自動車生産が世界的規模で大きく滞ってしまったという。
 このように、人類がかつて経験したことがない規模と複雑さで社会が成り立っている現代では、社会は秩序や統率をより必要とする。したがって、法律やルール、○○主義などに個人レベルでも依拠したり、統率されたりする。もちろん、依拠や統率はマイナス面だけではない。プラス面も少なからずある。中でも例えば、人類が考え出した最高のものは民主主義ではないだろうか。数え切れないほどの戦や争いを繰り返し、無数の命を犠牲にして、やっと民主主義という統治システムを手にした。
 そんな民主主義でも、生まれつき与えられていた者にとっては、たぶん面倒くさいシステムなのかもしれない。横着な私が書類を山積みしてしまうように、「できれば関わりたくない」と思い、つい民主主義を神棚に飾ってしまう。
 今さら私が指摘するまでもなく、主義や主張は具体的な行動がともなって初めてその存在意義を持つ。しかし悲しいかな、自分自身の体験や思考に根ざしていない主義や主張はたやすく形骸化しやすい。その結果、「どうせ、誰かがやってくれるだろう」とか、「議員や公務員に任せておけばいい」と、他者に甘え始める。
 「面倒くさい」。それは、人間が持つ本性の一つであり、麻薬のようなものかもしれない。ストレスや煩雑さから我が身を守ってくれるものの、その一方で思考や行動も停止させる二面性を持っているような気がする。
第198話 教える? 教えない?
2015年10月4日
 「知らぬが仏」というように、知らないほうが平穏に生きられることもある。現代のように通信ネットワーク上で瞬時に情報のやり取りができると、「そんなこと教えてもらいたくなかった」というようなことまで飛び込んでくる。それによって、悩みが増したり不安にさいなまれたり、時には命の危機に瀕することもある。実際、ツイッターやフェイス・ブックで誹謗中傷されて、自殺してしまった若者が何人もいる。
 その一方で、「それが知りたい。教えて欲しい」と切望しても、意図的に隠されていることもある。そんな時は、やはり不安や不信、さらには命の危険を感じたりもする。
 どちらにしても、「教える」あるいは「教えない」ということには常に功罪両面がつきまとう。
 農業関係でも同じようなことが言える。例えば、農薬の使用について、どれだけの消費者が具体的に教えられているのだろうか。たぶん日本では、限りなくゼロ、微々たる情報しか教えてもらっていないだろう。例えば、スーパーなどで売られている野菜には数十回も農薬がかけられているものも決して珍しくはない。トマトやキュウリなどの果菜類では、収穫の前日でも農薬をかけられる。法律上、それが許されているからである。葉物野菜の中でも、大産地で生産された野菜には、やはり何十回も農薬がかけられていることが多い。健康を気にして食材を選んでいる人は、「せめて農薬の使用回数くらいは明示して欲しい」と思っているだろう。教えてもらわないと、不安と不信が募るばかりで、購入意欲が減退してしまう。
 もちろん、その逆もある。「いずれにしても食べないといけないのだから、いっそ農薬のことなど知らないで『うまいうまい』と言いながら食べたほうが、きっと消化に良いだろう」と思う人もたくさんいるだろう。「日本は世界に冠たる長寿国なのだから、農薬の使用回数など教えてもらわなくたって構わない」という考えも成り立つ。
 私のところに研修に来る人たちもさまざまで、教えてもなかなか理解できそうもない人もいれば、教えれば乾いたスポンジが水をサッと吸い込むように理解する人もいる。前者には平易に教え、難しいことは教えないこともある。後者にも、教えないことがある。課題を与え自分で調べたり考えたりするよう仕向ける。教え過ぎると、思考力や想像力がなかなか伸びず、体験に根差した知恵が育たないからである。
 義務教育の世界にも同じようなことがある。本当に教えてもらいたいことは教えてもらえず、どうでも良いことを執拗に教えられる。その最たるものが歴史の授業である。一言で言って、「くだらない授業」である。「何年に誰々が何をした」式の事実の断片を教えられるだけで、肝心の「なぜ」を教えてもらえない。そんな断片的な事実を知ったところで、長い人生をまともに生き抜く上で何の役に立つのだろうか。もっと言えば、教えられることは勝者側から見た歴史であり、事実かどうかの保証もなく、庶民にとってどれだけの価値があるのか大いに疑問である。そんな事実は、必要とする人が必要な時にパソコンで調べれば、事足りることである。また、期間的には、明治維新の前夜から1990年代のバブル崩壊までを綿密に教えてもらえれば、当面の歴史教育はそれで十分である。
 従来のような歴史の授業に多くの時間をさくくらいなら、健康や食べ物、さらには職業に関することを積極的に教えたほうが人生をもっと豊かにするだろう。
第199話 根と実
2015年10月11日
 私の大好きな柿が今年は不作である。あのトロッと熟した柿は、おいしいだけでなく、ビタミンCやカロテンも豊富である。「柿が赤くなれば、医者は青くなる」という諺があるほど、柿は健康に良い。
 ところで、果樹には「隔年結果」という現象がよく現われる。特に柿と蜜柑(みかん)に起きやすい。今年たくさんの実をつけると、夏から秋にかけて根などに蓄える栄養分が少なくなり、来年はほとんど実がつかない。つまり、実を成るままにしておくと、一年おきにしか果実を結ばないという現象である。
 この柿などの果樹だけでなく、一般的に、植物は根と地上部とのバランスがとても重要である。
 今年は、晩夏から初秋にかけて猛暑から一気に多雨と日照不足になったため、露地栽培の胡瓜(キュウリ)が一気に枯れてしまった。原因は根と地上部とのアンバランスにある。根は昼夜分かたず気温にあまり左右されず常に水と栄養分を吸収し地上部に送る。しかし、地上部は低温と日照不足のためにこれらをあまり必要としないので、葉に余分の水と栄養分が溜まり、それが葉を腐らせてしまったのである。人間で言えば、長時間お風呂に入っていると、皮膚が白く変質するようなものである。
 トマトではこんなことがある。トマトは、土の中に肥料が十分にあると、葉の付け根から次々に脇芽を出し、うっそうと茂る。そこで、一般的なトマト栽培では、これらの脇芽を除いてしまう。主な理由は、実をおいしくするため、作業性を良くするため、過繁茂による湿度過多を防ぐため、開花から収穫までの期間を短くするためである。しかし、脇芽を次々に取り除いていくと、地上部が少なくなり根が吸収した栄養分や水が十分に利用されなくなる。そのため、過剰となった栄養分や水が葉や茎、実などの地上部に過剰に蓄積し、病気が発生する。人間で言えば、食べ過ぎと運動不足で肥満になり、その揚げ句に病気を患うようなものである。
 最後に茄子の例を挙げる。茄子も、トマトと同じように、肥料が十分に効いていると葉の付け根から次々に枝がでる。そして、その枝を放置すると一気にたくさんの実が取れるものの、肥料が少なくなると木が疲れ、実があまり成らなくなる。もし晩秋まで収穫しようと思えば、何回か追肥し根の力に応じて枝の数を減らさなければならない。茄子は、トマトほど根が強くなく実が積極的に水分を吸収するので、枝を減らしても病気はまず発生しない。
 私たちは植物を見る時、その地上部、特に花や実に目を奪われがちである。しかし、根も大事な組織で、根と実などの地上部とのバランスが非常に重要である。そして、病気が発生する原因の一つが、これらのアンバランスである。植物も人も何ら変わらない。
 最後に、「相田みつを」の詩を挙げたい。「土の中の水道管 高いビルの下の下水 大事なものは表に出ない」。
第200話 学びの先に
2015年10月18日
 学ぶことは真似(まね)ることから始まる。
 明治維新の前後から、日本人は西洋文明を盛んに真似てきた。特に工業に関しては、「富国強兵」とか「脱亜入欧」などという勇ましいスローガンのもと、血眼になって物真似した。その姿勢は敗戦後の復興期にも引き継がれ、重化学工業を中心に欧米から積極的に製造方法を取り入れ、安い製品を大量生産してきた。そして、ホンダやソニーなどの一流品が世界を席巻するまでは、メイド・イン・ジャパンは「安かろう、悪かろう」の代名詞であった。今世紀に入って急速に経済発展した中国が「コピー天国」と揶揄(やゆ)されているが、決して他人事ではない。かつて日本も歩んできた道である。
 今から40年ほど前、電子部品の設計をしていた時、競合他社が新製品を出すと、それを入手し性能を調べさせられた。もし自社の同等品より性能が勝っていると、それを上回る性能のものを同等価格ですぐに設計するよう指示されたものである。しかし、ほとんどの場合、とりあえずコピー製品を出すことにならざるをえなかった。他者があみだした新製品を手にしたところで、その根底にある理由や思考プロセス、さらには苦労や失敗などを知るよしもなく、ましてや、それらを超える新しいものを生み出すのは極めて難しいからである。
 農業分野でも同様である。農民のほとんどは、新しい栽培方法をなかなか実行に移そうとしないで、他人の好例を真似る。多分それは、農民が慎重で保守的であることに起因しているのだろうが、その気質は自然相手の農業が持つ不確実性によって育まれてきたのだろう。天候にしても病害虫の問題にしても予測しにくく不確実性が常につきまとい、新しいことをするには相当のリスクを覚悟しなければならないからである。
 さらに、農民が慎重で保守的になりやすい理由は他にもある。それは、農業が儲からないことである。栽培と販売が順調にいったところで、時給7~800円も稼げれば上出来の斜陽産業である。新たなことにチャレンジし、リスクをとるほどの資金的な余裕が生まれるはずもない。結局、自らリスクを取ることはしないで、他人の好例を真似ることによって新しいことを学ぶ。
 経済が停滞し始めた頃から、日本でも「ハイ・リスク、ハイ・リターン」という言葉がよく使われるようになった。昔ながらの諺で言えば、「虎穴(こけつ)に入らずんば、虎子(こじ)を得ず」である。「単に模倣し学ぶだけではなく、持てる能力をフルに発揮し厳しいリスクを乗り越えなければ、新たなものを生みだせない」ということである。このことは、自然科学系のノーベル賞の受賞者数を見れば、歴然としている。日本の10倍ほどの国民がいる中国で、受賞者は数人にとどまっている。日本には、欧米を積極的に模倣し学びながらも、学びの先に踏み出そうと人生を捧げた人たちがたくさんいたからである。 しかし、学びの先に踏み出すには、数々の失敗はもちろん、場合によっては未完に終わることも覚悟しておかなければならない。
第201話 文明の代償
2015年10月25日
 私は便利さや快適さとはまったく無縁の農村地帯で生まれ育った。土間に積まれたレンガの竈(かまど)で藁(わら)や木くずを燃やし日々の食事を煮炊きした。お風呂も鉄製の風呂釜、いわゆる「五右衛門風呂」で、井戸水を満たし籾殻(もみがら)や落ち葉を燃やして沸かした。夜これらを燃やす当番は私だった。暖をとる手段は炬燵(こたつ)か竈(かまど)しかなかったので、火の当番はとても気に入っていた。後に、プロパン・ガスで料理できるようになった時、母や姉は大喜びしたが、私は少しがっかりした。
 その地域には、バス路線はなく、最寄りの駅に行くには自転車で20分ほどもかかった。小学校へは平坦な水田地帯の田舎道を30分以上も歩いて通った。道端や田んぼには一年中たくさんの生き物たちが溢れ、まっすぐ帰宅することはほとんどなかった。不便極まりない地域であったが、子どもにとっては楽しい宇宙であった。
 そんな寒村に40戸ほどが寄り添うように暮していた。ほとんどは専業農家で、米と麦の二毛作が村人の生きる糧(かて)だった。6月と11月は息つく暇もないくらい忙しい毎日が続いた。6月の梅雨の季節に麦を刈り、すぐに肥料を入れて耕し、用水路から水を引き入れ、また耕し、村中総出で一斉に田植えをした。11月は、その逆で、稲刈りを終えた直後に麦を蒔いた。一連の作業はすべて牛馬と人手に頼っていた。だから牛馬は、人と同じ屋根の下で飼われ、家族の一員であった。村民たちの協力関係もしっかりしていた。
 私が小学校に上がった頃から、耕運機が普及し始めた。現代のトラクターから比べればオモチャのような機械であったが、牛馬で耕すよりも格段に早く、便利であっただろう。その後あれよあれよと言う間にバインダーという稲刈り機とトラックも普及した。
 大きな文明の波は寒村にも快適さと便利さを運んできてくれた。誰もが喜び、時代の大波に身を任せた。当時は、そんな暮らしの激変に何の疑問も抱かなかったのだろう。
 しかし、気がついてみると、牛馬は食肉用として売られ、専業農家は数えるほどしか残らず、村民間の結びつきも希薄になっていた。近所の人たちがすれ違っても、挨拶する程度で、世間話に興じることもなくなった。
 この例は決して特殊ではない。いち早く機械文明を取り入れた先進国では既に経験済みで、いわゆる「開発途上国」と呼ばれている国々でも同様の社会現象が進行している。
 さらに深刻な現象も世界各地で起きている。農地の砂漠化である。その原因として、気候によるものもあるが、栽培方法も大きく関与している。数々の大型機械を使い、川や地下から水を汲み上げ、化学肥料を多用する栽培方法によって、農地に塩類が溜まり、植物が生育できない状態になってしまった。この栽培方法に起因する砂漠化は、生産力のある耕作地が使えなくなるという点において、人類に及ぼす影響は計り知れないほど大きい。
 食料をめぐる争いを繰り返してきた人類は、限られた土地でより多くの農産物をより効率的に得ようと格闘してきた。そして、大型機械と化学肥料と農薬という工業文明の産物を駆使し、収穫量を飛躍的に増やしてきた。しかし皮肉にも、その代償として、肝心の農地を次々に破壊してきた。
 人の欲望にとりつき虜(とりこ)にする文明は常に、物質的な豊かさ、強さ、早さ、快適さ、そして便利さをもたらす。しかしその反面、文化を軽薄短小化し、人から忍耐力と想像力を奪い、回復しがたいほど自然環境を破壊してしまう。そして時には、残酷にも人の血を要求することもある。
第202話 激変の先は
2015年11月1日
 「岩盤規制を打破しなければ、経済発展は続かず、日本は衰退するばかりだ」と長らく経済界の方々が政府に圧力をかけてきた。しかし、宝物を古墳の石室が守っていたように、既得権益を守ってきた岩盤規制は簡単には崩せなかった。
 ところが最近、安倍政権は本気で岩盤規制を壊し始めたようだ。多くの法律や慣習によってがんじがらめに規制されてきた日本の農業も今や激変の真っただ中にある。政府は、半世紀以上も持ちつ持たれつの関係を保ってきたJA(かつての農協)を屈服させ、TPPの大筋合意にこぎつけた。遅かれ早かれ、私の周辺にも大筋合意による激変がいずれ押し寄せるだろう。
 TPPによる激変が良いか悪いかという価値判断は、もちろん、受けとめる側の立場と考え方によって変わる。大波に乗れる者は「良」と歓迎し、呑み込まれそうな者は「悪」と拒否反応を示す。そのため、価値判断には言及せず、農業分野での激変が日本の農業をどう変えいくのか予想してみたい。
 農産物の輸入関税が撤廃あるいは削減されれば、当然、末端価格を押し下げる。大多数の消費者は、国産品にこだわっていないと想像されるので、これを歓迎するだろう。国も個人も過去に貯め込んだ財産を喰いつぶす状況は今後も続き、加えて貧富の格差は拡大すると予想されるので、なおのこと、安価な輸入農産物の販売シェアは拡大し続けよう。
 のような予想に立ってTPPを農民の側から見れば、大方の農民は「とどめを刺された」と受け止めるだろう。具体的な影響が現われる前に、心が折れてしまい、農業に見切りをつける農民が今まで以上に増えるに違いない。何せ農民のほとんどは、既に高齢化しており、兼業で跡取りもいなく、営農する意欲が乏しいために、政府や専門家、さらに一部の農業関係者は、「攻めの農業」とか、「農産物の輸出拡大」とか、「六次産業化」などと日本農業の可能性を力説する。確かに、守りの農業が日本の農業を衰退させてきた要因の一つであることは否めない。もっと輸出に努めれば、少しは活路が開けるかもしれない。高品質の農産物であれば、ある程度高い値段でも、中国などで需要が伸びるだろう。
 しかし、政治家や専門家、官僚などが言うほど、農業現場を支配する現実は決して甘くない。「もっと知恵を使い、もっと頑張れ」と老農民を叱咤(しった)激励したところで、疲弊しきった高齢の農民には荷が重すぎる。期待しても無理な相談である。大方はTPPを機会に離農する道を選ぶだろう。
 結局、このまま時代の大波に身を任せておけば、日本の農業はいっそう衰退していく可能性がもっとも高い。  以上のような予想は予想として、改めて日本の農業の問題点を凝視すると、その本質は、TPPという外圧というよりも、国内問題であるように見える。それらは、目の前の損得に気をとられ将来の食料問題に想像が及ばない消費者、人々の命を支えているという自覚に乏しく貴重な農地を好き勝手に私物化し荒廃させてきた農民、巨額の税金をつぎ込んでも自給率を向上できなかった政府や自治体、食の重要性を教えて来なかった教育。
 これらの問題を改善しない限り、たぶん、私の予想どおりになってしまうだろうが、決して改善できない問題でもない。実際、フランスやドイツなどのヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦後これらの問題をクリヤーし、食料自給率を向上させた。今やフランスは農産物の輸出大国になっている。
 日本も、やれば、できる。激変の先は、決して暗黒ではない。
第203話 三度菜
2015年11月8日
 聞き慣れないかもしれないが、インゲンを「三度菜」と言う地域がある。温暖な平地であれば、栽培できる時期が年間3回あるためらしい。この辺りの露地栽培では、梅雨の時期、晩夏、そして秋に収穫でき、その期間は1ヶ月くらいのため、その度に種をまかなければならない。
 ところが、条件が良ければ一度種をまくだけで、梅雨の時期と秋の2回実が採れる。梅雨時に収穫したにもかかわらず、蔓(つる)が枯れず夏を越し、秋にまた新しい葉が出て花が咲き始める。梅雨時ほどは成らないが、野菜の種類が少ない秋にそこそこ採れるので、非常にありがたい。
 インゲンはマメ科の植物で、大豆や空豆、エンドウなどの仲間である。マメ科の野菜はさまざまな環境下で生育していて、その生態の幅が広い。インゲンは乾燥と高温に弱いが、大豆のように高温にも乾燥にも強いもの、空豆やエンドウのように冬を越さないと花が咲かないものもある。私が知る限り、この地域で広く出回っているマメ科の野菜は、すべて草性で、1年以内に実をつけ枯れてしまう。枯れる原因はいくつかあるが、いずれにしても、何年も枯れずに実を毎年つけるようなことはない。
 ところが、マメ科植物の中には、アフリカなどの乾燥地帯に自生するアカシヤのように、大木になる常緑樹もある。また、その中間的な植物もある。5月にきれいな花を咲かせるフジがある。木とも草とも言い切れない蔓性の植物で、落葉して冬を越し、毎年花を咲かせ実をつける。
 話しをインゲンに戻そう。同じような蔓性のフジやクズが猛暑でも立派に茂り冬を越せるのに、なぜインゲンが越せないのか。なぜインゲンは1ヶ月ほどで収穫が終わってしまうのか。それがインゲンの本性か、それとも環境要因によるのか、あるいは人為的な原因なのか。
 私は、これらの疑問を胸に何年もじっくり観察してきた。原因としてまず挙げられるのは、病気、害虫、高温、空気と土の乾燥、強風、そして「インゲンは1回、1ヶ月しか収穫できない」という思い込みである。
 しかし、いろいろ試行錯誤を繰り返すうちに、最大の原因は土と根にあるという結論にいたった。「盛夏を越せるような土壌環境と強靭な根が不可欠である」という結論である。気づいてみれば、ごく当然なことであった。
第204話 効率と寿命
2015年11月15日
 効率は経済活動の基本的なエレメントになっている。効率を追求しない仕事は稀有である。芸術家や哲学者、文筆家や評論家、あるいは宗教家や厭世家でもないかぎり、「まんざら非効率も悪くはないではないか」などと口にしにくい。競争社会で日々もまれている人が効率追求に否定的なことを言えば、たちどころに職から干されかねない。効率に疑問をはさむ余地はないというのが世相であり、効率の追求は生物の本性とみなすこともできる。
 例えば、ライオンはむやみに狩りをしない。空腹が満たされれば、エネルギーを無駄使いしないように、ごろごろ寝ころんで時を過ごす。原野の戦士カマキリも効率の良い生き方をしている。よほどの危機に直面しなければ羽を使って飛ぶことはなく、獲物をとろうと動き回ったりもしない。獲物が通るのをじっと待っている。人間の歩き方もエネルギー効率がとても良いという。必要以上に筋肉を使わないように、地面すれすれに足を前に運んでいる。
 私も、日々忙しく働き、効率を意識しないことはない。農業は利益を出すのが容易ではない職業だから、なおのこと効率を上げる必要性に追い立てられる。駅構内での野菜販売を10年以上も続けてきたが、その日の午後は荷造りに追われる。納品時刻が迫ると分単位で作業をこなすことも珍しくない。すっかり慣れているので時間に追われてもおろおろしないものの、さすがにそんな時は、アドネラリンがどっと分泌され、交感神経がフルに活動しているようだ。
 猛烈な忙しさから開放され、ほっと一息ついた時など、「こんなことでは寿命を縮めてしまうのではないか」と心配になることがある。「はたして効率を金科玉条のように崇め立てて良いのか」と言う疑問が湧くこともある。
 太古の昔から、人類は頑強な効率の壁に直面しては何度も越えてきた。二足歩行で、火で、言語と文字で、金属製の道具で、農耕で、貨幣で、職能分業化で、大型外洋船で、内燃機関で、核エネルギーで、そしてコンピューターで。それらの中でも、極めつけは「核エネルギー」の発見だろう。これほど効率的にエネルギーを取り出せるものはないし、これほど効率的に人を殺傷できるものもない。
 効率追求の果てに私たち人類が得たものは、手放しで受け入れられる幸せでもなく、自然と調和した生活でもない。明日への不安と相互不信であり、私たちの命を支える自然環境の破壊であった。
 こんな生き方を人間はいつまで続けられるのだろうか。たゆまぬ効率追求の結果として手にしたものを果たして今後もコントロールできるのだろうか。
 人類は今や、世界中の隅々にまで行き渡り、文明の地平の果てが視野に入ってきた。もう効率の追求に猛進せず、進歩という一本道でちょっと立ち止まり、その生き方をゆっくり考えてみるべき時代に差しかかっているのではないだろうか。
 このまま行けば、人類の寿命はあっけなく尽きてしまうかもしれない。
第205話 団塊世代
2015年11月22日
 日本は戦後、街も家も職場も、何もかも荒廃した状態から驚異的な復興をとげた。それは多分、人心だけは荒廃していなかったからだろう。とりわけ、物資に困窮する中で生まれ育った団塊世代とその前後の世代は、復興の中核をなす人たちであった。
 今から振り返れば、1990年代後半から経験してきたデフレ経済は、まさにこれらの世代が第一線から退き始めた時期に一致する。行政関係者を擁護する訳ではないが、この符合から想像すると、デフレ経済の到来は歴史の必然だったような気がしてならない。
 そして、歴史は今日も、日々着実に動いている。生活に追われて気づきにくい程ゆっくりと、時には劇的に変化している。その動きの彼方で、変化の先で私たちを待ち受けている未来は、どう見ても、「明るい未来」になる公算はきわめて低い。
 そんな日本の近未来を、せめて「暗い未来」にしないための方策がない訳でもない。その一つが団塊世代を中心とする現役引退世代の社会貢献である。体力と財力に少しゆとりのある年金生活者の再登場が望まれている。
 もちろん、「何十年もがむしゃらに働いてきたんだから、もうのんびり好きな趣味の世界を満喫したい。仕事まがいのことは、もうご免だ」と意を決している人もたくさんおられるだろう。もっともである。何十年にも及ぶ激烈な日々の再現を嫌う心情は自然である。
 しかし、趣味の世界を満喫できず他者との繋がりも絶たれた老人の先には孤独死が待ち受けている。短命になりやすいとも聞く。体を十分使わなければ筋力が急速に衰え、新たなことに挑戦しなければ脳の委縮も早まる。
 昨年末、第157話「ボランティア」で紹介した「しろい環境塾」というNPO法人で長く理事長を務めて来られた河合さんとグループの皆さんは、農村の崩壊を何とか食い止めようと、もう20年近く都市部から通いつめてきた。荒れ果てた里山を整備し、放棄地を農地に戻し、頑張っている農家を手伝い、家庭菜園も運営している。彼らを見ていると、戦中や戦後の過酷な社会を生きてきた世代のとてつもない馬力と確かな社会貢献を感じてならない。
 また、去る9月から週3日、国際協力機構(JICA)を定年退職された大塚さんという男性が私どもの農場で働いておられる。団塊世代のど真中に生まれ、戦後の日本と途上国との関係を体現されてこられた方である。
 かつて日本は、農村の過剰労働力や食料不足などの問題を解決するために、武力を背景にして満州へ多くの国民を入植させた。こんな過ちを再び起こさないためにも、「しろい環境塾」の皆さんや大塚さんのような、団塊世代を中心とする現役引退世代が農業にもっと参加してもらいたい。もはや高齢化した農家だけで日本の農業問題、ひいては食料問題を解決することは不可能である。
第206話 落ちる
2015年11月29日
 秋も深まり、落ち葉が積もっている。悩ましい雑草も、ほとんど枯れ種を大地に落とし、命を明日につなげた。この頃になると、越冬野菜の作付けもすべて終わり、「今年も元気に働けて本当に良かった」という感謝の念をいだく。
 ところで、「落ちる」という言葉を聞いて、圧倒的多数の人たちは悪いイメージを抱くのだろう。「落第」、「落ち目」、「落命」、「落日」、「落盤」、「没落」、・・・・・・・・・。挙げ始めたら次々思い浮かぶ。「落ちる」とか「滑る」という言葉は、受験戦争に苦しめられた人たちにとっては禁句であった。その一方で、良いイメージを抱かせる「落」のつく単語はなかなか思い浮かばない。もしかすると、「落ちる」ことへの恐怖心を本能的に持っているのだろうか。
 私にも実際、落ちることへの不安や恐怖があるらしい。年に何度か、ドイツ語の単位が取れず大学を卒業できない夢を見る。落第しそうになった過去がトラウマになっているのだろう。
 ところで、農業に深く関わるようになってから、「落ちることは必ずしも悪いことばかりではない」と思うようになった。いつも植物に囲まれ、季節の移ろいを眺めていると、そんな気になる。
 空気中の汚染物質や老廃物を貯め込んだ葉は、寒さで衰え、枝から離れ大地に落ちる。大地に積もった葉は、微生物の餌となり、無数の命を育む。そして、分解された葉がまた植物の命を育む。この絶え間のない循環によって、私たち人間も育まれてきた。自然界においては、落ちることも自然の循環の一つであることに気づかされる。
 自然界は、実にゆっくりと、気の遠くなるような時間をかけて物質やエネルギーの循環を繰り返し、少しずつ豊かになってきた。無機質な火山灰や溶岩に覆われた孤島でも、地衣類(ちいるい:菌類と藻類から成る複合生物)から始まり、小木がちらほら生え出し、徐々に豊かな森へと進化してきた。
 その一方で、生物は反自然的な生命活動を営んでいるとも言える。そして人類も、自然に逆らい、あるいは自然を搾取し、世界中のいたる所に巨大な文明を築いてきた。その文明が今や、危機に瀕している。地球温暖化への警鐘が何十年も前から鳴らされてきたにもかかわらず、大局的に見れば、一向に改善されていない。1997年に京都議定書をまとめ上げた日本でさえ、二酸化炭素の排出量を減らすどころか、当時よりも増えている。その口実は、「生活の質を落としたくない」となる。さらには、「生活の質を落とすことなく、英知をしぼって有史以来の難局を乗り越えよう」という意見もある。
 はたして、そうだろうか。
 人類は、自然を豊かにする循環とは真逆な流れを進化と呼び、収奪文明を享受し自我自賛してきた。そんな人類の生き方の破局が目の前に迫っている。生存の危機かもしれない。その崖っぷちから転げ落ちる前に、気を落ち着かせ、過去を正直に認識し未来をしっかり見据え、文明の舵を切るべき時代を迎えているのではないだろうか。
第207話 ためる
2015年12月6日
 今から35年ほど前、電子部品を製造する会社で5年間ほど働いていたことがある。週休2日であったが、入社2年目から特定の仕事を任された関係で残業と休日出勤が常態化し、基本給は安くても手取りの給料は悪くなかった。事業所が田園地帯にあり敷地内の寮に入っていたため、お金を使う機会がほとんどなく、5年間で500万もたまった。
 会社を辞めようと決めた時、そのお金をどう使うか思案した。実家は特にお金に困っていなかったので仕送りする必要がなく、自分の結婚資金や家のローンに充てる気もしなかった。いろいろ考えた結果、生態学と微生物学を学ぼうと理学部に入った。
 学校に通っている間、まったく働かなかった関係で、1年後、預金通帳には100万ほどしか残っていなかった。先々のことをあまりくよくよしない私でも、その時は途方に暮れた。それでも、「江戸っ子は宵越しの金は持たねーよ」的な甘い考えが染みついていた私は、その後、あまり金にもならない民間の難民救援団体に参加した。
 ところで、先週の日曜日から農園関係者などで勉強会を始めた。最初のテーマは「どうして日本の農業は衰退してきたか」というもので、2時間も意見交換した。「なぜ、採取に頼っていた縄文人が米を栽培する弥生人にとって代わられたのか」という話しになり、「木の実や魚介類などよりも米の優位性がそうさせた」という理由に落ちついた。米は半年もあれば安定的に収穫できる。カロリーが高く、おいしい。そして、貯蔵性が優れている。米や麦などの穀類の突出する利点はこの貯蔵性に優れている点であり、人類の今があるのはそのためでもある。
 つまり、私たちの「今」は「ためる」ことで実現したと言えなくもない。そして、ほとんどの人々が「ためる」に囲まれ、虜になっている人も少なくない。食料や水をためる。石油やエネルギーをためる。財産や利益をためる。ゴミや核の汚染物質をためる。コレステロールや内臓脂肪をためる。ストレスをためる。拡大し続ける貧富の格差や差別に対して不満をためる。・・・・・・・・・・・。あたかも、「ためる」ことが人生の、この世のすべてであるかのような現実が厳然と存在する。経済のグローバル化とIT革命によって、文明国、あるいは先進国と言われている国々に共通していた「ためる」文明が、今や世界中に浸透した。もし「ためる」を放棄したり否定しようものなら、貧困が心身を蝕み孤独や死が忍び寄ってくる。
 かつて、私はタイに住んでいたことがある。そこでは毎朝、質素な服装の僧侶たちがいたる所で托鉢していた。富める者も貧しい者も、都会でも田舎でも、僧侶に食べ物を施し、来世のために功徳をつんでいた。
 今から30年以上も前に見た、あのタイの光景は一体どうなったのだろうか。「ためる」文明は一体いつまで続くのだろうか。
第208話 豊かな農地
2015年12月13日
 記録的に暖かい秋が続いてきたが、やっと霜が降りはじめた。また今年も、農地を肥沃にするため、畑に米糠(こめぬか)ともみ殻を入れ始めた。いわゆる「土づくり」である。かれこれ15年ほど前から私は、積極的に米糠ともみ殻、それに堆肥を畑に入れてきた。3・11の放射能漏れによって山積みしていた堆肥とその材料が汚染された後は、米糠ともみ殻だけを畑に直接混ぜ込む方法をとっている。
 写真のように、まず米糠を10aあたり1トン以上まく。米糠は土の中でゆっくり分解し、作物の肥料(=栄養)となるだけでなく、その分解の過程で土の中の微生物を急激に増やす。条件によっては、微生物の数が桁違いに増えることもある。それらの微生物のすべてが野菜にとって好ましいものばかりではないので、できるだけ好ましい微生物の割合を高めるのがポイントとなる。
 米糠をまいた後、もみ殻も米糠とほぼ同じ量をまき、速やかにトラクターで耕す。もみ殻をまくのは、米糠と同じ目的もあるが、土の通気性を良くすることが主たる目的である。米糠を土に直接入れると土が固化してしまうので、一緒にもみ殻も入れる必要がある。
 このような土づくりは寒い季節にしかできない。味噌やお酒を造るのと同じ理由である。それ以外の季節にまくと、暖かいために、作物に有害な菌の繁殖が優勢になってしまうからである。また、暖かい季節にまくと、米糠やもみ殻が土の中で分解する初期段階で発生する臭いに害虫が寄ってきて土に産卵し、その幼虫や成虫が作物に悪影響を与える。さらに分解が進むと、異臭を放つカビが繁殖し、吸い込むと明らかに有毒であることがわかる。土がこんな状態の時に野菜を作付けると発芽や生育に支障をきたす。この点からも、作付けのない冬場にしか米糠をまくことができない。
 上述のような一連の作業は、機械を使わない場合、かなりの力仕事である。規模の大きな農場で行なう場合は、機械を導入した方が良い。新品でも、100万円くらいで済む。丁寧に使えば20年以上は使えるので、決して高い買い物ではない。無理して腰痛にでもなれば、元も子もない。
 痩せた土を肥沃にするには、このような努力をしても、相当な期間が必要である。毎年入れ続けても、少なくても5年はかかる。ここ10年ほど前から、いろいろな企業が農業に参入した。しかし、撤退の連続で、満足な経営状態で生き残っている企業は多くない。その主な原因の一つが、この点である。土に依拠した農業をしようと思えば、土づくりが重要で、それには長期的な取り組みが欠かせないのである。
第209話 四つの平等は
2015年12月20日
 暮れも押しつまり、暖冬とはいえ、寒さが身にしみる。農作業を終え家路につく頃は、もう真っ暗である。澄み切った夜空に輝く星たちを見上げると、難民キャンプでの生活を思い出すことがある。
 そこには電気がなかったので、日が落ちると一気に暗くなる。無数の星々が砂漠に広がる漆黒の闇を照らし、星あかりだけで周囲の景色が本当によく見えた。時には流れ星が雨のように降り注いだこともある。夜も明るい日本とは別世界が、そこにはあった。地面に寝転ぶと、まるで自分が、宇宙にすっぽり包まれた、はかない生命体であるかのような気になった。
 難民キャンプでは命がとても軽い。時には、いともたやすく燃え尽きる。命の背後にいつも死が隠れていた。飢餓状態のため、栄養失調の子どもや老人が、風邪やちょっとした下痢くらいで、あっけなく亡くなってしまう。深い眠りに落ちるように、穏やかな表情のまま息絶える。それはまるで、現世の苦しみや悲しみにさいなまれてきた命がゆっくり浄化されていくようにも見えた。
 ところで、人には少なくても三つの平等がありえる。機会の平等、結果の平等、そして死の平等である。アメリカでは、機会の平等を標榜しつつも、結果の平等は保障されていないらしい。
 戦後の日本は、機会の平等だけでなく、戦前まで延々と続いてきた差別的な階級社会の反動からか、共産主義国のような結果平等も追求してきた。健康保険や年金制度、実績に直結しない給与体系や終身雇用、安い公共住宅や生活保護制度。さらには、地方出身の議員や首相が公共事業や補助金・地方交付金などで富の地方分配を続けてきた。まさに「一億総中流」という表現に象徴された時代であった。
 しかし今や、平等の影が薄くなってきた。
 明日をも知れない難民たちにも、飢餓とそれからもたらされる死という平等があったが、日本では「地獄の沙汰もカネ次第」という状況である。多額のカネさえあれば、先進医療で延命できる時代になった。もはや、死の平等さえも化石になりつつある。
 農場ではこの時期、命を謳歌していた夏野菜は今やどれも枯死してしまった。早朝、農場に着くと、びっしりと霜が降り野菜が凍っている。日が高くなるにつれ、どの野菜にも等しく光が降り注ぎ、凍っていた野菜が命を吹き返す。真冬はすべての命に厳しいが、その先には等しく春が必ず訪れる。
第210話 長い旅路の先
2015年12月27日
 厳しく冷え込み、大地一面が霜に覆われている。そんな早朝、農場に入る道端に目をやると、タンポポがひっそり咲いていた。特に日当たりが良い所ではないのだが、たくましく花を咲かせる姿に強く心をうたれた。他の草に負けないこの時期に、あえて咲いたのかもしれない。春になれば、きっと強い南風に吹かれ、たくさんの種をまき散らし、また命をつなげるのだろう。
 還暦を過ぎた私にとって冬場の農作業は、正直、辛い。露地栽培は時に過酷である。そんな重労働に疲れホッと一息ついた時など、「自分はどうして今ここにいるのだろうか」と思うことがある。真冬の澄み切った夜空を見上げ、何万光年もの遥かかなたから届いた星々の輝きを眺めると、「悠久無辺の宇宙の片隅に今こうして生存しているのは偶然なのだろうか、あるいは必然なのだろうか」と想いをめぐらすこともある。いろいろなことを想像すればするほど自分があまりにもちっぽけな存在であることに気づき、命の不思議に圧倒されてしまう。
 人類のルーツはアフリカのサバンナにあるという。数百万年前にかの地で生まれた人類の祖先は、猛獣から身を守り飢えと病に耐え黙々と大地を歩み、時には、あらぶる大海を星座に導かれ命がけで渡り、長い旅路のはてに世界の隅々まで行きわたった。
 そして今からも、もし恐竜のように絶滅しなければ、人類のグレート・ジャーニーは続いていくのだろう。その地は月や火星になるかもしれない。あるいは、母なる地球を離れられず、放射能に汚染されていない地中か海底に移り住むかもしれない。
 そのような連綿とつながる命の連鎖の、ほんの一瞬に今の人類は生きているのだろう。この数十億もの命の先にいる、長い旅路の先の人たちは一体どうなっているのだろうか。
第211話 運と縁
2016年1月3日
 「私は本当にいい時代に生きた」と常々思っています。大変だったことと言えば、大学の受験くらいでした。大学に入ってしまえば、さほど勉強しなくても卒業でき、無試験で就職できました。バブル崩壊後のように就職活動に追い立てられることもなければ、大学院を出た学生が就職できないなどということは、まずありませんでした。そして、就職すれば、よほどの失敗でもしない限り、定年まで職が保証され、悠々自適の老後を迎えられた世代です。
 戦後の経済成長時代に生まれ育った人たちのなかには、「俺たち戦後世代は努力と実力で時代を切り拓いてきた」と自負している人々が少なからずいるような気がします。しかし、周囲を冷静に見渡し時代の流れをより客観的に知れば、個人の努力だけで自分の都合のいいように未来が拓かれるほど世間は甘くないことに気づくでしょう。良くも悪くも、運が大きく影響することは否定しがたい事実です。
 時代は、ブランコのように、休むことなく前後に揺れ動きます。その振れのどこで生を受けたかが、その人の人生の大枠を運命づけてしまいます。そのような運という大河に流されながらも、ときどき縁という岸辺に近づきます。
 縁には、良縁もあれば悪縁もあります。できれば悪縁は避けたいものですが、そうそう都合のいいように縁は巡ってきません。
 昨年は、仕事関係で3名の方と縁がありました。20代、40代、60代です。幸い、どれも良縁でした。いずれの方々も研修の目的で来られ、うち40代と60代の2名の方々は今後も研修を続ける予定です。お二人とも十分な社会経験があり、しっかりとした考えをお持ちで、今後の活躍がとても楽しみです。
 皆生農園の設立2年目から百姓雑話を丸4年間、私一人で毎週書いてきましたが、今年からは、他の農業関係者も書くことになりました。あるテーマに関して調べたり自分なりに考えて文章にまとめるのは非常に有意義なことで、研修の一環としても位置付けています。
(文責:鴇田 三芳)
第212話 新たな挑戦
2016年1月10日
 私は、大学で湖沼の微細藻類を研究し、環境コンサルタント、廃棄物処理会社を経て、藻類から油を作るベンチャー企業に転籍しました。
 皆生農園には今年の3月より、週1回土曜日に来ています。1年弱の研修の中で、種まき、定植、片づけなど多くの作業をやらせてもらっています。夏の炎天下での作業はちょっと過酷でしたが(体重が3kgほど落ちました、ダイエットを希望の方にはおすすめです)、季節の移ろいを感じながら、植物や大地に向き合うことに喜びを感じています。
 私が皆生農園でお世話になるまでの経緯について簡単に述べたいと思います。子供の頃から環境保護にかかわる仕事をしていきたいと考えていました。上述のように、これまで研究者を目指した時もありますし、会社員として環境関連の一般企業に勤めていた時期もあります。そんな中で30歳を過ぎたころから、農業への思いが強くなってきました。自然や田舎への憧れが常に心の中にあるように思います。2、3年ほど前、100坪ほどの土地を借りて家庭菜園をしていた時も、のどかな風景に癒されました。いつか農業をしながら生活をしたいという願望はここ数年ずっと抱いてきました。現実から逃避しているだけかもしれませんが、職人のように土や自然に接して仕事をすることが自分の性分に合うのではないかという考えもあります。
 ここ2年ほどは、ソーラーシェアリング(農地にソーラー・パネルを高い位置に設置し、野菜と電気を得るシステム)を企画していましたが、どのように農業で収益を上げるかが悩みの種でした。そんな時にインターネットで見つけたのが皆生農園のホームページでした。そこに載っている鴇田さんが書かれた「有機農業の基礎」には、農業に関することばかりでなく、例えば仕事に対する精神面などについても書かれていて、鴇田さんの温かい人柄がにじみ出ており、お逢いする前から非常に共感する部分が多いな、と感じていました。
 私の大きな目標は鴇田さんと共に、皆生農園の事業モデルを広く展開していきたいという事です。環境への負荷の少ない方法で栽培した野菜を地元の駅やスーパーで販売するスタイルは地産地消モデルとして素晴らしい取り組みです。
 皆生農園の野菜をスーパーで売られている一般の野菜と比較して、特別においしいということは正直感じません。普通の味を提供しているといった感じでしょうか。しかし、味は普通でも、安全性が高く安心できる物を手頃な価格で供給したいという鴇田さんのポリシーに合致する野菜と思っています。
 お昼時には、採れたての野菜をふんだんに使った鍋料理をいただくのですが、簡素ながらとても美味です。その時には鴇田さんの将来の構想や世界の情勢など幅広い話題が飛び交い、とても楽しいひと時です。相談ごとに乗ってもらうこともしばしばあります。
 2016年が始まりましたが、私の今年の目標としては、新規事業(①新たな販路の拡大、②加工品などによる付加価値の向上、③ソーラーシェアリング事業)によって皆生農園の売上を伸ばし、報酬をいただくようになることです。本業(ベンチャー企業での藻類による油の生産事業)との兼ね合いもあり、非常に高い目標かもしれませんが、挑戦していきたいと思います。
(文責:塚田 創)
第213話 発展の代償(1)
2016年1月17日
 物心がついた昭和30年代は、私の故郷兵庫県飾磨郡(今は姫路市)でも戦後の貧しさが残る時代でした。ご飯は白米と麦が半々で、肉といえば筋の入ったクジラがほとんどです。おやつは庭先のカキやグミといった自然のおやつで、隣村の雑貨屋の甘いお菓子など数えるほどしか口にしなかったように思います。
 でも、小学校上級生のころに少しずつ世の中が変わってきたのを覚えています。まず、隣の農家が耕耘機を買い、キュウリを共同出荷するようになり、養鶏を始める農家も出てきました。その反面、農業をやめて製鉄所に日雇いにでる村民も増えてきたことに子供ながらに大きな変化を感じていました。
 しかし村の中では、子供会や青年団活動も活発でした。学校での運動会や学芸会にも多くの村民が参加し、褒められたり、冷やかされたりしたのを覚えています。田植えも稲刈りも隣組がいつも一緒に助け合っていました。老人も、朝早くからの草刈りだけでなく、稲わらで縄や蓆(むしろ)をない、また正月や祭りの準備では欠かせない存在でした。
 国際協力を担う人材になることを志し、大学では開発途上国の開発問題に関心を深めていきました。大学を卒業する前にどうしても途上国の現状を知りたくて、初めて海外に行ったのはインドでした。ビハール州のガンジーアシュラムで1年間実習し、滞在中何度も近くの農村を訪れる機会がありましたが、何度か訪問するうちに、昔の子供時代の記憶と共鳴することが多くあることに気づいたのです。
 以来、開発途上国での勤務を重ねるごとに、開発もしくは発展の本質的な目的を常に自問自答している状態でした。自動販売機のジュースより、バングラデシュの農家の庭先で飲んだココナッツの方がおいしい味がしました。どんなに高価なプラモデルより、ケニアの父親が作った小さな弓矢の方が子供を確実に成長させます。
 今や日本は戦後70年を迎え、日進月歩の技術革命は大変便利な社会を作り出しました。国際社会でも大きな責任を持つ先進国となり、日本の発展をモデルとする途上国も多くあります。しかし、日本のどの時代の、どのような発展形態をモデルとしてもらうのか、成功事例や失敗事例の検証を含め、あまり明解な議論もなく他国の発展に関与してきた気がします。
 日本は現在さまざまな社会問題に直面しています。なかでも、高齢者問題や地方の過疎化、そして混迷を極めた農業問題は深刻です。このような状況にいたる過程で発展の代償として失ったものがあるとすれば、それは何なのか。農作業に汗をかきながら、大地に、社会に、それを問いかけてみたいと考えています。
(文責:大塚 正明)
第214話 リスクとリターン
2016年1月24日
 ハイリスク・ハイリターン。IT革命が広く行きわたった頃から、日本でも広く言われるようになりました。そして今や、私たちの生き方に影響を与えているだけでなく、生活そのものにも直結しています。端的な例はガソリン価格です。ハイリスク・ハイリターンの投機先として世界中にだぶついた資金が原油市場に出入りした結果、需給関係による価格形成以上に原油価格を大きく変動させています。
 ところで、私たちの職業をこの「リスクとリターン」という観点から捉えると、少なくても4つのタイプが見えてきます。上記の「ハイリスク・ハイリターン」の他に、「ローリスク・ローリターン」、「ローリスク・ハイリターン」、「ハイリスク・ローリターン」です。
 私の職業である農業がどのタイプかと考えると、迷うことなく、ほぼ例外のない「ハイリスク・ローリターン」と思えてなりません。とにかく、リスクが大きい。それでいて、リターンは非常に小さい職業です。ローリターンならまだしも、マイナスリターン、つまり人件費も出ない赤字になる時もあります。四半世紀ちかく挫折せずに続けてきた私でも、「こんな事じゃ、やってられねーなー」とぼやいたことが何度もあります。
 例えば、豊作になっても凶作になっても、どちらにしても喜べない現実が厳然と存在します。昔から「豊作貧乏」と言われてきたように、いっぱい採れると市場価格が暴落します。キャベツや白菜などの大型野菜の場合、中身の野菜の売り上げよりも、それを入れる段ボール箱代と流通経費の方が高くつき、収穫すればするほど赤字になってしまいます。ただ働きどころか、消費者と流通業者にお金を払って野菜を提供しているようなものです。
 その一方で、凶作になると価格が暴騰します。暴騰したところで、たかだか2倍くらいになる程度ですが、消費者からは「農家は儲かっていいわよねー」と言われたりもします。そもそも、野菜がろくに採れないから高騰するのであって、単価が2倍になったからといって、売上高が2倍になる訳ではありません。まさに、「前門の虎、後門の狼」です。
 さらに、台風や異常気象の影響をもろに受けます。今さら言うまでもなく、農業は自然相手の職業で、日々の歩みの足元には落とし穴がたくさん潜んでいます。
 こんな職業のため、何十年も行政が補助金などで支援してきても、やる気が失せた農家の離脱を止められませんでした。
 余談になりますが、ある大学の先生が農学部の学生たちを私の農場に連れてきたことがありました。その先生は、私に有機栽培の工夫をいろいろ問うこともなく現場の苦労を聞くでもなく、学生さんに有機栽培の良さをとくとくと説き、農家になること勧めるばかりでした。そのため私は、「そんなに有機農業が良くて、学生さんに勧めるのなら、先ずはアナタが先生を辞めて農家になって模範を示したらどうですか」という趣旨の無駄口を叩いてしまったことがあります。もちろん、農業指導で喰っている先生が、安定した職を捨てて、ハイリスクな農業に身を投じることなど有りえないと承知の上ですが。
 結局のところ、日本農業の衰退を一言で言えば、「喰っていくのが難しいから」に尽きてしまうのです。この点の改善と農地売買の自由化が実現しない限り、日本の農業が復興することは、先ずありえないでしょう。
(文責:鴇田 三芳)
第215話 転機
2016年1月31日
 私は、自動車関連の会社で、おもに経理(製造原価計算、費用集計等)の仕事を長く担当してきました。30年以上の勤務のうち、半分以上は出向先での仕事でした。4年前に本社に戻りましたが、経理業務が大きく変わっていました。それは、いままで慣れ親しんできた経理業務が国際ル-ルを基準とした処理に変わり、決算業務が大幅に短縮されことでした。毎月、20日間くらいかけて締めていた業務も、月初4~5日で締めるようになっていました。最初は、これについてゆくのが大変でした。日本基準の会計処理も良い点はありますが、時代の流れとしては、国際基準を無視することはできない状況です。経理にもグローバル化の波が確実に押し寄せ、その変化に早く対応しなければならない状況に直面しています。
 私が、農作業を始めたキッカケは20年前の出来事です。養護施設の子供たちと何かをやろうと仲間と話し合い、荒地になっていた畑を開墾し、ジャガイモ、サツマイモを植え、収穫を楽しんでいたのが始まりでした。ボランティア活動に興味があったというわけではありませんでしたが、子供たちと何か一緒に活動をして、楽しめればとの思いから参加しました。あの体験も一つの転機だったような気がします。
 人間は、この世に誕生してから、大自然の恵みに感謝し、時には恐れおののき、生かされてきました。仲間と協力し、あるいは争い、時には大切な命とひきかえに数えきれないほど多くの知恵を蓄え、文明を築いてきました。中でも農耕は、今にいたる中心的な文明です。いわば農業は、一番古い産業であるとともに、未来にわたっても必要不可欠な営みだと思います。
 我々日本人も、先人の努力のおかげで、豊かな生活を送れるようになりました。お金を出せば、たいていのものを手に入れることができます。食料も、自国で不足している分は、他国からいつでも輸入することができます。
 しかし、この状況がいつまで続くか、あるいは、いつ変わるか誰にもわからないと思います。国際紛争に巻き込まれたり気候変動によって食料生産量が大きく落ち込むだけでなく、膨大な投機資金が先物市場に流入して、食料価格が暴騰する可能性が十分あります。現に、世の中の動きを見ていますと、その予兆はすでに見え隠れしているのではないでしょうか。例えば、今世紀に入ってからトウモロコシが高騰し始め、リーマン・ショックでいったん落ち込んだものの、すぐにまた高騰しました。このように、予想しがたい転機や激変によって近年、石油や食料などの価格が乱高下し庶民の生活を圧迫するようになりました。さらに長い歴史に目を向ければ、必要な量の食料を作らなくなった国や文明は歴史の表舞台から消え去ってきました。
 いま私は、定年を数年後に控え、また新たな転機を迎えています。そろそろ次のステージをどうするのか考えなくてはいけない時期に差しかかり、上記のような認識を胸に、体力と気力が続けば、本格的に農業に携わっていきたいと思っています。
(文責:阿部 一雄)
第216話 恵みと脅威
2016年2月7日
 関東地方では2月にもっとも雪が降ります。2年前の2月の大雪では左の写真のように20cm以上も積りました。農業を始めてから四半世紀がたちましたが、これほどの大雪はこれを入れても2回しかありません。この時は関東地方やその周辺でビニール・ハウスなどの施設が多数倒壊しました。国が激甚災害と認定し、その建て替えに対し公的資金を助成したくらいです。
 例にもれず、私たちの農場も被害が出てしまいました。葉物野菜がつぶれ施設の一部がこわれ、その後の1週間は修復作業に追われました。積雪は、野菜や施設に被害を及ぼすだけでなく、雪が解け畑が乾くまでは何の作業もできなくなるので、非常に困りものです。日が昇り始めると土がぐちゃぐちゃになり、春野菜の作付けどころか、トラクターなどの機械も入れません。
 困るのは人間だけではありません。野鳥にとっては、餌が雪に埋もれてしまうため、生死にかかわる事態です。仕方なく、雪に埋もれいないブロッコリーや小松菜などの野菜を手当たり次第に食べますが、鳥は肉食が基本のため野菜の消化吸収は良くありません。それでも、生き抜くために必死なのでしょう。彼らの窮状に同情できるものの、野菜の被害は困ったものです。農民としては、雪害に食害では「泣きっ面にハチ」です。
 台風による暴風や豪雨も、大雪に負けず劣らず、甚大な被害を残します。近年、激しい気象現象による農業被害は珍しくなくなりました。毎年一度や二度は必ず発生します。
 以前は、このような被害を「仕方ない」となかなか受け入れられませんでした。心身ともに充実し、心が鋭くとがっていたためでしょう。被害にあうたびに、「何くそ」と踏んばってきました。
 ところが、ある頃から「もとより自然は恵みと脅威をあわせ持つものであり、恵みだけを得ようとするのは人間の強欲のなせる業かもしれない」と思うようになりました。
 気象現象を冷静に見れば、地球という巨大な生き物の、あるいは無数の生命共同体の生命現象のようなものです。科学的に言えば、地球上のエネルギーの偏在を均一化しようとする現象なのです。それによって、地球が無数の生き物たちの命を育めるのです。
 近年は、こんな考えから「多少の自然災害は仕方ない。事前に対策していたのだから」と思うようになりました。
(文責:鴇田 三芳)
第217話 ソーラーシェアリング事業
2016年2月14日
 昨年秋より農園関係者と月1回の勉強会を開催しています。社会の問題に対して、その問題点とその解決策、我々にできる事について議論しています。
 前回は戦争のない社会にするにはどうしたらよいか、自分たちに何ができるのだろうかという観点から議論しました。その中でグローバル化が進む社会で外国に依存していいものとなるべく自国で賄うべきものがあり、なるべく自国で賄うべきものとして食料とエネルギーがあるだろうということになりました。
 日本のエネルギー自給率は2010年で4.4%、石油、天然ガス、石炭といった化石燃料のほぼ全量を輸入に依存しており、原子力発電がほぼストップしている現在、化石燃料を利用した火力発電に電力の大部分を依存しています。また、食料自給率はカロリーベースで約40%となっており、これは家畜の餌を輸入に依存していることに大きな原因があります。エネルギーも食料も多くを海外に依存している状況にあります。
 私には皆生農園でやりたいことが色々あるのですが、その一つにソーラーシェアリングがあります。ソーラーシェアリング事業というのは 農地を耕作しながら、その上3mほどのところに太陽光パネルを設置し、売電事業も行なうというものです(上のイメージ写真を参照)。食料やエネルギーの自給といった意味で、ソーラーシェアリングはまさにこれに合致する試みであります。
 太陽光発電事業は、売電期間が20年間、投資を回収できる年数が10年前後、土地代も合わせると十数年で投資を回収する事業となります。売電収入にくわえて、下地を農地利用することで二重の収入を得る仕組みです。さらに、農地の上に太陽光パネルがあることで農作物の栽培上のメリットもあります。例えば、夏場の日照除け、冬場の霜防止、ソーラーパネルを支える支柱の活用などが期待できます。
 設備規模としては土地面積1haで400kw程度(一般家庭の約130戸分)の発電規模になり、設備費用は約1.2億円、年間の売電収入は約1200万円(27円/kwa)というのがおおよその事業性となります。
 まず、有志によって施設(50kw程度)を一つ作ってみようと計画しています。現在、皆生農園では借地で耕作を行なっていますが、太陽光発電事業は20年以上の事業であるため借地上で行うことが難しく、農地の購入を計画しています。事業の着手までには数年かかると思われます。
 また、大規模に行なうには土地の問題だけでなく、施設の建設には多額の資金が必要になります。今後は広く一般市民の皆さんから出資を募り、売電収入や農地で採れた作物で出資者に還元するというスキームを検討したいと思っています(上のスキーム図を参照)。
 ぜひ皆生農園に関わる皆さんのご協力を得て、事業を実現したいと思います。
(文責:塚田 創)
第218話 発展の代償(2)
2016年2月21日
 東日本大震災の復興支援のため海外から多くの支援を受けましたが、アフリカからも青年ボランティアたちが来日し、東北各地で復興支援を手伝ってくれました。そのメンバーの一人であるタンザニア人女性は、岩手県遠野市で3ヶ月間のボランティア活動に従事し、狭い農道まで舗装された日本の道路や停電のない電気事情に驚いていました。滞在中多くの友人もでき、自然に恵まれた遠野の生活を楽しんでいましたが、帰国前の報告会で「日本の老人はかわいそう。タンザニアの老人の方が幸せだと思う」と言い切ったのです。また、ほかのアフリカの青年は、アメリカやヨーロッパに比べてアフリカなどの途上国に対する日本人の関心の薄さに驚きつつ、「日本は繁栄の孤島のようだ」との印象を報告書に書いていました。
 これらのアフリカの青年の言葉は、彼らと関わった日本人にとって驚きだったようですが、私にとっては予測できた言葉でした。国としてのアイデンティティの以前に、アフリカには部族としての絆があり、社会の基本は血縁です。親族のうち誰かが出世すれば皆が豊かになれるとの思いから、最も優秀な子供を進学させるため親族どうしで学費を工面することもよくある話です。同時に、不幸な親族や高齢者に対する支援や世話も当たり前です。事実、遠野市の農家に下宿したアフリカの青年たちが、言葉のハンディを乗り越えて、農家のお年寄りにいつも明るくお世話をしようと努力し、大変喜ばれていました。
 第二次世界大戦で受けた敗戦のショックと国土の荒廃から立ち直った日本の戦後復興は、その経済的発展をもって「奇跡」と言われています。しかし、復興の起爆剤となった大きな要因が海外からの援助であったことはあまり知られていません。東海道新幹線や東名高速道路の建設、黒部ダムや愛知用水の整備などに費やされた莫大な世界銀行からの低金利融資とともに、ユニセフやガリオア・ララによる救援物資など、様々な機関からの援助を受けています。日本はこれらの海外からの援助を梃(てこ)として急激な経済発展を成し遂げたのです。
 しかし、同時にそれは欧米追従型の発展ではなかったでしょうか。世界経済の中で発展していくには、同様な経済環境を整えることが必要だったでしょう。でも、経済の仕組みだけでなく、文化や価値観もずいぶん追従してきたように思います。
 日本農業の主幹作物である米作は、八郎潟のように大規模稲作に転換したところもありますが、日本の農業規模に合わせたなかで耕地整理や機械化が行われ今日に至っています。農業は欧米との生産基盤の違いから追従が難しかった産業です。しかし、農業を支える地域の生活様式や価値観が変われば、農業そのものも変化を余儀なくされます。
 昔から日本の農業は家族農業でした。家族を核として地域の「結」があったのです。それは、地縁・血縁によって結びついた相互扶助の絆です。田植えや稲刈りなどの共同奉仕だけでなく、道路や河川などの普請も役所だけに頼らず、村の寄り合いで解決してきた地域力がありました。地域力が家族農業を支えてきたと言えます。しかし今は、田植えや稲刈りも助け合うことはほとんどありません。
 日本農業の転換期と言われ地方創生の必要性が叫ばれる今、発展の過程で失くしたものを取り入れた日本型農業を再構築するための「梃」が必要ではないでしょうか。その梃につながるヒントが、ここ皆生農園にあるような気がします。
(文責:大塚 正明)
第219話 あの頃は・・・・・。
2016年2月28日
 還暦を過ぎた頃から、「あの頃は・・・・・」とたびたび回顧するようになりました。昨年から農場で働いてくださっている方が私と同年代で生立ちと経歴が重なるために、なおのこと増えてきました。そんな時、記憶の奥に置き去りにしてきたイヤな過去も蘇ってきます。
 しかし不思議なことに、当時はイヤでイヤで仕方なかった過去の出来事や経験でも、なぜか今では「良かったなー」と素直に受け止められるのです。それは、私が歳をとっただけでなく、時代の変化がそう思わせているような気がします。
 現代では、健康のために麦飯や雑穀飯、玄米食が推奨されています。しかし半世紀も前、私が幼かったあの頃は、貧しい食事の代名詞のようでした。私は、貧しい農家の大家族の中で育ったために、麦飯を毎日食べていました。大麦が白米に混ぜて炊かれていて、プーンと独特な臭いが立ち上ります。決して食欲をそそるような臭いではありません。「おいしい白米だけのご飯を食べたいなー」といつも思っていました。
 また、悪玉コレステロールの摂取を減らすためという健康上の理由から、今や豚や牛の肉よりも青身魚や鳥肉がこれまた推奨されています。しかし、やはりあの頃は、豚肉や牛肉は贅沢品でした。年に数回しか食べられず、「何ておいしい肉だろう」と感動しながら食べたものです。もっぱらタンパク源と言えば、豆と魚で、ときどき玉子と鳥肉を頂きました。
 私の実家は、一時15人が一つ屋根の下で暮していました。今なら、テレビにでも出そうな超大家族です。正直、そんな大家族が私は嫌でした。食事は長テーブルに全員がつき、いっせいに少ないオカズを奪い合う、そんな日々の連続でした。農家なので、ご飯とみそ汁、野菜料理や漬けものはたくさんあっても、魚や肉を使った料理の量はたくさんありませんでした。そのため、早く家を出て一人立ちし、好きな料理を一人っきりで腹いっぱい食べたいと思っていたものです。
 ところが今では、親と同居したがる若者が圧倒的に多くなり、「独居」と「孤食」が社会問題化しています。
 1990年代からのデフレ経済は若者の生き方を劇的に変えてしまいました。就活に奔走してもなかなか就職口が見つかりません。一部の若者を除けば、もはや就職は運とコネに大きく依存するようになってしまいました。
 しかし、私が大学を出たあの頃は、今から40年ほど前になりますが、教授の推薦があれば、ほとんど無試験で就職できました。入社後の2、3年は新入社員がろくに稼がなくても、企業は投資と考え再教育してくれました。終身雇用が当たり前でよほどの失敗や不正でもしない限り解雇されることなどなく、毎年給料が上がり続け福利厚生も充実していました。
 いったい、あの頃はどこに行ってしまったのでしょうか。あんな時代が再来することはあるのでしょうか。
(文責:鴇田 三芳)
第220話 今は善、将来は悪
2016年3月6日
 今は良いと思われることでも、将来は悪い結果を招いてしまうことがたくさんあります。
 日本の農業も、その歩んできた歴史を冷めた目で見返すと、そのような事例がいくつも繰り返されてきました。
 敗戦直後、GHQの指示により農地解放が強行されました。自らは耕作しないで小作人に耕作させていた大地主の農地がただ同然で小作人に払い下げられた政策です。それによって、小規模の自作農民が一気に増えました。農地を奪われた大地主の抵抗はあったものの、権力と多勢に押し切られざるを得ませんでした。
 この政策は、農産物、とりわけ米の増産を目指すものでしたが、裏の目的があっただろうと推察されます。それは、昔から為政者を脅かしてきた農民一揆を撲滅するため、そして農民が共産化するのを阻止するため、というものです。その当時アメリカは、農民だけでなく、日本全体が共産化してしまうのではなかと心底恐れていたようです。
 結局、農産物の増産、農民一揆の撲滅、共産化の阻止は、その目論見どおり、農地解放によって実現しました。
 しかし、四半世紀もたたないうちに、農地解放が裏目になり始めてしまいました。農地解放によって農地が細分化され、一農家あたりの農地が狭くなったことで農家の収入が伸びませんでした。戦後の経済復興によって第二次産業や第三次産業に従事する労働者の収入が毎年伸びていくなかで、農民の収入は伸び悩み、農民は次々に離農してしまい、食料自給率は減り続けてきました。
 「あの時もし農地解放などしないでおけば、経済原理に基づいて簡単に大規模営農が実現できたのに・・・・・・・」と政府が結果的な失政を口にすることができず、水田の生産効率を上げるという名目で水田の改良、いわゆる「基盤整備」に膨大な税金を長年投入してきました。それらの広大な水田も、いたるところで今や耕作放棄地と化しています。
 この基盤整備の典型的な失敗は、九州の諫早湾の干拓事業です。その問題の詳細を今さら私が述べるまでもない状況です。秋田の八郎潟の干拓も、政策的には「今は善、将来は悪」と言える事業であったように私は感じています。
 今の善が将来も善であるかどうか、将来を見通すことは非常に難しいことです。しかしだからといって、「今の善は将来も善である」という根拠の乏しい期待や「善は不変である」などという独善は、人を不幸に陥れることはあっても、個人も社会も決して豊かにすることはないと私は思っています。
(文責:鴇田 三芳)
第221話 量と質
2016年3月13日
 今月5日、ジャガ芋を植えました。ジャガ芋は、一年中必要とされる食材で、家庭菜園での定番野菜です。芋を植えるだけで、結構やせた土でもほどほどに採れる関係か、一般的には栽培が簡単と思われています。
 しかし、販売を目的に栽培するとなると、話しは別です。一応プロともなれば、一定以上の品質をクリアしながらも、より多くの生産量をあげなければならず、さほど簡単ではありません。できるだけ収穫量を増やそうと思い肥料を効かせ過ぎると、味が悪くなったり内部に空洞や腐れが発生してしまいます。その対策として土に入れるカルシウムを増やすと、芋の表面にソウカ病という病気が発生しやすくなります。このように、量と質のバランスをとるのが難しく、まして農薬を使わないとなると、さらに難しさが増します。
 農業に限らず、ほとんどの産業で製品やサービスの量が重要視されます。まずは「生産量」とか「販売量」が業績の指針として必ず把握され評価もされます。これらから生み出される収益も、やはり量的なものです。その一方で、生産物やサービスの質を第一義的に評価する組織や人は決してメジャーではないでしょう。
 今世紀に入り、破竹の勢いで中国はGDPを急伸させてきました。あっと言う間に、日本を抜き去り、「世界の工場」とまで称されています。この過程で中国がもっぱら追求してきたものも、やはり「量」でした。「量を伸ばすのであれば何でもあり」という状況で、海外の有名な製品のコピーや紛らわしい商標がまかり通ってきました。
 かつてホンダやソニーは、日本を代表する企業として、世界にその名をとどろかせました。どちらも、最先端の製品を開発し、世界市場に確固たる地位を築きました。
 しかし、今ではどうでしょうか。ホンダは、世界的な自動車メーカーとして今でも君臨し、最近では悲願の小型ジェット機も販売しました。その一方で、電子機器を売り物としていたソニーは今や見る影もありません。
 何がこの差を生じたかと言えば、「飽くなき質の追求を続けたホンダと、それを怠り安易な方法で利益を出してきたソニー」という違いではないでしょうか。
 私たちは、頭ではわかっていても、ついつい生産量を伸ばし販売額を高めることに埋没してしまいます。すると結局、生産物や労働の質が低下しやすく、いずれは経営危機に直面します。
 そんな戒めを胸に、今年もジャガ芋を植えました。たかがジャガ芋、されどジャガ芋、なのです。
(文責:鴇田 三芳)
第222話 根絶の思想、共存の摂理(1)
2016年3月20日
 今月5日は啓蟄(けいちつ)、そして今日は春分の日です。歳を重ねるたびに、冬がとても長く感じられるようになり、「やっと春が来た」という気がします。春を感じて畑では、菜の花にミツバチが既に現われ、先週はモンシロチウが1匹初見されました。羽を生やしたアブラ虫も飛び始めています。春の到来は、とりもなおさず害虫との闘いの始まりでもあります。
 ところで、今回はゴキブリから話しを起こしましょう。ゴキブリに対する反応は国や地域によってさまざまでしょうが、ゴキブリを好きな日本人は、多分いないでしょう。ほとんどの人が忌み嫌い、見つけたら悲鳴を上げたり殺虫剤をかけるに違いありません。ゴキブリや蚊、ハエにとどまらず、家の中で見かけた虫という虫をたちどころに殺す人が大半ではないでしょうか。
 わが家でもそうです。私は蚊以外の虫が家の中にいても気にしないのですが、妻や子どもたちは、どんな虫に対してもキャーキャー騒ぎ、すぐさま殺虫スプレーで殺します。
 何でそうまでするのか、率直に言って、私には理解できません。目の前から虫を抹殺するために有毒な殺虫剤で部屋を満たすのが良いのか、特に危害を加えるわけでもない虫など放っておくほうが良いのか。虫たちには何の罪もまく、理性的に考えたら迷わず私は後者を選びます。そして、外に逃がしてやります。
 田舎の農家に生まれ育ったため、私はたくさんの生き物と暮していました。犬や猫、鶏や牛馬などの家畜はもちろん、食料を食べるネズミやそれを食べにくるヘビもよく見かけました。虫たちにいたっては名前を挙げたらきりがないくらいです。
 その虫たちのなかには、もちろん、ゴキブリもいました。夜中に喉が渇き台所に水を飲みに行くと、洗い場の生ごみやその周辺に数十匹のゴキブリが群がっていました。日中は一体どこにいるのかと思うくらいの群がりように、初めて見た時は驚きました。宮崎駿氏の「となりのトトロ」に出てくる「マックロクロスケ」のようなものです。余談ですが、もしかすると、氏はゴキブリからヒントを得たのかもしれませんね。
 今では家の中にゴキブリがウヨウヨいるのは珍しいかもしれませんが、当時はどこにでもある光景でした。家族の者は皆、ゴキブリに気づいていても誰も騒がず、食べ物だけはしっかり隔離しておきました。もちろん当時は、屋内で使うスプレー式の殺虫剤などはなく、ただただ放っておくしかなかったのでしょう。今から思えば、仕方のない共存だったのかもしれません。
(文責:鴇田 三芳)
第223話 作物と土壌のpHについて
2016年3月27日
 以前、家庭菜園をしていた時に、エンドウやホウレン草、ニンジンの種まき後、ほとんど発芽しない、あるいは生育がうまくいかないことがありました。ニンジンは乾燥に弱いということで種まき後の水管理の失敗、エンドウとホウレン草の2種類は酸性土壌を嫌う代表のようで、土壌pHの問題で発芽しなかったのだろうと推測し、農業の難しさを味わった苦い思い出があります。
 作物とpHに関してインターネットで調べると各作物と生育に適したpHの一覧表が出てきます。だいたいの作物の適正pHは6-6.5のようですが、作物によって結構異なります。エンドウ、ホウレン草は高pH作物の代表であるようです。また、pHの変化に寛容な種類とシビアな種類があるようで、エンドウとホウレン草2種はシビアな部類に入るものと思われます。
 なぜこのように作物によって、適正pHが違うのか疑問に思い、調べてみました。いくつかのホームページでは、それぞれの作物の原産地の地域差が反映されているということでした。エンドウは古代オリエント地方や地中海地方で麦作農耕の発祥とともに栽培化されたということで、日本へは9から10世紀に広まったようです。原産地が土壌にカルシウムなどが多い乾燥地帯であることから想像できるように酸性土壌にも弱い、とのことです。一方のホウレン草の原産地は、ペルシア地方(現在のイラン)だったと考えられている、とのことです。以上のように、両種とも原産地は中近東地域で元来pHの高めの地域で生まれた品種であるため適正pHが高めである、と推測されます。
 一方、日本の土壌はpHが低めで、低pHが作物の生育に影響を与える要因としては、酸性になると溶け出すアルミニウムの害、溶けたアルミニウムがリンと結合してリンの移行阻害、カルシウムやマグネシウムの供給不足、等があげられるようです。
 作物はもともと野生にいたものを品種改良してできたものです。三つ子の魂百までではありませんが、生まれた時の特性はそう簡単に変わらないのでしょうか。作物も立派な発明であり、遺伝子組み換え技術などなかった時代に品種改良を進め、身近にあった草木から農作物の品種を作り上げた祖先の偉大さを感じます。
 同じマメ科でも枝豆の適正pHは6-6.5です。日本では昔からpHの低い田んぼのあぜ道に植えられたり、あるいは世界で有数の消費量を誇る作物になっていることから、あまり土地を選ばずどこでも育つ作物であると考えられます。逆にある程度栽培しやすく、どこでも作れるので世界で主要な作物になり得たのでしょう。
 植物とpHの関係で興味深い話としてご存じの方も多いかもしれませんが、アジサイの花の色が土壌のpHによって変わるという現象があります。酸性になると土中のアルミニウムが溶け、植物に吸収され、アントシアニン系色素と結合して青色に発色します。逆に、アルカリ性では土中のアルミニウムが不溶化し、植物に吸収されないと、ピンク色となります。だから、土を酸性にすれば青い花になり、中性~弱アルカリ性の土壌ではピンクの花になるという仕組みのようです。
 このようにpHと植物の関係は奥が深く、作物の栽培に重要な条件です。皆生農園では、5つに分かれている畑ごとの特徴を把握して、作付けが行われています。当然私のように、芽が出てこないということはありません。昨年秋、エンドウはpHの高めの畑に種まきを行いました。そして写真のように立派に発芽しました。4月、5月になるとエンドウの収穫時期になります。お味噌汁などでいただくエンドウの歯ごたえと風味を味わうのが今から楽しみです。
(文責:塚田 創)
第224話 根絶の思想、共存の摂理(2)
2016年4月3日
 「人類は滅びても、ゴキブリは絶滅しないだろう」という話しを聞いたことがあります。多分そうかもしれません。熱帯地域を中心に世界では約4000種のゴキブリが棲息しているそうで、倉庫にストックしてある糠(ぬか)や畑の草むらでもよく見かけます。
 ところで、過去に目を向けると、なぜか人類は他の生き物をたくさん根絶させてきました。巨大な生き物のマンモスから目に見えない微生物にいたるまで、無数の種を地球から抹消してきたようです。天然痘を起こすウイルスも根絶させました。身近な小動物では、トキ、ニホンオオカミ、カワウソなどが日本からいなくなりました。かつてイワシは、獲れ過ぎて食べきれず、粉末化され肥料として農地にまかれました。それが今では、漁獲量が極端に減り、庶民の魚ではなくなりました。ニシンも、です。幼い頃、家の前の小川や水田の水路のあちこちで泳いでいたメダカが今では絶滅危惧種に指定されています。
 人間は、人間以外の動物だけでなく、人間自身も抹殺してきました。一族郎党を抹殺せず情けをかけて源頼朝を島流しにした平家は、後に壇ノ浦の海戦で、源氏によって根絶させられてしまいました。また秀吉は、思いもよらず秀頼を授かったことで、後継者の地位に就けていた弟・秀次とその家族や侍女、乳母ら39名全員を抹殺し秀次の血縁を根絶しました。このような凄惨な根絶が世界中で起きてきました。
 どうして人類は、根絶の思想を乗り越えられないのでしょうか。
 去年から農場関係者で月1回の勉強会を開いていますが、ある時「髪は週何回くらいシャンプーで洗いますか」と参加者に私は尋ねたことがあります。5名中3名が毎日で、1名が1日おきくらい、そして私が4日に1回程度という結果でした。
 このような清潔癖は自己矛盾を露呈しているように私には思えてなりません。そもそも私たちは自分の細胞の数よりも多くの微生物を体に住まわせ共生しながら生きています。肌を有害菌から守っているのは常在菌です。日に3回も送りこまれる食料が十分に消化吸収されるのも腸内細菌のお陰です。その大事な常在菌をシャンプーや石鹸で頻繁に洗い流してしまい、インフルエンザに罹ったくらいで抗生剤を飲み腸内細菌を殺ししてしまう。そんな日常行為が果たして健康的なのでしょうか。私から見れば、根絶の思想極まれり、です。
 私は農業を営みながら、世間の喧騒から離れた生活を送ってきました。かれこれ四半世紀にもなります。人間よりも、自然の中で生きる生物を見ることの方がはるかに多い日々でした。そこらか学んだことは、「自然界では、根絶という思想よりも、共存という摂理の方がはるかに優勢である」ということです。
 今後も一体どれほどの種を絶滅させたら、人間は、根絶の思想を抑制し、共生の摂理に従うのでしょうか。
 それとも、高度な知性を持った宿命なのでしょうか。
(文責:鴇田 三芳)
第225話 災害復興と農業
2016年4月10日
 今年も3月11日を迎え、東日本大震災が発生した2011年から5年がたちました。あの日、私は東京にいましたが、3月13日に福島県二本松市に行き、翌々日の15日には仙台市に入りました。車もあまり走っていない仙台の街を見て、「静かだな」という印象を最初に受けたのを覚えています。私の親戚も犠牲になった阪神大震災でも10日後に神戸の街を見ましたが、建物が崩壊し焼け焦げた臭いが残る中、被災者や支援者が道路にも溢れていて、まさに大災害後の混乱を実感しました。でも、仙台は人も車もまばらで、異常なほどの静けさでした。
 その静けさは、仙台市の穀倉地帯と言われる若林地区や、仙台市の隣の名取市や岩沼市の稲作地域において、さらに顕著なものでした。泥や流木に覆われた風景を見て本当に言葉がありませんでした。津波が一瞬にして広大な田畑を飲み込み、風に揺れる草木もない静けさだけが残されていました。まさに「田んぼが死んでいる」状況でした。田畑を一瞬にして失った農業者にとって、その精神的苦痛は計り知れないものであったと思います。
 1ヶ月ほどして、岩沼市で農業を営む友人に会うことができました。家は床下浸水で大きな被害は免れたようですが、田畑は津波の被害を受けていました。そんな中、友人は畑の一角で塩トマトを栽培し始めていました。土壌塩分の濃度が高いところでも栽培可能な塩トマトの栽培は、津波の被害を受けた地域の人たちにとって、暗闇を照らす一筋の光明となったと思います。
 また、岩手県の釜石市や大槌町でも、震災後すぐに各地の避難所で仲間とともに救援活動を実施しましたが、避難所での生活は時間とともに様々な問題が生じてきます。特に高齢者にとって、日中の時間をいかに過ごすか、心の健康管理の観点からも大きな問題でした。
 この問題に素晴らしい解決策を示してくれたのが、地元の農業高校の元校長先生でした。使用済みの肥料袋に土を詰め、ナスやトマトの苗を植え付けて、避難所で配布したのです。この思いがけない小さな緑の贈り物に、震災前から野菜を育てていた高齢者はもとより、若い人たちも大変喜んでいました。津波とともに希望を失いかけていた人たちが、日々植物が育つのを見ることは、まさに明日への希望を与えられた思いだったのでしょう。
 東日本大震災後の救援・復旧・復興の過程で多くのことを学ぶことができました。今後の災害発生に備える対策を考えるとき、避難所の生活を可能な限り改善および短縮することが求められています。その対応策の一つとして、ドイツで200年の歴史を持つ「クラインガルテン」が大きなヒントとなると思います。都市部の郊外に農園と宿泊施設を備えた施設を作り、週末は家族で野菜栽培を楽しむとともに、地域の交流の場とする。すでに全国で普及しつつありますが、さらに休耕田などを活用して施設を増やし、大災害時の避難所としての機能を付加させた施設にしておけば、仮設住宅の入居を待つまでの間、避難所での苦難も軽減されるはずです。
 また、その対象施設として、各地で廃校になった学校を活用することも可能でしょう。学校には広い校庭があります。その校庭を市民農園として市民に提供すれば、地域コミュニティの維持につながります。災害時には廃校そのものが避難所となり、校庭の菜園は大いに役立つはずです。野菜が避難者に対する食料になるだけなく、野菜を育てることによって気持ちの平穏を取り戻せることが期待できるのです。実際に市川市の廃校になった高校の校庭が菜園になりつつあります。
 このように、災害対策に農業の視点を入れることの必要性を、東日本大震災から5年目を迎えた今、改めて強く感じています。
(文責:大塚 正明)
第226話 根絶の思想、共存の摂理(3)
2016年4月17日
 サラリーマンの妻の趣味はガーデニングで、右の写真のように今、自宅の狭い庭も花盛りです。その中に、苺が白い小さな花をたくさん咲かせています。私が3年前に2株植えたものが、ランナーを四方八方に伸ばし、今では数十株にもなり、他の花々と美しさを競っているようです。去年は、初めて実を着け、虫たちと分けあったものの、20粒ほど食べられました。特に肥料を入れていない庭なので、1株に5、6粒くらいしか着きませんが、完熟のとっても甘い苺を食べると、ささやかな幸福を感じます。
 ここで、一つの実験をしてみました。右の写真内の左下にあるプランターに苺の苗を植え替え土には肥料を入れました。草もきれいに除いてあるので、苺の苗が肥料も水も光も独占しています。
 すると、やはり予想どおりの結果が出ました。たくさんの草花が所せましとひしめき合い肥料と水と光を分けあっている所の苺にはアブラ虫がいっさい付いていませんが、すぐ横に置いてあったプランターの苺の苗にはアブラ虫がびっしり。
 畑では、適度な雨量と暖かさで、各種の野菜がすくすく育っています。左の写真は、3月中旬から芽を出した韮の様子です。この韮は、昨年6月に植えた苗が9月に「アカサビ病」で地上部が全滅したものです。研修生は「もうだめか」とがっかりしていました。
 しかし、アカサビ菌は、葉をすべて枯らしたものの、根までは枯らせませんでした。あるいは、アカサビ菌は、もし韮を根絶してしまえば、自らの生きる糧を失くしてしまうので、根までは枯らさなかったのかもしれません。
 最後は、セイタカアワダチソウの話です。アメリカから渡ってきた、この草は非常に生命力があります。タンポポのように種を風で飛ばすだけでなく地下茎を周囲に伸ばし、みるみる他の野草を圧倒してきました。さらに、根から他の植物の根を枯らす物質を分泌し、まさに他の植物を根絶してきました。
 ところが、そのセイタカアワダチソウが近年少しずつ減ってきたように見受けます。
 かつて、植物生態学者の沼田真先生(千葉大学長・故人)は「いずれセイタカアワダチソウは自らの根が出す毒によって自滅していくだろう」とおっしゃっていました。今から30数年ほど前の授業での話でした。
(文責:鴇田 三芳)
第227話 作物と土壌のpHについて(2)-生体膜-
2016年4月24日
 前回は作物とpHの関係について、なぜ種類によって適正pHが違うのかということについて考えました。種類による適正pHの違いは生まれ故郷の違いであるということでした。これは答えになっているような、いないような、しっくりこないところがあり、もう少し考察してみたく思います。
 まず一つの理由としてpHによって、土壌中の元素が溶けやすくなったり、溶けにくくなったりすること、それに対する植物の反応の差が挙げられます。今回、深く考察してみたいこととして水素イオンと物質の取り込みの関係について述べたいと思います。このことを探っていくとどうしても生物学、植物生理学に足を踏み入れることになります。
 全ての生物の個体は、命の安定状態を保つために日々自分の内部と外界との情報や物質のやり取りをしています。外界とのやり取りは自分と外界を隔てる細胞膜を通じて行われます。したがって細胞膜がどのように外界と自分の間のやり取りを行っているかを知る必要があります。細胞膜は油でできています。自分と外界は油の膜で隔離されているわけです。その油膜に色々な物(タンパク質や糖)が埋め込まれています。そして膜を通じた輸送方法には大きく2つの種類があります。一つはエネルギーを使わないで起こる輸送(受動輸送)、これは細胞の内、外の濃度差によってそのまま輸送される方式(拡散)です。例としては水の輸送、また脂溶性の物質があげられます。もう一つは、エネルギーを使って行う輸送で(能動輸送)、これはあえてエネルギーを使って、輸送を行うものです。例としてはアミノ酸、糖、イオンなどの電気を帯びた物質の輸送があります。生物の生物たる所以は自ら取捨選択して物質を取り込んだり、排出している点にあるので、後者に生物の大きな特徴があるように思います。
 植物にとって、重要な栄養素に窒素があります。窒素はタンパク質の構成要素であり、植物の体の乾燥重量当たりの重さは3%を占めます。その窒素は主にアンモニアイオン、硝酸イオンの形で体内に取り込まれます。これらは輸送の2つのパターンで後者、エネルギーを使って取り込まれています。畑での主な窒素の形態である硝酸の取り組みの仕組みについては、水素イオンの細胞内外の濃度を変えることで細胞内外に電位差を生じさせ、水素イオンとくっついた硝酸イオンを取り込むというのが硝酸の取り込み機構となります。その他の多くの物質も水素イオンの濃度勾配を利用して取り込まれるようです。
 また生物の呼吸や光合成でのエネルギー(ATP)生産にはやはり水素イオンが重要な役割をしています。水素イオンの濃度勾配を自分(膜)の内と外でつくりだし、外から内への水素の流れ込みのエネルギーを用いてエネルギー(ATP)を作り出しています。ちなみに呼吸で作られるATPの90%以上はこの水素イオン濃度の勾配を利用して作られています。
 以上のように生物は水素イオンを膜輸送やエネルギー生産の際に活用していて、外界の水素イオン濃度は膜の輸送活動に影響を与えているため、外界の水素イオン濃度は生物(作物)にとって大切な要素である、ということです。
 前回pHの高めを好む作物としてほうれん草やエンドウをあげました。pHが1違うと、水素イオン濃度は10倍違います。土壌の酸性が強いほど水素イオンは多く、アルカリ性になるほど少なくなります。ほうれん草やエンドウは外界の水素イオン濃度が低い条件を好むということです。ここからは想像ですが、これらの植物では外界の水素イオン濃度が高いと膜での水素イオン輸送に何らかの支障をきたし、細胞内外の電位差をうまく作れないために物質の輸送がうまくいかないのではないかと考えられます。逆に茶など酸性土壌を好む植物は外界の水素イオン濃度が高くても水素イオンを外へ押し出す力が強く、濃度勾配を作り出せるのかもしれません。
 私は以前、土の含水率を測定したことがあるのですが、からからに見えても30%程度の含水率がありました。おそらく通常の湿った状態だと60%程度はあるものと思われます。水は水素2個、酸素1個の化合物ですから、水素は最も身近にたくさんある元素です。また植物の体も原子の数でいえば、水素が最も多く乾物ベースで約47%を占めますので湿重ベースでいうとほぼ水素といってもいいかもしれません(植物の含水率は70%程度)。細胞内外で電位差を発生させるために最も身近で普遍的な水素イオンを利用することが最も理に適っていたことは容易に想像できます。しかも構造も単純で陽子1個でできているわけですから、そのやり取りを行う仕組みも他の物質を使用するよりも簡単にできると想像できます。
 以上をまとめますと、自然界に普遍的に存在する水素イオンは各種物質の取り込みやエネルギー生産に関わっているため、環境中の水素イオン濃度は植物にとって重要な因子である。種類による適正pHの違いは外界の水素イオン濃度に対する物質吸収特性等の反応の差、ということができるかもしれません。畑作業をしながら、さらに深く追及していきたいと思います。
(文責:塚田 創)
第228話 死して、なお尽くす
2016年5月1日
 皆生農園のある白井市は、都内にアクセスする北総鉄道沿いは都市化されていますが、中心街から車で5分も走れば昔ながらの農村風景が残っています。森や林もいたるところにあり、野生動物をよく見かけます。夜中に車を走らせると、タヌキや野ウサギなどにも出会います。そして、悲しいことに、夜行性のタヌキは、車のライトに幻惑され、たびたび車の犠牲になってしまいます。
 3月の中旬にも、農場の近くの道路で立て続けに2匹のタヌキが車に引かれて亡くなりました。死亡した場所がほとんど同じであったので、もしかすると家族かもしれません。1匹目は誰かがすぐに片付けましたが、2匹目はたちどころにカラスの群れに食べられ、写真のように尻尾以外はまったく原型をとどめてなくなってしまいました。写真を撮影した後も、10匹ちかくのカラスが舞い戻り肉を引きちぎっていました。
 私の祖父は、長く喘息(ぜんそく)に悩まされ、働かず家で療養していました。その祖父は、私と一緒に相撲を見ている時に、激しい発作が原因で亡くなってしまいました。小学校の最後の日、つまり卒業式が祖父の告別式でした。卒業式が終わると走って家に帰り、祖父を埋葬する葬列に加わりました。葬列は、墓地の近くの広場で3回転半回り、祖父を棺ごと墓地に埋めました。いわるゆ「土葬」です。祖父の肉体は、ゆっくりと土の中で分解し、他の生き物の命を育んでいきました。
 ところが、ある時期から日本では、衛生上の理由からか土葬が禁止され、火葬され灰にされ骨壺に入れられ墓石の下に保管されるようになりました。死んでもなお、何の役にも立たず、火葬でただ空気を汚すだけです。
 それだけならまだしも、私たち高齢者は戦後の自由と豊かさを十分に享受し、その揚げ句に若者や将来生まれてくる人たちに膨大なツケを残そうとしています。
(文責:鴇田 三芳)
第229話 いのちをつなげる
2016年5月8日
 写真のように、越冬ブロッコリーが満開です。3月中旬に頂花蕾(ちょうからい:一般に売られているブロッコリー)を収穫した後も、次々に脇芽のブロッコリーが出てきて収穫しきれず、花盛りになってしまいました。収穫されても採られても、湧き出てくる脇芽を見ていると、必死に子孫を残そうとする生命力を感じます。
 先月4日、この季節としては非常に強い寒気が関東地方以北を襲いました。早朝の畑は霜で一面真っ白でした。この日の白井市の最低気温は日本気象協会によると3.2℃でしたが、このデータは地上1.5mの位置で測定したもので、それも恐らく市街地での値でしょう。同じ市内でも、皆生農園の農場は都市部から離れた田舎にあるため、かなり冷えます。実際この日、畑の地表付近ではマイナス5.2℃まで下がりました。真冬並みの気温です。前述の気象協会の公表した値よりも8℃以上も低いことになります。
 毎年この頃は、程度の差こそあれ、季節外れの寒気が南下し遅霜が降りるので、前日に可能なところは全て対策しておきました。しかしそれでも、芽の出たばかりのジャガ芋の一部に被害が出てしまいました。
 被害の1週間後、芽が枯れてしまった芋を掘り起こすと、どれも写真のように子芋が数個ついていました。親芋(種芋)が早死にしそうになり、確実に子孫を残そうと早々に子芋をつけたのかもしれません。
 皆生農園のある白井市は梨の栽培が有名ですが、バブル経済が崩壊した1990年代から梨の需要と価格が減り続け、ほとんどの梨農家はまともに利益が出ない状態が続いてきたと聞いています。そのため近年、市街化区域内にある梨農家は次々に梨園をつぶし宅地化し、住宅街があちこちにできました。営々と手を加えられてきた梨の木も、人の命をつなげるために、その命を断ち切られてしまいました。
 何か、人の世の縮図を見るような気がします。
(文責:鴇田 三芳)
第230話 死は怖いものなのか?
2016年5月15日
 恐らく、私も含め多くの人にとって死はとても怖いことであると思います。普段我々が考えている死というのは、病気等でだんだん体が衰弱し、心臓が停止、2度と自分というものを意識できなくなる状態になること、という感じではないかと思います。そもそも私が私と思っているものは脳の中で作り出されている自我であると思われます。これが死によって2度と私を認識できなくなるということです。
 生物的には私は60兆個の細胞でできており、それらがそれぞれの機能を果たし、私を形作っています。その細胞達にも寿命があり、一番短い小腸の表皮細胞は1日で入れ替わるようです。細胞達の死によって、私は維持されているとも言えるわけです。脳の神経細胞はあまり分裂しないようですが、これが自我「私」の源としても、物質レベルで見れば、各種の反応が活発に起こり、短い周期で入れ替わっていると思われます。私は毎日約1kgの食事をとり、1リットル強の水を摂取し、体重が70kg弱でほぼ一定ですので、計算上は約1か月で自分を形作る物質は入れ替わることになります。自分というものは細胞や物質レベルで見れば、比較的短い時間で入れ替わっているということです。私達が日々、生命を維持するために口にするものは水や食塩を除けば、ほぼ他の生物です。他の生物は自らの命を私に捧げてくれ、私は命をつなぐことができ、自我「私」を持ち、生きている実感が持てている訳です。私が日々口にする食事、水、空気はほとんど偶然に取り込まれたものです。例えば昨日定食屋でかつ丼か、はたまたラーメンかと迷い、ラーメンを食べることを選んだ私はかつ丼を食べていたであろう私とは、物質的には若干異なる私であったわけです。
 生命の歴史を見れば、今までに生存した生物個体のほぼ100%が現在は死んでいて、ほんのごく一部が現在を生きています。あるいは生物の種として今まで出現した種の恐らく大半は絶滅していて、現在生存している種はごく一握りと思われます。これまで生きてきた生物個体、生物種が皆生存していれば、地球はパンクしてしまうでしょう。我々が主要なエネルギー源として使用している石炭、石油といった化石燃料はみな生物の死骸です。このように、現在を生きる私は多くの死を前提に成り立っていると考えられます。
 このように見てきますと、私は偶然に次ぐ偶然で今生きていることを実感できるのであり、物質的にはなんら不変的で確固たるものではないように思えます。そして死というものは身近で当たり前のものであり、そんなに怖いものではないのではないかと思えてきます。むしろ死に至る過程の苦しみや家族との別れの辛さを恐れているということの方が大きいのかもしれません。これはなるようにしかならないというか、生きている実感を持って生きられたことへの報いとして甘んじて受け入れるしかないのではないでしょうか。
 いつ死が訪れるかは全く分かりません。多くの死、多くの生によって支えられていることに感謝をしながら、自我「私」がある限り、日々を一生懸命生きていくことだけだなぁ、と思うのであります。これがなかなか難しいことなのですが。ただ自我「私」が死んで、生物的な私は生きている時はどうすればよいのか?これはよくわからないのですが、そうなった時は多分何かに身をゆだねるだけでしょう。若輩者の戯言でした。
(文責:塚田 創)
第231話 強い味方、テントウ虫
2016年5月22日
 「厄介な害虫は何ですか?」と問われれば、私は迷わずアブラ虫、ヨトウ虫、それにネコブ線虫をあげます。農薬を使う農家であれば、これらの害虫は特に問題になりませんが、・・・・・・・・・。なかでも、私どもの場合、被害がもっとも出やすいのがアブラ虫です。必要な対策をしても、春と秋はある程度の被害を覚悟しなければなりません。
 そして今春も。特に被害が大きかったのがサニーレタスです。昨日は、研修生とボランティアとともに、収穫を全くしていないサニーレタス1畝(うね)を廃棄しました。株数で300株ほど、金額に換算すれば5万円弱になります。自分ひとりで片付けるには空しすぎて、3名でやりました。
 農家にとって厄介きわまるアブラ虫でも、自然はよくできたもので、強力な天敵がたくさんいます。私どもの農場でよく見かけるものは、ヒラタアブ、アバラバチ、クサカゲロウ、テントウ虫の4種類です。前の2種類は幼虫が、後者は幼虫も成虫もアブラ虫を餌にしています。前述のサニーレタスの畝は防虫ネットが張ってあったものの、どこからか忍び込んだテントウ虫がウヨウヨしていました。サニーレタスの損失を補う上でも、それらのテントウ虫を捕まえて、ピーマンを植える区画の横に放ちました。毎年こうしてピーマンのアブラ虫対策をしてきました。
 数日前、写真のように、農場の一角に生えていた草にテントウ虫が群がっていました。葉が縮れている部分にはアブラ虫がたくさん寄生しています。こんな狭いところに何匹ものテントウ虫が群がっているということは、春先にはいたる所にいたアブラ虫が天敵にほぼ制圧されたということです。
 また、空豆にアブラ虫が群がっている所では、写真のように、テントウ虫がしっかり交尾していました。この近くに産卵することでしょう。テントウ虫はどうやってアブラ虫を見つけるのか本当に不思議です。
 このように、アブラ虫などの害虫の天敵が効果的に活躍してもらうには、それなりの対策をしておかなければなりません。写真のように、野菜を栽培する場所は常にきれいに保ち、その周囲は害虫が寄生する草をそこそこ生やしておきます。この「そこそこ」がとても重要になります。そして今頃は、天敵がアブラ虫をほぼ制圧し終えるので、その近くに野菜を植えます。もちろん、念のために、野菜には防虫ネットをきちんと張っておきます。
 自然の力に、自然の摂理に逆らわず、それらをより有効に活用しなければ、無農薬栽培は非常に苦労します。
(文責:鴇田 三芳)
第232話 投資の減退
2016年5月30日
 政府は異例の金融緩和を続けています。他人にお金を貸すと、利子をもらえるどころか、逆にお金を取られるような政策が、貨幣経済が浸透して以降、一度たりともなかったように思います。何かこの政策は、有史以来はじめての人口の自然減に似ていませんか。
 政府は民間企業に対して、「この金融緩和によって資金を調達しやすくなったのだから、どんどん設備投資をしてくれ」とはっぱをかけています。しかし現実は、「笛吹けど踊らず」といった状況が続いています。どうも政府は、戦後の廃墟から奇跡の経済復興を遂げた成功体験がいまだに忘れられないのでしょうか。
 時代は激変してしつつあります。産業革命をはるかに超えた激変かもしれません。もはや過去の延長線上に未来は拓けず、過去の経験や行動・思考パターンでは、この激変を乗り切れないでしょう。
 そんな時代状況にあって、いったい何に投資をしたら良いのか、大方の企業家は躊躇しているのではないでしょうか。実際、あっというまに過剰投資になってしまった中国を引き合いに出すまでもなく、投資の減退は世界規模で進んでいます。そのため、世界的な金融緩和政策によって溢れ返った資金は、企業の生産活動に投資されるどころか、土地や建物などの不動産、石油などの天然資源、あるいは為替や株式などの金融市場へ投機されるばかりです。
 私が身を置く農業分野では、かれこれ30年以上も前に投資の減退が始まっていました。日本の農業において設備投資と言えば、おもに機械と施設です。機械は、トラクター、田植え機、コンバイン、貨物車両などです。これらのほとんどが既に買い替え需要しかありません。新規就農者がきわめて少ないからです。その買い替え需要さえ、子どもの代が農業を継がないケースが大部分で、微々たるものです。 施設も同様で、ハウス建設ももう頭打ちです。2年前の大雪で、関東甲信越でたくさんのハウスが倒壊し、補助金が付いたこともあって、昨年は建設ブームに沸きました。しかし、これは一過性の需要です。そもそも農家にとって、ハウス栽培の経済的利点はもはや過去のものになってしまいました。その一例がトマト栽培です。トマト栽培のほぼ100%はハウス栽培ですが、石油で暖房して寒い時期に出荷しても、昔のような高値はもうつきません。出荷金額でトップ野菜のトマトでそのような状況ですから、他の野菜は推して知るべし、です。
 こんな状況が続くのに、大きなリスクをとって投資する農家が一体どれほどいるでしょうか。
(文責:鴇田 三芳)
第233話 麦秋の風の中で
2016年6月5日
 6月3日。麦秋(ばくしゅう)の季節になりました。この時期としては珍しい、北寄りの乾燥した風が吹いていました。からりと晴れあがり、初夏というよりも中秋を思わせ、まさに麦秋にふさわしい大空が広がっていました。
 そんな日和(ひより)の中、写真のように、梅雨入り前のさわやかな風に麦の穂がそよいでいました。日本の農村でよく見かけるように、この一帯も放棄地だらけです。その一帯にぽっかりと麦畑があります。私が育った田舎を彷彿(ほうふつ)とさせる風景に心が癒されました。
 ここは、地元の高齢の篤農家(とくのうか:農業に熱心で研究的な人)が栽培し、都市住民のNPO法人の皆さんが昔ながらの手刈りで収穫しています。収益目的ではなく、放棄地対策なのでしょう。
 ちょうど同じ日、野菜の納品で佐倉市に行く途中、麦畑が目に入りました。50坪ほどの面積なので、ここも収益目的でないことがはっきりしています。その一角で、軽度の知的障害者と思しき人々が働いていました。印西市にある「いんば学舎・オソロク倶楽部」の皆さんです。かつて私が印西市で経営していた「(有)三自楽農園」で週2回、草取りや畑の片付けなどを手伝ってくださった皆さんです。
 私の行動範囲では、この他に1か所の麦畑があるだけです。
 敗戦後、かつての敵国・アメリカは実にたくさんのものを日本に持ち込みました。自由、民主主義、女性の参政権、巨大財閥の解体、教育の民主化、労働組合の強化、農地解放、・・・・・・・・。そして、パン。栄養改善という目的で、日本全国に学校給食が普及していく流れにのって、パン食はみるみる米食を圧倒するようになりました。
 そして、いつの頃からか、パンの材料である小麦の自給率が激減し、輸入に大きく依存するようになってしまいました。上述のように、今や麦畑が珍しい存在になっています。
 もはや「麦秋」などという季語は忘れさられようとしています。
 自由経済が順当に機能している時代は良いのですが、全世界を揺るがすような何かの原因で小麦などの穀物が戦略物資と化した時、はたして日本人はこんなにもたくさんのパンを食べられるのでしょうか。
(文責:鴇田 三芳)
第234話 アブラムシとテントウムシ
2016年6月12日
 農園において一大害虫の一つであるアブラムシ。作業の多くの時間をアブラムシ対策につやしています。一言でアブラムシといっても緑色のもの、黒いもの、黄色いもの等様々な種類がいいます。アブラムシの多くの種は、環境条件に応じてこの単為生殖(メスのみで増殖)と有性生殖(オスとメスの交配による増殖)を切り換えることができます。春から秋にかけてメスのみで増殖し(卵ではなく、仔を産む)、ある種類の繁殖力を調べた研究によれば、10日前後で成虫となり、寿命も約40日と短いが、その一生を終えるまでに90匹もの子を産んだといいます。アブラムシ1匹で、1か月では18293匹にまで増えることができる計算となるようです。単為生殖世代では、羽根のない個体として増殖しますが、個体数が増えすぎて成育環境が悪化すると、羽根の生えた個体を生じ、飛行して移動し、そこで単為生殖を再開します。越冬する直前に雄が現れ、メスと交尾をして卵を産み、越冬します。このようにアブラムシは、環境の変化に応じて変幻自在にさまざまな表現型の個体を産出する能力を持ちます。
 今までただの害虫としてしか見ていなかった彼らに奥深い生態があることを知り、自然界の偉大さを感じる次第です。彼らへの疑問は次々に湧いてきます。何種類くらいいるのか、色の違いは何を意味するのか、1日にどのくらいの樹液を吸うのか、1日にどの程度移動するのか等々。これからは彼らを作物で見つけても処分できなくなりそうです。そこは農作物の出来不出来にかかってきますから切り離して作業しなくてはなりませんが・・・・・・・。
 ところで、畑で作業をしているとしばしば見かけるナナホシテントウムシに癒されます。かわいげな外見で人々を癒してくれますが、彼らはアブラムシを食べる肉食性です。農園ではアブラムシ対策としてテントウムシを集め、アブラムシが多い場所に放っています。果たしてその効果がどれほどのものであるのか、彼らがどのくらいのアブラムシを食べるのか疑問に思い、調べてみました。そうすると過去に発表された論文がありました*。きっと数えるのは大変だったことと思います。頭が下がります。まず彼らの成長過程ですが、成虫は一度に10から40個の卵を産み、卵→幼虫→蛹→成虫といった過程で成長します。幼虫期は4つのステージに分かれ、卵から幼虫を経て蛹になるのに15日間要するようです。
 以下の表がそれぞれのステージの日数、1日のアブラムシ捕食数、トータルの捕食数を表します(*より引用)。

 1日の捕食数     全捕食数   
 1令虫    3.7日   約1匹 4.95匹
2令虫 2.56日 約4匹 9.6匹
3令虫 3.36日 約8匹 27.15匹
4令虫 5.38日 約18匹 100.22匹
成虫 約40日 約20匹 700-800匹
  (*よりデータを引用し表を作成。)

 このようにナナホシテントウムシは一生涯に1000匹のアブラムシを捕食するようです。寿命が50~60日ということで約2か月の一生の中で、平均して毎日20匹あまりのアブラムシを捕食する計算になります。アブラムシが群れをなしているところを見ると1匹放ったところで、1日20匹しか食べないのであれば除虫効果は知れている気がしますが、生涯に1000匹食べるとなるとそれなりの効果があるようにも思います。
 農園で関わる生物の全てにそれぞれのストーリーがあります。本当に知らないことだらけで学ぶことは無限です。
(*)三浦 正・西村 繁(1980)テントウムシの発育と捕食活動 島根大農研報14:144-148
(文責:塚田 創)
第235話 売る側の都合、買う側の都合
2016年6月19日
 今から10年ほど前、私が主催していた「有機農業の短期研修」に千葉県野田市から一人の青年も参加されました。新規就農して間もない方で、某大手ポテトチップス・メーカー用のジャガ芋をおもに生産しているとのことでした。話しをいろいろ聞いて、「やっぱり」と思ってしまいました。それは、ポテトチップスを製造しやすいように、形とサイズが厳格に決められていて、それ以外は一切買ってくれず、加えて納品日と納品量も指定されているとのことでした。その分もちろん、市場に出荷するよりもわずかに高く買ってくれ価格も一定に保たれているので、豊作貧乏にはならないで済むそうです。しかし、余ったジャガ芋の販売に困っているとも付言していました。まさに、買い手の都合が優先されているケースで、社会の縮図を見るような気がし、いたく納得してしまいました。
 このような例は本当にたくさんあります。某MSハンバーガー・チェーンとトマトを契約栽培している農家から、やはりトマトの大きさと形の規格が厳しく制限されていと以前聞いたことがあります。
 もっと身近で頻繁にある例では、強風で皮がこすれた茄子、乾燥や高低温などで曲がってしまった胡瓜やいんげん、二股三股になった大根や人参、害虫に外皮が喰われてしまったキャベツや白菜などなど、一般の流通ルートで売ろうとしても、買ってもらえません。生産者の立場を少しは理解しているだろうと思われている生協も、これらの農産物は基本的に除外しています。まさに買い手の都合が優先され、実に多くの野菜が無駄に捨てられています。
 これらの商慣習の一方で、逆に売り手の都合が強く優先されていることもあります。例えば人参や大根がわかりやすいでしょう。某大手種苗メーカーT社は相当なヒット商品を開発していて、私も使用している種の4割くらいはここのものです。この会社が、確か1980年代の後半に広く流通させた「青首大根」と「KY人参」は市場を一気に席巻しました。前者は、生産しやすく形が揃い、機械でゴロゴロ洗っても傷ついたり割れることはありません。野菜を売る側にとっては打ってつけの特性を有しています。後者も似たようなもので、とても硬くてやはり機械でガラガラ洗っても割れません。すでに1990年代にはこれらが一般的になってしまったために、これらよりも美味しく栄養がある品種を大部分の消費者は知りません。買う側の希望や都合は黙殺されてしまいました。
 最後に、私がかねてから疑問を抱く、あるいは矛盾を感じていると表現してもいいのですが、そのことに触れます。それはスーパー・マーケットです。スーパーは、農家から農産物を仕入れる時、できるだけ安く納品させようと農家に迫ります。その一方で、販売する時も自分たちの都合で値決めしています。今時、スーパーのレジで「少し安くまけてくれないか」と言うお客はいないでしょうし、言ったところで相手にされません。しかし、昔は八百屋でそんな会話が当たり前だったのです。スーパーは、買う側でもあり売る側でもあり、そのどちらの立場にあっても価格の決定権を握っています。まさに自分たちの都合を強く優先させている業界です。
 この「スーパー」を「トヨタ」に置き換えてみてください。あるいは「国」や「地方自治体」と置き換えても構いません。そうすると、社会に広く浸透している根本的な構図と、そこに潜む根深い矛盾がはっきり見えてきます。
(文責:鴇田 三芳)
第236話 尊厳
2016年6月26日
 「尊厳とはどういうことですか? 尊厳が守られているとはどういう状態のことですか?」などと問われて、さっと分かりやすく答えるのは簡単ではないでしょう。それは多分、大多数の日本人が、まじめに働いていれば生きていけるため、日々の生活の中で「尊厳は?」と改めて問う必要がないからかもしれません。
 今話は、前話「買う側の都合、売る側の都合」の続きで、尊厳について私なりの思うところを述べようと思います。
 そもそも、「尊厳」という概念を人類が抱くようになったのは、そう古いことではないでしょう。明治以前の日本では、身分制度が厳然とあり、個人の尊厳が一般化しにくい社会でした。もしかすると、そんな概念さえなかったのかもしれません。事と次第によっては、「無礼者めが!」と武士が庶民を簡単に切り捨てられた時代です。
 誰でも自己の尊厳を主張できるようになったのは、太平洋戦争に敗れてからです。
 しかしそれでも、「個人の尊厳がその後も十分に守られているとは言えない」、そう私は思っています。例えば、前話であげた「トヨタ」。下請会社から部品を買う時も、お客に車を売る時も、巨大企業トヨタが価格決定権を握っていて、他社や他者を明らかにトヨタの決定に追従するしかありません。トヨタ本体が何兆円もの営業利益を上げ自社の社員にボーナスを大盤振る舞いすることはあっても、底辺の中小企業では明日をも知れない経営が続いています。「トヨタの膨大な利益を価格値引きに還元してくれ」とお客が言っても無駄な抵抗になってしまいます。そこには、トヨタという巨大企業を頂点とするピラミッド構造が厳然と存在しています。
 このトヨタに代表される経済活動の中に個人の尊厳がどれほど守られているか私は疑問を抱いています。尊厳への抑圧も見えてしまいます。経済的な力関係が、そのまま人間関係の上下関係へと置き換えられ、下位の者がいくら努力してもその関係が容易に改善されることはありません。ひとたび正社員から落ちこぼれ非正規労働者になったら、本人の希望に関係なくその立場・地位が固定化してしまいます。
 こんな労働環境が「現代版身分制度」のように私には思えてなりません。合法であっても、「個人の尊厳」という視点から見ると、深い疑問を感じざるをえません。
 こんな社会現象を斜めから眺めていると、尊厳の姿がおぼろげに見えてきます。哲学的な難解用語を避け、平易な言葉で表すと、「誰もが対等で、誰でも自分のしたいことを最終的には自分で決められること」と私は思うのですが・・・・・・・・。
(文責:鴇田 三芳)
第237話 ペットの餌
2016年7月3日
 私はペットの餌も生産しています。正確に言うと、お客様がペット用に野菜を買っていかれるのです。知る範囲で、今までにペットは4種類。ウサギが2例、カメ、アゲハ蝶、モンシロ蝶がそれぞれ1例です。去年からは、動物病院に入退院を繰り返しているウサギ「もも」ちゃんが常連客です。余談ですが、この名前はミヒャエル・エンデ氏の童話「もも」からとったものだそうです。
 私は毎年、大葉(シソの葉)を生産し、いくつかのスーパーに出荷しています。通常、大葉はたくさん売れる野菜ではないのですが、なぜか去年からあるスーパーの直売コーナーに出荷した大葉がよく売れ始めました。後に分かったのですが、ウサギのももちゃんのためにYさんが買っていかれたのでした。
 家庭菜園などで大葉を栽培したことのある人ならよくお分かりでしょうが、大葉は害虫の被害をとても受けやすく、一般に売られているものには大量の農薬がかけられています。そもそも、大葉は食べるためというよりは、単なる添え物として生産されているからです。パセリも同じです。
 そのような農薬事情があってか、私のところの無農薬栽培の大葉をよく食べるそうです。ウサギは嗅覚がかなり発達しているからかもしれません。大葉のない季節は、ブロッコリーの葉や人参の葉をYさんは買っていかれます。ときどき、「今日ブロッコリーの葉を頂けませんか」と切迫した電話を頂くこともあります。我が家でも、特殊な流動食しか食べられない病弱な猫「救(きゅう)」ちゃんを飼っているので、Yさんの切実さは手に取るようにわかります。
 今から10年ほど前になりますが、ある小学校の理科の授業でアゲハ蝶が幼虫から蛹(さなぎ)、そして成虫になるまでの様子を観察しようと、学校に近所の農家から人参の葉を頂いてきて食べさせたところ、たちどころに死んでしまったそうです。そこで、インターネットで私のことを調べ、人参の葉を買いに来られました。そして、2度目は見事に成虫まで育ったそうです。
 左の写真は近所の農家が最近セロリの苗を植えたところの写真です。株元にまかれた白い粉は、浸透性殺虫剤です。この農薬は、雨で地面に溶け込み野菜の根から吸収され、その野菜を食べた害虫を殺す、という一般的な農薬です。もちろん、その農薬は洗っても調理をしても野菜からほとんど出ていきません。4月から夏かけて出回る人参にはこの浸透性殺虫剤がよく使われるので、上記のようにアゲハ蝶が死んでも何の不思議ではありません。秋から冬に出回るキャベツやブロッコリーにもこの農薬はよく使われます。皆生農園のある地域では、白菜にはほぼ確実に使われるようです。
 何も語らない小動物がこんな野菜の危険性を教えているようです。
(文責:鴇田 三芳)
第238話 おいしさの価値
2016年7月10日
 おいしさには価値があります。しかしそれは、個人差はもとより、家庭、経済状況、世代、地域、国、さらには時代によって変わります。
 先日、バングラデシュのダッカで7人の日本人を含む23人が殺害されました。その惨劇の舞台となったレストランでは、昼間はパン屋として賑(にぎ)わっていたそうです。
 日本でも「おいしい」と評判の手作りパン屋がいたるところにあります。パンを単純にカロリー源として考えたら、割高な手作りパンではなく、1斤100円以下の食パンで十分です。まさに手作りパンには、おいしさの価値に対価を支払っているのです。
 この行為は、ほとんどの食品に及んでいます。野菜も例外ではありません。長年にわたり直売してきた私の印象として、安全性よりも、どちらかと言えば「安さ」と「おいしさ」を求める消費者が多いように見受けます。とりわけ、「おいしさ」イコール「甘さ」と感じている人たちが圧倒的多数です。
 その関係で、野菜を生産する場合いかに甘味をのせるか苦労します。甘味を過度に追求すると、だいたい失敗するリスクが高まり、手間と費用が増し、土地の面積当たりの収入が減り、当然の結果として収益性が悪くなりがちです。それは多分、残念ながら野菜の場合、上記の手作りパンほど「おいしさ」の価値を消費者が高く見ていないからでしょう。
 この点が、昔から私にとっては、非常に悩ましい現実です。単純に甘いものをおいしいと感じるのではなく、もっと深みのある味もおいしいと感じる人が増えてほしいと願ってきましたが、・・・・・・・・・・。
 その一方で近年、健康上の理由から、糖質の摂取制限や甘いものを控える人たちが増えてきたようです。しかし察するに、彼らは極めてマイナーな存在でしかなく、今でも大勢は甘いものに目がありません。現実には、手作りの和食が家庭からどんどん消え失せ、外食や工場生産食品の味に慣らされる中で味覚の単純化が進み、おいしさの価値が偏極化しつつあるのではないだろうか。・・・・・・・・・・。
 ダッカからの訃報を耳にした時、ふっとこんなことが脳裏をかすめました。
(文責:鴇田 三芳)
第239話 カラス
2016年7月17日
 カラスはとても賢い動物です。「鳥類の中の霊長類」と言われるほどです。その賢さゆえか、ごみを散らかしたり人を攻撃したりと、街中や住宅地ではとかく嫌われ者です。農村地帯でも、やはり迷惑者と思われています。左の写真はカラスにキュウリを食い荒らされた現場です。被害が出た直後に、カラスが警戒する水糸を張ったので、その後は喰われなくなりましたが、今年はナスやトマトも少し喰われてしまいました。数年前、「明日は露地トマトの初どりだ」と喜んで帰宅したら、翌朝カラスの群れに熟したトマトをすべて食べ尽されたことがあります。頭にくるやら脱帽するやら。野菜の食べ頃を実によく知っています。
 そんなカラスでも、よくよく観察すると、妙に近親感を抱かせます。
 カラスは、基本的に単独か数匹の群れで生きています。それでも、春先と晩秋だけは必ず群れを作り、大空を舞っています。多分、春先の群れは集団見合いなのでしょう。今風に言えば、「合コン」です。晩秋に群れをつくる理由はどうも私には想像できませんが、確たる理由があるはずです。何せ賢い鳥ですから。
 カラスの賢さを示す行動は、先の水糸を警戒して近づかないこと以外にも、いくつもあります。例えば、あの鳴き声。明らかに豊かなコミュニケーション能力を持っています。人類が高度な文明を築けた理由の一つがコミュニケーション能力であることを思えば、やはりカラスは「鳥類の霊長類」です。
 もう一つ、こんな行動も賢さの例かもしれません。農場に隣接する民家の屋根には太陽熱温水器があり、その背面がステンレスでできているため、鏡のようになっています。その面に映る自分に対して執拗に攻撃する習性があります。多分、敵か何かに見えるのでしょう。
 余談になりますが、チンパンジーの前に鏡を置いた場合どのように反応するかテレビ番組で見たことがあります。チンパンジーは、まず鏡の裏側に回り他のチンパンジーの存在を確かめ始めました。何もいないとわかると、鏡に向かってやはり執拗に攻撃しました。
 ホモサピエンスと自称する人間も同じような行動をとりがちではないでしょうか。カラスもチンパンジーも人も、似たり寄ったりです。
(文責:鴇田 三芳)
第240話 農産物とペット
2016年7月24日
 よく「自然を大切に」と言われますが、人の手が入っていない自然というのは、少なくとも日本ではかなり少なく、人が何らかの形で自然環境に働きかけてできてきたものがほとんどです。日本の原風景である里山の雑木林は燃料の薪や堆肥用の落ち葉、山菜や茸をとるために、あるいは防風や防火のために整備され、人が介入して出来上がってきた風景です。もちろん田畑も。
 農作物やペットも同様に人が手を加えて作り出されたものです。人は農耕を始めて以来、他の生物を都合の良いように改良して利用してきました。ある時は食料として、ある時は愛でる対象として。私はランチュウを飼っていますが、ぽっちゃりした体形が何とも愛くるしく品評会が催されるほど愛好家も多いわけですが、彼らがひとたび自然界に放たれれば、目立つ色彩、緩慢な動きからまず生き延びることはできないでしょう。金魚はフナを改良して様々な品種が生み出されています。また猫や犬の多くの品種も人間の都合で改良されてきたもので、特に犬は妙に足の短いもの、鼻の低いもの、怖いようなものから愛らしいものまで千差万別でこれで同じ種かと思われるほどです。
 同じことは農作物にも言えます。同じ種類でも栽培適期の違うものや葉の形が微妙に違うものなど、同じ種類でも多くの品種があります。農作物の原種も野生に生えていた植物です。自然界ではありえないほどの根っこを肥大させた作物が大根やカブ、ニンジンといった根菜類であり、葉っぱを不自然に肥大させたものがキャベツやレタスでしょう。これらの農作物も農薬を散布したり、ネットをかけたりして人が手塩にかけて守るから、収穫までこぎつけるわけで、植えたままほったらかしにしておけば、まず虫・鳥に食べられるでしょうし、運よく生き延びても雑草との競争に負けてしまうでしょう。特に温度も高いこの時期は、雑草の適応力・増殖力には本当に感心させられます。この間も草を少し放置していた玉ねぎのうねでは、繁茂する雑草をかき分けてやっとのことで収穫しました。
 自然のままの生物を利用した生業(なりわい、せいぎょう)としては、漁業や狩猟によって天然魚や野生動物を捕獲することや山で自生しているキノコや山菜を利用することがありますが、これらが我々人間の食料に寄与している割合はごくわずかと考えられます。
 こうしてみますと畜産業も含めた農業という職業は、自然環境の力を借りて人工的に編み出された動植物の種類と同じく、人工的に作り出した田畑、あるいは牧場、畜舎で育て、人間の食料を生み出す産業といえるでしょう。それらの行為を見ると、ペットを飼うことと農業はとても似ているといえないでしょうか。
(文責:塚田 創)
第241話 ラブ・ソング
2016年7月31日
 皆生農園は自然豊かな農村地帯にあります。四季の移ろいが手に取るように実感でき、命の営みが身近なところで日々展開しています。喧騒(けんそう)にまみれバーチャルな世界に満ちた都会とは対極の世界です。
 そのため、春から秋にかけて、動物たちのラブ・ソングが絶えません。早春のウグイスから始まり、カラス、ヒバリ、カッコウ、ホトトギス、カエル、セミと続き、コオロギなどの昆虫の鳴き声とともに秋も深まっていきます。肉体的につらい作業をしている時でも、彼らの声を聞くと、ほっと心が癒されます。
 これらの中でも、「ホー ホケキョ」とさえずるウグイスのオスがトップ・シンガーと言えるではないでしょうか。この鳴き声、ほとんどの人は、春だけと思っておられるでしょうが、実は夏にかけてずっと鳴いています。まるで常に発情しやすい人間の男のようです。そしてウグイスは、「ホー ホケキョ」の他にも幾種類かの鳴き方をします。例えば、「チーーーーーーー、 チチョ、チチョ、・・・・・・」や「チチチチチ・・・・・・・」などとも鳴きます。
 私たち人間の世界でも、男はラブ・ソングを好んで口ずさみます。そして、歌のうまい男は女にもてます。かつて、アリスの谷村新司氏が「あの頃、女の子にもてたい一心で歌ってた」と述懐(じゅっかい)していました。ほとんどの男性歌手の内心を代弁しているでしょう。
 しかし、なぜ歌が上手なオスや男が異性にもれるのでしょうか。また、同じ類人猿でもチンパンジーやゴリラ、オラウータンはなぜラブ・ソングを歌わないのでしょうか。不思議です。
 自然豊かな環境に暮らし、身近なところで命の営みに接していると、わからないことが次々出てきます。
(文責:鴇田 三芳)
第242話 トマトを食べる生き物たち
2016年8月7日
 夏と言えば、枝豆、オクラ、そしてトマトですね。私は、これらが大好物で、毎晩食べています。帰宅すると、妻が用意してくれる料理を口にする前に、これらとヨーグルト、納豆、煮干しをまず食べます。夏を乗り切る私のスタミナ源です。
 特にトマトは、水分とミネラル補給のために、収穫中にも食べています。そのため、消化できない皮と種が大便にかなり混ざっています。昨年は、そのトマトが病気の発生で7月上旬に全滅し、少ししか食べられずガッカリしました。一般に売られているトマトは農薬を使っているので、いくら好物のトマトとは言え、買ってまで食べる気にはなりません。
 私だけではなく、日本人が一番食べている野菜(金額ベース)はトマトです。まるで野菜の女王様のようです。そのおいしいトマトは、人間だけが好物としている訳ではありません。ハウス内ではなく、露地でトマトを栽培すると、いろいろな生き物に食べられてしまいます。
 鳥ではカラスとキジが食べます。第239話「カラス」でも書きましたが、収穫間際の完熟トマトをことごとく食べ尽されたことがあります。ただ、カラスは頭が良く警戒心が強いので、水糸を張れば寄り付きませんが、キジはそんな対策をまったく意に介しません。
 昆虫ではヨトウ虫とタバコ蛾とカメ虫が食べます。これらはとても厄介な害虫です。皆生農園の周辺には梨園がたくさんあり、梨もカメ虫の食害にあうため、強力な農薬をまきます。しかし、カメ虫のほとんどは瞬時に飛び去ってしまいます。そして、農薬を使っていない私の畑にも避難してきます。数年前には、ミニトマトがカメ虫の群れに襲われ、これまた全滅。
 さらに、昆虫では、セミとカブト虫とクワガタも食べに来ます。特にミニトマトやミディトマトは、トマトより甘いので、昆虫たちが好んで食べます。梅雨が明けた先週、ミディトマトの収穫中、カブト虫のオスとメスが頭をくっつけ合い食べていました。のぞきこむと、気配を感じたオスのカブト虫がさっと逃げていきました。しかし、メスはカメラを接写してもガツガツむしゃぶりついていました。
 何かに似ていますね。
(文責:鴇田 三芳)
第243話 死の季節
2016年8月14日
 夏は恋の季節。今年もまた、お盆休みで海や山にたくさんの人たちが出かけ、新たに恋が芽生え、あるいは深まることでしょう。
 半世紀近く前、「ピンキーとキラーズ」が歌う「恋の季節」が大ヒットしました。この季節を象徴するかのような歌でした。「忘れられないの あの人が好きよ 青いシャツ着てさ 海を見てたわ ・・・・・ 恋は 私の恋は 空を染めて 燃えたよ ・・・・・・恋の季節よ」というフレーズに夏の海辺での熱い恋を連想させます。薄着になった女の色香(いろか)に男は惹(ひか)かれてしまいます。
 恋の季節に命を燃やしているのは人間だけではありません。昆虫や野辺の草ぐさも同じです。セミやコガネ虫、厄介なヨトウ虫やタバコ蛾など、多くの昆虫が恋に夢中になり、生命力あふれる草ぐさも盛んに種をつけています。
 しかし、そんな恋の季節の直後には死が迫っています。自らの命を次代に捧げ、あっという間に命の火を燃やし尽くしてしまいます。夏はそんな季節でもあります。
 今では人生80年の時代になり子育てが終わってから何十年も生きられますが、昔は人間も子孫を残して間もなく命を落としていきました。私の祖母はその典型のようでした。九人の子を産み、最後の子を産んで間もなく他界してしまいました。田舎では決して珍しいことではなかったようです。また、父は3人目の子を母に身ごもらせた直後、戦地で重傷を負ってしまいました。九死に一生を得て帰国したことで、仲間とともにサイパンで玉砕せずにすみました。
 さらに昔にさかのぼれば、他の部族や集団の女を奪うために人はたびたび戦争をしてきました。まさに恋に命をかけたのです。もっとも、このような女狩りの背景には、小集団での近親婚を避ける目的もあったのでしょう。
 ひるがえって現代では、恋愛に強い関心を持たず恋に命をかけることなど論外と言わんばかりの若者が一般化し、未婚者が増え続けています。その背景に経済的な理由がよく取りざたされますが、はたしてどうなのでしょうか。私には「人類の生命力が衰えたため」と思えて仕方がないのですが、・・・・・・・・。
 立秋が過ぎ、あちこちに落ちているセミやコガネ虫の死骸を見ていたら、ふっとこんな想いが脳裏をかすめました。
(文責:鴇田 三芳)
第244話 温暖化は問題なのか
2016年8月21日
 今年の夏の天気は、素人目に見ても、明らかに地球規模の温暖化の影響を受けていると推察できます。
 昔は小笠原諸島のあたりに太平洋高気圧が鎮座していましたが、今年は北太平洋のアリューシャン列島のあたりに居座っています。太平洋高気圧というよりも、オホーツク高気圧の定位置に夏の高気圧があるのです。そのため、梅雨がないと言われてきた北海道に前線が停滞し、記録的な大雨をもたらしています。
 台風の発生位置もかなり北に偏っています。日本近海で次々に発生し、関東地方をかすめていきます。例年この時期は、赤道付近で発生した台風が、小笠原諸島のあたりに陣取っている太平洋高気圧に押され、九州方面に流されてしまいます。
 西日本では、今でも猛暑日が続き、水不足が問題になっています。余談ですが、私は暑くて有名になってしまった群馬県館林市のとなりの足利市で育ちましたが、その頃は猛暑日など聞いたことがありませんでした。一番暑い時期でも、32、3℃でした。
 このように、今年の夏の天気の特徴は、気圧配置が全体的に北上し、関東以西が熱帯化していることです。それは、ジェット気流の位置や本州以南の海水温が高いことと密接に関連しています。
 もはや、地球規模の温暖化を疑う余地はないように思えてなりません。日本以外の地域でも急速な温暖化がいたる所で見られます。例えば、今や日本からヨーロッパに船で行くのにスエズ運河を通らず、分厚い氷が溶けた北極海を回って行けるようになっています。
 このような気候は、経済活動や消費動向はもとより、農業現場の者にも大きく影響します。ここのところ関東地方では雨続きで、先週だけでも皆生農園の畑には200mm以上の雨が降りました。野菜の種まきや苗の植え付けがなかなかできない状態が続いています。去年も同様でした。正直、「参った、参った」という気にもなります。
 しかし、もう四半世紀以上も前から指摘されてきた地球の温暖化は、はたして世界規模で大騒ぎするほどの問題なのでしょうか。
(文責:鴇田 三芳)
第245話 何を信じるか
2016年8月28日
 「あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかな・・・・・・・」 スガシカオが作詞し、スマップが歌った「夜空ノムコウ」です。これを聞くと、今でもジーンと心に響いてきます。
 何を信じるか。これは、人生を生き抜くうえでも、そして仕事をするうえでも、とても重要なことではないでしょうか。何も信じられず、最後の拠りどころである自分さえも信じられなくなってしまった人たちが世間にはたくさんおられます。年間3,000人近くの人たちが自殺している現実がそれを物語っています。自殺者の中には、人間関係のもつれで人間不信に陥ったり仕事などのストレスにより鬱病などの精神疾患を患ってしまった人たちが高い割合で含まれているでしょう。
 農業を営むうえでも、「何を信じるか」が非常に重要になります。趣味ではなく、一定以上の所得を目的にすれば、相当な信念がないと続けられません。何かを信じ、常にそれを念じていないと、挫折が背後からこっそり迫ってきます。
 では、何を信じるか、です。もちろん、自分自身を信じることは大前提です。忍耐力とか、体力とか、経験や知識とか、思考力とか、一定以上の資金力とか、さまざまな面において自信を持ってないと、自営農業の継続は難しくなるでしょう。
 そして、もう一つ指摘したいことがあります。それは、「生命力を信じる」ことです。すべての生き物が持つ生命力を信じることです。農業は生き物を扱う職業だから、当たり前と言えば当たり前のことと思われがちですが、私の知る限り、生命力を明確に意識している農民は非常に少ないようです。そのためか、害虫や病気が発生すると、躊躇しないで農薬をかけます。実際には、害虫や病気が発生していなくても「防除」という名目で、定期的に農薬を使用しています。もはやそこには、生き物を扱っているという意識を見出せません。
 左の写真は、7月下旬ころ空芯菜(クウシンサイ)に発生したハスモンヨトウの幼虫です。「生命力があり厄介だ」とほとんどの農民は思っています。しかし、生き物たちのバランスがとれていると、これを食べる昆虫や小動物、あるいは微生物が存在していて、ハスモンヨトウはなかなか生き残れません。カマキリやアマガエルなどの餌食になってしまいます。
 農産物は工業製品とは違います。生き物から得られるものです。
(文責:鴇田 三芳)
第246話 エネルギーに関するあれこれ
2016年9月4日
 今回はエネルギーについて考えてみたいと思います。
 我々は生きるために必要なエネルギーを得るために食料を食べます。1gの水を1℃温度を上昇するのに必要な熱量が1cal(カロリー)。我々が食事から得るエネルギーは毎日約2000kcal。毎日1tの水を2℃上昇させるほどのエネルギーを食事から摂取し、日々生きている訳です。
 これがどの程度のエネルギーになるのでしょうか。エネルギーの単位は上述のcalとJ(ジュール)、W(ワット)などが互いに結びついています。1cal=4.2J、1W=1J/秒といった具合です。日々の食事のエネルギー2000kcalはJに変換すると8400kJ、1日は86400秒ですから、97J/秒≒100J/秒=100Wということで、日々の食事で摂取するエネルギーが電気でおなじみのワットに変換できました。我々は100Wを消費する電球と同程度のエネルギー消費を行っていることになります。日本人の人口は1.2億人ですから、1200万kWの消費エネルギーになります。
 一方、原子力発電所の1基の出力は100万kW、実に日本人が生きるために消費するエネルギーは原子力発電所12基分という莫大なエネルギーになります。全国の人のエネルギー消費が福島第一原発(6基)の2か所分ということが多いと感じるか少ないと感じるかは意見の分かれる所でしょう。ちなみに太陽から地球に降り注ぐエネルギーは174PW(ペタは10の15乗)、世界の人口が70億人として人類の生命維持のエネルギーは7×1011W、地球に擦り注ぐ太陽のエネルギーは人間の消費エネルギーの約100万倍となります。
 燃費10km/Lの車が1km走るのに使うガソリンは0.1L、およそ3.46MJのエネルギー消費となり、時速40kmで走るなら、1km走るのにかかる時間は1.5分、ワット数は38444Wとなり、実に人間400人弱のエネルギー使用量となります。また新幹線が新大阪―博多間を走るのに使用する電力量は20000kWhだそうです。およそ2時間で走るとすると時間当たりの消費電力は10000kWh、ワットに直すと10000000W。1000人が乗っているとして一人あたりに直すと10000W、人間100人分のエネルギー使用量となります。このように見ますと車や鉄道等の輸送手段は多くのエネルギーを利用して動いていることが分かります。
 日本で1年に使われたエネルギーは国のホームページによると14347PJ(ペタジュール)。これをkWに換算すると455百万kW(14347×1015J÷31536000秒)、一人当たりでは3.8kW、一方上述のように生きるためのエネルギーは100W(=0.1kW)ですから生きるために必要なエネルギーの40倍ものエネルギーを消費していることになります。
 以前、江戸時代のエネルギー事情に関する書籍を読んだことがありますが、昔の人の方がよほどエネルギーを使わず、賢明に生きていたのではないでしょうか。衛生的なお風呂やトイレ、遠方への旅行等、現在の便利さに慣れ切ってしまった我々には到底戻れるものではないかもしれませんが、ほんの最近まで人間はほぼ自分のエネルギーか、せいぜい馬や牛の力を借りる程度のエネルギーで生活していました。つまり近い過去の太陽エネルギーを利用して生きてきました。
 現代は光合成生物が数億年かけて蓄積してきた太陽エネルギーを無頓着に使って快適さを享受しているだけで本当に進歩しているといえるのでしょうか。現代は本当に必要なのか疑問なものに多くのエネルギーが使われているように思います。某ゲームで最近は大騒ぎですが、そのようなものは本当に必要なのでしょうか。ゲームの娯楽性を否定するつもりはありませんが、貴重な化石燃料を焚いて作った電力を使うに値するのでしょうか。私も現代人として快適な生活をさせていただきながら、「いつまでこんな生活を送れるのか、こんなエネルギー大量消費社会がいつまでも続くわけがない」と、漠然とした不安が常に意識の中にあります。
(文責:塚田 創)
第247話 美田を残さず
2016年9月11日
 先月下旬から当地では雨の日が多くなっています。予報では、今日から1週間ほど秋雨前線が本州南岸に停滞し、しとしと雨が続きそうです。そんな中でも稲穂が黄金色に輝き、今週は稲刈りが最盛期を迎えそうです。
 私の実家は大規模に稲作をしていました。子どもの頃は田植えと稲刈りの時期は学校を休んで手伝ったものです。そのためか、今の私は米作りをしていないものの、周囲の水田で稲刈りが始まると無性に嬉しくなり、明日の命が約束されたような気になります。このような思いにいたるのは私だけではないでしょう。
 ところで、格言に「美田を残さず」というものがあります。米食離れと稲作農家の激減で、こんな格言は半ば死語になってしまったかもしれませんが、私にはとても意味深に思えてなりません。個人の生き方や家風にとどまらず、この格言は文明のあり方にも言及しているように思えるからです。
 とかく人間は、何かを残そうとします。それは私的財産であったり、名声や名誉であったり、公共資産であったり、領土や領地であったりと、多岐にわたります。そのためには努力を惜しまず、苦悩し、時には人生の大半をそのために捧げたりもします。思い余って争い事を起こすことも珍しくありません。
 何故こうも人間は何かを残したがるのでしょうか。人間以外の生き物で、このように残したがる生き物がいるのでしょうか。子孫をたくさん残す習性を除けば、身近な生き物にはこのような習性は見受けません。
 「未来は過去の延長線上にある」と言われますが、これを真理と認めれば、未来にわたっても人間は何かを残すために命をかけることになってしまいます。
 「人間の不幸の原因のひとつはこの残す習性にある」と私には思えてなりません。今から30年近く前、ある女子大生に頂いた「悲しき熱帯」(1955年、文化人類学者クロレヴィ・ストロース著)を読んでから、この思いがずっと心に引っかかってきました。
(文責:鴇田 三芳)
第248話 
2016年9月18日
 夏になると我々の安眠を妨げ、血を吸いに来る蚊たち。農園でも夏になるとわんさか発生し、作業中に襲撃を受けます。この世からいなくなってほしいとさえ思います。
 世界では蚊が媒介することによる伝染病の死者が、毎年75万人で地球上で最も人間を殺害する生物となっているとのことです(ちなみに2位は人間)。日本でもジカ熱、デング熱の感染拡大が懸念され、公園の封鎖などがあったことは記憶に新しいことです。
 日本には100種類以上の蚊がいるようですが、我々が主にお世話になっている(?)蚊は黒を白の縞模様のヒトスジシマカと茶色い体を持つアカイエカの2種類でしょう。農園にいるのはもっぱら前者です。林の中に仕込んだシイタケの原木をたまに見に行くと、その時は蚊の多さに早く林から抜け出したいと思います。通称ヤブカと呼ばれるだけあって藪での個体数は多いように思います。藪の中に人はめったに行かないのに何故そんなに多いのか、普段彼らはどんな生活をしているのか、疑問に思い調べてみました。
 普段の餌は植物の蜜や果汁など糖分を含む液体ですが、メスは卵を発達させるのにタンパク質が必要で動物の血を吸うようです。そして血を吸わなくては卵を産めないようです。温度の高い所へ、二酸化炭素の多い所へ向かう習性があります。また湿度にも反応するようで、新陳代謝の良い人、汗っかきの人は蚊に刺されやすいと言えるでしょう。
 25~30℃の環境では10日ほどで卵から成虫になるようです。少しの水たまりがあれば生育可能のようで、例えば竹の切株のたまり水なんかに卵を産み付けているのかもしれません。蚊の寿命は夏の盛りでは2~3週間、卵で越冬するもの(ヒトスジシマカ)、成虫で越冬するもの(アカイエカ)、種によって様々のようです。
 一生の間に雌の蚊は1~4回ほど吸血-産卵のサイクルを繰り返します。吸血後、雌は卵が成熟するまで安全な場所で2~3日休止しています。その間は他の動物を吸血する事はありません。卵が成熟すると雌は適当な水域に一度で50~100個程度の卵を産み、すぐに次の吸血の準備をします。
 水面に産みつけられた卵は2~3日で孵化し、そこでボウフラ時代を過ごします。ボウフラは水中のデトリタスや微生物などの有機物を餌として、4回の脱皮を経て蛹になります。蛹の間は餌を食べずに2~3日後に羽化して成虫になります。羽化後1日は体の骨格がちゃんとするまでじっとおとなしくしていますが、成虫としての準備が整うと、雄と雌は交尾をし、羽化後2~3日で雌は卵の成熟に必要な栄養素を得るために動物から吸血します。
 行動範囲は10~100mのオーダーのようで、産卵や餌場である竹藪に多くいて雌たちが血を求めて数10m離れた農園の作業場に襲撃に来ていることが想像されます。
 以上のように彼らは子孫を残すことのみを目的として命がけで人間の血を吸いに来ていることがわかりました。追い払っても叩き殺そうとしても、めげずに攻撃してくるその執念は本当にすごいなと思います。
 彼らもクモなどの餌となるようですし、植物の受粉を助けて自然界の中で役割を担っています。そんな彼らの生存のために、自然界に生かされている人間も少しばかりの血を提供してあげてもよいのではという気もしてきました。安眠を妨げず、痒さをもたらさなければ・・・・・・・。
(文責:塚田 創)
第249話 排泄学
2016年9月25日
 上旬から続いていた秋雨の季節が今週は少しおさまるようです。実りの秋が訪れ、おいしい新米が食欲をそそります。体は本当に正直です。そんな訳で今回は、食に関係することを書こうと思います。食と言っても、食べるほうではありません。
 親しい人にしか話したことがないのですが、私は昔から大便がとても気になっています。その発端は幼いころのトイレ体験、いや便所体験と言ったほうが正確かもしれません。私はど田舎生まれのため、生家も小学校も汲み取り式便所、いわゆる「ポットン便所」でした。子どもの頃から嗅覚が鋭かった私は、とにかくあの悪臭の満ちた空間に入るのが死ぬほど嫌でした。そのため、小学校からの帰り道、30分以上もかかる家までもたず、何度か漏らしたことがありました。
 ところが何と中学校は、ど田舎にもかかわらず、三階建ての鉄筋コンクリートの近代的な校舎で、もちろんトイレは水洗。10年近く悩まされてきた便所から解放され感動すら覚えた記憶があります。
 さて、ここからが本題。
 電車に乗る時、まず乗客が出てから乗り込みます。たぶん万国共通でしょう。そして、電車に入るのも出るのもまったく同等の行為です。植物でも、根から水が入るのと葉から出ていくのと、どちらも同等に重要です。葉から水の出が悪いと、人間でいえば便秘状態に似ていますが、植物は病気にかかりやすくなります。経済活動でも同じです。入ったお金はあまり留めずに出していき、世の中のお金がほどよく回らないと深刻なデフレになります。
 ところが私たちは、食物を入れる行為が重要で、大小便を出す行為を軽視しがちです。後者を「恥ずかしい」と隠ぺいすらしています。摂取に関しては、栄養学だの食物学だのと学問化され、はたまたダイエットだのと実に多くの人たちが強い関心を抱いている一方で、大小便の排泄に関する学問は一般的になっていません。
 これは大きな間違いです。
 自慢めいた余談ですが、私は飲食にとても気をつけています。毎日に必ずプレーン・ヨーグルトと納豆を食べ、朝は玄米を食べています。その関係もあって、非常に胃腸の調子が良く、ここ10年ほど、大病は1回もなく、インフルエンザで寝込んだこともありません。オナラはほとんど無臭です。
 本題に戻りましょう。私たちが健康を本当に気にするのであれば、もっと大小便に関心を持つべきではないでしょうか。そして、健康管理の観点から学者はもっと大小便を学問化し世間に広く伝え、義務教育の中に食事学と排泄学を盛り込む必要を私は痛感しています。
 そうすれば、増え続ける医療費を抑制し、政府の財政を少しは楽にすることでしょう。
 それとも、排泄学はビジネスに貢献しないどころか、医療関係のビジネスを圧迫する可能性があり、産業界は抵抗するでしょうかね。
(文責:鴇田 三芳)
第250話 諸説紛々
2016年10月2日
 「健康オタク」という流行語があります。必要以上に健康に敏感な人をさすのでしょう。
 私は、朝と昼の食事は自分でささっと料理します。慣れたもので、まったく苦になりません。栄養のバランスと安全性を重視し、基本的に自前の野菜を中心に作ります。調理方法や見かけはまったく気にしていません。もちろん、外食などもってのほかです。どんな食材を喰わされるかわからないからです。たぶん、自分ではそう思っていないのですが、傍からは健康オタクと見られていると思います。
 そんな訳で、コンビニやスーパーなどのブック・コーナーによく立ち寄り、健康書が目に留まると、ついつい買ってきます。そして、何冊も読み進むにつれ、「どっちの方が正しいのだろうか?」という疑問がいくつも出てきます。

●その1:食事の回数
 「日に3食しっかり食べなければいけない。特に朝食抜きは問題だ」という意見が主流でしょうが、「日に2食の方が健康にいい」という意見もあります。
●その2:卵
 「卵は完全栄養食なので、毎日1個は食べるべきだ」という意見と、「コレステロールが多いので毎日食べるのは問題だ」という意見もよく聞くようになりました。
●その3:ヨーグルト
 「腸内環境を良くするために、乳酸菌の豊富なヨーグルトを積極的に摂るべきだ」という意見がある一方で、「乳製品を分解する酵素がない日本人が多いので、食べても意味がなく、弊害すらある」と言う医師もおられます。
●その4:果物
 「日本人は果物の摂取量が少な過ぎる。ビタミン補給のためにもっと食べた方がいい」という意見があります。実際、先進国の中では、日本人が食べる果物の量は極めて少なく、年々減る傾向にあります。その意見に対し、「果物はカリウムが多く含まれているため、体を冷やし免疫力を低下させる。また、甘い果物に多く含まれる果糖は血糖値を急激に上昇させる。これらの理由で、果物はあまり食べない方がいい。」という指摘もあります。
●その5:水
 「人の体の60%ほどが水であり、しっかり水分を摂らなければならない。特に暑い季節や湯上りには積極的に飲みましょう」という意見が一般的かと思いますが、「水は体を冷やし免疫力を落とす。加えて、尿とともにミネラル分を排泄してしまう。食事から水分はかなり摂取できるので、取り立てて水を積極的に摂る必要はない」という意見もあります。
●その6:人参
 「人参は、緑黄色野菜の筆頭で抗がん作用も強く、たくさん食べよう。ジュースにして毎朝摂ると、健康上とてもいい」という意見に対し、「人参は、血糖値を一気に上げるので、ほどほどに食べるべきである。ジュースにして寝起きに飲むのはもっての外である」という消極的な意見もあります。
●その7:糖質
 「糖質は、エネルギー源として非常に効率的であり、分解の過程で有害物質が出ないので、しっかり食べましょう」という考えが今でも一般的です。日本では昔から、ご飯だけで済ます習慣が綿々と続いてきました。今でも、スナック菓子、パン、おにぎりなどはコンビニの定番メニューになっています。実際、糖質食品がもっとも安いカロリー源です。しかし、「糖質は、老化を促進するので、摂取を制限したほうが長生きする」という新たな指摘がなされ、そのような実験結果もあるそうです。

 例を挙げればまだまだあるのですが、紙面の関係で止めます。
 結局のところ、自分の体を守るのは自分です。医者や薬ではありません。自分の頭でしっかり考え、自分の体の調子を敏感に察知するしかないのでしょうね。
(文責:鴇田 三芳)
第251話 豊かさ
2016年10月9日
 還暦を過ぎた頃から、「あの頃は・・・・・・・」とよく回顧するようになりました。時代が急変しているからか、単に年をとったためなのか、昔を懐かしむことが増えてきました。その当時はイヤでイヤで仕方なかった過去の暮らしや出来事でも、今では「良かったなー」と思えるのです。
 ところで、私の生家は専業農家で、一時期は一家15名の大家族でした。家族総出で働いても貧しく、ご飯にはいつも大麦が混ぜられていました。いわゆる「麦飯」です。お釜を開けると、あの独特の臭いがプーンと湧き上がり、食欲がなえたことを今でも鮮明に憶えています。
 昔から白米のご飯は、「銀シャリ」と呼ばれ、高い身分や財力を象徴するものでした。農民や貧しい庶民は、銀シャリに憧れを抱き、祝い事などの特別な時しか食べられませんでした。まさに豊かさの代名詞でした。また、江戸時代までは、お米が通貨と同等の働きもしたくらい、日本人には切っても切れない存在でした。
 ところが、お米は白米にするとビタミンB1などの栄養素が激減してしまいます。余談になりますが、昔から白米を常食していた人たちは脚気(かっけ)を患い、太平洋戦争中は陸軍兵士が脚気に悩まされたそうです。
 このような訳で、今では雑穀米が健康的に優れているともてはやさ、大麦にもまた出番が回って来ました。
 また戦後、膨大な数の日本人が田舎を捨て豊かさを求めて都会に集中してきました。私もその一人です。田舎暮らしがとても嫌でした。先進諸国を追従するように、中国をはじめ世界中の発展途上国でも起きている現象です。
 ところがどうしたことか、日本ではバブル崩壊の前後から、田舎生活に憧れ田舎暮らしの良さを再発見して移住する人が徐々に増えてきました。
 さらに、アメリカの生活スタイルに魅了された大多数の日本人は自家用車をこぞって買いました。これも豊かさを確実に実感させてくれました。就職した男子が真っ先に買ったのは、もちろん車。車を運転しない男子など女子に見向きもされなかったからです。
 それが今では、どうでしょう。
 これらの例は、バブル崩壊を境に豊かさの内容が多様化し、あるいは変容してきたことを示しています。
 それにもかかわらず、右肩上がりの社会を生きてきた戦後世代のほとんどは「豊かさ=物」という観念に今でもとりつかれています。生活に必要な物に十分満たされ、バブル経済の崩壊を体験したにもかかわらず、その観念を払しょくできないまま老後を迎えつつあります。そして、「豊かさ=物」という観念にほとんど執着していない若い世代を圧迫しています。合法的に搾取していると言えなくもありません。
 かく言う私も、わかっているつもりでも、なかなか物欲がおさまりません。物を失うことに戸惑いと不安を感じます。
 しかし、還暦を過ぎた頃から貧しかった昔を思い出すのは、もしかすると物質的な豊かさに疲れ、死期が迫り、それとは違う豊かさを内心求め始めているのかもしれません。
(文責:鴇田 三芳)
第252話 キンモクセイの香り
2016年10月16日
 今年もキンモクセイの季節があっという間に過ぎました。私はこの花の匂いが好きで毎年キンモクセイの香りが漂い出すとなぜか幼少の頃を思い出します。キンモクセイの香る期間は10日くらいでしょうか、もう少し長く咲いていてほしいなと思います。キンモクセイについて何も知らないので色々調べてみました。
 日本には元々なかったようで江戸時代に中国から運ばれたようです。雄雌の木が別で日本には香りの強い雄の木しか入ってこなかったとのことです。そしてあの香りは主に以下の5つの化合物に由来されるようです。これをみますといずれも炭素、酸素、水素からなる化合物でどれも似たような組成をしています。特にγ-デカラクトンとリナロールオキシドは全く同じ組成ですが前者は5角形の環状構造、後者は6角形の環状構造を持つといったように構造が異なります。

キンモクセイの主な香り成分
名称化学組成種類特徴
β-イオノンC13H20Oケトン、環状テルペノイドスミレの花香に似た芳香を持ち、香料として広く用いられる
リナロールC10H18Oアルコール天然に多く存在する香気成分
香料として極めて重要。
γ-デカラクトンC10H18O2ラクトンフルーティでピーチのような香り
リナロールオキシドC10H18O2エーテルグリーンな香気の液体。多くの天然物、精油に微量含まれる。
cis-3-ヘキセノールC6H12Oアルコール葉の青くさい香りの本体。香料として広く利用されている。

 そもそも我々が香りを感じる仕組みは、その元となる化学物質が鼻の嗅覚細胞に結合して、嗅覚神経を刺激し、これが脳で検知され香りとして感じているということで、匂いを感じるためには元となる化学物質が鼻の嗅覚細胞に結合する必要があり、芳香物質は以下のような性質をもっています。
(1)揮発性があること
(2)水溶性 または 脂溶性 または アルコール可溶性であること
 揮発して鼻の中の嗅覚器官まで達しなければ匂わないということ、嗅覚器官に達したら、そこで水分や脂肪分に溶けて(細胞壁を透過するために、特に脂溶性が重要)嗅覚神経に達し、これを刺激しなければ匂わないということです。
 臭い成分の化学構造を見ていますと多くが環状構造を持ちます。炭素の環状構造を持つ化合物を芳香族ということは学生時代に習いました。なぜこのようなおしゃれな呼び方をするのか、英語ではaromatic compounds、これが和訳されたものと想像されます。おそらく環状構造を持つ化合物の多くがいい臭いを持つことと無関係ではないでしょう。
 香りのことを書いているうちに、「いい香りと悪臭の差は何なのか」という疑問が出てきました。大きな要因として考えられることは、「いい香り=おいしい物」の結びつきです。いい臭いはおいしいものを連想させます。逆に体に悪い影響を及ぼす化学物質(毒物)は悪臭と捉えられるよう進化してきたでしょう。しかし甘いいい香りと感じるγ-デカラクトンですが、多くの昆虫にとっては嫌な臭いのようで、モンシロチョウは避けるようですし、腕にキンモクセイの香りを塗ったら蚊に刺されないというような情報までありました。いい香りの基準は生物の種類によって違うようです。もっともキンモクセイの香りが嫌いな方もいるでしょうから、いい香りの基準はヒトという同一種でも異なるのかもしれません。

本稿は以下のホームページを引用、参考にさせていただきました。
wikipedia
花の香りの正体 http://iromizu.com/hana_kaori.html
金木犀のおもしろ話題集 http://www.kinmokusei.co/07.html
(文責:塚田 創)
第253話 里芋の季節
2016年10月23日
 10月も下旬になると、畑を吹き抜ける風がかなり冷たく感じられます。体を冷やす夏野菜に代わって、体を芯から暖めてくれる根菜の煮物が食べたくなる季節が来ました。そこで、里芋の出番です。
 里芋は3月から4月末頃までに卵大の芋を植えます。その種芋の真上に親芋がまずでき、その親芋の周囲に子芋が次々できます。子芋が大きくなると、子芋の周囲にも芋ができます。孫芋です。生育環境が良ければ、写真のように人の背丈ほどにもなり、親芋は2kgくらいに、販売できる子芋と孫芋の合計は1.5kg以上にもなります。
 里芋の場合、食用として流通するのは子芋と孫芋です。親芋は、食べれば食べられるのですが、飽食の時代になってからは畑の片隅に捨てられてしまいます。その理由は、親芋には里芋独特のヌルヌルした食感がなく、どちらかと言えば八つ頭を硬くしたような「ゴリゴリ」という食感になっているためと思われます。余談になりますが、里芋の仲間には、八つ頭、セレベス、とうの芋、京芋などがあり、八つ頭やセレベスは親芋を、とうの芋や京芋は親芋も子芋も食べます。
 昔はそんな親芋でも、でんぷん加工用として業者が買いに来たそうです。
 太古より人類は、常に飢餓の脅威にさらされ、食料の獲得に悪戦苦闘してきました。歴史の記録がある時代だけでも、食料を奪うために何度も何度も紛争や戦争を繰り返してきました。かつて日本が中国の満州を侵略した主因も食料不足の解消でした。
 第二次世界大戦後、品種改良や機械化、耕作地の拡大などを世界的規模で続けてきたにもかかわらず、今でも世界のあちらこちらで飢餓にさいなまれている人たちがいます。
 そんな飢餓の時代にあって、十分食べられる里芋の親芋を捨てるなんて、実にもったいない話です。我が家では親芋を、大きくて調理が楽ということもあり、普通に食べています。少しゴリゴリとした食感でも、そういうものだと納得して食べれば、まずくはありません。また、割安の値段をつけて直売すると、買ってくださる方もおられます。
 親芋の利用方法は他にもあります。翌春、種芋として使う子芋の代わりに、親芋を使うのです。かれこれ10年以上も前から私は親芋も植えてきました。ただし親芋は、とても大きいために、植えるのに手間取ります。加えて、芽がたくさん出るので芽かきをする必要があります。しかし、子芋よりも貯蔵栄養量がはるかに多いので力強く生育し、当然、秋には里芋がたくさん採れます。
 里芋の親芋はほんの一例で、何のかんのと理由をつけて、私たちは食べられる物を気安く捨てています。国の統計によると、米の収穫量よりも多くの食べ物を日本人は毎年捨てているそうです。
 はたして日本人は今でも、「もったいない」という美徳を持っているのでしょうか。たぶん、その答えは都会のカラスやタヌキが教えてくれているのでしょう。
(文責:鴇田 三芳)
第254話 遊びと戦い
2016年10月30日
 我が家には3歳になったばかりの雌猫がいます。病気で衰弱しピクとも動けず道端に捨てられていた子猫を拾ってきました。2回の大手術に耐え、今では普通に暮らしています。「九死に一生を得て救われた猫」ということで、名前は救(きゅう)とつけました。今では家族を癒し救ってくれています。
 その救は、重病続きであったために完全な家猫で、人とじゃれ合うのが大好きです。とりわけ私とはよく遊びます。じゃれ合っているうちに、野生が目覚めるのか、みるみる戦いモードに変わっていきます。
 猫に限らず、哺乳動物の子どもたちは全身を使ってじゃれ合います。人が見ればお遊び程度に見えても、実は真剣にじゃれ合っているようです。特に肉食系の動物のそれは、時に遊びの領域を超えているようにも見えます。多分、自己の生存はもちろん、その種を維持する上でも不可欠な戦いの訓練なのでしょう。
 話は変わって、人間の遊び。私が子どもの頃は、ど田舎の農村地帯ということもあり、村内の男子が集まり、日が暮れるまで外で遊んでいました。野球に相撲、缶蹴りに鬼ごっこ、そして騎馬戦とチャンバラ。夏は決まって肝試しが加わりました。年に一度くらいは他村の子どもたちと喧嘩もしました。今から思えば、肉食動物の子どもたちと大差ない遊びばかりでした。
 時は流れて時代は移り、外遊びからオモチャに、オモチャからゲームにと遊びの内容が変わるにつれ、子どもたちの行動パターンが大きく変化してきたように思えます。例えば、ちょっとしたことでプッツンしたり、遊びと戦いの境が曖昧になり簡単に遊びから戦いに急変したり、いじめから自殺に追い込んだり、他人を殺傷することも珍しくなりました。
 皆生農園の農場はとても田舎にありますが、近くの広い隔離地から威勢のいい、しかし丁寧な大声が聞こえてきます。近くで20から40代くらいの大人が戦争ごっこに興じ、それを仕切る男の人の声が拡声器で四方八方にばらまかれるからです。以前は週末に限られていましたが、最近は週日でも聞かれ、参加者の大きな歓声の中に女性や子どもたちの声も混じるようになりました。
 その騒音を聞くたびに、「あの延長線上にISIL(イスラム国)の若者たちがいるのかなー」と私は思えてなりません。
 そのような人間の喧騒とは別に、中秋の静かな原野にモズとヒヨドリの鋭い鳴き声が響くようになりました。「チッ、チッ、チッ、・・・・・・・」と縄張り争いをくりひろげているモズの声。「ピー、ピー、ピー、・・・・・・・」と餌を独占しようとするヒヨドリの声。モズもヒヨドリも、遊びではなく、来春にかけて命をかけた戦いに明け暮れます。
 その一方でカラスは、群れを作り、よく鳴き積極的にコミュニケーションをとるようになります。これから餌が減っていくため、群れで移動しながら餌を探します。どうも助け合いながら厳しい冬を乗り越えるようです。
 そんな彼らを見ていると、「いったい自分はどっちの生き方をしているのだろうか。モズやヒヨドリか、それともカラスなのか」と自問することがあります。
(文責:鴇田 三芳)
第255話 活気と狂気